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中国発の新型コロナウイルスの世界せいで、世界中は大騒ぎである。中国の町が閉鎖され、客船から数千人の乗客が降りられない、帰国が出来ないなど、まさにパニック状態である。治療薬が発見されたとはいえ、簡単に終息し、平和が戻るとは思えないし、東京オリンピックだって開催が危ぶまれるかもしれない。経済に与える影響は甚大である。
話は変わるが、二月になり、そろそろセリの出る時期だと考えて、野山を探してみるが見つからない。見つかったとしても小さく、食べれる量ではない。昔は,米と鶏肉を焚いて、出来上がった頃にセリを入れて食べたものであった。あの香ばしい野の味は、忘れられない。
昨日、友達から、宗像市の・・に生えてるよ、と教えられ、バイクで行ってってみた。湿地のススキの枯草の下に隠れるようにしてたくさん生えていた。後日、長靴を履いて来ようと考えて去った。
そこでわかった。農薬のせいで、、人が生活する、あるいはその下流ではセリは殺され、滅んでしまったのである。その湿地帯の上には田も畑も人家もないからセリを殺す者はいないのである。当然、生活排水の溜まる川の縁でも見つからない。ドジョウ、ザリガニ、ドンポ、メダカなど人が生きるために殺した種は数が知れない。
ウイルスは単独では生きていけず、増えることもできない。(生物と無生物の中間)に位置しているので捕食ができず、生きていけないのである。人に寄生して養分をとり、生きるしかない。
人間も単独では生きていけず、他の生物を滅ぼしながら生きているのである。
果たして、ウイルスは敵であり、蔑視されるべき存在であろうか?
町役場の開くワークショップに、三度ほど参加したことがある。講師はアメリカに留学してワークショップを学んだ男性で、日本は垂直思考(トップダウン)が強く、水平(真横の関係)が薄い、と話した。参加者たちは十ほどグループに分かれて、町の問題について自由な意見を言い、講師はそれを集約して、発表した。
ところが、町の政策にまで踏み込んだ議論はなく、意見は狭い範囲のもので、広がりはなかった。例えば、ゴミの収集に対しても、体の不自由な人は家のは入口に置いておけば取りに行ってあげる、といったようなことで、それはそれで良いことであるが、環境問題にまで進みはしなかった。
わたしのキリスト教会での体験は以前のブログでも書いているが、あれから牧師からの電話や信者からのメールがあった。どうして来なくなったのですか?牧師も信者達も心配している、という内容であった。話し合っても良い、とも考えたが、立ってる位置が異なるので平行線になると考えて、黙殺している。わたしが貧乏だと言っているのに、さらなる献金を求めたことに対して、彼らは、それがキリストの精神に反するとは考えず、生活費をもっと切り詰めてでも献金すべきだと考えたにちがいない。
要するに信者の生活より、神の方に目が向いているのである。垂直思考である。釜ヶ崎のホームレスの散髪をしてやった牧師もいるので、すべてのキリスト教徒が垂直思考だとは言わないが、仲間・信者の生活より神の事しか考えない者は仲間でも何でもない。富裕階級のサロンに用はない。献金や寄付をしているから自分たちはキリストの精神を受け継いでいると、考えて、手を汚さない連中は、聖書の中にあるように、キリスト自らが、貧民の汚れた脚を洗った、という出来事を思い起こすべきである。
ホンダのカブ(50cc)に乗り始めて、30年以上になる。集金の仕事の必要性から乗りはじめたのであるが、自分の妻や友人以上の存在になってしまった。思えば、10年前に、仕事中、盗まれ、ボックスに入れていたカメラ、ビデオカメラを盗まれ、カゴに入れていた弁当や水筒があたりに投げ出され、不吉な光景を見せつけられた。バイクは発見され、戻ってきたが、それから私は狭心症の発作が出始め、カテーテル治療の失敗で殺されかけ、転落の人生が待ち受けていた。バイパス手術で命をとりとめた。
