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日記
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nakamura 2024-9-23 8:57

  あの頃は金の取り立てのような集金業務をやっていたせいで、金まわりが良かった。月に百万円の給料をもらうこともあった。それに、株式投資でも儲けていた。

 それに、若かった。ソープランドに、ほぼ毎週、通った。当時は博多の東中州にある店であった。初めて入る店だったので店長に、良い女をお願いします、というと少し助平ったらしい顔をして紹介してくれたのをおぼえている。

 若い女が現れ、可愛い感じであった。エレベーターにのると、二人だけになりすでに興奮していた。自然に抱き合い、キスをした。風俗店にエレベータが多いのはムードを盛り上げるためではないか?と後に考えた。

 部屋に入り、女の腰に手を回していると、当時としては珍しい黒のテイーバックをはいていて、それ見るとさらに興奮した。それから、ベットでたっぷり愛撫を重ねた。

 そして、いざ挿入しようとした時、避妊具をつけて!と女は言った。

 それはじゅうぶんいわかっていたが、女の体の奥に直接射精したかった。快楽の世界にそのまま行きたかった。押さえがたい欲望であった。

 お願い、つけてよ!

 女はまた言ったが、そのまま挿入して射精した。

 三日後に陰部が痛み、性病をうつされたことがわかった。病院に通った。

 現在、77歳になって、風俗店に行くことはないが、その出来事を時どき、思い出す。そして、札幌ススキの首切り事件と重ねてしまうのである。あれは、男がゴムをつけずに射精をしたことが原因であるが、それにしてもそれが首を切り落とすことまで発展したと言うのが信じられない。男の目玉をくりぬいて瓶に入れて眺めていたともいう。全く信じられない。性交をしたことで心は少しも結ばれていなかったのか?男は物としての対象でしかなかったのか?そんなことを考えるのは自分だけであろうか?

 あの時、ソープランドの女は、店を後にして別れる時に、涙を流していた。あの涙は彼女の頼みをきいてくれなかった悔しさだったのか?性病うつしてしまうことへとの不安・心配であったのか?

 そんなことをいまだに考え、思い迷っている。

 罪深い人生の名残である。

 

 

 

 

循環こそエネルギーを生む

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日記
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nakamura 2024-9-19 10:15

  メルトダウンになった毎日である。まさに原発から溶けだした核物質のように何もする気が起こらず、長椅子に横たわり、扇風機から出る暖気に当たり、死んでいる。台風がくれる雨に期待していたが福岡から逸れるだけで、雨は一か月以上ふっていない。ピーマンもしし唐も枯れかけ、草刈りに追われて放置していた。昨日、スーパーでピーマンの値段を見ると、なんと一個が百円であった。この流れが他の野菜に広がりそうである。カボスもレモンも柿も発育不良である。梅の実もビワもダメであった。

 どうせあと何年かしか生きない身であるから早く死んだ方が良いのであるが、自分みたいな老人ばかりが増えていきそうである。循環がないから社会が力を失っている。安楽死を早く認めるべきであるが、政治家は選挙の票を気にして言い出さない。タンス預金ため込んだ者達が放置され、金もタンスの中で眠っている。本来であれば金も高い所から低い所に流れてエネルギ――になるはずである。

 政治家やマスコミはは大きな問題点を出すべきであるのに、斎藤知事のスキャンダルにあるようにちまちました出来事を毎日飽きることなく報道している。大事なことは置き去りにされ、いつ地震になって大雪崩を起こすか怖くなってしまう。

 自然界は規則正しく循環しているに人間社会はいつまでも滞ってしまっている。希望は崩壊の次に来る再生にしかないのであろうか?

目覚めても目覚めぬも布団の中の独りかな

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nakamura 2024-9-11 9:07

  おとといの日曜日は、シルバー人材センターの四人の仲間たちとカラオケボックスに行って歌った。初めての店であったが、午前十時から午後五時まで一人20曲も歌って、一人が850円であった。歌い疲れるまでマイクを握り、皆プロ並みの歌い方で楽しかった。

 昨日の火曜日はスーパーで、カート整理をした。火曜日のポイントデーと売り出しが重なって、カートが足りないくらいになったらしいが、自分と交代した13時ころは少し暇になっていた。レジの方に歩いていると前からカラオケ同好会の・子が歩いて来て、顔を見合わせると、満面に笑顔を見せた。あなたって、本当に個性的な人ですね、と言ってくれ、彼女の持ち歌が好きになってCDを借りて歌っている仲であった。若い頃は美人で鳴らしたに違いない人であったが、老いても美貌は変わらず、あれだけの笑顔を見せてくれた女は近頃いなかった。夫がそばにいたので長話は出来なかったから、ふりかえって橙色のスカート姿を見ていた。

 今日は配食の日なので弁当を配るのである。日曜日にカラオケを歌った仲間が来るので、栗を持って行ってやる。二日後はカラオケ同好会の日で歌い、三日後の日曜日は教会で礼拝をする。それ以外は草取りをするか部屋で扇風機にかかりながら、長椅子に横たわっている。

