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男と女の誤解-5

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日記
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nakamura 2018-3-25 6:43

  女が男に、好き!と言う場合と、男が女に、好き!と言う場合はかなり内情が異なる。特に、まわりに仲間や知り合いがいる場合に女が発する時、(単に好意をもっているだけ)と言うことが多い。それに気をよくして、抱きついたり、キスをしたりすれば、セクハラだ!、と思わぬ逆襲を受ける。そこで手を引いておけば良いものを、好き!、と言ったじゃないか、などと言って攻めていくと、警察沙汰になったり、有名人の場合はマスコミの恰好のネタになる。セクハラの多くの原因はそんなところにある場合が多い。

 女の軽口には気を付けねばならないし、女には絶対に、秘密を漏らしてはならない。女は何でもことごとくしゃべり、私の知ってた女などは、未亡人であったが男とホテルに入ってからの行為の内容を娘や息子にまで得意げにしゃべっていた。そのせいか結婚していた娘は不倫に走っていた。

 交通信号の場合でも、黄色になった場合は、交差点の直前でも止まった方が良い。

二人の女から妊娠を告げられた時。

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日記
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nakamura 2018-3-20 19:21

  これも若気の至り、の一つであり、あんなこともあったと懐かしくなる。

 神奈川県相模原のボロ・アパートが関東での生活の最後の拠点になるが、10年ほど前に労働組合の関係で出張した時に寄ってみた。会社の寮に変わっていたが、一階の奥の部屋のドアの前に立ってみた。安っぽいベニヤのドアを見詰めていると、ここでもう一度人生をやり直してみたら・・、という想いがこみ上げ、涙が出た。

 今から四十年前、臨時工の仕事をしながらその部屋で生活していた。ある日の夕方、仕事から帰って来ると、不思議なことに気づいた。隣の部屋との境の通路に置いていた酒ビン、それは雨のしずくに打たれて汚れていたのだが、綺麗になっていた。ピン、と来た。隣に女が越して来て、拭いてくれたと。

 その通りであった。空き室だった隣部屋から話声が伝わり、数日後に女がタオルを持ってあいさつに来た。25歳で、亭主と別れ、三歳の男児を連れていた。

 ある夕方、彼女がドアをノックして、訪れた。(これから銭湯に行きたいのだけど、息子の喘息がひどくて連れて行けない。今、寝ているけど目ざめたら自分が居ないことを知って鳴き始めるに違いない。部屋で様子を看ていてくれないか?)と言う。すぐに了解し、部屋に入った。汚れた壁とカーテンのない窓があって、侘しい雰囲気の中で、男児は布団に寝ていた。やがて、目覚めた。母親がおらず、見知らぬ男がいるのを知って泣き始め、わたしを叩こうとした。わたしはなだめながら、すごく不憫になった。

 一週間後、女はウイスキーを持って、わたしの部屋に来た。二人で飲んだ。彼女の亭主は新聞販売店を経営していたが、詐欺事件を起こして、服役しているという。わたしは、不憫になった。彼女は電気機器のハンダづけのパートをしながら、男児を保育園に自転車で送迎していた。彼女は嫌がったが、そこで関係が出来た。

 もう一人の女は文通で知り合い、週に何度も分厚い手紙を送って来た。その内容は精神を犯された者の寂しい内容で、彼女は25歳であった。被害妄想が強く、精神も分裂しかけていた。三か月もやり取りをしていた後、彼女の父親が癌にかかって入院した。彼女は精神的に追い詰められ、誰からも恐れられて孤立していたので、耐えられず、私の部屋に転がり込んできたのであった。一つの布団に二人で寝るしかなかった。

 三か月ほど経った頃、子ずれの女が、生理が止まって妊娠したみたい、と言い、文通の女も同じことを言った。わたしは唖然として、どうしたら良いものかと悩みはじめた。堕胎は嫌いなので産ませるしかなかった。

