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人は皆、何をするか?しなければならないか?など考え、日々、行動している。その指示は自分独自の意志から来てると、思っているが、実はそうではない。私たちの人生も行動、思考も生まれる前から枠の中に入れられ、自分ではないものの指示で動かされているのである。
人間に産まれたいか?鳥になってうまれたいか?どんな両親のもとに産まれたいか?
受精される時に訊かれたとしても親を選べはしない。政治家や大企業の管理職の子として産まれただけで、学歴、就職、結婚の心配はいらず、順調な人生が約束されている。女であれば美人に産まれただけで良い男に巡り合い、幸福な結婚生活はほぼ、約束されている。
不遇な状況のもとに産まれた者がチャンスに乗り、英雄や一流人になることはありえる。それは頑張ったからだと言われるが、その人の個性と時代のタイミング、道を開いてくれた人に出会えたからである。努力が無意味だとは言わないが、流れに乗ってしまえば自然に頑張るのである。
いま、書いている(歩き神)と言う小説は単行本ほどの量があり、ほぼ自伝的な内容である。以前、書き上げた作品に聖書の考えを入れることで膨らみと安定感が出ているように思える。応募しても、自分では満足していても、落選するであろう。自費出版するかしないか?とも考えたりしているし、HPに載せることだって出来る。
作品のテーマは、その出来事は主人公の罪なのか、そうでなく主人公には自由意志を持たないのか?というものである。ドストエフスキーの(罪と罰)に似ている。
個人的には、自由意志はない、と考える。人間でなく、鳥になって産まれたい、と考えたとしても選べはしないのである。ただ、余生の中で思うことは人として産まれ、自分として出来上がったことは良かったと思う。他には誰一人いない(自分)として産まれたことに・・。
作品の主人公はわたしと同じく、(人生への最後の審判)を待っている。
五十年前、東京の二流私大に入学した頃のことである。沖縄空手道剛柔会という同好会に入り、シゴキを受け、そこが暴力団顔負けの世界であるということを知り始めていた。二人の悪友と白いセッタをはいて、新宿・歌舞伎町をブラブラ歩いていた。渡哲也の(東京流れ者)の唄さながらの気分で、不良を跳び越えて、ヤクザの気分であった。
三越の地下・食品売り場で皿に盛られたチクワ、ハム、漬物などの試食品を食べて回り、そんなに食べたらなくなるじゃないですか、と女子店員に言われ、睨みつけてやった。喫茶店に入り、コーヒーを飲むと、相棒のAは、ボーイの態度が悪いと、言って、砂糖壺に痰をはいていた。
何でもあり、の気分であった。
「酒でも飲みたいけど、金がねえなあ」
Aがニヒルな声で言い、
「カツアゲでもするか」
Bがつぶやいた。
カツアゲが恐喝であることはわたしは知っていた。
無言で同意したまま、三人は対象者を見つけようと、ブラブラ歩きをしている男で気の弱そうな者を探していた。
三十分ほど、探したが、見つからず、諦めた。
この時、一人が、あいつをやってやろう、と言えば自分も含めて三人はその男に近寄り、(おい、ちょっと金を貸してくれねえか!)と、実行したことは間違いない。わたしは表面上は真面目な男で、恐喝なんて遠い世界の行為であったが、その場の雰囲気は磁場と言うほどの強力なものであった。逆らえなかった。
オウム真理教の七人の死刑囚が死刑の執行を受けたと、昨日の新聞に載った。あの事件も強烈なものであった。自分であればサリンをまいたかもしれない。政治活動にも興味を持っていたから、巻き込まれたかもしれないが、人民に被害を与えてはならないくらいの自制心はあった。
社会に出てから、何度も、危うく事件になる状況に出あった。危機一髪で巻き込まれなかった。今、振り返れば、(その場)にいなければ巻き込まれなかったことである。その場にいるか、いないかは、事件が起こるか起こらないかは分からないのであるから、自分で判断は出来ない。
(場)によって人は幸福にも不幸にも、英雄にも犯罪者にでもなる。時空の途方もない力には勝てはしない。
ブロッガーで一日に七回もハゲックス氏を中傷していた低能先生がハゲックス氏を刺殺して、話題になった。わたしは新聞報道でしか知らなかったので単なるネット上でのトラブルだと思っていたが、ネットで調べてみると、低能先生はネット上で周囲の者達を低能だと罵倒し続け、ハゲックス氏はネットセキュリティ会社の社員であり、髪のスタイルはモヒカン刈りで両脇を短く刈っていた。二人とも四十歳代でまだ若い。
被害者には申し訳ないが、わたしはこの事件を思い出すたびに笑い続けた。
