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今回のコロナ禍の報道は感染者の発生数や、政府の対応・判断、経済への悪影響など幅広く取り上げられているように見えて、じつは肝心なことが忘れられている。それは人間生活の中でコロナをどのような位置づけをするのか?ということである。従来のインフルエンザの一つ、感染症の一つとしてはもうとらえきれないし、知識人たちも大変だと騒ぐだけである。
潜伏期間が長くて症状の出ない者がいたり、陰性から陽性に変わったり、再感染したり、免疫ができるかどうかもわからない、などあまりに変幻自在で不可解だから、人間の知性などはるかに上回っているようだ。それはあの東北大震災の報道において、高台の公園に避難していた人々に向かって、はるか彼方の沖から、津波がまるでSF映画を観ているように近づき、襲って来た画像からも考えられる。
顕微鏡でしか見えないちっぽけなウイルスがこれほど世界・人類を混乱に陥れ、恐怖に突き落とすとはだれが想像し、予期したであろうか?コロナは人間の医学の裏をかいており、人間の知性を知りつくし、巧妙に人体に入り込んでいる。コロナの策略を反転すれば医療の考え方と同じになる。いわば、反転対称形なのである。医学の発達はウイルスの発達でもあるのだ。
それは自然の生命の生き方、その不思議さと通じている。マムシ草という陰気な植物でさえ、蝮のような芽と体で偽装して自分を守っているが、夏には白い花を咲かせ、蠅を呼んでその中に落とし込んで食べ、秋には赤い実を付けて鳥を呼び、子孫を増やそうとする。だが、繁殖力は弱いから増えない。いつも散歩する山道のわきに生えていたが、姿を消してしまった。
山蔭に生えるから目立たないのである。明るい日の下に出て、たくさんの鳥たちの注目を浴び、のびのびと増える道を選ぶかもしれないが、そうすると、蛇の偽装の効果がなくなり、食べつくされることも考えられる。こっそり目立たず生きることも、一つの知恵なのである。自分は何をやってもダメな男であるが、目立たなかったことでの恩恵もある。目立っておれば、有ることないこと持ち出されて、自分の埃にまみれていたであろうが。
マスコミの扇動によって、コロナに汚染されたような生活になり、気分も塞ぐ。けれども、それは成長神話が(神話)であったことの証明でしかないのである。さも、資本主義・金権政治がいつまでも続くかのように洗脳されていただけにしか過ぎない。
人類を振り返れば、狩猟生活から農耕生活に変わり、麦や米の蓄えを知り、貧富の差ができ、権力・国家なり代わったにしかすぎない。もとより、人類は土人であり、土のおかげで今の快楽・利便性をいただいたのである。
この前、精米所にもみ殻を取りに行ったら、後から老男が取りに来て、世間話になった。野菜作りの話になり、うちの畑は草が一本も生えとりまっせん、というから、どうしてですか?と尋ねると、毎月、耕しよるけ、生える暇がないとですよ、とこたえた。どうして、そんなに耕すんですか?と問うと、(暇ですけ。毎日畑に行っとります)と言い、その言葉を何度も繰り返した。年金生活で暇なのはわかるが、よく、そんなに耕す気持ちになるな?と不思議に思った。
自分だって、土人の生活をしているが、時々は畑を見るのもいやになることがある。二十畝もの畑を耕したり、草をとったりすればそれはいやになるが、土から学ぶことは多い。土はタネが訪れればわけへだてなく迎え入れ、食物を成長させる。土の質じたいも、ポロポロ状ではなく、適度に粘土質をもって植物が倒れないように支えているのである。
スコップで堅い土を掘り起こしながら、そんなことを考える。
(コロナ禍)によって塞ぐばかりではなく、もう一度、人間の生活の原点に戻ってはどうだろうか?東北大震災で我々は生き方を反省したであろうか?復興・復活だけを知って、安堵し、元の生活に戻っただけではないのか?