そして、今、退職後、毎日そのカブにのって産直店に行き、友人宅やスーパーを走り回っている。昨日は、鉄条網を買いに行き、気まぐれ天気に振り回されて、雨に会ってしまった。カッパを着ていたが、顔は正面から雨に叩きつけられ、ずぶぬれになった。いつまでも家に着かず、泣きたい気分になったが、カブは音を立てて、走り続けた。
そんなカブに感謝をすることもなく、洗ってやったこともない。タイヤのスパークは錆びつき、座席の下の部分は青い苔が張り付き、年季が入っていますね、と人から言われる。盗まれて鍵が壊されていたので、その部分はそっくり交換し、正確な走行距離はわからないが、10万キロはいっているはずである。
もうすぐ、エンジンが止まるはずだと予想しながらも、走り続けている。
まるで、自分の人生と瓜二つである。
猥褻行為とセクハラは似たような言葉であるが、ニュアンスは明らかに違う。一方がいけないことだが、してみたいというワクワク感みたいのがあるが、他方は明らかに犯罪であり罰せられるという法的意味合いが強く、万引きは犯罪です、とスーパーなどでも流してるのと同じである。万引きはそれで良いとして、セクハラという表現は、人間心理の微妙なあやを切り捨ててしまい、人間性をすごく狭めている。
また、サド・マゾという言葉が死語になりつつあり、その世界や行為は世間に顔を出せず、消滅してしまったのか?二十年前まで、流行っていた、ロウソクを垂らして、鞭で打つ、という代表的な行為は禁句になっているようだ。そんな行為をされて快感を覚え射精をするほど興奮する人種は今頃、どうしているのであろう?マスコミ世界でさえ、タブーになっているのであろう。もし、記事にしてしまえば(暴力行為)のほう助であり、それをあおるということで罰せられるかもしれない。
私の想像ではそのうち、盗視罪、という罪名が出来て、いやらしい目で見た、見られた、を監視カメラに取られ、盗撮のように軽犯罪法の一つに加えられるのではないか?そうなると、わたしは最初に捕まってしまうかもしれない。ああ、恐ろしい世の中だ。
有刺鉄線は、このホームページの冒頭写真にあるように、レアを象徴するものです。その写真を観たある女は、これを冒頭に出すなんて・・・、と言って、変わり者と言いたげな口調でしたが、私は今でも気に入っています。
今日も、竹の子山に行って、三区画目のエリアに有刺鉄線を張ってきました。百メートルの有刺鉄線を五個も使ったので、およそ500メートルほど張ったことになりますが、山ののり面での作業はずり落ちそうになったり、縛るワイヤが切れたりしてイライラ、苦しい時間でした。上下二段に三十センチほどの間隔を作って張りましたが、自分がイノシシの立場に立ってどうやってもぐりこもうかと考えながら、すすめました。すでに竹の子は、5、6本ほど掘り食われていて、毎年、収穫の90%は持って行かれていましたが、今年はそうはさせません。
彼らは掘り」かたもうまく、夜にどうやってあんなに器用に掘るのか不思議でなりませんが、有刺鉄線にぶつかってどう反応するのか見ものです。オカシナものがあるぞ?と考えて近づき、棘に鼻を刺されておわてて逃げるか、乗り越えて入り込むのか見ものです。
三区画目に有刺鉄線を張ってもすべての土地の四分の一にしかなりませんが、来月から芽を出す竹の子が自分の手に入るかどうか楽しみです。
先日の毎日新聞に、変わった記事が出ていた。それは時代を象徴し、あるいは時代の中で生まれたのであろう
ある母親の、小学生の息子が、友達をつれて帰ってきたので家の中に入れ、友達を迎えた。おやつを出したりして友達をもてなし、夕食を食べさせた。ところが、その友達の中に、息子や友達とはまったく関係のない男児がいたことが後にわかった。その子は時々、そんなことをして食べ物にあずかっていて、その子の両親は仕事が忙しくて育児放棄をしており、そんな放浪者みたいな子を最近、見かけるという。
わたしはその記事を読みながら笑い、悲しくなった。
まるで、野良犬ではないか?犬でさえ、自分の子供はきちんと育てるというのに。
その記事は、わたしが今、とりかかっている小説に通じ、私の幼い頃にも通じているのである。私の母親は、今でも理由がわからないのであるが、まだ立ち歩きの出来ない私を家に独り置いて出かけ、わたしが小学生になると、夏休み、冬休み、春休みには、親類先に何か月も、わたしを預けたのであった。
