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コロナ革命。

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nakamura 2020-6-1 17:34

  今日の昼過ぎ、カラオケ店に三か月ぶりに行った。ビデオ・カメラとお茶を持ってドアを開けると、消毒液があり、感染対策の掲示板が立っていた。受付に行くと、注意書きがしてあり、六十歳以上が一時間三百円と書かれていて、まあ仕方ないや、と思ったが、受付男子社員が口の中でモグモグしゃべりは始めたので、よく聞くと、コロナのせいで一部屋の間隔をおいて使うため、一時間五百円だという。それで少し考え、帰ると言って、スーパーに行き、ビールとチーズ、まんじゅうを買って、家で食べた。

 ビールを飲みながら、考え込んだのであった。

 もう、大量生産、大量消費、密集、低価格の時代は終わった、ということであった。コロナは自ら移動も生きることも出来ないので、それらは人間に便乗、寄生して生きてきた。つまり、コロナは人間の生命、活動の負の面であったのであるが、今や、コロナはその勢いや仕組みを制しようとし、制御しなければ人類は生存できない恐怖を与えたのである。つまり、コロナは人間の生活に革命を与えた、といっても過言ではない。

 失業者が増え、生活困窮者が増えるので、新車が必需品ではなく、贅沢品になり、大学進学も少数者になり、特権的なものになり、貧富の格差はもっと広がり、産業は低迷し、自然環境は破壊から救われるであろう。時代は一世紀前に戻るかもしれないが、人間に生き方や幸福の度合いはゼロサム的なものから変わりはしないはずである。

一人カラオケに行く。

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日記
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nakamura 2020-6-1 7:45

  緊急事態宣言の一部が解除されたとはいえ、ほとんどすべての催しや出会いは消えたままである。毎週やっていた障害者カラオケ練習もなくなり、年金者組合の総会も交流会も開けず、カラオケ教室はやめたし、出会いの機会がなくなると、人との出会いはまったくなくなり、人としゃべることもなくなった。自分には野菜作りや除草、産直店での交流などほんのわずかな接触に絞られてしまった。

 この時代を何と名づければ良いのか?どのようにとらえ、立ち直れば良いのか?どんな生き方をすれば良いのか?誰もが思い悩むことになってしまった。レアだとか、変わり者だとか言ってうぬぼれていた自分のメッキさえ、剥がれたおもいになるが、冷静に振り返ればコロナ前のころであっても、私たちはタコのように自分の脚を食べながら生きていたのであり、コロナ禍によってはっきりさせられたにすぎず、資本主義の基本は何も変わっておらず、ただ、事態が、自分の生き死にまで、迫ってきたにすぎないのである。

 あるスナックママはボッタクリ商売から信用を失い、借金地獄になっている。最近彼女の情報が入らないのでどうしてるかしらないが、一年前までは借金を繰り返して、自己破産をしてチャラにし、三年たつと、また借金をする暮らしをしてると聞いた。金貸しが取り立てにくると怒鳴りつけたり、あんたは金貸し業の許可を取っていないから返す必要はない、などと言って対抗したようであった。

 わたしは彼女を非難したいわけではない。転げ落ちながらもしがみつく生き方に逆に尊敬さえしているのである。わたしも、ボッタクラれたけど、あんな生き方も出来ると感心するのである。

 町の図書館は開くようになり、カラオケ店も始めたようであるから、一時間半で二百五十円のカラオケ店に行き、忘れかけた歌をもう一度、一人で、歌ってみよう。この時代とも、死ぬまで付き合うしかない。

有楽町で逢いましょう。

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nakamura 2020-5-28 6:25

  十八歳の頃は、大学受験に失敗し、就職もせず、不安定な時期であった。両親が嫌いだったので、家を出て東京に行った。そこにはドモリの矯正所があって、人生が変わる期待感があった。

 有楽町のレストランでボーイの仕事を始めた。しゃべる必要のない仕事で、ウエイトレスもたくさんいて楽しかったが、自分がひどい田舎者であることに気づいた。洋食を出す時、スプーン、ナイフ、フォークなどの道具を選べず、ウエイトレルにやってもらわねばならなかった。田舎で洋食などは、一度も食べたことがなかったのである。だが、トラブルも起こさず、ぶじにつとめを終えた。

 それから、矯正所に通う生活がはじまり、有意義な生活であった。十七歳の女の子と親しくなった。新潟の女で、雪のように白い肌をしていた。銀座をぶらつこうと、二人で手をつないで歩いていた。日劇の前に、五木ひろしショウの看板が出ていた。当時、彼は人気の絶頂期で、二人は看板に見とれるだけで、幸福になった。

