ブログ - 最新エントリー
さきほど観た夢には、初めての男が登場したことに、気づいた。NHKの集金人をしていた頃の、仲間であった。暴力団の準構成員で、契約・集金の仕事にばつぐんの成績を上げたが、ずる賢さと横暴な性格のせいで仲間からも上司からも嫌われていた。わたしのたちあげた労働組合に入り、ありがとう、といって私に感謝した、思い出がある。心臓病を病み、ついには見放されるようにして仕事を辞めたが、強い個性が印象に残っていた。わたしにもずる賢さと横暴な部分があるので、彼と共振したのかもしれない。
彼と肩を並べて、スナックで酒を飲んでいる夢で、じっさい、二人だけで飲んだことがあった。NHKの集金の仕事は営業職の中でももっとも嫌われ、難しいものである。ノルマをかけられて、解約(委託契約で働いている)する、と脅されながらの日々であるので、ストレスがつづき、わたしが狭心症にかかったのはそのせいかもしれない。彼は構成員時代のことを話した。突撃隊長をしていた頃の、殺されそうになって大便をもらす男の話をし、わたしは大学で空手をやっていた頃の、一撃必殺の体験談をしたが、それ以上深い仲にはならなかった。
夢の世界は、面白い。ほとんど毎日、夢を見るので、人生のだいぶの時間を夢で過ごしていることになる。若い頃は、ほとんど女とセックスをしている光景であったが、近頃、老いたせいで、女はすっかり姿を消した。そのかわり、思い出ぶかい景色や男、もう一度あってみたいう男などが登場する。
H君は大学時代の親友で、彼の住むアパートでよく泊まり込んだ仲である。頭も良く、要領も良く、面倒見も良く、卒業後は美人の女と結婚し、地方の会社に就職し、四、五年前には、、社長になったと書いた年賀状が来た。彼なら社長になれると、喜んだが、彼の妻が私をさして、彼に言った言葉が心に残っている。彼が、わたしがNHKの集金人をしてると言うと、やっぱりね、つぶやいたのであった。わたしは今では、人生いろいろある、と思うのでバカにされたとは受け取らないが、心の底では、あんたの先見の明は素晴らしかったね、と言いたいのである。
界隈、という言葉を辞書で調べると、一帯、とでているがそれだけではないニュアンスがある。隈には裏の意味があるので(新宿界隈)という言葉にはゴールデン街やション便横丁を含む場合が多い。界隈、という言葉を初めて調べてみて、日本語のなんでも受け入れる語彙の深さに感動した。
昨日は、福岡市の千早にJRで行った。障がい者割引の切符を自動販売機で買おうとして、操作に手惑っていると、駅員から、どうしました?と声をかけられ、大丈夫です、とこたえて買うことが出来た。電車に乗るのは二か月ぶりなのでこんなところにも日頃の自宅生活が出てくる。
全日本年金者組合岡垣支部の執行委員をしているので、二、三か月に一度は千早に行っている。年金受給者ばかりの団体であるが、政治闘争や援助活動もやっていて、みな、元気が良く、わたしのような攻撃的で変わり者も快く受け入れてくれる。昨日は、コロナ禍においての会員拡大の討議があり、わたしは内部の構造改革の話をした。受給者にも共済年金受給者から国民年金受給者まで、格差が四五倍ほども大きく、生活困窮者は高額者が援助して、相互扶助の仕組みを作るべきだと言った。どんな組織でも相互扶助があり、組合に入りませんか?と誘わなくても、相手から入りたい、という組織にすべきだといった。
賛成者が多かったが、その中で、組合は裁判闘争で、(最低保障年金制度)をもうけるように訴えており、月額8万円だという。その金額であれば飯が食える、と考えた。年金積立金が数百兆円残っており、株式投資で失敗ばかりしているが、国民年金五万円から八万円にすれば心も楽になるというものである。
ほとんどの人はこのことを知らないが、団結して訴えれば、このコロナ禍において実現できないことはない。
