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木枯らしが舞い、寒さに震える今日この頃である。そに身を置いていると、木枯らしの向こうに、悲惨な事件が平行宇宙として、見えてくる。
四十五年前の、(連合赤軍浅間山荘)事件である。
二、三前に、レンタルビデオ店で、若松孝二監督の(連合赤軍)を借り、観た。最初の出だしは、事件の全容を追うばかりで漫然とした流れであったが、榛名山に入ってからの軍事訓練の場になると、真相に迫ってきた。た。総括と言う、名の元に幹部が些細なことで反革命的だと言って、部下を殴り、戸外に放置して凍死させた。自らは永田洋子と性関係っを持ちながら、部下の性関係を責めて殺したり、わたしが最近経験した某左翼政党、某宗教団体、某労働組合団体と全く同じ独裁・独善性の構造を露呈してくれたのであった。
逃亡者が出、派閥争いが出、食うものもなくなり、結局、山荘に逃げ込み、女管理人を人質にして、機動隊に捕らえられる。(我々の初めての革命闘争であった)と言葉を残して、首謀者を初め、十名近い者達は二十歳代の若さで死刑になった。
その頃、わたしは大学を卒業?(卒業式にも出ず、卒業証書も貰わなかったが)し、定職にもつかず、日雇い肉体労働でしのいでいた。学友ともすべて、縁を切り、家族とも離れ、孤独であった。連合赤軍事件をニュースで知った。
大学の空手同好会に入り、リンチを受け、悪夢にうなされていた。あんな、ボンクラどもからしごかれたことに腹を立てていたが、そこに入部していなかったら、学生運動に身を投じていたことは間違いなかったのである。
それで、死刑を免れた。
気性の激しいわたしは間違いなく幹部になり、部下を殺し、死刑になっていたであろう。
世の中も人の心も知らず、二十歳代で死刑になった(自分)を追悼するだけである。
二か月先に、統一地方選挙が待っている。わが町の町会議員選挙にも動きが出始め、現職の三人が立候補せず、六人の新人が立つらしい。自分には期待感がなく、どこか憂鬱な気分である。
投票したい候補者がいないのだから、棄権すれば簡単なことであるが、、それは悪いことのように思える。ある知り合いの男の三十五歳の娘が立つというので、彼女と少し立ち話をした。町への企業誘致をする、子育て支援などありきたりの公約であった。ありきたりと言うより、その言葉に信念が感じられず、立候補に、いくらくらいの費用がかかるか?と訊くと、数万円だという。彼女父親から町の全世帯にチラシを配ったと聞いていたから、だいぶかかったと考えていたがそうではなかったので安心した。
何のために立候補したのか?と訊くと、この町を良くするためです、と言う。張り切った表情もなければ声もない。以前、自分の家に投票依頼のために訪れた女・立候補者のことを思い出した。
「この町をどのようにしたいのですか?」
と、尋ねると、同じく、良くしたいです、と応え、「どのようにしてですか?」と言うと、「それは当選してから決めます」と言った。
彼女が去った後、唖然としてしまった。
政治家という意識も信念もまったく、無いのである。当選して、町民から、いろんな要望を訴えられると、すべてに対して良いですよ、やりますよ、とこたえるが、口先だけである。議員報酬、つまり金が欲しいのである。そして、町議会という、質問と応えの予め決められたお遊戯会に一日中座る仕事に就くのである。議案に対して、突っ込んだ質問をすることもなく、居眠り半分で聞いている。議員としての仕事の評価もなく、遊び半分にやっている。
なぜ、こんな仕事、こんな者達がまかり通っているのであろうか?それは政権側が彼らの都合の良い政治をするためである。
不発弾と決めるのはまだ、早いだろうが、昨日、完成して、出版社に送った。懸賞小説への応募だから、賞金への夢が膨らみ、貧乏生活からの脱出へ期待し、数日間は夢を見させてくれるだろうと考えていた。昨日までの消印が必要だったが、書き直しやプリンターの不調が突然発生して、郵便局の閉店時間に間に合わなくなり、焦ってしまい、諦めようかとも一時、考えたが、エプソンに電話を入れ、そこからパソコン操作の指示をしてもらってやっと、120枚のプリントを終え、郵便局に行って、送った。