今でも、幼児の頃の出来事を鮮明に憶えている。庭先に出て地面を這いながら、母を叫び求めた体験は決して忘れない。泣き続けて横隔膜が痙攣し、息が止まりそうであった。私がドモリであるのはそのせいであろう。女狂い、と若い頃に呼ばれたことは、母を追い求める原体験に根があることが自分でもわかるので、それを作品化したいのである。
人は、職業や居住地、結婚相手、移動などいろんな自由があるのに、親の選択、子の選択、血筋の選択は出来ないのである。遠い将来には選べるようになるかもしれないが、すべたがうまくマッチするわけではない。今は、世襲制が強く、どんな親の元で産まれるかによって、将来はほとんど決められてしまう。
でも、逆境を乗り切れば、すごい人物になることができる。この私だって、その可能性が0というわけではない。
わたしは身体障がい者・4級の認定を受けて、およそ10年になる。税制や交通費、障害者の会への助成金などで優遇を受けていて、ありがたいことであるが、認定の基準に疑問を抱いている。医師の診断書を福祉課に提出し、それが県から国へいって審査されるわけである。認定される人はともかく、されない人もいる。二本の杖をつきながら歩き、突然倒れる人が病名が付けられずに認定されないことを例に取れば、認定の改正が必要だと思う。
わたしは10年前に心臓のバイパス手術を受けたが、心臓の一部に不完全な個所があるということで認定を受けているが、日常生活にはほとんど問題はない。血液をサラサラにする薬など毎日、10錠ほど飲んでいるので、頭のふらつきなど、出ることがあるが、少々の重労働などはこなしている。酒も飲んでいる。このように健常者と全く同じ生活や仕事をしている障害者は少なくない。はっきり、いえばこれは社会保障費の圧迫になっており、政治もそれを知っていて基準を厳しくしているが、法的な改正には至っていない。
医者の認定は必要であるが、労働が出来るかどうか?社会生活が出来るかどうか?に判定の基準を変えるべきではないか、と思う。精神障がい者の場合もそうであるし、障害ということは文化的な部分にまで広げて取り込むべきではないか?例えば、アニメーション・ダンスの中に障がい者の歩き方を昇華してみるとか?それは障がいを晒しものにするという反論が出るであろうが、違和の中に文化の芽があるという発見になるのではないか?
相模原殺傷事件の植松被告は、優生思想を信じ、口もきけない障害者は社会のじゃまになる、と考え、犯行に及んだ。さきほど、ネットを読むと、彼が介護をしても要介護者から感謝の言葉もなかった、と話していることが分かり、私の想像していたとおりであった。ありがとう、という言葉があれば彼は犯行を計画し、実行することは無かったであろう。
優生思想はダーウイニズムから始まり、優勝劣敗、強者生存、適者生存の考えで、ヒットラーのナチズムにも用いられ、数百万人のユダヤ人を殺した歴史がある。
わたしは(働かないアリ)の本を読み、(動的平衡)の考えに至っている。全部を働くアリに変えても、働くアリの中から働かないアリが現れて、けっきょくその比率は同じであるという真理が働くのである。だから、障害者たちを排除しても、健常者の中の差異や格差は残るので、排除することは無意味である、と考える。
また、障害者がいるから健常者がいるのであり、健常者がいるから、障害者がいるのである。それを優劣で区分するのは、光は優れていて、影は劣っているというようなもので、見当外れである。
わたしが植松被告と考えの交流が出来れば、そのことを訴え、読者の方にも理解して欲しいと思う。
セクハラ、という言葉は魔性をもっている。それは男女関係の微妙な色模様をはらんでいるからであり、前述したように、セクハラだと、女から公言されただけで男は社会的地位や名誉を一瞬にして失う場合があり、恐ろしい呪いの言葉となった、といっても過言ではない。幸い、わたしは地位も名誉のない老人であるから、訴えられる場合は少ないと考えながらも、警戒するようになった。