 一か月後に二人の女は、想像妊娠みたいだった、と言い。わたしはほっとしたのであったが、妊娠が事実であったら、私の人生は大きく変わっていたに違いない。

まな板ショウに出演した頃。

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nakamura 2018-3-14 20:32

  私みたいな無鉄砲な男が70歳まで生きいるのは、ミステリアスとしか言いようがない。何が起こっても不思議ではないのに犯罪者にもならず、一般人の顔をして生きてきた。

 若気の至り、でこんなこともやってみた。ストリップ劇場で舞台の上で女と性交をすることで、当時は(まな板ショウ)と呼ばれていたが、なんと鷹揚な活気に満ちた時代であったか?と懐かしく思い返される。今ではストリプ劇場もすっかり減って、北九州市にも福岡市にも一軒しか残っていないし、風俗店もつぶれる所が多く、客に入りも悪いようだ。この三年間、通っていない。

 バブルの頃は性産業も隆盛を極め、新宿には奇想天外の店があったが、衰えていった。ストリッップ劇場も消え去るのかと想像するとさびしい気になる。

 ストリップ劇場の中は暗く、男の顔ばかりしかない。それが観客席から踊り子の裸を見詰めている視線は、いやらしくはなく、すごく純粋で少年のようであったと思いおこされる。自分を捨てた(仏)のような顔であった。踊り子と男優が舞台の上で実際にセックスを始めると、(そんなことが、毎日,何回も出来て良いな!おいちゃん)と観客が男優に話しかけ、(こんなことはなあ、、兄ちゃん、人に隠れてやるからこそ気持ち良いんだぜ)と男優が答え、腰を動かし始めていた。

 (ただ今から、まな板ショウを始めます。ご希望の方は手を挙げてください)

 アナウンスが流れると、待ち構えていた私は手を挙げた。

 ネグリジェだけをまとった踊り子が舞台の上から、私の手を取り、階段から上げてくれた。

 出来るかな?と少し心配しながら、舞台に上がり、ズボンとパンツを脱いでいった。それからは乳をもんだり、吸ったりしながら行為をすすめていったが、どこかおかしかった。勃起はしていたが、力強さがなかったのである。隠れて一対一でやるのとは違って、集中力を失い、観客席の目線の方にエネルギーを取られていたのである。

 結局、射精はしたがどこか物足りなさが残った。千葉県船橋と神奈川県相模原市のストリップ劇場でまな板ショウに出た。時々、わいせつ物陳列罪で逮捕される者もいたし、捕えてみれば警察官であった、ということもあった。

 セクハラが世間を賑わす今からみれば、なんとも(のどか)な時代であった。

男と女の誤解-4

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nakamura 2018-3-12 12:50

  愛と性を考えた場合、愛があった方が性において、燃える。それは一般的であるが必ずしもそうではない。愛がなくてもすごく燃えさせる女はいるし、愛がなくてもすごく燃える場合がある。これは男でも女でも同じである。風俗嬢がどんな男とでもセックス出来る事に不思議さを覚えた時期があったが、その謎は解けた。それは性欲の力なのである。

 (あなたと性関係が出来たら、関係は終わりよ)と三人の女から告げられたことがある。一人目の女はその言葉にかまわず、関係を結び、三年ほど付き合ったが最終的には相手が離れていった。わたしがいつまでも結婚にふみきらず、しつこく性交をしたからではないか?と思う。二人目、三人目の女は性関係に入らずに遠ざかった。

 性行為の時、男と女は同時にイクのが一番良いのであり、男女はそのタイミングを合わせようとするが、会わない場合があり、それが別れの原因になる場合がある。さらに、何度イクかの回数もからんでくるから男女関係は複雑になる。男女とも、何度でもイク者がいるかと思えば、一回しかイカない者、あるいはインポ、不感症もいるのである。

 それと年齢によっても変わってくる。長い付き合いをしていると、女の性器も変わってくる。男のサイズに合わせるようになったり、出産によって広まったりする。女は生理中を含めその前後一週間は妊娠しないなど、男と女の付き合いはむずかしいことが多い。それを乗り越えて結ばれることは素晴らしいと思う。

男と女の誤解-3

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日記
執筆 : 
nakamura 2018-3-12 5:17

 女は清潔好きで掃除を小まめにするが、男はしない者が多い。それは女が子育ての本能を持っているからである。現代は夫婦が対等に役割分担することになっているから、掃除をしない男は失格ということになる。不潔な男は嫌われる傾向がある。

 しかしこれは人生や社会を俯瞰する、あるいは大局的に見る、と言う目線の違いにもなる。本やCDなどを棚にきちんとしまうよりは、絶えず使う物を近い距離に置いて放置しておくと言うのは合理的な考え方なのである。