数年に一度の出来事であるが、これがもし、爆発したらどんなことになるか?その意味では小説を書くことは、すごく怖いことなのである。書き出しに、オトコオンナ、書いていたが、差別用語だと判断されて撥ねられるかもしれないと考え、男みたい、と書き換えたり、あの時、・・が・・としゃべり、そのことは作品の中にそっくり借用しているではないかと、それが、爆発で露わになったら大変だ!と、その言葉を聞きながら考えこんだりした。
無名であることが救いであるが、作家であればモデルがほとんど存在するのだから、書いて世に出すことは相当な冒険である。無事、爆発して世に出れば、一千万円の懸賞金は入るが、モデルから叩かれ(叩くことが好きな人であるから)、それだけでなく町中の知り合いから、(人をダシにして金儲けした男)として、除け者にされるにちがいない。
不発を願いながら、爆発を夢見る男なのである。
掛け持ちの仕事になって、夜の二時までスナックで働いている、と聞いた時、大変だね、と言ったものの、家に帰って思い返すと、自分の眼に涙が滲んでいたよ。部屋の入口に立った君の背中で、二階への階段を、両手で這い上って行く小学一年の息子の姿が、その言葉と重なり、五十年前の美恵との生活がはるか彼方から引き寄せられてきた。美恵と君はほぼ同い年、と言うのは五十年の歳月を切り取った場合のことだが、どちらもシングルマザーで、肉のすっかり削げ落ちた顎は、瓜二つだった。きれいな顔と目で見詰められながら、可哀そうになった。美恵が生まれ変わって、僕に会いに来た、と考えるのは妄想だろうが、ぼくには現実として感じられる。
父親と娘ほどの歳の差、という事実は超えて、きみはぼくに、ハンサムと、と言ってくれた。いろんな女から拒まれてきた人生で、君と美恵はぼくを認めてくれた数少ない女なのだ。
スナックの男客に絡まれたら、わたしには怖い人がいるから、と言ってみたらと言うと、それ、使わせてもらう、そっちのほうにはもう興味ないけどね、とこたえたけど、ぼくにはどうなんだろうかね?
二人の小説は始まったばかりだ。
面白い作品仕上げてみようね!
三日前、インフルエンザにかかっていた。時々、咳が出て、体がだるく、寝ている日もあった。これで、死ねるかな?と、少し、期待していたが、咳も止まり、散歩も農耕作業も出来ろようになった。
昨日は身体障碍者の会の新年会に出席した。入会して三年になり、毎週のカラオケ練習にも参加しているので、顔なじみの友達も出来ていて、弁当を食べ、ビンゴをやり、カラオケを歌うだけであったが楽しかった。集いの家、という町営の建物をいつも使わせてもらっているが、町の財政難(海老津駅南開発のため、20億円を投じた)のため、その土地が売られるという。やはり、あの開発は無意味であったのだ。
弁当を食べながら、しゃべった。
自分の持っている竹の子山のいのしし被害について話した。二週間前に行ってみると、すでに十本以上の竹の子が掘られ、盗られていた。被害を食い止めようと色々調べたが、電気柵しかなかった。三万円以上はかかるので、有刺鉄線を張ろうと考え、実行することにした。二人の友達も加勢するというので来月の始めにすることにした。一万円以内で収まりそうである。掘れたら、産直店に出して、生活の足しにしなければならない。
彼らはもちろん、無償でやってくれる。ここで考えたのは、義理とか恩とかいう、古い?精神がいかに大事かということであった。残念ながら、民主主義の個人主義と資本主義がその大事なものを壊してしまった。共同体を成り立たせているのは、義理と恩であったのだ。
二日前、その教会にいつもの通り、バイクで行った。聖書の個人講義で、毎週、一年間、通ったことになる。わたしと神父はその小部屋で解説書を出して、向き合い、わたしは朗読するように言われて朗読し、彼は解説書の下に書いてある質問を読む。
(神の王国はいつ行動を起こすか)
(それは聖書研究者たちが研究した結果、1914年であり、神の王国はまもなく人間の政府を滅ぼし、地上は楽園になる)ー啓示14:1,4
そこで私は質問をする。
(人間の政府を滅ぼして、どんな楽園にするのですか?)
神父は黙っている。
(資本主義の体制は捨てるんですか?科学文明はどうするんですか?利便性、快適さはどうするんですか?)
(それはその時に神が決めます?)