 けっこう動いているようであるが、それでも時間を持て余し、昨夜は夢の中でNHKの集金をしてきた。

 毎日、暑い日がつづき、これが涼しくなって秋が来るなんて信じられないが、今年の四月頃までは暑い夏が来るなんて信じられない思いであったのだ。人間の想いや感情なんていい加減で、まわりに振り回されているだけである。

 ただ、(目覚めても目覚めぬも布団の中の独りかな)、だけは変わらない。

専門外だからわかりません

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nakamura 2024-9-10 6:55

  十年前、NHk集金の仕事をやめて、近所の大学の公開講座に通ったことがあった。東京での若い頃のキャンパスを思い出しながら、なんと静かになったことか?とおもった。マイクでのアジ演説もなければ部活の勧誘光景もなく、ただ留学生の姿が目に付いた。

 物理学をもう一度勉強したかったのであった。(基礎物理学)という課目を選択した。理数系は不得意であったが、哲学には興味があり、その両者の関連に興味があった。高校時代に学んだ物理、数学、化学なども学科を思い出しながら、学んでいくと、やはり数式の持つ力を思い知らされた。たとえば、E=MC(二乗)など真理を突く数式がたくさんある。  

 ある時、教授に質問した。E=MC(二乗)の真理はわかりますが、(人が年老いて肥えながら体力が落ちるにおはなぜですか?)という質問であった。教授はしばらく考えていたが、(それは専門外なのでわかりません)とこたえた。

 そこ言葉を心に残しながら、正直に答えてくれた、と考えた。

 それから教会に通ってキリスト教を学びながら、あるlことに思いついたのである。科学は物質世界の出来事が対象であり、精神や霊を持った生命の世界の事ではない、ということである。重いものを持ち上げる場合、一人より二人の方が力が出る、と考えるが、そうではない。一人であっても火事場の力を出せば二人分の力が出るのである。物理学ではその世界のことは無関心であり、専門外なのである。

 そのように考えると教授の言った言葉は真理を突いていた。

 教会では霊の世界の話が中心であり、物理化学など登場はしない。どちらも自分たちの世界にしか関心がなく、無関心である。ここで両者が統一できなければいつまでも平行線をたどるだけである。統一できた時、それが本物の真理になるのである。

栗が落ちとるばい!拾いに来んね!

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nakamura 2024-9-6 13:03

  8月の末から我が家のクリは落ちはじめ、日課が一つ増えた。拾って、水洗いし、袋詰めして、店に出すことだ。去年は千個ほど、落ち、一個二十円で出した。今年もそれくらい出そうである。日に三度は栗畑を回って、火箸に挟んで採るが、腰が痛くなってくる。空のクリは集めて、後日燃やす。

 三十年前は自分は古い家に住んでいて、母は新築した今の家で一人住まいをしていた。近所の団地に住む三人の男性に畑を作ってもらい、お茶を飲んでもらいながら談笑していたが彼らが去ってからは一人ぽっちになってしまった。

 栗が出る頃になると電話をかけて来て、栗拾いに来るように伝えて来たが、わたしは仕事と家庭で忙しく、母の言葉を忘れていたのである。男の子が二人産まれ、妻もいた。

 ある時、母は年金を下ろして病院に行くから送迎をしてくれ、と言った。記憶には残っていたが他の件が忙しく忘れていた。

 そして、ある日、集金の仕事でバイクで回っていると、電話がかかって来た。ヘルパーの者ですが、お母さんが亡くなりましたと言う。ついにその日が来たか?と冷めた気分で当面の集金先を終え、母の家にいった。警察と医者が来ていて、刑事から調べられた。母の死体は死後四日たっていて、顔がむくみ別人の顔になっていた。

 それが三十年前の事である。

 それから、四本のクリの木はまったく手入れもしないのに毎年、実をつけてくれる。自分は前の家を取り壊して、今の家に住むようになった。妻子は出て行き、一人ぽっちの生活である。母と同じ状態になった。

 一個が二十円になるので栗の木は十円銅貨のようなものだ。金のなる木である。

 すみからすみまで栗を探す。やぶの中にかくれ、落ち葉の中に埋もれていることもある。

 そんな時、母の声が聞こえてくる。・・ちゃん!栗がいっぱい落ちとるばい!早う、取りに来んね!

 自分は地べたに這いつくばりながら、火箸で栗を挟んで採る。

 もうすぐ、母の元に行くであろう。

(パワハラ)は権力を握った

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nakamura 2024-9-2 7:10

  兵庫県の斎藤知事の騒動を毎日ニュースで読むたびに、何かおかしい?どこかおかしい?と首をかしげるのは自分だけではないはずである。どこがおかしいのか?斎藤知事自身なのか?マスコミ報道にあるのか?わからなかったが、やっとわかった気になった。彼の悪行のかずかずは内部通報をされたこと以外それほど騒がれるはずの事ではなかった。物品をせびったり、エレバイターのドアを開けなかったり、付箋を投げたり、駐車禁止の場所のことなどほぼ日常的にはありえることだとして許されることである。

