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  作品は半ばごろまで書き上げて、止まっていたが、キーボードはまた、元気よく打たれ始めた。主人公のオトコは二十年間もオンナ(妻)と口も利かず顔も見ずに同居していたが、若い女と知り合い、家出をし、彼女の隣の部屋に住み始める。その隣部屋の老男とも親しくなり、女を紹介すると言われ、関心を持つ。非接触システムから接触システムへ、場が変わったのである。

 この作品は十年前にも取り組んで中断したのであったが、ここで閃いたのであった。つまり自分が書きたかったのは男女の情念や心の移ろいではなく、それらをとりもっていたのは実は、(場)であったということである。

 ウイキペディアで調べると、場、とは、(物理量を持つものの存在がその近傍や周囲に連続的に影響をあたえること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと)と載っている。そして、(反対の電荷を持ち引き付け合う二つの粒子)、とのっている。(反対の電荷)とはオトコとオンナがそれぞれ繊細さと荒々しさという対立する性格を現していて、この二つが部屋は別々でも同じ屋根の下で別れもせずに、同居しつづけていた。小説の中では、それから、オンナは引っ越した男の部屋の前で無言で立ち続け、オトコは家の畑のキュウリが実をのばし始めたことを思い出して、家に戻る、というラストが出来上がったのである。

 そして、(非接触システム)での生活を始める。

 こんな話がある。山奥の道で、カエルがじっとしていた。おかしいな?と思って、その先を見ると、マムシが鎌首を持ち上げて、飛びかかろうとしていた。食われる、食う、という真逆のベクトルが場を持ち、引き付け合っていたのである。その瞬間、カエルは呑み込まれてしまったのである。人間同士の暴力の場合でも被害者は加害者の攻撃エネルギーに呑み込まれてしまう場合がある。

 今回のコロナ禍でも、こんなことを考える。接触システムの場が非接触のそれに物理的に変わった、のではないか?と。

 カエルはそこで逃げ切ったとしても、またマムシに出会って、睨まれる、とじっとしてしまうのではないか?

田蛙や夜明けの空のそぞろ鳴き。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-7-9 3:17

  昨夜は午後八時ころ、酎ハイ、ウイスキーを飲みながら、夕食を一人で食べ、風呂に入って、寝てしまった。午前一時に目が覚め、四時まで眠れない。布団の中で、ラジオ・深夜便を聞きながら、うとうとする。エンニオ・モリコーネの(荒野の用心棒)の音楽など聴きながら、馬に乗っている心境が巧みに表現されていると感心した。

 ラジオの声に混じって、どこかソワソワする鳴き音が聞こえてきた。そばの田んぼのカエルたちであった。一晩中、セックスの相手を求めて、頑張ったのだろうが、夜明けになって疲れが見えたようである。

 でも、君たちは、いつ眠るの?もうすぐ、夜明けが来るよ。

遅いことは劣っていることなのか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-7-8 7:55

  球磨川の氾濫をテレビでみて怖くなり、家の前の川を、見に行った。幅十メートルほどの川であるが、足元から二メートル先に、水が走り、波頭はまるで凶器であった。一晩降り続けば小さな堤防を越えて、家の中まで入ってくるかもしれなかった。

 それと、昨日、県の相談センターに電話を入れ、自分の身体障がい者四級の認定が却下された、その理由を電話で聞いたのであった。心臓の症状が医者の診断書によって良くなっているから、却下したという理由を聞いて納得し、手帳を返すことにした。

 自分は賛助会員として障がい者の会に残ることになり、障がい者の諮問委員会で意見を述べrことになっていることを思い出した。前回の委員会の時は、障がい者の権利が認められ、地位も向上したこと、少数者の価値が上がったことを述べたが、今回はちがう視点を考えた。

 パラスポーツにみられるように、障害者の世界に、なぜ競争原理を持ち込むのか?ということである。速いことは優れていることなのか?遅いことは劣っていることなのか?ということである。自分の劣等部分を人目にさらし、点数を競うなんてそれは残酷なことではないか?障がい者自らの意志によっていることは確かであるが、競争を煽り、商業主義的に利用することまですべきなのか?

 今年はコロナ禍、それに戦後最大の大雨被害に見舞われようとしている。前者は自然破壊によってコロナを森から追い出し、後者も自然破壊による温暖化が原因である。

 それらは人災であり、資本主義、つまり人間社会の競争原理が原因である。

 少しは、それへの反省をしてもいいのではないか?

 速いことを評価するばかりでなく、遅いことを基準にするパラスポーツを考えてもいいのではないか?