 ところが、金がなくて、入れない、のであった。

 二人で、立ちすくんでいると、(どうしたの?ここに券を持ってるから、入らない?)、と男の声がかかってきた。(ダフ屋だから、金を払わなくてはいけないだろう?いくらかな?)と考えていたが、男は(お金はいらないよ。ぼく、みる予定だったけど、みれなくなったから、二人でみてらっしゃい)と言って、二枚の入場券を渡し、去って行った。

 一瞬、呆気に取られていたが、看板の中の、本物の五木ひろしのステージを観ることになった。

 ライブの世界は、すごい、の一言であった。

 東京生活の中で、一番いい思い出である。

 

夜汽車。

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日記
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nakamura 2020-5-26 8:22

  どんないきさつかわからないが、いつの間にか、汽車のホームに立っているのがわかった。跨線橋の古びた板壁と階段が、そばに見えた。

 全体的に暗い、モノクロ調の景色であった。

 汽車はとまって、客を待っていたが、どうやら自分だけのようで、ホームにはだれひとり、いなかった。車内には座席もつり革も見えず、がらんとした板間に薄日のさす、貨車であった。頑丈な鉄で体をまもった旧タイプの車輌。

 発車の時刻が来たのだろう、制服姿の運転手が頭の車両に見えた。

 不思議なことに、三両だけの汽車であった。

 制服姿の車掌が後部車両から現れ、自分に寄って来て、紙の包を渡した。開いてみると住宅地図をコピーしたものであった。自分に、行先を探し、確認するように無言のうちに示した。行先は(・浜)というまったく知らない地域であった。自分は彼に千円を払い、彼は受け取った。

 わたしは、自分一人が乗り、地図を開きながら、もう戻れないところに行くことがわかった、汽車は音もなく進みはじめた。

 

 この夢は自分の現在の心境をすごく反映して、淋しいものであるが、異次元宇宙のどこかで進行している。今度、その夢の続きの中に戻れるであろうか?その時はもう、この世にはいない。

幸福と不幸の重なり合い。

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nakamura 2020-5-25 10:34

  人は自分の幸福や不幸をどのようにして決めるのだろうか?

 それはたぶん、他人との比較、幸福だった頃との比較であろうが、その判断は主観的になってしまいがちである。自分は不幸だと考えていても他人の目では、なんでそんなことに悩んでいるの?あなたはお金持もちで、家庭にも恵まれ、健康だし、幸福じゃないですか?と言われる場合などおうおうにしてあるものである。 

 私の場合もそうである。近頃は右ひざが少し痛んで、歩き方が不安定になる場合が出てきて、歩けなくなるんじゃないか?と不安になり、生活費も底をつき始め、今年は梅の実とビワがまったくならず、チップ農法もうまくいかず、八方ふさがりに近くなってきて、ウツの日がつづいている。

 働いている頃は収入も多く、女もいて、健康だったし、楽しかったように思えるが、それだけの危険と隣り合わせであった。バイクにのってNHKの集金の仕事をしていたので、事故を起こすことの恐怖、客先とのトラブルで首になる恐怖、女との不倫が会社にばれる恐怖、など不幸は裏腹に幸福としっかり重なり合っていたのである。重なり合っただけで表にはでず、陽性でもあり、陰性でもあったことが今はわかる。

 退職した今は、事故の恐怖も、首になる恐怖も、女との不倫もなく、生活費が底をつく恐怖しかないが、恥を忍んで保護をもらうかもしれない。死ねばすべてが御破算でチャラになる。

 こんなわたしにとってコロナは疫病神ではなく、幸福の神なのである。

コロナと精神界。

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日記
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nakamura 2020-5-20 9:18

  昨日、通りがかりに,友達の家に寄った。彼も、通りがかりに私の家に寄って、長話をする仲であるが、近頃一か月間もそれが絶えていた。玄関先で椅子に座って話し始めると、マスクをはめ、コロナのせいで、訪問を自粛していたという。用心するにこしたことはないが、そこまで慎重になることはないだろう、そんなガラじゃなかろうが?というと、M県の実家に帰りたいが、兄貴から、北九州ナンバーの車を見たら、ガラスを叩き割られるかもしれんから帰って来るな!と言われたという。

 テレビでそんなことがある、と出ていたが、そこまでとは?と考えてしまった。閉鎖や封鎖であればわかるが、看護婦の接近を拒んだり、その子供の接近を拒んだり、自粛体制で開いている店やパチンコ店の窓ガラスに店を閉めろ!などと落書きする行為、それは明らかに戦時中の村八分や差別の精神の復活である。日本人の排他性がコロナによってあぶりだされたのである。だが、反対に、感染者の続出で大変な仕事になった病院に弁当をタダで配達する会社や個人もいるのである。

 マスコミはコロナ禍について、経済への害、十万円の給付金、ワクチンの開発、など現実的な面を取り上げるばかりで、宗教や心理学者など、精神界のとらえ方や考えを一度も出さない。それはどうしてであろうか?マスコミが現実面を重視するのはわかるがあまりにも偏っていると思う。

 俺なんか、いつ死んでも良い、と思ってるから、コロナなんてちっとも怖くない、とその友達に言ってやったが、こんな人間もいて、そんなとらえ方をしているのである。それが、良い悪いではなく、そんなレアな考えもあることを知ることも大事ではないか?