夕方の五時になったので、ウイスキー・(凛)を五倍の薄目で飲みながら書いています。産直店で、もみ殻、フキノトウ、クレソンが計1300円で売れたというメールが入って、好い気分になっています。
さて、今日の新聞にコロナ・ウイルスがWHOによって世界的感染に認定された、と書いてあり、そこで考えたのは、コロナ君が実は人類を生かさず、殺さぬの戦略で立ち向かっていて、それはいろんな闘いの中で人類史上最高の戦略・知性ではないか、と思ったのです。人間の知性を継承したのではないか?と考えるのは偏向なのでしょうか?それは、トランプと金正恩が相手を殺さぬよう生かさぬように互いを育ててるのと同じで、その知性にウイルスが達したことに驚き、さて、人類はどのような戦略で立ち向かい、生き延びるべきかと、考えたのです。
これまで、人類はウイルスや動植物を餌にして生きながらえて来ましたが、今回の世界的大事件はそれが逆転して、人類がウイルス・コロナの餌にされ始めたのではないか?歴史的逆転の始まりではないか?と危惧したのです。
人類が資本主義の快楽・利便性に溺れて生きている中で、古来からの教訓や徳(もっと詳しく書くべきですが、今の所この言葉しかありません)をすっかり忘れているその現実が、今回のウイルス事件の中で露見したように思い起こされるのです。(葉隠れ)、に学ぶように、武士道とは死ぬことにあり、のような基本的命題・哲学が現代では失われてしまっているのです。健康で長生き、などという腑抜け精神がもてはやされている、ここに、コロナ君に入り込む余地を与えてしまったのです。
では、どんな構えを持てばいいのか?
コロナを絶滅させるのではなく、人類との共生の道を歩ませればいいのです。アメリカと北朝鮮が敵対してるように見せかけて、共存共栄をしているように。そうすれば相手もその道を選ぶのです。たがいに照応し合うのです。
生かさず、殺さず、の手口でウイルスと闘えばいいのです。絶滅させるのではなく、少しは生き延びさせてやる、これはコロナ君の戦法であるでしょうが。
目覚めのニュースを知って、目覚めを後悔したが、眠りには戻れない。
昨日のニューヨーク市場の株が、2013ドル安の史上最大の下げ幅であった、と言う。自分は数万円ほどの株を持っているが、もうあきらめていたので、ショックではないが、精神的には落ち込まざるを得ない。ただ、ニュースの中に、独裁国家はコロナ・ウイルスへの対策は強行できるので、ニューヨーク市場は中国株の予想を引き上げている、それは中国の大気汚染を衛星でみると、汚染度がもどったことから判断できるというのである。
人間界の経済繁栄は自然破壊であり、人間界の経済力低下は自然の復活なのである。
おたがいにイタチごっこで、自然と人類が共生できる道はないのであろうか?株のショックより、そのことを考えるメディアは見当たらない。
わたしは近頃、夕食前に、コップ酒を飲むようになった。凛、と言うウイスキーを七分ほど薄めて、二杯ほど、飲む。これが最高の楽しみとなり、ほぼ、毎晩、飲みながら、ユーチューブで島倉千代子やちあきなおみ、石川さゆりの歌を聴き、口ずさみ、あの頃は、なんと良い時代だったのか!と涙をこぼす。
レア:コロナさん、あなたはすごい影響力を人類にあたえてくれましたね!悪い意味で、ですけどね。今や、あなたは、知名度ナンバーワン ですよ。トヨタのコロナ・マーク・ツーの売り上げにまで響いている、というのはフエイクになりますので撤回しますが、トランプさんよりも金正恩さんなんかよりもはるかに高い位置につき、彼らさえあなたを怖がっているじゃありませんか?
コロナ:こんなに影響がでるとは思っていませんでしたが、・・じつは不本意な気持ちなのです。こっそりと、人類の細胞に入り込んで生き続けていたかったのです。たとえば、ヘルペスみたいに。
レア:もっと早くそうしてくれれば良かったのに!実はわたしは口唇ヘルペスをもっていて、毎年、冬になると唇の周りに潰瘍ができるのですが、今年は出ません。あなたの出現に負けたのかもしれませんが、ヘルペスは体の奥底で生き続け、けっして死ぬことはないのですよ。あなたは、人類にパニックを与えた点では、史上最強の悪党ではありませんか?いや、振り返ってみると、ペストもエイズもありましたね。
コロナ:そうですよ。ぼくたちばかりが悪いのではありません。人間社会だって、韓国映画の(パラサイト)にみられるように寄生は普通にあることじゃないですか?それに、人間に対立するものは悪いと決めつけるのはおかしいですよ。それこそ、人間中心主義で、ぼくたちだって生きる権利があります。
レア:人間だって生きる権利があります。・・あなたたちは人類と生存競争をしているのですね。生物の生存競争は単細胞から多細胞に変わった時点で、宿命的になったのでよね。
コロナ:そうです。人類がもし単細胞であれば、私たちの寄生主にはならなかったでしょうねえ。単細胞であればそれが死ねば何の役にたちませんからね。
レア:いや、反論しますが、あなたたちがまともな細胞であれば独立して生きていけたはずじゃないですか?あなたたちは細胞にもなり切れていない種じゃないですか?細胞になって一人で生きていく力をつければ良いじゃないですか?そうしなければ、消毒・殺菌、感染阻止であなたたちを絶滅させるかもしれませんよ。
コロナ:独立が出来ないから寄生してるわけですよ。
レア:あなたたちも人類もどちらもどちらですね。人類も(自然)に寄生してしか生きていくことは出来ません。人類にも反省すべきことがたくさんありますので、あなたたちは今、尊い教訓をあたえてくれているのかもしれません。でも、あなたが変身して、来年もやってくるとしたら、人類はどんな構えを持ったら良いのでしょうか?・・ここで、こっそり、教えてくれませんか?