(その時では遅いですよ。政治家だって公約を掲げ、その方に進もうとするじゃないですか。それを考えもせず、滅ぼすんですか?他の宗派はどう言ってるのか興味がある)
(じゃあ、行ってみれば良いじゃないですか?)
(そうでうすね。こことはずいぶん違うだろうし、ただ、基本的には宗教は宗教でしかあえり得ないし、政治にはそれだけの具体性と実行力が求められる。宗教が政治と分離したのはそこにある。民主種義体制において、政教一致は北朝鮮の国くらいのもんでしょう)
(あなたのことは他の信者からよく言われる。一年間も通っていながら、まだ、信者にならないのですか?)
(それはそうでしょうけど、信者になりたいほどのものを見いだせないんですよ。聖書の聖句の素晴らしさは十分教えてもらいましたけど、神を信じることは出来ませんでした)
(そうですね。個人講義はこれで終わりにします。今後、日曜礼拝に来られるのは自由です)
神父は言い、いつものようにポットからコーヒーを出して入れてくれ、小粒のチョコレートを出してくれた。わたしは飲み、食べた。
(これが最後だろう。もうここに来ることは無い。十分に勉強をさせてくれた)
帰ろうとして、外に出ると、布教活動から帰って来た女信者達と顔を合わせた。布教活動が楽しかった、と言った。わたしは(あなたはこの前、亡くなった全人類がいったん生き返るといったけど、そうなると食糧難になるのではないか?)と訊ねた。すると、(その時は人の住むスペースが広がりますよ)というので(植物が減り、酸素の量も減るのではないか?)と問うと、答え切れずに黙ってしまった。
(ここにはもう来ないだろう)と言った。彼女らは表情を変えはせず、中に入って行った。
それから、二三日、気分が沈んだ。神を失った喪失感みたいなものに襲われ、自分が神を少しは信じていたことが分かった。
新しい(神)を探すことになるだろうが、出会えるだろうか?
おーい、本当の神はどこにいるのか?出て来てくれよ!
昨年度の末、正月への花の需要を考えて、白瑞泉を産直店に10束ほど出荷した。自分の家は広いので、白瑞泉が庭のあちこちに咲いているが、あまりに数が多いので、日頃は無視していた。稼ぎ時だと考え、三本で百二十円で出し、半分以上は売れた。
白瑞泉を切る時、葉が離れないように、根本から、切った。すると、意外にも茎が長く、花の二十倍ほどはあった。花は小さく、八頭身の美人さながら、すごくスタイルが良いことに気づいた。そこで、考えた。花々は美意識、美観をもっているのだと。花も色んな種類に別れ、美を競い、少しでも多くの蝶や蜂に受粉をしてもらおうと考えているのだ。どんな色で、どんな模様で、どんな形をすれば蝶や蜂の眼を引き、吸い付いてもらえるか、絶えず考え、進化しているのである。
つまり、考える力と習性をもっているのである。心を持っているのである。
そのように考えると、彼らは私の家族の一員であり、産直店で買われ、他所の家庭に持ち込まれた花は、嫁入りしたのと同じだと考えることが出来た。
これは高校時代、日本史を学んだ時、記憶に残った言葉である。当時は何とも思わなかったが、今の時代の感覚と、私自身の性格との親密度においても、素晴らしい、と言える。当時の民家は木と紙で出来た寄せ木細工みたいなもので、火事が起こってすぐに逃げ出し、新しい家に住むという安易さがあったし、野次馬も家人の噂話をしながら、芝居でも見るような気分で見物していたのであろう。喧嘩だって近頃はまったく街中では見なくなったが、当時は見物人や仲裁役がいて、理由を身の上を聞きながら、教え諭したりしながら経緯を鑑賞していたにちがいない。
(花魁歩き)というのもあって、芸を持つ娼婦が相手の男の家に通うのに、付き人を何人も付け、髪に何本ものかんざしをつけ、御姫様の着るような豪華な裾弾き姿で、天下の道を道中していったという。高下駄で地面に半円を描きながら、撫でるような歩き方で行ったという、今では信じられない光景があった。現代においては、風俗で働く女は個室でこっそりと身を売るのに、当時は天下の王道を堂々と見せびらかして歩いたという・・。男女の心中事件でさえ、悲惨さよりも美化されて、芝居になり、客を沸かせたのである。
それに引き換え、文明開化という名のもとに、近代化され、世界の国々と交わり、戦争にまで走ってしまった時代は、夏目漱石の陰鬱な表情の写真に見られるような、まさに悲惨であった。
