ブログ - 202607のエントリ
若いころ、二人の女と同時に付き合っていた時があった。一人の女はアパートの隣の部屋に住み、もう一人は週に一度、通ってきていた。一人が隣部屋で聞き耳を立てているときに、もう一人と交わったこともあったが、思い出すと何とも言えない頃であった。ところが、一人の女が生理がなくなったと言い、もう一人も同じことを言い始めた。驚きながら避妊には気を付けていたはずであった、と考えた。どうしていいのか?わからず仕事をしていた。ところが、二人の女は病院に行って調べてもらい、想像妊娠であることが分かり、わたしはほっとした。妊娠が本当であれば結婚していたであろうが、二人と結婚するわけにはいかない。二人の女の子の面倒を看る余裕などなかった。
この出来事で考えるのは現実と妄想・想像が重なり合っていたということである。二人の女はわたしの子が欲しくて、あるいは妊娠することを恐れ、そんな状態になったのである。矛盾と対立が重なり、拮抗していたのである。こんな状況は日常生活の中にもよくある。シュレーディンガーの猫、の話である。
聖書の(創世記)の記述の中に、神は男のあばら骨を切り取り、それで女を造ったという箇所がある。ということはそれまで一つの体であったということだ。人間の胎児も受精から出産前まで性別がなく、それは一つである。私の考えでは出産によって両性が男と女に分離され、別々に生きるようになったのではないか、そのように考えるとすっきりわかる。男女の恋愛においても相思相愛ですぐに成り立つ場合となかなか成り立たない場合があることは確かである。わたしも女に持てず苦労しているが、分離された連れ合いとさえ出会えば結ばれることは簡単であろう。出会わなくても赤い糸で結ばれているのである。
単性であればコピーによって増えていき、簡単であるがすべてが同じ体と心を持った場合、ある病気が流行ると全滅してしまう。多様な生命であれば生き残るものも出る。そこで、神は男と女とに分離し、多様な生をつくったのであろう。だが、それは争いを産み、戦争に至ることにさえなった。競争を産み強くなって、神が(生きよ)(増えよ)というように生命は繁栄していった。繁栄と混乱が生まれ、神の出番となった。時々、こんなカップルが良く結ばれたな?という場面い出会うことがあるが、それももともと一つであったのが再会して結ばれたと考えるとわかりやすい。
一年前、ある産直店に品物を出荷するために行った。もみ殻とぬかをそれぞれ精米所、コイン精米機で採って集めたものであった。月に二万円にもならない額であるが、国民年金生活者の自分にとっては貴重な収入源である。店で顔なじみの女に声をかけた。「最近、あんた変わったねえ?肥えたんやない?」すると、彼女は「それはセクハラよ!」と言って、わたしの肩を指でつよくつまみ、わたしは驚くと同時に彼女の肩をつまんでやったのである。
それはそれだけで終わったが、なんとも複雑な気持ちであった。そんな言動など昭和生まれの自分にとっては日常的なものであり、セクハラなどと言って騒がれるものではないはずであった。時代が変わり、セクハラが事件まで拡張され、肩書のある男たちが辞めさせられたりしていることは知っていたが、自分にまで振りかかってくるとは思いもしなかった。
この出来事を知り合いの女にしゃべったら、少し考えていたが、その人はあなたに気があるんじゃない?といってきてまた複雑な気分になった。
自分も彼女に気があったし、しばらく店に行かないと、来なかったわねえ・・、と自分を案じるような言葉を出したこともあった。良い顔をしていたのに、美容整形をしたせいか顔立ちが変わってしまっていた。彼女はそのことと肥えたことを気にしていて、そこで私の言葉が気持を刺していたのかもしれないが、知り合いの女の言葉は女の心理をついているかもしれないと考えた。
そこで考えたのは女がセクハラだと騒ぐときにはその男に好意を持っていない時だと考えた。行為を持っていればよろこぶはずである。女心の複雑さは哲学で迫ることができるであろうか?面白くなってきた。