毎朝、目覚めると、ウツである。年取るごとにひどくなり、起き上がる気がしない。他の老人たちはどうであろうか?と考えると、孫が来ると、うるさくていやになるという老男が多い。
ただ、私の場合は、しかたなくであるが、庭の畑に出て、十種類ほどの野菜の顔や育ち具合をみ、がんばれよ、水が欲しいか?などつぶやき、しだいに命の力が湧くのである。さて、どうやって育てようか?など、考えていると、つい、スコップに手が伸びて、天地返しをはじめたりする。野菜家族から元気をもらっている。
チップ農法で、ほとんどの野菜が生育不良になっているが、一本のブロッコリーと三本のミニトマトは元気よく育っている。中でもミニトマトのアイコちゃんは一房に十個の実がついて、頬を赤らめ、乙女の浮き心をみせるようになった。人間の女より、女らしいそぶりである。
今は皮がまだ硬いが、もう少し待って、血の垂れるような赤味になった時、処女はどんな香りを味あわせてくれるか楽しみである。
前のブログに書いてるように山の土を持って来て、野菜を植え替えたが、成長の度合いに変化はみられない。相変わらず、小さく、成長不良である。成長期に成長しなければそのままで終わるのだろうが、ある発見をした。例えば、ドングリの場合である。葉を落としてそれが腐葉土になって木を成長させ、木のそばに実が芽を出せば栄養を与えるが、その養分はドングリ以外には効かないのかもしれない。自分と自分の子孫は育ててるがそれ以外は自分のエリアに入っても利を与えず、いや、育たないようにするのかもしれない。自分の家族、家系を守っているのである。だから、ちがう種は遠くに飛んでいくしかないのである。そして、山の土はそこの木にしか効かないのではないか?
これは、種の保存、の法則でもある。
我が家の庭のミニトマトが赤味をおび、顔に紅をさしてきた。これだけがチップ農法の成功例になりそうでうれしいが、また考えがわいた。そのトマトは人に食べられるであろうが、種は胃や腸で分解・吸収されず、排便されて、土にまじり、その養分で生きていくのである。この仕組みは不思議であり、よくできていると思う。水洗トイレで流されてしまえば、種は生きることが出来ない。こんなところでも、人は気づかぬうちに自然を破壊しているのである。
昨日は,近くの山に車ででかけ、赤土を取って持ち帰り、庭の畑に盛った。チップ農法で失敗し、発育不良になったトマト、ナス、ピーマンなどを植え変えた。汗をかいたが、一つの挑戦になる期待感がわいた。
チップ農法の先輩であるIさんの畑をまねれば、成功すると考えていたのが失敗であった。自分の畑にチップを入れても、カビがでて発酵するが、腐り、元の土にもどってしまった。彼の畑はもともと山の土であるから違うと考えついたのである。山の土は枯葉が毎年落ちて、堆肥になり、発酵して、土壌菌が枯葉から糖分をもらい、代わりにチッソ、リン酸、カリを長年提供した土にちがいなかった。その原理を畑に応用し、成功すれば、!さんの畑のように枯葉の代わりにチップを載せておくだけで、野菜は一般肥料をまったくやらなくてもいつまでも生育するはずである。
一般の土は、なぜ、山の土のようにチッソ、リン酸、カリを出さないのであろうか?
と考えた。同じ土ではないか?と考えたが、成分が異なるのである。山の土は化学的にギブ・アンド・テイクの仕組みが出来て、役割を知っているのだ。それは、養分を出してやれば、成長し、枯葉となって自分たちに返り、自分達に糖分を与えてくれることを知っているからである。まさに、義理人情の考え方である。それは思考であり、意志でもある。他方、人間は野菜は全部食べるか捨ててしまうから、お返しは一般肥料でしかない。人間は消費、破壊するばかりでほんのわずかしか自然に貢献しようとはしない。身勝手なエゴイストである。務めをすっかり忘れている。そこでコロナが現れて、粛清をしようとした、と考えるのは無理なことであろうか?
