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春が来て体に元気が出てきたが、俄然、忙しくなった。一千坪ほどの竹の子山に行くと、イノシシが九割は掘り尽くしていた。根元に、竹の根が張り巡って掘りにくい所や急斜面になって掘りにくい所が残っていてそれらを探し当てて、汗まみれになって、一週間ほど掘った。持ち帰って庭で火を焚き、湯がき、水洗いし、姿を整えて、産直店に出した。例年の本分くらいしか出ておらず、売れ行きは良かった。
次は畑と庭のほぼ三百坪を埋め尽くした雑草を草刈り機で刈り、一週間かかった。枯れると畑の上に載せて燃やし、ちっぷ農法の実験を兼ねて、トマト二十本、ナス十本、ピーマン、しし唐、コショウなど植えた。障害者の会の事務局長にさせられ、打合せたり、来賓で呼ばれたり、忙しくなった。
自然界に活気が出ると同時に人にも活気が出て来た。来月から、元号も変わる。世の中の変わりようも確実に迫っている。均質化のベクトルであるが、それがどんな結果を産むかは定かではないが、多様性と循環という自然の摂理に沿って行くであろう。聖書に出てくるように、神の王国が近づいているのか?洪水が迫っているのか、渦中にいる限り見えはしない。
花は、人の手によって子孫を残すため、美しいという印象を残すように美容整形をしてる、と前回のブログで書いた。では、醜い花は存在しないはずではないか?と考えてネットで検索すると、載っているのある。「世界で最も醜い花」と言うふれこみで(スマトラオオコンニャク)が出ていて、(インターネット投票)で世界一醜いと言われて、選ばれたと書いてある。が、真偽が疑われる。その花は自分が醜いと知って、そんな顔をしているのであろうか?
いや、そんなはずはない。
自分が美しいと考えて、そんな花になったのである。そこに人の美観と自然の美観の違いが現れている。(スマトラオオコンニャク)は確かに一般の美観に基づいてはいない。女の性器を想像させる(これは私が女に対する執着心を持っているせいであるが)クリトリスとびらんを露骨に現しているが、超現実的な妖美を感じさせるのである。それを芸術的な価値観で見るか通俗的なそれに委ねるかのちがいである。
自然界の美と人間界のそれが違うということである。
その教会は、、一戸建ての家ほどの大きさで、天井の高いゴシックスタイルであった。ドアを除いて、厚い一枚板で造られ、全身、緑色に塗られていた。時々、脱色しかけた外壁を信者たちは力を合わせて、刷毛で塗った。
定期的に通う信者は十数人であったが、全員、老人であった。慎ましい顔で、パイプオルガンから流れる演奏に合わせて、賛美歌を歌い、聖句を読み、神父の話を聞き、両手を組んで祈った。
自分はその中で一番若い71歳であった。
日曜礼拝に通い始めて一か月になったが、その夜は初めて祈祷会に行ってみた。七時ころ、着くと、団地の中にある教会は真っ暗で、街灯もなく、人の顔が見えない有様で、人影もなかった。車一台が停まり、中から家族が出て来て、傍の牧師館から神父が現れ、ドアの鍵を開けた。
祈祷会は広間の裏の集会室で行われ、五人が木のテーブルを囲んだ。
祈りから始まり、神父の用意していたレジメの文章に自分は見入っていた。ルカとマタイの聖句が引用され、解説されていた。(幸いと不幸)(敵を愛しなさい)など、聖書に親しんだ者であれば知っている内容であった。
(今泣いている人々)(今飢えている人々)(今貧しい人々)は幸福です。神が彼らこそ天国に招きたもうからです。と、神父は話した。まだ若い男であったがおっとりして重厚な慈愛が感じられた。
逆に、(富んでいる人)(今満腹している人)(今笑っている人)達は立場が逆転するから、不幸、と言えます。と神父は常識とは異なる価値観を話した。
一時間半ほどの集会であったが、最後に一人一人が神に祈った。
彼らは一分間ほども熱心に祈ったが、自分は何を述べたら良いのかわからなかった。あなたは今日は祈らなくて良いですよ、と神父は言ったが、祈らせてください、と応えた。
初めてで、言葉がうまく出ません。六年前の心臓バイパス手術をして元気になりました。心筋梗塞を起こして、死にかけていたのですが、生き返りました。それは振り返れば神のお力だったかしれません。手術を終えて、三日ぶりにご飯を食べた時、美味しさに涙が出そうになりました。山の中を散歩していた時、生きるように、神は人に美味しさを与えているのではないか・、と考え、眼からうろこが落ちました。それに自分が病弱であれば健康に気を付けていたのですが、健康だったので人の二倍のご飯を食べていました。今日のお話は自分の体験から出たように感じられました。神様、有り難うございます。ここに感謝します。
言葉はすらすらと出て、信者たちは良い話だったと言ってくれた。
花の神秘性については、前回、書いているが、先ほどその謎が解けた気がした。野花と違って歌壇の花は人に栽培され、蝶や蜂などから交配してもらうことで子孫を残し、生き延びている。だから、まず、人から綺麗だと認められる必要性がある。人が脚を止め、どれくらい長く魅入るか、何人が関心を示したか?色の美しさか、形のそれか?など観察し、それによっては新しい種類を造ったり、違う色に変えたり、まさに人の女が化粧をするときと同じ気持ちなのである。つまり、花は人の意識の投影なのである。