 目先が遠ければ物事がよく見え、近ければ見えにくいという考え方があり、多くの男たちはそれに倣ってきたが、セクハラとは、まさに目線の近い視点である。近視眼的な男が増え、掃除もまめにやるようになったから、目先の女の体に惑わされているのだ。遠くに目線があれば余裕をもって女と接することができるはずであるが、近いから手が出てしまう。それだけでは済まず、失職、組織の崩壊にまで進むようになってしまった。

 女がそんな目にあうことは、ありえない。

 力が弱く、受動的な者の方が強い時代になったのである。

男と女の誤解ー2

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日記
執筆 : 
nakamura 2018-3-6 6:49

  直前のブログに書いたように、男と女の誤解は多く、それがセクハラという重大事になることがある。

 こんな事がある。男と女が親しくなり、男が(僕の部屋に寄って行かない?)と声をかけ、(良いわよ)と女が了解し部屋に入った場合である。ほとんどの男は女がセックスすることを了解したと考え、その女もその通りの場合が多いが、中にはそれがまったくわからない女もいる。特に未成年の場合が多い。

 そこで男が行為に入ると、女は騒ぎ出すが、男は納得してるはずじゃないか?と考え、行為を続行する。ほとんどの女はその激しさにあきらめ、あるいは体が興奮してきて任せてしまう。

 これが裁判に訴えられた場合、男が、女は了解したはずではないか!と言い張っても(レイプ)の判決が出されると思う。男はその前に示談金を払おうとするかもしれないが、示談が成立しなければ、判決によって犯罪者になってしまう。会社は首になり、世間からも冷たい目で見られることになる。怖いことである。

 女が(部屋に寄って行かない?)と誘って、男が体を求め、女が拒否した場合でも同じ判決が出るであろう。今の時代はセクハラや暴力には敏感だから、裁判官も風潮に従わざるをえない。

 男にとっては受難の時代である。

 上記のようなことは日常生活の中ではふとした(弾み)で起きてしまう。女が金をとろうとして、計画的にやらればほとんどの男はひっかかってしまう。よほど慎重な男でない限り、(巻き込まれて)しまうから、(気をつけよう甘い言葉と暗い道)なのである。行為の前には(いいの?)と一応、声を掛け、了解の言質を取っておくことが大事であろう。

男と女の誤解-1

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日記
執筆 : 
nakamura 2018-3-5 20:24

  男ってどうしてあんなにいやらしいのかしらね。女のお尻ばかり追いかけ回して、どうしてかしら?女の子みたいにおとなしくしてれば良いのに。

 セクハラ被害にあった女はこんなふうに思っているにちがいない。わたしは男の立場から言うのだが、男が女みたいにおとなしくて、異性の出方を待つようになったとしたら、出生率も大幅に下がり、老人大国への距離が短くなるにちがいない。男の体と性行動は狼として造られており、女に向かって突進するようになっている。性器の構造において、♂から♀へは入れやすいが、♀から♂へは入れにくいのである。

 セクハラの一般的なケースは次のような例が多い。ある(会)に亭主持ちの色っぽい女がいる。顔立ちが可愛いだけでなく、身のこなし方もグズる振りをしたり、肩を振ってイヤイヤをしてみたり、笑顔もかわいらしく、銀座のクラブのママをしてたような日本女の魅力に富んでいる。仲間の男がそばに寄ると、相手に顔に顔を触れるほど近づけ(あなたって顔が素敵ね。ほれぼれするわ)と褒め、笑顔でじっと見つめる。ある時、男は寄って来られた時、彼女が自分に気があるのかと勘違いして、思わず、彼女の胸に手を伸ばして、胸に触ってしまった。(それはセクハラよ)と彼女は小声で言い、男は思わず手を引いた。実は彼女はほとんどの男たちにそのように媚びを売るのであったが、媚びてるとは考えておらず、自然の行為なのであった。

 男は彼女が帰宅する時、駐車場について行って、陰で彼女を抱きしめてやりたいと考えているが、実行すればセクハラになるにちがいない。女が男に気のあるようなそぶりを見せ、男がそれに引っかかるとも言えるが、そのあたりが微妙な部分である。動物でもそうであるが雌は雄を引き寄せるためにフェロモンを出したり、甘え声を出したり、いろんなことをする。男はまさに(誘惑されて捨てられて)なのである。

