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山道を歩いていると、おしゃべり鳥がよく鳴いている。鳴くと言うより、長い時間、おしゃべりをしている。ひどい時には一日中、鳴いているが、何をしゃべっているのかわからないし、何という鳥なのかも知らない。(ここは自分のテリトリーだ)と訴えているのか、異性を求めているかであろうが、甲高い声で元気が良い。
そのおしゃべり鳥が広い我が家にも訪れるようになった。朝早くから、陽が沈むまで鳴いていることがある。小さな鳥であるが、木の枝葉の中に隠れていて、見えない。孤独なわたしに自然の歓びを与え、生きていることを祝ってくれているのだろうか。都会では味わえない歓びである。
わたしはその鳴き音に起こされ、庭の畑のナス、トマト、ニガウリ、コショウ、ピーマン、サツマイモ、ウコン、ニラなどを巡り、お早う、と声をかけて回る。野菜家族たちは主人を出迎え、(ぼく、何かに掴まりたいよ)とキュウリが蔓を伸ばし、トマトが(もっと長い杖が欲しいよ)と頭を伸ばし、ニガウリがヤブガラシに絡みつかれて困り顔を見せている。
わたしは彼らをなだめながら、雑草をむしってやる。独居老人の一日の始まりである。アジサイが白、薄青、薄ピンクの花をあちこちでつけ、ビワが橙色の実を付け、梅の木が鈴らに実を付け、キノコが枯れ木に生え、ドクダミが白い花を咲かせ、賑やかな我が家である。
わたしが床から起き上がらなくなる日が来ても、彼らは私を待っているにちがいない。
今のトイレはすっかり美容整形されて、まるでレストランさながらであるが、四、五十年前は甘酸っぱい尿の匂いとウンチの臭いのする便所であった。小便をする場所は仕切りはなく、コンクリートの溝に放出され、尿が茶色になってこびりつき、生命の営みを露骨に現していた。
落書きがあちこちの壁に描かれていて、ほとんどが女性器の絵や卑猥な言葉、中傷、憎しみ、愛、淫靡な言葉にまみれ、まさに人生劇場を醸しだしていた。わたしにはすごく懐かしいと同時に、(古き良き時代)として心に残っている。
傑作は大便室の前の壁に生まれていた。男が屈んで女との性交を思い出し、あるいは渇望して描いていたにちがいない。孤独と豊潤な感性が産んだ生々しくも刺激的な絵、文章であった。よくもこんなに精巧に描けるものだな、と感心するほど、女陰の姿を、大陰唇、小陰唇、クリトリスなど生々しく描き、本物の絵画に負けないリアリティと力量を見せていた。女の裸体のデッサン、性交絵など生き生きと描かれていて、作者の熱意はラスコーの壁画を思わせるほど、素晴らしかった。黙々と含み笑いをしながら若者が描いていったにちがいない。彼らの中から画家が産まれたかどうかは知らないが、セックスの体験話も面白く、便所に入る楽しみを与えてくれていたのだった。
便所以外、暗渠やトンネル、通りの壁なども落書きをされ、人生劇場を現していたが、今では落書きを見つけることが出来ないほど、消えてしまった。淋しい気がする。セクハラの出来事が氾濫し、社会が自分たちの首を絞め、委縮してしまっている。
老男たちがすっかり、(男)を失っている。ある老男が妻の体に迫ると、(あんたは汚いからそばに寄んなさんな)と拒まれたり、(好きな女が出来た)と言うと(浮気が出来るるならしてみなさい)とあしらわれたり、(カラオケ教室に通いたい)というと(そんな金のかかることはしてはいけません)と言われ、パソコンのエロ動画を見過ぎて、ウイスルスに入られて画面が真っ黒になったり、そんな情けない身内話をよく耳にする。女難どころか男にとって絶望の時代であるが、レア・中村はそんな時代と闘う姿勢は失わないつもりです。(あなたは今の時代に生まれて来るべき人ではなかった)、会社に勤めていた頃に言われた言葉を思い出します。
昨日は産直店に品を出した。ニラが八束で一束が百円、シャクヤクが二包で一つが百二十円、計がおよそ千円であった。全部、売れたから、良かった。ニラは付いた雑草を取るのに二時間はかかったし、持って行くのに二十分はかかる。味を占めて、今日もニラをハサミで刈り取り、八束揃えた。明日の朝、バイクで宗像まで持って行く。