 自然界ではナマケモノのように超スロウで動くことで身をまもっている動物だっているし、尺取虫のように体を枝に似せて這う虫だっているし、多様な生き方をしているではないか?人間だけが競争原理を賛美しており、地球全体からみて、それはすでにオカシなことなのである。

明日はいらない、今夜が欲しい。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-7-7 7:20

  昨日の夕方は、雨の降る中、傘をさして山のほうに散歩に出た。九州北部全体に大雨注意報が出ていて、氾濫して家を埋めた川水がテレビに出ていたが、家の中で、じっとしているなんてたえられない。山道に入る頃、顔見知りの後家さんが町道の枯葉をカマでとりのぞいていた。 

 声をかけると、一昨日と同じく、山水が家に流れて来るのが怖い、とこたえ、腰を曲げて、いそしんでいた。八十に近いが腰も曲がらず、顔もくずれず、可愛い顔をしている。そのあたりは主人をなくした後家さんが四軒に住んでいる。

 (男の人がいれば助かるんやけど)彼女が言ったので、(ぼく、オトコです)と言いかけて、笑った。

 それで、帰宅すると、酎ハイを飲みながら、スマフォのユーチューブで、演歌を聞きはじめた。若い頃は欧米かぶれでベートーベンやオールディーズをきき、演歌などは嫌いであったが、今は、聞きほれるようになった。島倉千代子、森進一、ちあきなおみ、青江三奈などが宝箱の中に生きている。自分の青春時代がもどってくる。老男のわびしい今と青春が重なり合って、カクテルのような豊潤な味をだすのである。笑い、涙し、杯を、独り、重ねる。

 森進一の(港町ブルース)の歌詞に、(明日はいらない、今夜が欲しい)というセリフがある。明日はないに等しいわたしは、(今夜が欲しい)と想いながら、八時には布団の中に倒れ込み、しばらくあの世に逝くのである。

 

キュウリの呼ぶ声。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-7-5 7:41

  朝、いやいやながら目覚め、(非接触システム)の続きを書いた。一段落して食パンを食べ、ブラック・コーヒーを飲み、阿部公房の(他人の顔)の書き出し部分を読んで、勉強した。文体に隙がなく、すごい、というほかはない。やはり、彼がノーベル賞をもらうべきであったと思う。

 庭に、朝刊を取りに、出た。狭い畑地を見ると、昨日、植え替えて棒を立ててやったキュウリがツルを出して、四回転もして絡みつているではないか!一晩で五センチも伸びたのである。チップ農法の畝で発育不良だったので山から赤土をとってきて、植え替えて、二ヶ月目であった。雑草の勢いと同じように伸びてくれた。小さなペニスのような実が三個もぶら下がっている。でも、棒を立ててやらなければ地面を這って生きるしかなかったのである。キュウリは人に棒を立ててもらうために、甘え、人を呼ぶのであろうか?依存しながら成長し、人に食べられて、また、種になってまかれ、人と共生して生きていく。

 コロナはどうか?

 人に嫌われ、消毒されながらも絶滅することはなく、二波として戻って来た。キュウリは食べられ、コロナは殺されながらも、生き延びていく。輪廻転生である、生死など超えた生存の世界を見る想いになる。

接触システムが産んだ非接触システム。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-7-2 6:09

  小説「非接触システム」は順調に進んでいる。体験が豊富なので材料に不自由することはなく、体調も良い。そこで、接触システムは非接触システムが産んだことがわかり、満足した。両者は裏腹の関係があり、一方の強さに他方も比例しており、心の世界ではなく、夫婦の関係を物質のそれとして書いていくつもりである。また、この夫婦の関係は時代が多数決主義、大量生産、大量消費、快楽・利便性から少数派主義、少量生産、少量消費、節約、辛抱のそれにあっという間に変化していることと照応している。反動期に入ったといえばわかりやすい。体力が衰えたから、心理が裸にされたのである。

 コロナ禍の方は都心部でホストクラブで感染が広がっているが、危険な行為をあえてやるのはやはり若さだな!と感心する。それなら、ソープランドあたりは店も多いからもっと広がっているはずであるがニュースには出ない。わたしも若い頃はずいぶんお世話になったが、男は店に行ったことをはずかしがり、女は堂々としているのであろうか?不倫をやった場合もそうである。女はそれをしゃべり、男は加害者みたいになって黙っている。

美人が消える。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-7-1 9:20

  ニ、三年前から、女が、ますますきれいになっている。山形の伸び上がった眉、きれいなまつ毛、爽やかな目線、細い鼻筋、などにうっとりしていると、日本人は人種が変わったのか?と考えてしまっていた。ばあちゃんたちまで(差別的表現であれば撤廃します)そんな顔をして、スーパーで買い物などしていると、ついほれぼれとしてしまうのはわたしだけでしょうか?

 テレビに出る男たちまでがそんな風な顔になってしまっている。コロナ禍を騒いでいながら、それをよそに余裕があるのですね?