コミックスの世界としか思えない。同時に現代を象徴していると考えた。
発達障害者の時代なのである。私もその一人であろうが、国の総理大臣が利益供与の疑いを持たれながら、二年間も国会で無駄な経費を使って、イジイジと言い訳ばかりし、彼の先祖は長州藩の名誉ある家系なのだが、いまだに尾引かせており、役人の贈収賄罪は後を絶たず、政治家のセクハラ・トラブルの報道もほぼ毎日である。五十年ほど前に、(一億総薄痴)という言葉が流行ったが、今は(一億総発達障害)と言える。老人から、子育て世代まで、周りを見回すと、動物にも劣る者達が多すぎる。
宗教を誉めるわけではないが、スマホや自動運転車など昔から考えれば超能力としか思えない物が次々に出来ていってるのに人間の精神は全く発達するどころか逆に低下している。聖書が紀元前に書かれたにかかわらず、三千年後の今に生きており、他の宗教も衰えることはない。
そのうち、人工知能のように脳も自動発達させられるようになるであろう。
今だにこのことは不思議な事実であり、ネットで検索してみても、現在のところ答えはない。昭和の初めに東京のデパート・白木屋で火事が起こった。着物姿の女子店員が二階から飛び降りて逃げようとした時、路上に居た男たちに下から陰部が見え、それがきっかけでパンティを履くようになった、という噂が残っているだけである。それまでは着物の下に腰巻を付けていて、排泄や性交の時はそのまま巻くって行っていた。便利なことであるが、男にレイプされる危険を考えると、そんな心配や防備がなかったのか?と不思議であり、当然、日本以外の国では考えられないことである。
今の時代、成人女性、幼女への性的暴行・殺人行為、家庭内での虐待などの事件はほぼ、毎日マスコミに出ている。パンティを履いているだけで、かなりの防衛効果はあるのに、古代から昭和の初期までなぜ、履かなかったのか?履かなくでも大丈夫だったのか?と考えるし、その頃までの社会の動きを調べても、レイプに関するものが見当たらない。
それで女性たちが心配なく生活できていたのであろうか?戦乱・動乱の時代も長かったのに、それほど(安全・安心)の時代であったのだろうか?被害を受けようとした時、そのまま身を許したのであろうか?それであれば子持ちの未婚女性が増えて社会問題になったはずであるが、史実にはまったく見当たらない。
推測であるが(弱い者いじめは恥)という考えが浸透していて、レイプや性的暴行は(してはいけない)強い掟になっていたのではないか?江戸時代にの本を訪れたほとんどの外国人たちが、平和ですごしやすい国と書き残していることも事実である。
それにひきかえ、今の時代は表面的な美しさに惑わされ、中味は腐っているといっても過言ではない。封建時代が決して、悪かったわけではなく、今は民主主義といってきれい面しながら、十人に一人が利益を求めて投票すれば総理大臣が決まる(超独裁国家)なのである。
雅樹は三十五歳で,東京での生活を切り上げ、帰郷した。実家に住むようになったが、父母は新築した家に越していて、彼は広い家で独りで生活していた。弟の和信はその後を追うようにして、大阪から帰郷した。兄に財産を独り占めさせまいとしてであった。
和信は金はあればあるだけ使う男で、無一文であった。大阪の外語学院で英会話講師をしていた時の生徒(芳子)と親密な関係にあったが、彼の気分屋と利己的な性格が絶えず、彼女に不安と怒りを与えていた。彼女がプレゼントに,ジャンパーを買ってあげると電話で告げると、そんなものはいらない。今の俺にそんな余裕はない、俺の人生の邪魔をするな、と言って邪険にし、結婚を約束していながら,絶えず突き放そうとした。
十九歳の芳子は家出をし、和信の故郷の海で飛び込み自殺をしようとして、二度決行する。決行できず、和信の家に住む雅樹に助けられる。和信は遠い都会の飯場に住み込んで土方生活をしていて、芳子は訪ねて行けなかったのである。
芳子は雅樹の家で待つことにして、二人だけの生活が一週間続いた。雅樹は彼女の食事を作り、風呂を沸かした。彼は職を探していたが、見つからなかった。
その日、芳子と和信は決着をつけることになって、電話で二十時に帰宅すると約束していた。雅樹と芳子は小さな電気炬燵で向き合って、待っていた。和信は約束の時間を三十分過ぎても帰って来なかった。
「そこに座ってたら寒いだろう。こっちに来ない」
その言葉が誘発し、事が起こった。
帰って来た和信と喧嘩になった。
後に、事件に発展していく。