陰性でもあり陽性でもある。

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日記
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nakamura 2020-5-16 4:13

  今回のコロナ禍において、陰性でもあり陽性でもある、という、診断結果がでたが、それは不可解な判断だと言える。従来の病気であれば白黒がはっきりし、そんなあいまいな判断が出たことはなかった。医療業界の権威に関わる表現であるはずで、根拠を示すべきである。ネットで調べると、検査の精度が高くなくて、陰性と出た人が後に陽性と判断されたとのっている。

 ここでわたしはあることを思い出し、関連付け、総合してみたが、それによるとある世界が見えてきたのである。以前のブログにも書いていることでもあるが、量子力学の解釈・判断のやりかたである。

   ・量子コンピューターにおいて、0でもあり1でもあるという次元を活用し、現実に、飛躍的な処理能力を産んでいる。

   ・シュレディンガーの猫では、毒ガスの出る箱に閉じ込められた猫は、生きてもいるし、死んでもいる、という解釈・判断をしている。

   ・多次元解釈の中で、時空とは過去・現在・未来は混じり合った(潜伏した)状態である、と解釈している。

   ・人間の胎児は初期においては男でもあり女でもある、中性状態である。現在は、性的少数者が認められ、性の混交分野ができ、性の区別があいまいになってきている。

 上記の事とコロナの陰性でもあり陽性でもある、と言う事を関連付けてみると、不思議な一致をみるのである。(潜伏)というとらえ方であり、それをを用いるとかなり、わかってくる。検査の精度が低かった、ことが理由である、とネットには書かれているが、じつは、その時は陰性であったが、数日間先の未来の陽性を潜伏させ、症状が混じり合っていたのではないか?0でもあり、1でもあるというのも潜伏・混交状態ではないか?シュレディンガーの猫の場合でも、生と死が潜伏し、混交しているのではないか?過去現在未来はそれぞれが潜伏した状態ではないか?

 このような潜伏の概念を現実生活に取り込んでみると、理解がすすみ、ものごとの姿がかなりはっきり見え、それまで間違った先入観に支配されていたことがわかる。自分は今、生きているのか?と自問した場合、生きてもいるし、死んでもいる、と答えてみるとどうであろうか?今は、生きているが数十年先には死んでいる。・・十年前は、産まれていなかったから死んでいた、ただ、今は生きてる状態である、などと、他人にしゃべればまちがいなく、頭がおかしい、と言われるにちがいない。が、それは人が従来の判断方法から外れることをすごく恐れているからにしかすぎない。

 今は幸福ですか?金持ちですか?と問われた場合でも、そのように判断してみると、個人や社会の現状が真実としてみえてくるにちがいない。人間世界は、コロナ後はもっと考え方を変えて、知性を発達させるべきである。

   

さて、コロナは何を考えているか?

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日記
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nakamura 2020-5-14 10:04

  今日で緊急事態宣言が解除され、コロナ禍はひとまず落ち着いたように見えるが、油断は出来ないし、コロナについてもっと考えねばならないことがある。コロナが生物と無生物の間に位置し、あるいは物質であるなどということが間違いであったと認め、捉え方を変えねばならない。特に、生物学会はそのように分類していたことがミスであり、生物学の基本を変えなければならないと判断すべきである。

 コロナは生命体であり、同時に考える力や意識などを人間以上に持っているのである。そのように捉えなければコロナの本質はみえないし、今後の対処法もまちがったものになる。人間たちが寿命をのばし健康になったから、その分、病気が増え、力を増したのである。反転対称形の原理である。物理学でも真理になっているように、エボナイト棒を擦ればその両端に+と-が静電誘導され、その量は等価である、ということである。つまり、コロナや病気を絶滅させることは出来ないし、絶滅させたとすれば今度は違うものが出てくる、その原理である。対立することで現象学的に人間は存在できているのである。

 コロナは今回の作戦を大成功と考えており、次は何年後にどんな形で臨むか?じゅうぶんに考えを巡らしている。人類もそれを読んで、三密、消毒、対抗薬などの効果を省み、次の手を考えている。これによってコロナと人類は意思の疎通をし、会話をしているのである。話は変わるが、わたしはバイクのカブに三十年間、のっている。相手は優れた機械だと思っていたが、心ある機械だと判断するようになった。機械であればいつも同じ唸りで走ると考えていたが、満足げな唸りであったり、悲し気な唸りになったり、変わるのである。そこで、わたしとカブは気持ちを交え、いっししょに走っていることが良くわかるのである。

  亡くなられた方は気の毒だが、 コロナも生きる、人類も生きる、共存共栄の気持ちで臨むしかないのではないか?相手を認め、相手にも認めてもらう、その生き方しかできないのではないか?