コロナ:それは自然を崇拝し、利便性や快楽を減らして、自然力・生命力にそって生き、免疫力・抵抗力をつけることです。それと、人間は死すべき運命をもっており、死は当たり前だと、受け入れることです。長生きが良いことだと思うから、社会のいろんな部分が狂ってしまうのです。あなた達人類が今、生きているのは多次元宇宙の中の一つにしか過ぎないのです。死は、ちがう世界に行くということだけの話なのですよ。
レア:話が長引きそうなので、次回にゆずりますのでまた、よろしくお願いします。良いお話を有り難うございました。わたしは、72歳で、死は引き受けなくとも訪れるものです。また、早々に死を願っているので、コロナさんが来ていただくのを心から、お待ちしております。
コロナ・ウイルスによる感染は世界的な事件になったが、よく考えてみるとそこには人間対人間、集団対集団、国家対国家の紛争と似た様相が感じとれる。直近での、国家間の大きな闘いは、米国と北朝鮮にみられるが、北朝鮮はコロナによって面子を奪われてはならぬ、といわんばかりに,つい最近、日本海に飛翔体を飛ばし、存在を見せつけようとした。
米国と北朝鮮の闘いの発端は、ソ連の南下政策、つまりベトナムや朝鮮を共産主義国家にしようという狙いであったが、成功はしなかった。逆に、両国とも国家が分断され、同国人同士が殺し合うという悲惨な結果を招き、北朝鮮みたいに太平洋戦争が七十年前に終わったというのに、現在まで分断されたままで火の粉を燻らせている。
実は、北朝鮮は米国と闘いたくはないのだが、米国が(悪の枢軸国家)などといって敵視し、反人権国家として潰そうとするがために危機感をつのらせているのである。米国が北朝鮮の金王朝を認め、経済制裁をやめれば敵愾心も消えるのである。それから先は、北朝鮮国民の判断次第で、王朝を継続させるも、民主化の方向に進むかは自由な判断である。
他方、コロナウイルスだって、人類が抗生物質をつくってやっつけようとか、アルコール消毒をしようとしたりせず、放置しておれば犠牲者はでても自然消滅したはずなのである。米国みたいに北朝鮮を敵視し、刺激したがために相手も本気になってしまった。
人間世界でも、遠巻きして、眺めるくらいの気持ちがあればセクハラ、パワハラなども少なくなるはずであるが、本気になったがために職を失ったり、刑務所に入れられることになる。自分も気の短い男で、闘争心も強かったので哀れな老後を迎えることになっている。
コロナ・ウイルスの教えてくれる教訓はたくさんあり、そんな視点で考えてみるのも面白い。
今日もつまらぬ一日で終わった。産直店に行って馴染みのレジ女としゃべったことも、竹の子山に行って竹の子が見つからなかったことも、病院に行って障害者確認の診断書・検査で3200円払って、腹を立てたこともつまらないことに思える。
先ほどの夕食に、サバの煮つけを食べながら、背骨の間に張り付いた肉をハシでこそぎ落としながら、思いついた。なんだ、俺だってこうしてサバに食らいついているではないか!コロナウイルスのことを寄生虫だとこのブログに書いておきながら、自分・人類そのものが自然に寄生しているではないか?それだけではなく、自然を崩壊させているのは誰だ!俺であり、人類なのである。
もしかすると、コロナウイルスは全世界に広がって、人類の高齢者から淘汰し、自然回復の使命をになっているのではないか?人間のほとんどは自分が犯人だということはないが、こんな視点で今回のコロナウイルスをみると新しい価値観がうまれてくるというものである。
このブログは、遺書でもあります。自分が死ねば、ホームページも消えるでしょうが、その間だけでも告白そして遺書をかねて働いています。開いて二十年ほどになりますが、累計でおよそ百万件ほどのクリックがあり、仲間が増えないのは残念なことですが、それはそれで希少性を守っていると言えば、いい言いわけにもなります。
ちっぽけな自分のことなんか書いて、どうなるのか?なんの能力もないくせに、と考えたりしますが、かなりの人が読み、参考になったという反応もあり、異種は多数派とはちがう価値を持っている、いや、異種であるから多数派の世界を的確に批判的できるのです。
性的少数者が障害者の範疇から外され、障害者スポーツもパラ・スポーツとなづけられている世の中です。良いことではありますが、多数派にからめとられる恐れを感じます。わたしはこのブログではまだ、自分の希少性の半分も告白していませんので、余命を数えながら、こんな男もいた、という思いで、太宰治が人間失格を書いて死んだように、書いていきます。
新聞とネットでしか情報を得ていないので、独断になるかもしれないが、今回のコロナ・ウイルスの報道に偏向を感じとるのはわたしだけであろうか?