たった、千円のためにこんな苦労をしなければならないなんて、腹が立ち、情けなくなる。NHKの集金業をやっていた頃は、春、夏、冬の異動期には月に百万円を稼いだことがあった。仲間たちが陰でつぶやいていたように、(受信料泥棒)であったが、高給をもらうと気分も良く幸福であった。それに引き換え、月に五万円の国民年金で生活してる今は・・・。
庭の高い木の枝を切らなければならなくなった。近所の友人に話すと、貸してやる、と言って高木用の剪定ばさみを持ってきてくれた。お礼に自作のニラとニンニクをあげた。千円を使うのにも考えるようになった今は、人から借りることが多くなり、車も処分してカーシェアリングをしようと思っているし、仲間たちと一つの家に住んで共同生活も考えている。
貧乏生活は共同体を生む下地になるのである。日本は豊かになり、日本の、日本人の姿をすっかり失ったが、貧乏になることは悪いことではない。昔のような力強い表情が戻って来るのである。
大学生の頃、東京・早稲田のラーメン屋でバイトをやっていたので、餃子の作り方を覚えた。店主は台湾の人だったので、そこの作り方は本格的であった。ネットで調べてみると、焼き方が一般とは違うことが分かった。焼き方一つでカリカリ状・キツネ色にもなるが、べたべたくっついて台無しにもなる。
・まず、ニラを小刻みに切ったのと挽肉、ニンニク、ショウガのすり下ろしたのをボールに入れてかき混ぜる。塩を少々入れ、卵の黄身を二個分落として、かき混ぜる。黄身は素材がパラパラ状ではなく、くっつきやすくするためでもある。具をスプーンですくいとり、餃子の皮の中に入れる。コップに入れていた水を人差し指ですくいとり、皮の一面の端ともう一面の端にこすりつけ、端どうしを合わせて指で挟んでくっつける。面倒な作業であるが美味しい餃子を食べる希望を持ちながら、やっていく。一人分でおよそ十個あれば間に合う。
・次にフライパンを温める。火力は中火にしておく。ここからが大事なことであるが、先ずごま油をフライパンの一面を薄くおおうほど、入れる。それから、それと同じ量の水を入れる。沸騰し始めたら、餃子を端から一個ずつ、縦に並べ置いていく。フライパンの蓋をする。
・水がほとんどなくなる頃に火を止める。ふたを開け、少し冷ましてから、平らな杓子でこぞぎとる。この時、餃子の裏面がキツネ色になっていて、餃子どうしがくっつきあっていなければ成功である。
・ダレは醤油,酢、ラー油である。
ここで感心するのは油と水を同時に入れるということである。油が浮き、水は沈む。水が湯になって餃子を蒸し、残った油で炒める、という考え方である。共産主義である中国が資本主義を導入して、世界一になろうとしている、そこに巧みな錬金術を知る思いになる。
カリカリになった小麦粉の味は素晴らしく、我が家の畑にはニラがたくさん生えているので、毎日、食べている。
男は車のルーム・ミラーを下げて、後部席の女を見やった。スカートの下から黒の網目ストッキングに包まれた脚が覗いていた。
確かに形の整ったきれいな脚であったし、スタイルの良い美人だという男たちもいた。目つきがやはりおかしい、普通の眼付ではない、という者もいた。
彼の磁力はその脚の肉の奥に食い込んでいった。
ラブ・ホテルの部屋に入ると、二人は工場の手慣れた製造職人になった。快楽を求める手品師にもなった。手先、口先を器用に伸ばし、捻り、踊らせ、体の細部にわたって忍び込み、探り合いながら興奮と快楽の生産に励んだ。女は黒いスリップ一枚の姿でベットの上におもむろに四つん這いになった。お尻のS極を突き出した。網目ストッキングに濾されたピンクのTバックが細い、エロティックな紐で膣を締め付けているのを見せた。彼はそれに惹き付けられた。磁性が吸引力を強め、体のすべての部分を発火点に近づけ、炎を現しはじめた。地球のマグマであった。炎を放ち、火柱が立った。一つの目標を達成し、満足すると次の快楽を求めて進んだ。手の指、足の指、唇、舌、歯、皮膚、筋肉、神経、血管、血液、唾液、精液、リンパ液、酸素が総動員されてアタリを求め、全身を駆け巡り、電磁波をきらめかせた。ベットの上の白いシーツや床の赤いカーペットに性エネルギーを放出し、巻き散らした。黒い網目ストッキングやつる草模様のセピア色のブラジャー、黒のスリップがぐしゃぐしゃになって散らばり、錯乱し、床の赤いカーペットの上で妄想を浮かべ、したり笑みを浮かべていた。彼女の妄想癖とシンクロし、波長を合わせていた。