腹がへったらご飯食べに来ませんか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-5-12 10:49

  コロナ禍が私たちに不安を与え、ウツにするのは、それが私たちの本当の姿をあぶり出したからである。弱い人間存在、不安定な社会、まだ終息を迎え切らない国家体制の統制力の弱さ、マスコミ報道の不正確さ、医療業界の対応の不完全さなど、あげればきりがないが、コロナはそれらの本当の姿を裸にしてくれた。

 国家体制の破局となれば旧体制の概念は壊れ、新体制の哲学が自然に導かれるのであるが、現体制の復興に終わりそうな雲行きである。コロナによってGNPやGDPが下がり、終息すれば数十%まで回復するという不完全な観点・分析ばかりである。GNPやGDP、学歴、偏差値、指標の数値がどれだけ実態を反映しているか?幸福や不幸の度合いをどれだけ反映しているか?などの視点は欠如し、壊れかけている不正確な機械を温存し、そのまま使おうとする姿勢である。であれば、また、同じことを繰り返すのではないか?という指摘はない。

 このホームページの巻頭に書いている(腹がへったらご飯食べに来ませんか?)は二十年前にわたしが書いたものであるが、その時から私の考えはまったくブレていない。逆にこのコロナ禍において輝いている、と自負する。家庭、社会、国家を支えるのは、この助け合いの精神である。これがあれば、独裁体制でも金権主義体制、封建体制でもわたしたちは生きていけるし、それがなくなればどんな体制であっても崩壊する。

 日本には主導者はおらず、利権と利益供与で造られた砂山が壊れないだけである。次に出る為政者はこのことが分かり、正論を言える人物であるだろうし、そうでなければ自然崩壊するしかない。そして、横やりを入れてま混ぜ返そうとするチャチャ族に、どっちが正しいか、みんなの前で議論しようじゃないか、と言える人間である。

 コロナ禍の時代はそんな人物を必然的に産むにちがいない。

コロナが私たちに教えてくれること。

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日記
執筆 : 
nakamura 2020-5-5 16:40

  コロナを敵としてとらえるばかりでなく、学問として、現象学的にもとらえるべきだと思う。コロナによって人類は大騒ぎをし、果ては殺される事態も発生していて、そんなとらえ方は不謹慎だと言われる御仁もいるだろうが、自身の姿に目覚めさせられることも知った方が良い。

 徳川家康の箴言に次のような言葉がある。

 勝つことばかり知りて負けることを知らざれば害その身に至る。

 これまで人類はその誕生期を除いて、(自然)に勝ち続き、負けることを知らなかった。だから、自然破壊を平気でやり、快楽と利便性に溺れてきたが、今回のコロナ禍で少しは目覚めたように思える。が、識者たちは人間中心主義者ばかりで、どうすれば感染を防げるか復興できるか、しか書かない。イノシシは人間の自然破壊によって食べる物がなくなって山から追い出され、野菜畑を荒らさざるを得なくなったのであるし、人間が森を破壊したのでコロナは山から追い出されたのである。

 目に見えないコロナに振り回さたことは何だったのか? 

 人間が巨視的な視点を失い、細部の対処ばかりに目が向いている、そのことが人類の知性の失敗で、今回コロナに振り回されている原因なのである。医学を例にとるなら、健康とは何なのか?病気とは何なのか?と言う哲学的総論から入るべきで、そしてどうすれば病気にかからないか?を命題にすべきなのに、体の構造や病気の種類、治し方の各論に目を向けてばかりで、肝心な使命を見失っている。この傾向はすべてのジャンルが抱え、コロナのように潜伏させてきてしまった。それはそれぞれの業界が利益重視と絡み、資本主義から離れられなくなっているのが原因である。政治を含め、すべてが金中心に回っている。週刊誌に、飲んではいけない薬、と書かれている睡眠導入剤・サイレースを医者は平気で処方して、わたしに永い間、飲ませてきた、それが良い例である。

 美観に振り回されて、農薬漬けの野菜をたべていることをすっかり忘れていた。

 例に出せば際限がないが、いろんな問題を数百年も、潜伏させてきたのではないか?

 すべてが振出しの、その初心に立ち戻らなければ、コロナ禍はいつまでもつづくことになる。

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