封建主義から民主主義へ移行し、良かった、と為政者は教えるが、そんなものではなかった。江戸時代がもっと続いた方が良かったのである。これからは、外国人労働者の受け入れを始め、高齢化も含め、様々な変化が予想されるが、人間は皆、同じであり生活も変わらないのだから、火事と喧嘩は江戸の花、というくらいの心意気で生きていければ、と思う。
あるキリスト教宗派の信者たちは、人間は不完全ですから、といつも言い、完全である神、を持ち出してくる。自分はそれはそうだと思いながら聞いていたが、昨日、友人との会話の中で、待てよ、と考え直した。
信者たちはジグソー・パズルを例に出し、聖書は四十人の使徒たちによって、さまざまな職業の人が関わって書かれているが、読み上げるとジグソーの作る絵のようにまとまるともいう。それはそうであろう。なぜなら、人の手によって何度も編集された作品であるからだ。
四十人の使徒の一人も、聖書の項目の一つも、それだけでは不完全であるが、まとめ上げれば完全な作品になる。つまり、不完全が完全を創り上げ、不完全は不完全同士が補完し合って、共生し合っているのである。
生命の構造や人の種類、社会、政治などすべては不完全の融合によって出来上がっている。
それは製造された製品の場合もそうである。車のタイヤはそれだけの性能を持っているが、車に取り付けられて初めて役割を持ち、同時に、車もタイヤが取り付けられることによって車になる。それだけでは自立できず、独立しえないのである。
構造と言う考えからとらえてみれば、男と女、性的少数者、障害者などに区分しなくても、人間そのものが不完全なのであり、それが集まって社会や世界を作っているといえる。一人で生きる人や生命体は存在しえない。
区別はあっても、差別は無意味であり、構成要素という意味においてすべてもものは対等なのである。足の不自由な人がいたら、手を自然に差し伸べてあげる。これが構造への補完であり、すべての世界はそのようにして構成され、動いている。動いていると言う事は完全であると言う事だ。
そのように考えれば、ほとんどの人や世界の存在と動きが納得できる。自分自身や他人に完全を求めるから、人間関係のトラブルは発生するのである。
先日、近所に住む友人と立ち話をした。彼とは五年近くの付き合いであるが、互いに変人で、自然を愛し、無職の老男であることが共通している。彼は私の政治や、社会、自然に対する考えをかなり取り入れていて、自分が答えようとすることを先回りして、言うようになっている。
高校生が煙草を吸っていたので、注意したら、相手の二人が自分を睨みつけてきて、殴り合いになりそうになった。けっきょく、相手は謝ってきて、その場は収まったが、俺は悪かったかな?と私の意見を求めて来た。彼は日頃はおとなしいが、ちょっとしたことで、カっとなるタイプである。
わたしは気を落ちつけながら、出来るだけ遠回しに話し始めた。以前であれば、煙草くらい吸ってももいいやないか!煙草でも女でもバクチでも一通り、経験しろ。と俺なら、彼らに言う、と答えたであろうが、今は控えめになっている。
そこで考えたのは、今の時代の風潮である。暴力はいけない、煙草はいけない、セクハラはいけない、など禁止事項だらけでエネルギーの発散の機会がすごく失われていっている。裏があるから表があるのであって、裏側を消したら表側もなくなる。
禁止事項が増えすぎると、青年の反抗期さえ、否定される。青年が大人になれない、と言う事になる。老人や大人も含めて発達障碍者が増えているのはその証拠である。反抗期は大事なもので、それを通過しなければ大人にはなれない。わたしは今でも反抗期の盛りであるが、若い頃は刑務所にさえ入らなかったが、精神的な面ではすごく危険な状態であった。それだけ悩み、失敗を繰り返した。そこで、自分の心の内を観察し、本を読んだ。得たものは、反抗期を経験しなかった者以上に多い。
反抗期とは、青年が社会に出る前にぶつかる壁である。学校教育や家庭で教えられることと現実の食い違いに気づき始める時期なのである。大人や社会は、あらゆる面できれいごとを言い、嘘を付いている、詐欺士だ、と直感的に見抜き、そこで、理想を求めるのである。
壁にぶつかりながら、この壁の厚さには勝てない、と諦め、妥協しながら生きていくしかない、それを悟る時期なのである。