気をつけよう 甘い言葉と夜の道。

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日記
執筆 : 
nakamura 2018-3-3 20:24

  これは五十年前に流行った防犯キャンペーンの言葉である。女に対して、男の甘い言葉と暗い所に気を付けようと言う、と言うのであるが、今やそれは男に対しての防犯キャンペーンに変わった相がある。アメリカのある映画会社が幹部のセクハラ行為で他の会社と取引が出来なくなり、倒産したという記事が新聞に載っていた。

 確かに男はわたしも含め、女に対して酷いことをしてきた。電車の中での痴漢を始め、女を部屋の連れ込んでレイプまがいのことをしてきた。ところが、女は(いやよ、いやよ)と言いながら、(好いわ、好いわ)に変わっていくので、それならなぜ最初から(好いわ、好いわ)と言わないのかと訝しく感じたりした。心は拒否していたが、体が快感に酔い、負けてしまった、と今は理解出来るが、女には男には理解出来ない部分が多くある。

 そこで、セクハラが起こるのである。

 女の手を握りたい時、キスをしたい時、そのつど許可を得なければならないのであろうか?そんなことをすればムードが壊れるし、気分も遠ざかってしまう。そんな行為は体のベクトルが一方的に進むのであるし、女が好きな男であれば許可を取る必要もないのである。拒否されれば嫌われていることがわかるが、拒否をされればされるほど男の体は燃える場合がある。

  女は男を持ち上げるために、(好きよ)(イケメンね)(優しいのね)などと軽口をたたく場合があるが、これをそのまま受け取ってはいけない。(好きよ)というのは(愛してる)ではなく、単に好意を持っているだけの場合が多い。真に受けて、手を握ったり、抱きついたりすれば(セクハラ)と騒いで、自分が相手をその気にさせてしまったことには気づかない。女がミニスカートをはくのは男を誘惑しようとするつもりではなく、恰好が良いからと言う理由なのである。(猫女)なのである。ニャーと甘えるように鳴きながら、寄って来ると爪で引掻く猫なのである。男にはそんな傾向はないから、わからないのである。

 民間企業も女子社員を増やせば、セクハラをされることはあっても、することは減るからその方が安全かもしれない。

  男が身を護る方法は、嫌われたら絶対無理強いをしないことであるが、女のほとんどは被害妄想が強く、過剰反応、ヒステリーを起こす場合がある。触ってもいないのに触ったと良い張り、つけてもいないのにつけ回している(わたしは陰で言われたことがある)と言い、第三者は判断に迷ってしまうことがある。

 (触らぬ神に祟りなし)という言葉があるが、世の中には男と女が居る以上、女と関わらなくては生きていけない。女に対して極端に執拗にならない限り、騒いだりはしないが、女は被害妄想が強いことだけは知っておく必要がある。

 気をつけよう甘い言葉と夜の道、である。

舞台の袖口

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日記
執筆 : 
nakamura 2018-2-26 7:57

 昨日の日曜日はカラオケ教室の発表会が、岡垣町サンリーアイで行われた。生徒、および親しい関係のあるカラオケ教室の生徒、指導者たちおよそ150 人が参加し、午前九時から午後五時頃まで歌った。この日のために一年間、教室やカラオケ・ボックスで練習してきた。単なるカラオケではないか?と言われればそれまでだが、参加者のすべてが余生を生きる老人たちであり、(辞世の句)を歌う気持ちがあったにちがいない。

 わたしは昨年と同じく、舞台の袖口で歌い手にマイクを渡す係を頼まれた。歌い終わった人に、ご苦労様でした、と言ってマイクを受け取り、舞台に出る人には、お願いします、と言ってマイクを渡した。袖口には二人が出番を待っていて、言葉を交わしたりした。

 (わたしは動脈瘤の手術や胃がん、腎臓がん、心臓バイパス手術をして、体中ボロボロなのです。人工血管が体中にたくさん通っていて、いつ切れて、倒れるかもしれません)

 と言ったのは薄青色のドレスをまとった老婦人であった。

 (それは大変ですね)

 と、わたしは驚いた。

 彼女は少し不安定な歩き方で舞台に向かい、マイクを握って歌った。

 上手に歌いきったことは憶えているがどんな歌詞だったのかまでの記憶はない。

 来年も彼女は来るであろうか?いや、自分もここにいるであろうか?

