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球磨川の氾濫をテレビでみて怖くなり、家の前の川を、見に行った。幅十メートルほどの川であるが、足元から二メートル先に、水が走り、波頭はまるで凶器であった。一晩降り続けば小さな堤防を越えて、家の中まで入ってくるかもしれなかった。
それと、昨日、県の相談センターに電話を入れ、自分の身体障がい者四級の認定が却下された、その理由を電話で聞いたのであった。心臓の症状が医者の診断書によって良くなっているから、却下したという理由を聞いて納得し、手帳を返すことにした。
自分は賛助会員として障がい者の会に残ることになり、障がい者の諮問委員会で意見を述べrことになっていることを思い出した。前回の委員会の時は、障がい者の権利が認められ、地位も向上したこと、少数者の価値が上がったことを述べたが、今回はちがう視点を考えた。
パラスポーツにみられるように、障害者の世界に、なぜ競争原理を持ち込むのか?ということである。速いことは優れていることなのか?遅いことは劣っていることなのか?ということである。自分の劣等部分を人目にさらし、点数を競うなんてそれは残酷なことではないか?障がい者自らの意志によっていることは確かであるが、競争を煽り、商業主義的に利用することまですべきなのか?
今年はコロナ禍、それに戦後最大の大雨被害に見舞われようとしている。前者は自然破壊によってコロナを森から追い出し、後者も自然破壊による温暖化が原因である。
それらは人災であり、資本主義、つまり人間社会の競争原理が原因である。
少しは、それへの反省をしてもいいのではないか?
速いことを評価するばかりでなく、遅いことを基準にするパラスポーツを考えてもいいのではないか?
自然界ではナマケモノのように超スロウで動くことで身をまもっている動物だっているし、尺取虫のように体を枝に似せて這う虫だっているし、多様な生き方をしているではないか?人間だけが競争原理を賛美しており、地球全体からみて、それはすでにオカシなことなのである。
昨日の夕方は、雨の降る中、傘をさして山のほうに散歩に出た。九州北部全体に大雨注意報が出ていて、氾濫して家を埋めた川水がテレビに出ていたが、家の中で、じっとしているなんてたえられない。山道に入る頃、顔見知りの後家さんが町道の枯葉をカマでとりのぞいていた。
声をかけると、一昨日と同じく、山水が家に流れて来るのが怖い、とこたえ、腰を曲げて、いそしんでいた。八十に近いが腰も曲がらず、顔もくずれず、可愛い顔をしている。そのあたりは主人をなくした後家さんが四軒に住んでいる。
(男の人がいれば助かるんやけど)彼女が言ったので、(ぼく、オトコです)と言いかけて、笑った。
それで、帰宅すると、酎ハイを飲みながら、スマフォのユーチューブで、演歌を聞きはじめた。若い頃は欧米かぶれでベートーベンやオールディーズをきき、演歌などは嫌いであったが、今は、聞きほれるようになった。島倉千代子、森進一、ちあきなおみ、青江三奈などが宝箱の中に生きている。自分の青春時代がもどってくる。老男のわびしい今と青春が重なり合って、カクテルのような豊潤な味をだすのである。笑い、涙し、杯を、独り、重ねる。
森進一の(港町ブルース)の歌詞に、(明日はいらない、今夜が欲しい)というセリフがある。明日はないに等しいわたしは、(今夜が欲しい)と想いながら、八時には布団の中に倒れ込み、しばらくあの世に逝くのである。
朝、いやいやながら目覚め、(非接触システム)の続きを書いた。一段落して食パンを食べ、ブラック・コーヒーを飲み、阿部公房の(他人の顔)の書き出し部分を読んで、勉強した。文体に隙がなく、すごい、というほかはない。やはり、彼がノーベル賞をもらうべきであったと思う。
庭に、朝刊を取りに、出た。狭い畑地を見ると、昨日、植え替えて棒を立ててやったキュウリがツルを出して、四回転もして絡みつているではないか!一晩で五センチも伸びたのである。チップ農法の畝で発育不良だったので山から赤土をとってきて、植え替えて、二ヶ月目であった。雑草の勢いと同じように伸びてくれた。小さなペニスのような実が三個もぶら下がっている。でも、棒を立ててやらなければ地面を這って生きるしかなかったのである。キュウリは人に棒を立ててもらうために、甘え、人を呼ぶのであろうか?依存しながら成長し、人に食べられて、また、種になってまかれ、人と共生して生きていく。
コロナはどうか?