今、畑に盛った山の土から、元気な野菜が育てば自分の考えは正しかったことになるし、老いた百姓は山の土で育てれば元気な野菜ができることを知っている。また、物質は生命に似て、育てる方向性と破壊のそれを持ち合わせており、思考力がある。それは超人的なものの意志に動かされているのではないか?その中で、人間の欲望や意志などはすごく弱いものにしか過ぎないのである。
今日の昼過ぎ、カラオケ店に三か月ぶりに行った。ビデオ・カメラとお茶を持ってドアを開けると、消毒液があり、感染対策の掲示板が立っていた。受付に行くと、注意書きがしてあり、六十歳以上が一時間三百円と書かれていて、まあ仕方ないや、と思ったが、受付男子社員が口の中でモグモグしゃべりは始めたので、よく聞くと、コロナのせいで一部屋の間隔をおいて使うため、一時間五百円だという。それで少し考え、帰ると言って、スーパーに行き、ビールとチーズ、まんじゅうを買って、家で食べた。
ビールを飲みながら、考え込んだのであった。
もう、大量生産、大量消費、密集、低価格の時代は終わった、ということであった。コロナは自ら移動も生きることも出来ないので、それらは人間に便乗、寄生して生きてきた。つまり、コロナは人間の生命、活動の負の面であったのであるが、今や、コロナはその勢いや仕組みを制しようとし、制御しなければ人類は生存できない恐怖を与えたのである。つまり、コロナは人間の生活に革命を与えた、といっても過言ではない。
失業者が増え、生活困窮者が増えるので、新車が必需品ではなく、贅沢品になり、大学進学も少数者になり、特権的なものになり、貧富の格差はもっと広がり、産業は低迷し、自然環境は破壊から救われるであろう。時代は一世紀前に戻るかもしれないが、人間に生き方や幸福の度合いはゼロサム的なものから変わりはしないはずである。
緊急事態宣言の一部が解除されたとはいえ、ほとんどすべての催しや出会いは消えたままである。毎週やっていた障害者カラオケ練習もなくなり、年金者組合の総会も交流会も開けず、カラオケ教室はやめたし、出会いの機会がなくなると、人との出会いはまったくなくなり、人としゃべることもなくなった。自分には野菜作りや除草、産直店での交流などほんのわずかな接触に絞られてしまった。
この時代を何と名づければ良いのか?どのようにとらえ、立ち直れば良いのか?どんな生き方をすれば良いのか?誰もが思い悩むことになってしまった。レアだとか、変わり者だとか言ってうぬぼれていた自分のメッキさえ、剥がれたおもいになるが、冷静に振り返ればコロナ前のころであっても、私たちはタコのように自分の脚を食べながら生きていたのであり、コロナ禍によってはっきりさせられたにすぎず、資本主義の基本は何も変わっておらず、ただ、事態が、自分の生き死にまで、迫ってきたにすぎないのである。
あるスナックママはボッタクリ商売から信用を失い、借金地獄になっている。最近彼女の情報が入らないのでどうしてるかしらないが、一年前までは借金を繰り返して、自己破産をしてチャラにし、三年たつと、また借金をする暮らしをしてると聞いた。金貸しが取り立てにくると怒鳴りつけたり、あんたは金貸し業の許可を取っていないから返す必要はない、などと言って対抗したようであった。
わたしは彼女を非難したいわけではない。転げ落ちながらもしがみつく生き方に逆に尊敬さえしているのである。わたしも、ボッタクラれたけど、あんな生き方も出来ると感心するのである。
町の図書館は開くようになり、カラオケ店も始めたようであるから、一時間半で二百五十円のカラオケ店に行き、忘れかけた歌をもう一度、一人で、歌ってみよう。この時代とも、死ぬまで付き合うしかない。
十八歳の頃は、大学受験に失敗し、就職もせず、不安定な時期であった。両親が嫌いだったので、家を出て東京に行った。そこにはドモリの矯正所があって、人生が変わる期待感があった。