これは、犬や猫やペットの場合も同じであり、彼らは人の子供の様に甘えたり、せがんだり、嫉妬したりして人の関心をひいている。人の心や意識に漸近線的によっていっている。野菜も人に依存しているから、美味しい味を出して人を寄せようとしている。山の木や雑草、野生動物などは人に依存していないから、人の心とは異なる性質を持っている。
(春の陽に俯き花の想ひかな)
この俳句の様に、花はますます人の心に近づき、まるで人の女のように、俯いてまでも気をひこうとしている。こうなると人の心と同じである。人が花を見る時に感じる親しみはそこに由来しているのである。
なんだか、謎が解けた気がする。
上記のような話をすると、すごく喜んで私の手を握り締めてくれる女が現れたことは嬉しい。
昨日は、岡垣町の成田山で、毎年行われる春祭りに行った。昨年、一昨年とそのイベントのカラオケ大会で歌ったことがある。又、歌うつもりであったが今年はないということだったので行かないつもりであったが、知人から誘いの電話がかかってきた。
バイクで行った。
成田山の麓、その上り坂を一回りするほどの道に車が行列を作り、誘導の警備員が立ち、道の傍にシートを広げて花見の準備をする家族連れが見えた。カブでのろのろと上り坂を上って行くと、行けども行けども空と四方を桜が埋め、桜並木に圧倒された。胸を打たれた。
自然破壊が進む中で、桜は春を忘れなかった。
この町の利権政治にはいつも腹を立てていたが、自然は純粋である。夜になれば夜桜見物客で埋まり、数少ない祭りの一つとして、町外からも訪れる人が多い。
イベント広場からは日本舞踊の演歌が流れ、見物席はすでに埋まっていた。日舞があり、フラダンスがあり、コントがあり、バナナのたたき売りや、21歳の男性歌手の歌やトークがあり、抽選でサザエやイチゴや、卵が配られ、最後に餅巻きがあった。壇上から投げられたが突き出す手が多く、勢いに負けて、二つだけ拾えた。
来年も行ってみよう。
(行く春や鳥泣き魚の目に涙)
芭蕉の句である。
以前はこの句には興味が湧かず、何を言ってるのかわからなかったが、解説文を読んでわかった。過ぎ行く春を惜しむ句なのである。過ぎ行く春を惜しんで、鳥が泣き、魚が眼に涙を浮かべるという、なんとも奥深い作品である。超現実的な、作品である。それは北斎の絵にみられるような超現実性である。魚が泣く、なんて誰が考えるであろうか?考えたのは芭蕉ひとりであろう。
春が去れば、夏が来る。
夏も良いではないか。
春が来た。何年先か春が来なくなる自分に訪れたことはそれだけで感慨深い。五月には72歳になるわけだが、こんなに生きて良いのだろうかと考えてしまう。でも、春が春らしさを失い、沈黙に進んでいるのが感じられる。竹の子は50本ほど、猪に食われてしまい、根が張って彼らが諦めた残り物を二口食べた。やはり、歯触りが他の食べ物にはない心地良さである。竹の子にアクが出て、イノシシが去った頃、掘って少し食べ、産直店に出すであろうが、四、五十本ほどしかないであろう。以前の十分の一程度である。
モンシロチョウの姿が減り、蜂のブンブン唸る声も減り、蛙も魚もすっかり減った。
次は人間の番である。
話は変わるが、若い頃には、花などには全く関心がなかったが、近頃は、朝起きると庭に出て、シャクヤクの伸び具合を見るようになった。全身が赤色であるが、これが緑に変わり、赤や白、ピンクの鮮やかな花をつけ、春の到来を咲きほこらせるであろう。だが、可哀そうなことに、二、三日もしないうちに切り取られ、店に売りに出されてしまう。我が庭の花は金に換えられるために産まれるようなものだ。
花は本当に神秘的な生き物である。色、姿、枝ぶりなど知れば知るほど、人間の女以上に奥が深い。蝶や蜂を惹き付けるため、子孫を残すために計り知れない努力をしているのがわかる。庭梅の花を産直店に出してみると、女子店員がお客さんから、何という名前の花ですか?と尋ねられたと自分に言った。わからないでいると、もう一人の女子店員が、庭梅です、と答えてくれてやっとわかった。
腰の高さにも満たない背丈であるが、小さな梅の花みたいのを付け、蕾は玉状に並んで何とも可愛い上、巻きあがるような枝ぶりが見事である。芸術家の手にかかった作品のようにいやそれ以上の技量である。
観客は蝶や蜂であるはずなのに、どこか人を対象にでもしているような知性と美意識である。
そうかと思うと、最近、気づいたのはクリスマス・ローズという花がいつも俯いているということであった。ほとんどの植物には向日性があるので、花は上を向いていると考えていたが、俯く花が存在してるということを知った。それは蘭や鬼百合など少なくはないのである。
人間の女の場合でも、俯き笑みを見せる女は密やかな魅力がある。
俯く花はその魅力を知って、そんな演技をしているのであろうか?それとも違う意図があるのだろうか?