一 新患者の数だけを報道し、治った人の数にはなぜ、目をむけないのか?これでは一方的に増加していると国民は思い、危機を募らせるだけになってしまうのではないか?
二 感染しても発病しない人はどんな人か?日頃、体にどんな対策をうっておけば良いのか?
三 終息するとしたらどんな流れになるのか?ウイルスの生存期間は?単独で生き延びれるのか?過去の感染事件はどんな経緯で終息したのか?
四 かかった人には免疫ができ、再発しないのか?
五 ウイルス側の狙いはなにか?
以上が思いついたことですが、太平洋戦争時における(大本営発表)や偏向報道のため、数百万人の日本人が命を落としたことを振り返れば、マスコミの報道は国民や人類の生死を握っていると言っても過言ではない。太平洋戦争時においては、米軍の反撃で大敗をきしている戦場のことは書かず、勝ったことばかりを書き続け、私たちの先祖を地獄に落としたのである。
それに対し、マスコミは反省し、教訓にします、と言っていたが、今回の大事件において、それを実行してもらわねば困る。特に、NHKは受信料を強制的にとっているのだから、高給に甘えてはならない。
女にもてない自分には、エロ・ビデオの中に、愛人たちが待っている。およそ、100本ほど持っているが、愛人にした女は10人ほどいて、それが限度であるようだ。彼女らは少女からば母親、それにあちゃんまでいて、少しも歳をとることも気分が変わることもなく、トラブルも起こらず、現実の女以上の色気と優しさがある。
若い息子と実の母との交わりは、ビデオカメラを据え付けた状態で撮ったものだが、母子の顔が良く似ていて、実の父が病床で目ているそばで交接するのであるから、圧巻である。金の必要性があって作品を売ろうとしたようである。もう一人の息子が撮っているようだが、すごく希少な価値がある。母親はカメラをどこか意識していて、悪びれた表情ながら媚態を浮かべている。
レズビアンの作品は女監督のもので、男監督では描写できない、ネチネチ絡みを執拗に繰り広げ、女の性愛のすさまじさを見せてくれる。古い作品なので、その主演のばあちゃんはすでに亡くなっているだろうが、今も生きていて、愛人の一人にランクされている。
素晴らしいエロビデオを撮れる監督は、素晴らしい文芸作品をつくれるのであるし、俳優もそうである。エロだからといって、バカにしてはいけない。自分はじっくり鑑賞しながら、カメラのアングル、キャスティング、演技、構成、脚本、下着など研究し、いつまでも日の目をみない自分の小説作りの参考にしている。
そんな視点で鑑賞すると、監督のその場面をつくる狙いや意図、感性がみえてきて面白い。下着に凝る監督がいればキスに凝る監督がおり、自分と同じ感性を共有したりするが、いや、それはおかしい?もう少し母親が抵抗しなければリアリティがないよ、など勝手に注文をつけたりする。
いつかは俺自身が最高のエロビデオを作ってやる!それには、どんなストーリーで、どんな女優?どんな会話?どんな演技?など、妄想が膨らみ、ひとりで喘いでいる・・。コロナウイルスなど吹き飛ぶほど燃えているのである。