こんな時には合鍵と鍵穴はうまく合わさった。フックが外れ、二人はたがいの甘い熱気にむせ返る部屋の中で、自ら出す電磁波・快感からていねいなもてなしと心遣いをうけた。三十年の結婚生活の中で凸部と凸部は精巧に研磨され、無数の形・ギザギザ模様が仕上げられ情報を内部に蓄積していた。NとSは磁極になった。もっとも緻密な結合は一種類しかなく、それは二人のものでしかなかった。深さは長さを的確に調節し、摩擦運動に余裕を与え効果を高めさせた。長い膣道が短い膣道に劣ることはなかった。子宮は半ばまで降り、膣道は挿入物の長さと合わさり、先端との軽い衝突感と摩擦回数を減らすことはなかった。逆に快楽の生産効率を上げた。
反発し合うエネルギーと吸着しようとするそれがモーターを回転させ始めた。ビュンビュン唸りながら快感をまき散らし、発電し、熱を起こして電磁波を放ち続けた。臨界点に向かっていた。電圧=電流×抵抗であった。日頃、彼は彼女を嫌っていたので、その抵抗感が強いほど高電圧になった。
ああ、溶けちゃいそうよ。
子宮がピクピクして痙攣してるのがわかる。
とろける!蕩けるのよ!
彼女は叫びつづけた。
脳と性器は等しい知恵・知性を持っていた、というより性器は脳の一部であった。
週に二度、キリスト教会に通っている。説法を聴き、賛美歌を歌い、アーメンを唱えている。私をよく知る親友など、そのことを知れば、(お前みたいな男が?狂ったのか!)と言うであろうが、わたしにとっては聖書と信者達の研究なので、すごく有意義で充実している。
その教会では男はスーツにネクタイ姿、女はスカート姿と決められている。神と会うからにはきちんとした服装で来るべきであるという考えなのである。わたしはいつものツナギの姿であるから人目を惹き、(あれは中村さんだ)とすぐにわかり、優しい笑顔を向けてくれる。わたしは女たちを観察している。若い女もいれば老婆もいるが、みな、スカート姿なのである。こざっぱりしたのや少し派手な服装もあるが、そろって彼女らが魅力的に見えるのである。聖書には、性欲を抱いて女を見てはならない、という言葉があるので私の存在などサタンであろうが、セクハラが取りざたされる今の時代において少し考えさせられる。つまり、注目されること、見られることを望んでいる女の気持ちなのである。あるいは手を握られたり、肩に手を回してもらいたい期待感なのである。それが彼女ら(男だってそうである)の気持ちを占め、美しい輝きを放つのではないか?ただ、相手の男が嫌いであるからセクハラになるのであろうが、セクハラを単なる犯罪行為と見做してしまえば男は委縮し、文化も社会も委縮し、衰退してしまう。性欲は美的感覚を育て、エンネルギーの根源なのである。
性行為においては、男の方が主導権を取ることになるので、慎重に事を進めなければならない。女は男以上に感情面、性感において感じやすいので、注意をおこたると少しのことで嫌われたり、セクハラだといって騒がれることになる。最終段階である射精、オルガスムスの点でも男と女はかなり違う。男はイクと最高潮から地面に急降下するが、それは動物であった頃、敵から襲われないための備えと構であったと考えられるし、動物達が後背位で性交をするのは行為の最中にまわりの外敵に備えてであろう。女はゆるやかに着地し、それまでの快感の余韻をひきずる。男は、終わったと判断してすぐに起き上がるのではなく、いつまでも抱きしめてやったり、キスをしてやったりした方が良い。男は一回の行為の中で、一度しかイかない者、二度まで、八回までとさまざまであり、女の場合もそうである。だが、ここからが非常に大事なことだが、二人が(さあ、イくよ)(良いわよ)と言葉を掛かけ合って、同時にイくのが一番良いし、男に生まれて良かった、女に生まれて良かったと感じる時である。
その段階に行くには主導権を持つ男が射精の時間をコントロールし、女が求める時に出来なければならない。先ず、射精を習慣づけることから始めよう。オナニーからやるのが良い。好きな女との出会いを想像し、物語をすすめながら、エロビデオを観ながらなど想像力をたくましくする。私の場合、夢精は中学生の頃からしていたが、オナニーで射精をしたのは大学生の頃であった。エロ写真を見ながらしたがなかなかイかず、三度目くらいで成功した憶えがあり、この世にこんな良いことがあるか?と人生の中での最高の経験であった。