想像するだけでも楽しい花である。
ある団体の事務局長に任命されたが、自分から進んでなったのではない。それはこの団体が県の傘下にあって、下請け機関みたいなものであることを知っていたからである。元大手スーパーマーケットの店長であった男が会長に就任し、彼と共に会の運営に関わることになった。
あなたは上から目線でしゃべるから、それはやめてください。天皇陛下でもそうでしょう、下から拝むような姿勢で被災者には接してるじゃないですか?
と、彼はわたしに強く言い、それは彼以外の人からもよく言われることであったので、わたしは理解した。だが、待てよ、と考えた。組織の核心に入った部分で正確に話そうとすれば、文語的な言い方になり、彼らに言わせれば、上から目線になってしまうのではないか?
私ーこの組織図にみられるように、構造そのものが上意下達である。構造を変えなければ組織は変わらない。あなたもこの組織を活力のあるものに変えたいのであれば、本質を突いた話になってしまうのではないか?それは避けては通れないのではないか?
彼ー、一年間、待ってください。それから改革をすすめましょう。
私ーその一年間の内に私たちは旧来の体制に取り込まれてしまう危険がある。入口の部分で問題意識を持たねばならない。
そんなやり取りをした。
いろんな会の場で、皆さん、意見を言ってください、と言われた場合、本音を出せばそれは避けられないのではないか?そこで、諸先輩の方々、・・・なにとぞ、なにとぞお願いします、と言ってしまえば(具体的内容は避けます)、効果も薄いから、ダイレクトに言ってしまうのである。
このように(会)の名前を伏せて書くこと自体が、彼らの手中に収まってしまっているのである。日本は民主主義の体制を頂きながら、年金制度において、優劣のランキングは40国中、39位と聞いたし、米軍辺野古移転の問題でも、国民の多数から反対されながらも中止にならない。日本はまだ、アメリカに占領されたままである。
外国ですごい抗議行動が起こっても日本では力が弱いし、気難しいことを言う者は敬遠されている。本音が言えない状況が出来上がっている。
民主主義は、日本において、金権主義に変えられたのだ。今の時代をみるとよくわかる。有権者は政策ではなく立候補者への情実で選ぶことが多いし、後援会、地縁、血縁、利益供与が相変わらず強く、票田には国民主権ではなく、金がばらまかれているのである。日本は封建時代から民主主義ではなく、金権主義に変わったというのが正確な言い方であろう。自分のような変わり者を快く、受け入れてくれた組織もあるから、捨てたものではないが信念を貫きにくい時代である。
先日、町の運営するワークショップに参加し、町づくりについて意見を言った。区長や介護事業運営者、一般町民から良い意見が出た。最後にわたしは、どんな共同体にも支え合いの精神はあるし、それがなくなれば崩壊する、と持論を述べた。
終わって部屋を出ようとすると、ワークショップの講師が私に寄って来て、良い考えですね、と話しかけ、社会状況について話し合った。彼は60歳くらいの男であるが、そこで、団塊世代は逃げ切ったですね、と言った。私は言葉の意味を考え、その世代の一人である自分も含めて、高度成長期の中で美味しいものを食べ、幸福を味わい、負債を後の世代の残したまま消える、という意味だと理解した。それはその通りである。つくづく自分も含めて、団塊世代の情けなさには思い当たっていて、その言葉にとどめを刺された想いであった。
本来、親父、になるべき男が子供のまま、発達障碍者になってしまっている。親父は、親しい父と書くが、安倍総理を始めとしてそんな男が周りに見当たるであろうか?確かにボランティア活動に汗を流したり、社会のために尽くそうとしている男はいる。だが、彼らが喧嘩をしたり叱ったりする光景を見たことがないし、美味しいものを食べて百歳まででも生きようと考えている者がほとんどである。
江戸時代には、地震、雷、火事、親父、と言われるほど父親は怖かったのであるが、それだけの面倒看は良かったし、教訓もたれたのである。
現代の、親父老人たちは逃げ切った、と言われても仕方がない。