 と考えたりした。

 (黒いダイヤ)を歌った老男はよくカラオケ発表会で歌う人で、胃がんのため胃を全部切り取った人であったが、力強く歌った。(黒いダイヤ)とは石炭の別称であり、彼は石炭の採掘労働に従事していたと聞いた。

 (気合を入れるために思い切り、肩を叩いて下さい)と言われ、気が進まなかったが、叩いた。大学時代、一撃必殺の空手をやっていた。背後から両肩を思い切り、叩かれる、激しい訓練であった。その時を思い出して気が進まなかったのである。

 時々、歌謡会で妻が優勝している女の夫がステージに立ち、彼女の訓練が良かったのであろう、上手に歌っていた。彼女はカラオケ教室で私の隣に座っていて、お父さんが上手くなった、と話していた。

 わたしは9番目に歌い終わっていた。息継ぎを多くして、声量に余裕をもって感情を入れる、という狙いが当たっていたので満足していた。

 (あなたは声は良い。歌は何といっても声ですよ。それに姿勢が真っ直ぐしていて良かった)

 お世辞のうまい友達女に言われ、良い気分であった。

 (顔は?)

 と尋ねると、

 (それも良いわ)

 と冗談で誉めてくれた。

 歌ったのは鏡五郎の(千鳥の舞)である。

 (あれも夢です。これも夢。せめて会いたやもう一度。はぐれ千鳥の鳴く声に、忍ぶ都のあの女をー)

 この歌詞にはわたしの四十年前の事件ともいえる出来事、そしてあの女への気持ちが込められている。それを今、小説にして書いている。

 カラオケ教室での出来事だけでも小説になりそうである。

 

 

 

悪魔は神の分身ではないか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2018-2-26 2:01

 キリスト教の神父が毎週わたしを訪れ、わたしも日曜礼拝に通って聖書の勉強をしている。聖書は奥が深く,研究に取り込むには良い対象である。かれらは入信してくれとも言わないし、信仰を強要することもない。 

 わたしは聖書を朗読し、あらかじめ書いてある質問に応える。この文脈では答えはこうなると私が言うと彼らは満足した笑顔を浮かべるが、わたしは時々、突拍子もない質問をする。(飛んでもないことを話しますが、気を悪くなさらないでください)と断り、サタンは神の分身ではないですか?と問うと彼らはしばらく黙り込み、なぜですか?と訊ねてくる。(神の子は人であり、人はサタンであるとあなたたちは言うのであるから、神はサタンであると言う事になるのではないですか?)

 その質問に答えは無かった。

 (神はソドムとゴモラという淫行と快楽に堕落した街を滅ぼし、ハルマゲドンが起こるといって悪魔に支配された人類を一掃し、新しい世界を作ろうとしている。これは神の行為だから許されるとあなたたちは言うが、人類を滅ぼすのはサタンではなかったのか、神が滅ぼすなんて納得できない!神の行為であれば何でも許されると言う考えは神の名において何でもできる、しても良い、という怖い思想を産むにちがいない。・・オーム真理教や宗教戦争で行われたように)

 私続けて言う。(この前、静電誘導の話をしましたけど、エボナイト棒を擦ると、棒の端にプラスかマイナスの電気が生じ、棒をいくら小さく切ってもその状態は消えはしないし、量も一定である。これは神とサタンの関係にも当てはまるのではないか?その電気は性格が異なるわけではなく同じものである。+と?とは量から質への転換に過ぎない。これは神とサタンの関係に似ている。アメリカと北朝鮮の関係にも似ている。戦争への緊張が高まれば高まるほど武器が売れてアメリカは潤い、経済が良くなるのである。もしかするとアメリカは違う形で北朝鮮に経済援助をしているかもしれない)

 こんな話をすると、パイロットをしていたと言う神父は考え込んでしまうが、教会での講演をする時には物理の運動の法則を持ち出すようになった。

 こんな討論はわたしの思想と聖書の中味がぶつかる良い機会であると、勝手に考えている。

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