射精やオルガスムスにおいて、回数やタイミングが異なるのであるから、その一致をみるまではかなりの日数を覚悟しておかねばならない。二人の努力と熱意にかかっているが、それは楽しい営みである。二人でイく時は天国に行った気分にもなる。一度、両者が絶頂に達すればほとんどの男女はそれで満足し、後は精神的な満足感で補えるが、そうでない場合は不満が残る。男によっては何時間も快感を味あおうとして射精を我慢(嫌な奴の顔を想い浮かべたりすると効果的)する。女は射精を待っているのにそのタイミングがずれ、男はイって、女はイかない、あるいはその逆、と冴えない結末になる場合がある。性に不一致が男女の不一致になる場合がある。
性の修行もなかなか大変であるが、すごく楽しいことである。
チップ農法を始めて二度目の結果を振り返ってみる。昨年の夏に出来たトマトは味も格別に美味しく、量もまあまあの結果であったが、ニガウリは芽が出ても体が貧弱で、失敗であった。秋に収穫したジャガイモは一株に一個しか出来ず、コブシより少し小さいサイズであった。カリフラワーはきれいで大きな、美味しいのが出来た。今年の春に収穫したニンニク、長ネギは一般の方のものより小さかった。大根、小松菜は栄養不良で貧弱過ぎた。
昨日、チップ農法で大成功してる先輩と公園で話をした。彼の畑の土は山のもので肥料は全く入っていないが、自分の畑は一般農法だから、一年前の肥料が残っていて、チップから出る酵素とバッティングしたのであろう。彼は公園の植木の土の中に、指を入れた。すると、顆粒状の土がポロポロと落ち、(これは二か月前に僕がチップをいれておいた)と言い、白カビの生えた木くずが土の中から出て来た。(発酵して土壌菌を食べ、深く掘っていったんだ)と付け加えた。自分は納得したが、植木を入れた時の土がどんなものだったかはわからないから、少し疑問を残した。
百坪ほどの畑をスコップとクワだけで耕すのだから、大変である。だが、今年の夏にはどれだけ夢が実現できるか楽しみである。トマト味が格別であったのは間違いなかった。
ネットにも書いてあるようにチップ農法は簡単ではない。
夏野菜のために、なす、トマト、ニガウリ、大根、インゲン豆、カリフラワー、キュウリ、ウコンなどを現在、植えている。先ず、畑の雑草を刈り取り、その上に十センチほどのチップをかぶせ、ミツマタで軽く耕し、チップをすき込んで酵素が循環しやすいようにしてやる。炭素循環農法と言われるように炭酸ガスを土の中に取り込んでやるのである。
二日前、鼻から鼻水が出るようになり、鼻風邪をひいた。近頃の気温の変化は異常である。昼間、三十度の気温になったかと思うと、次の早朝は寒く、石油ストーブに火をつけたりする。鼻風邪だからすぐに治ると考えていたら、咳が出るようになり、それが絶え間なくなった。おかしいな?と考えて放置していたら、呼吸が困難になってきた。喉がヒュー、ヒュー、言い始めた。十五年前によく出た、喘息だとわかった。その頃は放置していれば治っていったので放置することにした。
今朝になって少し、咳の回数が減ったな、と思っているとひどくなり、気管支が十分の一くらいに狭まったようで、体が苦しくなった。十年以上前に病院でもらった吸入器があったな?明日から連休になり、病院は閉まるな、今日は土曜日だな、などと考えながら毎月、通っている開業医に電話を入れ、だいぶ苦しかったがバイクで行った。
胸のレントゲン撮影、酸素濃度、心臓の動きなど調べた後、すぐに点滴が始まった。一時間はかかった。(このまま放置していたら、どうなった?)顔見知りの看護婦に問うと、(酸素不足になって、・・・)と応えた。つまり、酸欠で死ぬ可能性があったのである。
点滴チューブから、気管支を広げる薬が落ちるのを見ながら、考えた。
これはアレルギー反応が原因であった。気管支は炎症を起こして過剰反応をしたのである。大気汚染物質が肺に入ろうとすると、入ってはいけない、と考えて、気管支を狭めて入らせまいとする。でも普通に考えれば酸素不足になるではないか?そちらの方が大事なことだと判断しないのだろうか?