話は変わるが、わたしは日常生活において、ここに書くブログのような調子で人にしゃべることがある。そのせいであろう、多くの者達は退屈そうな顔をしたり、時計を見上げて早く話が終わるのを待っている。
昨日は、ある男性から、あなたの言い方は上からの目線ですね、会の運営側に立ったのだから、もう少し、腰を低くしてください、と言われた。わたしは決して、上からの目線でしゃべってるわけではないが、文語調でしゃべるとそのようになってしまうから、口語調に変えるべきだと考えた。
昨年の今頃にもこのブログを書いたが、一年間,生きて、また書くことになった。
昨日の日曜日は、カラオケ教室の発表会であった。およそ、180人が歌うことになっていて、10番目に走裕介の(北のひとり星)を歌った。体調は良かったが、喉に痰が執拗にたまり、声が詰まった。顔見知りの女から、飴玉をもらい、だいぶ収まった。マイクを手に取った時、十分に落ち着いていることがわかった。歌詞の一語一語を意識し、どのように振舞うかを考えながら歌えた。成功であったが、二三か所痰が絡んだ声であった。
先生が指で丸印を付けて寄って来た。(声が心と一体化した時が最高にうれしいのよ)と言ってくれ、自分の心理を突いていた。言葉が詰まり、涙が滲んだ。(どうしたの?)と聞かれても声が出なかった。
後で、何人かにも褒められ、淋しいのや悲しい歌が自分の声にあってることが分かった。
舞台の袖口に立って、歌う人にマイクを手渡し、戻ってきた人から受け取る仕事にかかった。お願いします、お疲れさんでした、と声を掛け、正面からのライトを浴びて暑かったが、楽しかった。小柄でヨボヨボのお爺さんが座って順番を待っていた。今にも倒れそうな歩き方をしていたので、大丈夫ですか?と訊くと、舞台には出れるけど、歌い始めて、後ろにひっくりかえるかもしれんからその時は頼みます、というので少し怖くなった。84歳と言った。
曲が流れ始めると、彼は舞台の中央に歩いて行き、歌い始めた。
あまり上手ではなかったが、少し、後ろに仰け反るようになったので駆け寄ろうとしたが、踏みこたえ、無事に戻って来た。安心した。
あとで思い出し見ると、よく出場している人で、あんなに弱った状態で歌う意欲に感動した。自分が生きているとすれば十年後の姿かもしれなかった。
わたしたちはマスコミを通さないと、出来事や事件、世の中の動きを知ることが出来ない。マスコミとは関所のようなものである。マスコミにとって都合の悪いことは出さないことが、彼らの身を護る術になってしまう。
NHKで集金業務をやっていた時、全体会議の中で、こんなことが放送部の管理職の口から話された。新聞社から電話があって、ある読者がNHKについて批判的な投稿をしてる、ということであった。管理職はその人の住所と名前を聞いて、謝罪に訪れたと話し、具体的に新聞社の名前まで出していた。それで、新聞の投稿欄に記事は出なかったのである。
こんななことが日常的に行われているのである。
創価学会、共産党、作家の不祥事などは特別な事件を起こさない限り、出ることは無い。作家の場合は小説家であったりして、新聞社系列の出版社の言わば身内であるからであり、その他に記事に出来ない団体や人はたくさんある。だから、わたしたちはその団体や個人のことを知ることが出来ない。微妙なセクハラや微妙な暴言、微妙な人権の記事がすごく氾濫している半面、千兆円のもわたる日本の借金、それが減るどころか増え続けていること、凄まじい環境破壊を環境のせいにしていることなどは単発の記事で片づけられている。
ネットの記事が勢いを増して、テレビが消えることも取り上げられることは無い。テレビは新聞社の系列になっているからである。このようにして自分達が洗脳されているのに、テレビをほとんどの人が観ている。自分で考える力を失った依存症の人であろうし、中には巧みに取捨選択をしている人もいるであろう。
わたしはこの十年くらいテレビを全く観ていない。新聞はとっているが、契約が切れたら、とらないつもりである。自分が取材者みたいなものであるから、日常のちょっとした動きや話に耳を傾け、人や社会について考える。すると、逆によく見えるようになったことに気づく。