ブログ - 201111のエントリ
(愛)とは何か?なんて問われるとむずかしくて答えられない人が多いと思う。私だって答えられない。
そこで(親和力)という物理用語を持ち出してみた。ゲーテの作品にその題名の小説がある。
親和力とは原子、分子に一つの電子をあたえた時に放出または吸収されるエネルギーであり、放出は正、吸収は負と定義する、とヤフーで検索できた。これは男女の愛、あるいは子供への愛、人間同士、あるいは動物、植物への愛につうじるものであろう。そんなふうに解釈すると普遍的なものが感じられるが男女の(愛)はもっと複雑だからそう簡単には分析できないとおもう。
だからそのテーマはいつまでも途切れることがなく、好奇心をそそられるのである。
高校時代の科目では(倫理・社会)に興味があったが、(人生論)に踏み込んで習うことはなかった。受験勉強ばかりであったから勉強が面白くなかったのは当然である。教育業界で働く者にとっては受験や進学こそ大事でなければメシがくっていけないのである。生徒達はある意味でメシの種にされている。大学入試など廃止すればいいものをメシの種がなくなると困る者がたくさん出るからそれはとんでもないことなのである。
人生論をもたなくてどうして社会で活動ができるのか不思議でならない。
アメリカに占領された国は独自の思想を持つことは出来ず、(人権、民主主義)をお題目にとなえるしかなかったがそれは効能を失い始めている。
話は飛ぶが(自然科学)とは自然を数学を使って分析し論理づけ、法則を探し出す学問である。では人生をそのように出来ないであろうか?と私は思う。それが出来れば思い違いや誤解や迷い、悩みが少なくなって快適に生きれるのではないかと考える。
わたしはこれに挑戦しようと思う。
人間の幸福について64歳になるまで考えてきたが、結論がでたようにおもう。常識概念を持ち出すとややこしくなるので物質を例にとったほうがわかりやすい。酸素が燃焼し、エネルギーをじゅうぶんに発散している時、満足感、幸福感がうまれてくる。先ずは体調である。酸素をじゅうぶんに燃やせる状態であることが条件で、それは暖かい大気に触れているとき、スポーツをしている時、勉学、恋愛、ボランティア、仕事などともかく活動している時である。
そんなことはわかりきったことであろう。
ここで常識というものをいったん外してみよう。すると、人殺しをしている時、レイプをしている時、苛めているときなど常識を持ち出すと反社会的な行為であることも当事者にとっては快感をもよおし幸福なのである。だから犯罪行為はいつまでもなくならなず、これにストレスが加わると触媒の作用がくわわってはげしくなってしまう。
犯罪のない集落というのが実際、存在するのだから犯罪をなくすことはできるかもしれないが(犯罪も快楽をうみ幸福にさせる)という事実を知っていなければ犯罪がなくなることはないであろう。