これが現在、書いている(歩き神)という小説で、自分の経験を基にして、創作が入っている。それから、雅樹と芳子は抱き合ってしまうわけだが、それは雅樹に責任があるか?彼は罪を犯したのか?ということがテーマになっている。毎日、犯罪事件を新聞で読むたびに思うのは、犯人はほとんど因果関係の(場の流れ)の中に入っていて、それに流され、彼の意志と関係がなかったのではないか?ということである。状況の構造の中に入ってしまったのではないか?と考える。凶悪犯罪を犯した者は、(興奮しすぎていて)よく憶えていない、と答える場合が多いが、それは事実だと思う。
(罪)とは人の意識がつくるものであり、野生動物を含め、自然界にはない。
キリスト教は人の原罪を核にしているが、私は逆に、(罪人はいないし、皆、善人である)と考える。子供は皆、可愛い顔をしているではないか。大人になるにつれ、善悪や罪を教えられ、笑顔を失っていくのである。
(禁断の木の実)を食べたから,罪人になったのである。
退職後の田舎暮らしの生活に入って、出会う人の数もすごく減り、一日中、誰とも会わない日だってある。だが、深い付き合いをするようになる。人は見かけによらない、という言葉が本当だと思える。
自宅の隣の土地の持ち主が変わるので測量をさせてください、と言って、男が訪問して来た。どうぞ、と応えて敷地内に入れた。境のあたりを二人で調べてみると、モチノキが二十本ほども空高く伸び上がり、隣接した大型衣料品店の屋根にかぶさっている。以前から気になっていたが、放置してしまっていた。少し、かかってますね、と測量士は言い、これは大変なことになる、と自分は考えた。土地の売買の話になるから、持ち主は枝を切ってくれ、と必ず言ってくる。誰に頼めば良いのか、どれくらいの金がかかるかわからない、それが不安であった。
三メートルも長い棒の先にチェーンソーの付いたものを買って来て、切り始めた。枝の十本は切れたが、屋根まで高い枝は切れない。業者に頼めば、すごく高くつくし、専門職の人しか切れないであろう。
迷っていた。
身障者の会の知り合いが、団体旅行に行かないか?、と電話を掛けきた。
金がないので断りたかったが、前回も同行しているので、分かったと言い、木を切る話をすると、やってやると言う。
一週間後にやってきて、命綱を付け、梯子に上り始めた。自分は下で支えていたが、彼が上に上るほど梯子は揺れ、怖くなった。もういいよ、危ないから止めてくれ!と叫んだが、何!こんな事くらい、と言って、十メートルも上り、枝をチェンソーで切り始めた。枝が気味悪い音を立てて唸り、どすんと、落ちた。彼は、命がけの仕事やね、と言いながら十五本も切り、空がすっきり見えるようになった。
これくらいかな?と考えながら、五千円札を握らせようとした。
そんなの、要らん!、と言って彼は私の手を払った。
驚きながら、ああ、助かった、でも命がけの仕事をしてくれた人だからちがう形でお返しをしようと、考えた。日頃は口の荒い人であった。喧嘩を売るような口調だから、どことなく敬遠していたし、そんなに親しい間柄でもなかった。
感謝すると同時に、人はわからないものだ、見かけで判断してはいけない、と考えた。
毎週、火曜日にはカラオケ・ボックスに行く。15時から始まるカラオケ教室の予行練習であるが、一人で部屋に入ることには最初、気が引けた。自分の変わり者ぶりを見せているように思えたからだ。いつの間にか慣れてしまった。自分の歌い方をテープに録って聞き、自分で評価する。近頃は歌手の歌い方ではなく、自分の歌い方が出来るようになってきて、自分への期待感が増えた。
受け付け嬢ともすっかり親しくなった。自分の入る部屋のエアコンを事前に入れて、冷やしてくれていて、私は彼女に花や果実を持って行ってやる。跳び上がらんばかりに喜び、わたしも野菜作りの出来る家に住みたいわ、と言う。三十前の女であるが、彫りの深い顔立ちをしていて、眼が輝いている
「あなたは毎朝、自分の顔を鏡で見るのが楽しいやろう?」
「どうして?」
「今日はこの美しい顔をどうやってメイクしてやろうかな?なんて考えるのは楽しいじゃない?それに引きかえ、俺なんか、白髪ばかりの疲れた顔してて、見るのがうんざりするんだ」
「そんなことないわよ。ハンサムよ」
その言葉に嬉しくなり、梅の実やトマト、ヤマモモの実など次々に持って行ってやった。ヤマモモの実を見るのは初めてらしく不思議そうに見ていたので、女の人の乳首みたいだろう、と言うと、可愛いわ、とこたえた。
「どうしてこんなにたくさん持ってきてくれるの?」
そう聞いてきたので、あなたが好きだから、と言おうとして途惑ってしまい、今も言えないでいる。
時々、小学生の彼女の子供が来て、パソコンで遊んでいる。
もちろん、夫はいるのであろうが、どうも聞きづらい。
自分の気持ちが変に揺れている。
老境の恋だろうか?