ある老女がいる。夫を二十年前に亡くしてから、すっかり元気になり、男漁りを始めて、とまわりからも本人からも、色気違い、といわれ、いうようになった。再婚したいのであったが、良い男に恵まれず、結局はいつまでも男を求める人生になってしまった。
ある80歳の男と知り合い、二度目にはいつものようにホテルに行った。ところが、男の方のセックスが強すぎて、いやになって、避けるようになった。別れる、と伝えたがが男の方は、しつこく、家の周りをうろついたり、電話を掛けてきたりして追いかけるようになった。警察に相談し、男が彼女に近づかないように、警告してもらった。しばらく、ストーカー行為はなくなった。ところが、半年後に男は認知症にかかり、介護施設に入り、紙おむつを履く状態になってしまった。
それを知った彼女は驚くと同時に、男が不憫になり、介護施設を訪れたが、男に刺激を与えてはいけないと言われて、会えなかった。そこで、彼女は男の実家に行って、自分が男の世話をしたいと彼の妹に話したが、受け入れてもらえなかった。男は妻を失い、独り身であった。
それから、どうなったか?は私は、知らないが、ここに男女関係の不思議さがある。嫌いになったり好きになったりする、そんな関係性の変化で、セクハラになったり、愛されたということになったりするのである。男女間系の微妙な変化や色合いを、法廷で、証言したり、訴えたりすることができるであろうか?時間は凄くかかる上に、あの時は愛していたのに、この時は嫌いになっていたから、セクハラだとか微妙なことを喋り始めれば一つのドラマの舞台ができてしまう。
そればかりか、解決のつかない、男と女の永遠のテーマ、その迷路にはまりこんでしまうのである。当人同士が解決するしかなく、法廷は調停役でしかない。
四十年前は、相模原市に住んでいたので相模原という言葉はなつかしいが、この事件は恐るべきものである。身動きも出来ず、言葉も出せない要介護者を45人もナイフで切りつけたというのだから、どのように考えたら良いのかわからないが、もしかすると、私やあなたたちが心の中で起こしているかもしれない。
前のブログにも書いているが、ある老女を介護した時の経験が自分にはある。二本の杖でよちよち歩きをし、車の乗り降りには腰を支えてやらねばならない、突然、倒れると起き上がれず、頭を打ったりするのであった。用事もないのにメールや電話が自分にひんぱんにかかってき、朝の四時や夜の十時にかかってきたこともあった。おはよう、おやすみなさい、今、何してる?などたわいのない内容であったが、しきりに気持ち悪いという言葉を出すので、誰のことか?と考えていると私のことであった。普通の女からは、嫌らしい顔をしてると時々、言われるが、気持ち悪い、という言葉は初めてであった。
そのあたりが理解出来ないのである。
気持ち悪い、と思うのであれば、何故、恋人でもあるようなメールやで電話をおくるのであろうか?
わたしが好意を持たれていると判断するのは自然な成り行きである。
気持ち悪い、というのは、体を支えてやる時に胸や腰に触れることをさしているのだとしても、それは自然なことではないか?
そこで考えるのは、介護される側は介護する側に対して想いや考えを持っているということである。それは勝手な場合もあり、介護する側の視点でみると納得できない場合があり、今回の場合がそうである。
だから、殺傷事件の若い容疑者はそのあたりのストレスが溜まって、要介護者たちを社会の邪魔者、だと考えるようになったのであろう。たぶん、彼は介護される側から感謝の言葉をあまりもらわなかったのではないか?コミュニケーションがうまくいかなかったというより、要介護者がそれをとれる精神状態ではなかった、と言えるのではないか?
健常者と障がい者という視点で考えれば、障がい者がいるから、健常者の立場でいることができるのであり、支える者は支えられてもいるのである。
会の集まりの中で、その老女が倒れても、わたしは手を貸さないようになった。他の者たちが支えてやっているがわたしは知らぬ顔をしている。でも、自分が支えてやっていた時は、支える満足感があったが
それがなくなったことを少し寂しく感じた。