人に嫌われ、消毒されながらも絶滅することはなく、二波として戻って来た。キュウリは食べられ、コロナは殺されながらも、生き延びていく。輪廻転生である、生死など超えた生存の世界を見る想いになる。
小説「非接触システム」は順調に進んでいる。体験が豊富なので材料に不自由することはなく、体調も良い。そこで、接触システムは非接触システムが産んだことがわかり、満足した。両者は裏腹の関係があり、一方の強さに他方も比例しており、心の世界ではなく、夫婦の関係を物質のそれとして書いていくつもりである。また、この夫婦の関係は時代が多数決主義、大量生産、大量消費、快楽・利便性から少数派主義、少量生産、少量消費、節約、辛抱のそれにあっという間に変化していることと照応している。反動期に入ったといえばわかりやすい。体力が衰えたから、心理が裸にされたのである。
コロナ禍の方は都心部でホストクラブで感染が広がっているが、危険な行為をあえてやるのはやはり若さだな!と感心する。それなら、ソープランドあたりは店も多いからもっと広がっているはずであるがニュースには出ない。わたしも若い頃はずいぶんお世話になったが、男は店に行ったことをはずかしがり、女は堂々としているのであろうか?不倫をやった場合もそうである。女はそれをしゃべり、男は加害者みたいになって黙っている。
ニ、三年前から、女が、ますますきれいになっている。山形の伸び上がった眉、きれいなまつ毛、爽やかな目線、細い鼻筋、などにうっとりしていると、日本人は人種が変わったのか?と考えてしまっていた。ばあちゃんたちまで(差別的表現であれば撤廃します)そんな顔をして、スーパーで買い物などしていると、ついほれぼれとしてしまうのはわたしだけでしょうか?
テレビに出る男たちまでがそんな風な顔になってしまっている。コロナ禍を騒いでいながら、それをよそに余裕があるのですね?
だが、仕掛けがわかってしまった。植毛の眉毛、つけまつげ、整形した鼻で、造花をされた花なのである。造花の美男美女である。造花が本物の花以上に人眼を引きつけることがある。
だが、全員が美男美女になってしまうとどうなるであろうか?美男美女がきえてしまうのである。ブスやブオトコ(差別的表現であれば撤廃します)がいるから、それらは存在している。
そこに、(異種)の存在価値がある。
文体ーカミュの(異邦人)、丸山健司の(夏の陽の流れ()、を思わせるような明るい文体で書き、即物的で感情移入を排す。
ストーリーー夫婦の過去は一切書かず、現状のみを書く。周囲の者達はオットに、(奥さんとうまくやって下さい)と言うが、それに同意しながらも、非接触システムはかわらない。ツマは最期に、この生活が一番良いのよ、と言って、自室の内鍵を閉める。オットもツマと廊下ですれ違う時、手をのばせば触れる位置なのに出さない。非接触システムを壊したくなかった。
書き出しー電車の轟音。空爆するようにオットの家に近づいて来る。戦後最大の国家的な危機ーコロナ。最大多数の最大幸福を訴えた体制が非接触システムによって崩壊する。時代の大きな逆転が訪れる。まわりの者達が、仲良くしてください、とうったえるのに平然と非接触システムの中で暮らすフウフ。
八月末締め切りの文学界新人賞に応募する。
こんな老夫婦がいる。二人とも買い物以外は、ほぼ引きこもり生活で、二十年間ほど、非接触システムの中で生きている。会話はしないし、まちがって家の中で出くわしても、相手の顔を見ることはなく、そらし、去る。買い物に出る時、ツマは彼女の部屋の外鍵をかけ、戻ると内鍵をかける。夫は無施錠であるのでツマは侵入し、手紙や日記を盗み読みする。通帳はツマが握り、夫は食材の領収書を食堂間のテーブルの上に置いておく。数分後に、現金に替えられている。食事は時間帯を変えて、たがいに自炊をし、夫は食堂間で、ツマは彼女の部屋で食べる。
入浴をするとき、ツマはオットに見られないように裏庭から回ってこっそり入り、電灯は点けない。終わると、裏庭を通って自室にもどる。そんな生活に耐えられず、オットが苛立って怒鳴り付けると、DVだと言って、警察を呼ぶ。
少し前まで、彼は協議離婚を考えていたが、年老いて面倒になってしまった。夫はツマが男を作って出ていくことを願っていたが、その気配は遠ざかるばかりである。すでに何十年間も相手の顔を見ていない。
こんな状態で二十年間も同居しているなんて信じられないが、現実の一場面なのである。コロナ禍において、社会に非接触システムが出来てしまったが、この夫婦はそれを予感したように、また、時代を象徴するかのように実行していたのである。二十年前までは二人とも、濃厚接触が大好きで、そのあげくの苦しみで、濃厚接触からも離れたのである。
このモデルは小説にとって好材料であるが、途中までは書けてもそこから先は進まない。小説を書くことは料理を作ることに似ているが、この場合はドキュメントにはなっても小説にはなりにくい。材料負け、してしまうのである。材料のアクが強すぎて、それを消すには味付け・香料が必要になってくる。香料を出せるかどうか?それが才能なのであるが、わたしにはない。
近頃はもの忘れがひどくなり、言葉が的確に浮かんでこない。懸賞小説にも落選ばかりであるが、人間や自分への取り組みの姿勢は変わらない。そんなにむずかしく考えんでもいいんやない?とよく言われるがわたしの姿勢は変わらない。