有楽町のレストランでボーイの仕事を始めた。しゃべる必要のない仕事で、ウエイトレスもたくさんいて楽しかったが、自分がひどい田舎者であることに気づいた。洋食を出す時、スプーン、ナイフ、フォークなどの道具を選べず、ウエイトレルにやってもらわねばならなかった。田舎で洋食などは、一度も食べたことがなかったのである。だが、トラブルも起こさず、ぶじにつとめを終えた。
それから、矯正所に通う生活がはじまり、有意義な生活であった。十七歳の女の子と親しくなった。新潟の女で、雪のように白い肌をしていた。銀座をぶらつこうと、二人で手をつないで歩いていた。日劇の前に、五木ひろしショウの看板が出ていた。当時、彼は人気の絶頂期で、二人は看板に見とれるだけで、幸福になった。
ところが、金がなくて、入れない、のであった。
二人で、立ちすくんでいると、(どうしたの?ここに券を持ってるから、入らない?)、と男の声がかかってきた。(ダフ屋だから、金を払わなくてはいけないだろう?いくらかな?)と考えていたが、男は(お金はいらないよ。ぼく、みる予定だったけど、みれなくなったから、二人でみてらっしゃい)と言って、二枚の入場券を渡し、去って行った。
一瞬、呆気に取られていたが、看板の中の、本物の五木ひろしのステージを観ることになった。
ライブの世界は、すごい、の一言であった。
東京生活の中で、一番いい思い出である。
どんないきさつかわからないが、いつの間にか、汽車のホームに立っているのがわかった。跨線橋の古びた板壁と階段が、そばに見えた。
全体的に暗い、モノクロ調の景色であった。
汽車はとまって、客を待っていたが、どうやら自分だけのようで、ホームにはだれひとり、いなかった。車内には座席もつり革も見えず、がらんとした板間に薄日のさす、貨車であった。頑丈な鉄で体をまもった旧タイプの車輌。
発車の時刻が来たのだろう、制服姿の運転手が頭の車両に見えた。
不思議なことに、三両だけの汽車であった。
制服姿の車掌が後部車両から現れ、自分に寄って来て、紙の包を渡した。開いてみると住宅地図をコピーしたものであった。自分に、行先を探し、確認するように無言のうちに示した。行先は(・浜)というまったく知らない地域であった。自分は彼に千円を払い、彼は受け取った。
わたしは、自分一人が乗り、地図を開きながら、もう戻れないところに行くことがわかった、汽車は音もなく進みはじめた。
この夢は自分の現在の心境をすごく反映して、淋しいものであるが、異次元宇宙のどこかで進行している。今度、その夢の続きの中に戻れるであろうか?その時はもう、この世にはいない。
人は自分の幸福や不幸をどのようにして決めるのだろうか?
それはたぶん、他人との比較、幸福だった頃との比較であろうが、その判断は主観的になってしまいがちである。自分は不幸だと考えていても他人の目では、なんでそんなことに悩んでいるの?あなたはお金持もちで、家庭にも恵まれ、健康だし、幸福じゃないですか?と言われる場合などおうおうにしてあるものである。
私の場合もそうである。近頃は右ひざが少し痛んで、歩き方が不安定になる場合が出てきて、歩けなくなるんじゃないか?と不安になり、生活費も底をつき始め、今年は梅の実とビワがまったくならず、チップ農法もうまくいかず、八方ふさがりに近くなってきて、ウツの日がつづいている。
働いている頃は収入も多く、女もいて、健康だったし、楽しかったように思えるが、それだけの危険と隣り合わせであった。バイクにのってNHKの集金の仕事をしていたので、事故を起こすことの恐怖、客先とのトラブルで首になる恐怖、女との不倫が会社にばれる恐怖、など不幸は裏腹に幸福としっかり重なり合っていたのである。重なり合っただけで表にはでず、陽性でもあり、陰性でもあったことが今はわかる。
退職した今は、事故の恐怖も、首になる恐怖も、女との不倫もなく、生活費が底をつく恐怖しかないが、恥を忍んで保護をもらうかもしれない。死ねばすべてが御破算でチャラになる。
こんなわたしにとってコロナは疫病神ではなく、幸福の神なのである。