キリスト教を知るために、聖書を学んでいる。週に一度、神父とともに聖書を読んで、討議をし、日曜日には教会(その宗派は王国と呼ぶ)に行って話を聞き、信者達と握手をし、神についての会話をする。現在、取り組んでいる小説は人間の原罪が中心になっており、自分の体験が含まれていて、そこに神やキリストの言葉を登場させることにはすごい意味が出てきている。だから、創作の部分においても心の部分においても救われることが多く、禁断の木の実、カインの末裔などの内容は身につまされる。
三か月前に神父が初めてわたしを訪れた時、研究の対象としての関心はありますが、信仰としては関心はありません、とわたしは言ったし、その方針は変えないつもりであった。
小説を書きながら、三十五年前に起こった出来事を思い出し、作品の中で登場人物たちと再会してみると、懐かしさ・喜びと同時に苦痛・罪がよみがえり、耐えられなくなってくることがある。(どうすればあの信者たちのように神を信じられるようになるか、今度、尋ねてみよう)などと、考えたりするが、神が地球を作り、宇宙を作り、夜と昼を作り、生物を作り、人を作り、などという行為がどうしても信じられない。
人生の苦痛は捨てて、自己を捨てて、神にすべてを預け、お任せしなさい。自分の人生も心も神に預け、判断をお任せしなさい。そうすればあなたは救われ、本当の自由が得られるのです。
いつの間にか、わたしはそんなことが、独り言として、出るようになった。
これが救いなのだとわかってきたが、そうなるには、右の頬を打たれれば左の頬を出す、淫行を禁じる、奉仕活動をする、先祖の墓を捨てる、など条件を実行しなければならない。自由な考えや行動も捨てざるを得なくなる。
これまで自由を満喫してきたが、疲れが出て来た。自由であることは楽しかったが、苦痛になり、それを捨てて、(神の王国)の住人になる日が訪れるかもしれない。
昨日、シンガポールでトランプ大統領と金正恩氏が史上初の首脳会談を行った。北朝鮮の非核化と言う約束で一致したが、具体的内容や日程は述べれれておらず、これからの折衝にかかっているようである。八百長試合の両者の(遠吠え合戦)が終止符をうち、真剣勝負に入るのだ。両者は黙って行動を移すにちがいない。
自分の若い頃はプロレスがブームであった。あれは真剣勝負であると信じて,面白くテレビを観ていたが、八百長だと知り、落胆したが、あの迫力は忘れられなかった。特にタイガー・ジェットシンと猪木の試合など時間を忘れて観ていた。リングに上り、サーベルを口にくわえ、狂った顔を向け、奇怪な身動きをするシン、そして正義の格闘家・猪木、その闘いが始まると自分は熱狂していた。善玉、悪玉それに日本人、外国人の組み合わせになるとこの上なく、面白かった。
政治の世界も同じようなものであるが、八百長だったはずのゲームが現実の行動、出来事、事件に変わるところが、見世物以上に興味深く、興奮させられる。北朝鮮は本当に非核化するつもりであろうか?せっかく苦労して手に入れた、最強の武器を本当に手放すであろうか?トランプは大量の武器を日本に買わせた上、さらに輸入品の関税を高くして儲けようとした。
八百長試合を終えたシンと日本人レスラーは銀座のクラブで酒盛りをしたにちがいない。裏で仕組んだ金とトランプみたいに興行は大成功であり、野次馬根性のマスコミも記事が売れてほくそ笑んでいる。
高い入場料を払わせられたのは国民である。八百長試合のために、年収が百万円に満たないものまで税金を払わせられ、介護を希望していないのに保険料を取られるのだ。