今、(木漏れ日の女)という題で書いていて、モデルはそばにいるし、体験も十分にあるので順調にすすみ、ラストの場面を残すのみとなっている。ストーリーの展開の中で、テーマを膨らますためにもどうするか?と考え込み、ある歴史的事件が思い浮かんだ。阿部定(あべさだ)事件である。あべさだ、という女が昭和11年5月18日に起こし、大事件になって、日本中を驚かせ、興奮させた。
性交中に、女が男のペニスを切り取り、大事にして平然と持ち歩き、逮捕され、刑に服したのである。それは現代社会においても取り上げられ、映画や小説にもなっっている。窒息プレイという危険な性の技があって、首を絞めあい、脳が酸欠に近い状態になって、交接を繰り返し、長い時間、絶頂状態になるのである。(これは危険なので、読者は真似をしないでください)。
阿部定は熱中して、長い時間首を絞め過ぎたのであろうか?それとも、絶頂状態で死なせたい、と考えたのであろうか?それはわからないが、好きな男の大事なものをいつまでももっていたかった、と供述しているのである。それは一般の人にもわからないことではないが、そう簡単には実行できることではないし、実行はしない。阿部定は絶頂状態の中で常識的な判断を失っていたに違いない。
ある女がいる。
花が好きで、特にバラが好きで、大切に育てるのである。ところが、きれいに咲いた時、ハサミで切り落とし、地面に放置するのである。この心理がまったくわからなかった。そこで、阿部定事件を小説の中で取り上げたのである。
さきほど観た夢には、初めての男が登場したことに、気づいた。NHKの集金人をしていた頃の、仲間であった。暴力団の準構成員で、契約・集金の仕事にばつぐんの成績を上げたが、ずる賢さと横暴な性格のせいで仲間からも上司からも嫌われていた。わたしのたちあげた労働組合に入り、ありがとう、といって私に感謝した、思い出がある。心臓病を病み、ついには見放されるようにして仕事を辞めたが、強い個性が印象に残っていた。わたしにもずる賢さと横暴な部分があるので、彼と共振したのかもしれない。
彼と肩を並べて、スナックで酒を飲んでいる夢で、じっさい、二人だけで飲んだことがあった。NHKの集金の仕事は営業職の中でももっとも嫌われ、難しいものである。ノルマをかけられて、解約(委託契約で働いている)する、と脅されながらの日々であるので、ストレスがつづき、わたしが狭心症にかかったのはそのせいかもしれない。彼は構成員時代のことを話した。突撃隊長をしていた頃の、殺されそうになって大便をもらす男の話をし、わたしは大学で空手をやっていた頃の、一撃必殺の体験談をしたが、それ以上深い仲にはならなかった。
夢の世界は、面白い。ほとんど毎日、夢を見るので、人生のだいぶの時間を夢で過ごしていることになる。若い頃は、ほとんど女とセックスをしている光景であったが、近頃、老いたせいで、女はすっかり姿を消した。そのかわり、思い出ぶかい景色や男、もう一度あってみたいう男などが登場する。
H君は大学時代の親友で、彼の住むアパートでよく泊まり込んだ仲である。頭も良く、要領も良く、面倒見も良く、卒業後は美人の女と結婚し、地方の会社に就職し、四、五年前には、、社長になったと書いた年賀状が来た。彼なら社長になれると、喜んだが、彼の妻が私をさして、彼に言った言葉が心に残っている。彼が、わたしがNHKの集金人をしてると言うと、やっぱりね、つぶやいたのであった。わたしは今では、人生いろいろある、と思うのでバカにされたとは受け取らないが、心の底では、あんたの先見の明は素晴らしかったね、と言いたいのである。
界隈、という言葉を辞書で調べると、一帯、とでているがそれだけではないニュアンスがある。隈には裏の意味があるので(新宿界隈)という言葉にはゴールデン街やション便横丁を含む場合が多い。界隈、という言葉を初めて調べてみて、日本語のなんでも受け入れる語彙の深さに感動した。
昨日は、福岡市の千早にJRで行った。障がい者割引の切符を自動販売機で買おうとして、操作に手惑っていると、駅員から、どうしました?と声をかけられ、大丈夫です、とこたえて買うことが出来た。電車に乗るのは二か月ぶりなのでこんなところにも日頃の自宅生活が出てくる。
全日本年金者組合岡垣支部の執行委員をしているので、二、三か月に一度は千早に行っている。年金受給者ばかりの団体であるが、政治闘争や援助活動もやっていて、みな、元気が良く、わたしのような攻撃的で変わり者も快く受け入れてくれる。昨日は、コロナ禍においての会員拡大の討議があり、わたしは内部の構造改革の話をした。受給者にも共済年金受給者から国民年金受給者まで、格差が四五倍ほども大きく、生活困窮者は高額者が援助して、相互扶助の仕組みを作るべきだと言った。どんな組織でも相互扶助があり、組合に入りませんか?と誘わなくても、相手から入りたい、という組織にすべきだといった。
賛成者が多かったが、その中で、組合は裁判闘争で、(最低保障年金制度)をもうけるように訴えており、月額8万円だという。その金額であれば飯が食える、と考えた。年金積立金が数百兆円残っており、株式投資で失敗ばかりしているが、国民年金五万円から八万円にすれば心も楽になるというものである。
ほとんどの人はこのことを知らないが、団結して訴えれば、このコロナ禍において実現できないことはない。