事務次官のセクハラ報道だって、統治体は組織の命にかかわることだと判断し、構造の改革を持ち出しはしなかった。トカゲのしっぽ切りにもならない給料の減額で済ませようとした。人体と同じ統治能力である。
喘息を起こして死んだと、いう話はあまり聞いたことがないので、体は過剰反応をやめて、元に戻すのであろうが、今回は放置していたら死ぬ可能性があった。
血管狭窄症の場合だって、そうである。血小板は本来出血防止の働きをするのであるが、何のつもりか知らないが、血管の内側に張り付き、それに脂肪・当分などが張り付いて血栓を作る。血管を塞ぎ、心筋梗塞や脳梗塞を起こす。完全な統治者(神)であればそんなことはしないはずである。
(人間は不完全なものです)最近研究しようと考えて通っているキリスト教の宗派はよく言う。
野生の動物や雑草が病気にかかることはほとんどない。ペットになれば人間と同じ病気にかかるが、自然界で鼻炎や喘息にかかったということは聴いたことがない。彼らは自然の統治者(神)に従っているので誤作動はないのである。人間は禁断の木の実を食べ、エデンの園から追放されたが故に(不完全)な肉体・精神を持ち、いつまでも悩みを抱えることになった。ペットも同じである。
人間社会が自然界が持つような完全性をもつのは何時の事であろうか。
いや、もう少しましになってくれないと、大変なことになる。北朝鮮が核を放棄すると言って、急展開の平和政策に変えてるが、どうも裏がありそうだ。怒りや不満を持っている者は多い。・・が暗殺されなければ良いが、と懸念している。
午前9時から午後4時まで身体障害者の会で、カラオケ練習をした。なれ合った老男、老女が5人集まり、菓子を食べたり、お茶を飲んだり、世間話をしたり、ふざけ合ったり、カラオケを歌ったりして過ごしたが、退屈してしまった。もっと真剣みのある組織にしたいと考えているが、古株の役員たちは聞く耳を持たない。
帰宅すると体は待ち構えていたように、山歩きに、出た。曇り空の下で小雨が時折、降ってきたが、後戻りする気にはならなかった。50分ほど歩いたところで、ペット・ボトルのお茶を忘れたことに気づいた。必ずショルダー・バックの中に持参しているのだが、カラオケ練習ではお茶が用意されているので、要らないと考え、バックに入れてなかったのだ。
帰宅しようか?と迷ったが、出かけた船は戻ることを知らない。足は石ころだらけの山道をズンズン進んでいくが、それに比例するように不安が頭をもたげてきた。水分不足で脱水症状を起こし、トイレでそのまま倒れ、入院したことがあった。血液が濃くなり、脳梗塞、心筋梗塞を起こしやすくなる。5年前に心筋梗塞を起こして、バイパス手術をしているからその危険性は十分に知っている。
池に着いた。
そこから戻り道になるのである。小川の山水を飲もうか?と考えたが、生水はばい菌や寄生虫がいるのでまた、危険性が高まる。額からは汗が出、体の水分は歩くほどに奪われていく。あと、一時間、体は脱水症状を起こさずに、耐えられるであろうか?薬を毎日、十錠も飲んでいるので、頭がフラフラしかけていた。これは脱水症状の初期ではないか?山道では誰とも出会わないから、倒れることは死を意味する。ケイタイも持ってきていない。
ミカンの木のあるところまで行けば、ミカンを食べて、水分の補給ができるが、あと三十分はかかる。六年前に狭心症の発作を起こしてうずくまった時には傍のミカンの木に手を伸ばして食べ、助かった。頭をしっかりさせて気持ちを強くするしかないが、倒れたらどうしよう?どうも出来はしないではないか。
これまでの生き方の通りをするしかない。
などと考えて、ミカンの木に着き、酸っぱい実を食べて、難を逃れた。
帰宅してお茶を飲み、元気が戻った。これまでの人生を振り返り、考えた。
そうだった。自分の周りの人間、社会、すべてのものが観察と研究の対象ではなかったか?己の死に際さえも。それがあったから生きてこれたのであった。