 だが、仕掛けがわかってしまった。植毛の眉毛、つけまつげ、整形した鼻で、造花をされた花なのである。造花の美男美女である。造花が本物の花以上に人眼を引きつけることがある。

 だが、全員が美男美女になってしまうとどうなるであろうか?美男美女がきえてしまうのである。ブスやブオトコ(差別的表現であれば撤廃します)がいるから、それらは存在している。

 そこに、(異種)の存在価値がある。

 

非接触システムー創作ノート。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-6-29 18:35

  文体ーカミュの(異邦人)、丸山健司の(夏の陽の流れ()、を思わせるような明るい文体で書き、即物的で感情移入を排す。

 ストーリーー夫婦の過去は一切書かず、現状のみを書く。周囲の者達はオットに、(奥さんとうまくやって下さい)と言うが、それに同意しながらも、非接触システムはかわらない。ツマは最期に、この生活が一番良いのよ、と言って、自室の内鍵を閉める。オットもツマと廊下ですれ違う時、手をのばせば触れる位置なのに出さない。非接触システムを壊したくなかった。

 書き出しー電車の轟音。空爆するようにオットの家に近づいて来る。戦後最大の国家的な危機ーコロナ。最大多数の最大幸福を訴えた体制が非接触システムによって崩壊する。時代の大きな逆転が訪れる。まわりの者達が、仲良くしてください、とうったえるのに平然と非接触システムの中で暮らすフウフ。

 八月末締め切りの文学界新人賞に応募する。

 

非接触システム。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-6-27 8:09

  こんな老夫婦がいる。二人とも買い物以外は、ほぼ引きこもり生活で、二十年間ほど、非接触システムの中で生きている。会話はしないし、まちがって家の中で出くわしても、相手の顔を見ることはなく、そらし、去る。買い物に出る時、ツマは彼女の部屋の外鍵をかけ、戻ると内鍵をかける。夫は無施錠であるのでツマは侵入し、手紙や日記を盗み読みする。通帳はツマが握り、夫は食材の領収書を食堂間のテーブルの上に置いておく。数分後に、現金に替えられている。食事は時間帯を変えて、たがいに自炊をし、夫は食堂間で、ツマは彼女の部屋で食べる。

 入浴をするとき、ツマはオットに見られないように裏庭から回ってこっそり入り、電灯は点けない。終わると、裏庭を通って自室にもどる。そんな生活に耐えられず、オットが苛立って怒鳴り付けると、DVだと言って、警察を呼ぶ。

 少し前まで、彼は協議離婚を考えていたが、年老いて面倒になってしまった。夫はツマが男を作って出ていくことを願っていたが、その気配は遠ざかるばかりである。すでに何十年間も相手の顔を見ていない。

 こんな状態で二十年間も同居しているなんて信じられないが、現実の一場面なのである。コロナ禍において、社会に非接触システムが出来てしまったが、この夫婦はそれを予感したように、また、時代を象徴するかのように実行していたのである。二十年前までは二人とも、濃厚接触が大好きで、そのあげくの苦しみで、濃厚接触からも離れたのである。

 このモデルは小説にとって好材料であるが、途中までは書けてもそこから先は進まない。小説を書くことは料理を作ることに似ているが、この場合はドキュメントにはなっても小説にはなりにくい。材料負け、してしまうのである。材料のアクが強すぎて、それを消すには味付け・香料が必要になってくる。香料を出せるかどうか?それが才能なのであるが、わたしにはない。

 

阿部定(あべさだ)事件。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-6-24 8:15

  近頃はもの忘れがひどくなり、言葉が的確に浮かんでこない。懸賞小説にも落選ばかりであるが、人間や自分への取り組みの姿勢は変わらない。そんなにむずかしく考えんでもいいんやない?とよく言われるがわたしの姿勢は変わらない。

 今、(木漏れ日の女)という題で書いていて、モデルはそばにいるし、体験も十分にあるので順調にすすみ、ラストの場面を残すのみとなっている。ストーリーの展開の中で、テーマを膨らますためにもどうするか?と考え込み、ある歴史的事件が思い浮かんだ。阿部定(あべさだ)事件である。あべさだ、という女が昭和11年5月18日に起こし、大事件になって、日本中を驚かせ、興奮させた。

 性交中に、女が男のペニスを切り取り、大事にして平然と持ち歩き、逮捕され、刑に服したのである。それは現代社会においても取り上げられ、映画や小説にもなっっている。窒息プレイという危険な性の技があって、首を絞めあい、脳が酸欠に近い状態になって、交接を繰り返し、長い時間、絶頂状態になるのである。(これは危険なので、読者は真似をしないでください)。

 阿部定は熱中して、長い時間首を絞め過ぎたのであろうか?それとも、絶頂状態で死なせたい、と考えたのであろうか?それはわからないが、好きな男の大事なものをいつまでももっていたかった、と供述しているのである。それは一般の人にもわからないことではないが、そう簡単には実行できることではないし、実行はしない。阿部定は絶頂状態の中で常識的な判断を失っていたに違いない。

 ある女がいる。

 花が好きで、特にバラが好きで、大切に育てるのである。ところが、きれいに咲いた時、ハサミで切り落とし、地面に放置するのである。この心理がまったくわからなかった。そこで、阿部定事件を小説の中で取り上げたのである。

 

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