北朝鮮の非核化のために、米、日、韓が経済援助をし、経済復興に手を貸す、などと新聞は書いているが、そんなことを国民は許すであろうか?どの国においても、ほぼ、毎日のように突発的な殺人やテロが横行しているこの時代に金正恩を殺したいと考えている者が居ないはずはないし、アメリカも北朝鮮も暗殺が得意な国なのである。ケネディの暗殺も解明されておらず、北朝鮮においてもどれだけの人が暗殺されたかわかりはしない。金正恩のために何万人の北朝鮮の民が飢え死にし・国外逃亡しただろうか?拉致された日本人のことも放置されたままである。
金正恩の一連の政治行動に対し、毎日新聞は彼がスイスに留学し、優れていると讃え,マスコミ全体は偉業だとみなし始めているが、それは掌をかえしたような不審さを覚える。核開発のために国民を飢えさせるのではなく、もっと早く、独裁体制を解き、民主国家にしておくべきではなかったのか?マスコミは米朝の平和転換に有頂天になり過ぎているようだ。
ヤクザの世界では敵と仲直りする時、右手で握手をし、左手に持ったドスで刺し殺すという話を耳にしたことがある。政治の楽屋裏はやくざの世界と同じである。トランプも金正恩もそれぞれ左手にドスを持っている。
この一年間が見ものである。二人とも絶えず、暗殺の危機を覚えているし、暗殺されればそれだけの政治的効果の出る大御所である。わたしなど吹けば飛ぶよな男であるから、暗殺されても何の効果も出ない。
金が油断をして人民の前に顔を出した時、若い男が突然、飛び出すのではないか?と想像する。
果たしてどうなることか?これからが本番である。
この記事は暗殺をすすめているのではありません。現実の政治世界を推し量っているだけです。
これは、吉幾三さんの(酒よ)という歌の詩であるが、今、わたしはそれを持ち唄にして練習している。ユーチューブでの視聴者数が五百万を超えているから、かなりの人気である。九州に住んでいると東北訛を耳にすることはないが、東京に行くとよく耳にする。あの訛は何とも言えない日本人の原質を感じさせる。彼らと工場の現場労働を何度か共にしたことがあるが、その忍耐力には圧倒された。口数や不満声も少ない。東北は貧しく、明治の頃は飢饉が起こって、娘を身売りに出さざるをえなかった時代もあり、九州人であるわたしとは少し違う世界で、今世紀は東北大震災にも見舞われた。宮沢賢治、石川啄木、太宰治、深沢七郎などすごい作家を輩出しており、その系列の中に吉さんが位置づけられ、この歌も淋しくそして家族への愛に満ち溢れ、涙なしには歌えない。
今の時代には人の涙を目にすることが少なくなった。笑い顔を目にすることも少なくなった。能面顔が増え、感情が消え、それは感情を交えると言う人間の基本を失っていることなのだ。歌の世界でもオリジナルが消え、コピー・張り付けが横行し、こんな猿真似をして作曲家や作詞家は恥ずかしくないのかと思うことが多くなった。
カラオケ教室でこの歌をうたうと、(あの人はやはり淋しいのが好きなのね)と女性とのささやきが聞こえ、そのとおりだと思う。淋しさ、暗さがわたしの原質であるが、時代はそれを歓迎しはしない。
古里の駅からは 恩師と友が
青森の駅からは母一人
泣きながら追いかける 着物の母がいた
何時の日か また いっしょ 暮らせる夢乗った
居酒屋の片隅に 置いてたギター
つま弾けば 思い出す 演歌節
冷酒と酔いどれと 涙と古里と
年老いた父と母 子供となあお前
それぞれに人はみな 一人で旅に立つ
幸せになるために 別れてなあ酒よ
わかるよ なあ酒よ
これは同じく(酒よ)の三番目の歌詞であるが、吉さんはステージでしか歌っていない。生活のために故郷を捨てざるをえない東北人の、典型的な心である。