 それが膨らんで百条委員会がもうけられ、知事に不信任案がつきつけられるかもしれないことになったのは斎藤知事が内部通報制度を理解しておらず、自分と仲間内のことを密告された?と感情的になり、彼を解雇し、退職金ももらえなくし、彼が自殺したからである。これは職権乱用ではないか?とも思う。

 自分もNHKの労働組合で活動していた頃、団体交渉の場で世間に出されてはいけないことを告発し、当時の営業部長や職員たちは震えあがっていた。あんた、NHkに世話になりながらよくそんなことまでしゃべるな?と組合の仲間も言ったことがあった。NHK側が自分を攻撃するな?と考えていたがそんなことはなかった。

 それは二十年前の出来事であったが、今、ふりかえってみると、時代がすごく変わったといういことである。こういうことである。パワハラという言葉が権力を握って独り歩き?しているのではないか?ということである。まわりはその実態のを見失い言葉の権力に振り回され平伏しているということである。マスコミは視聴率稼ぎを考えている。

 歴史を振り返れば様々な言葉が権力を握ってきたことがわかる。封建的、密通、男尊女卑など数え上げればきりのないほど、言葉は実態を考えずに権力を握り、人間社会を支配し、言葉自体を崇拝させて来たのである。

 一年前、ある店で、顔見知りの女に、最近変わったね?肥えたんじゃない?と声をかけると、それはセクハラよ、と言われ、肩の肉を摘ままれたことがった。それからは、彼女のことをお嬢様と呼ぶようになり、彼女は満足げな顔にになったが、肥えたと言ったことのどこがセクハラなのか?言い返してやりたい。

 セクハラ、パワハラ、モラハラなど、今の時代は横文字が幅を利かせ、支配しにかかっている。それはそれで必要なことでもあるが、言葉の支配力に負けて実態を見失ってはいけない。斎藤知事の騒動に戻れば、内部通報制度にくぎを刺され、否定されようとしたこと自体が問題なのである。その本題にもどるべきである。

栗の実を拾う

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nakamura 2024-8-31 9:08

  台風はついに来なかった。避難するようにという指示を、町の有線放送、スマフォ、テレビ・ラジオで執拗に聴かされながら、結果的には少し風が吹き、雨が降っただけであった。なんと物静かな台風だったか?と思いながら胸をなでおろし、感謝したのであったが、今頃は東日本の人々が被害にあっているのである。風が吹けば桶屋が儲かる、の言葉通り、こちらが幸福になればあちらが不幸になるのである。

 昨日は,庭のクリ拾った。木は四本あるのでかなりの量であった。火箸で挟み取り、水洗いして、乾かした。袋詰めすると十個入りの袋に22袋取れていた。さきほど、産直店に行って、一袋を180円で出して来た。初物なので200円にしても良かったが、売れ行きは良くないことを知っていた。外皮、渋皮と小さいのに皮をむくのが大変なのである。栗ご飯にすれば美味しく、秋の味覚が味わえる。売り上げ情報が十時、三時、五時、八時に来るので楽しみである。

 腰を曲げて栗を拾いながら、栗の命を考えた。花が咲く前にガの幼虫が卵を産み、栗の成長に従って体を食べていく。栗は身を護ろうとしてイガイガで覆っているが先手を打たれてしまっているのである。幼虫は渋皮も食べ、元気に成長していき、蛹から蛾になって飛び立っていく。

 人は虫に食われていない部分を採って、食べるのであるが、ここで不思議なことがある。栗の体のある部分には割れ目が出来ていて、女の膣のそっくりであるが、そこに火箸を入れるとぱっくり割れてしまうのである。これは食べられて、何個かが残って大地にばらまかれることを想定している。

 台風が来て風が吹き、栗が落ちて、わたしはそれ金にしてご飯を食べる。三か月先には便所を汲み取って、根にかけてやるのだ。すべてが循環しているのである。

失敗のない人生

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執筆 : 
nakamura 2024-8-28 10:16

 今、メディアでは、兵庫県の斎藤知事が餌食になっている。連日、自殺者までだしたパワハラ事件で、今月の末には証人として呼び出され、知事の不信任を突きつけられるかもしれない雲行きである。東大を出た官僚がなぜここまで追いつめられ、国民の興味の的になってしまうのか不思議でならないが、自分の人生と比較して共通点もあるので注目している。

 もとより、自分は東大とか官僚に嫌悪感を持っているがこの事件にあるようにその肩書には品格も才覚も感じてはいない。受験勉強が得意であることとそれらはほとんど関係がないからである。もし関係があるとすれば企業は東大出だけを採用すれば良いはずではないか?ところが現実はそうではない。自分がNHKの集金人をやっていた頃、おれはこんな集金をするために東大をでたのではない!といって他の部署に変わった職員がいたが、かれはとんでもない勘違いをしていたのである。集金と言う泥臭い現場にこそ視聴者の生身の声があり、それを知ることで組織を良くしていこうという考えが湧くのであり、他の部署の職員たちは受信料をもらうのは当然と言う考えしかなかった。それにそれまではいい番組を作っておりますのでお支払いください、という言葉を出していたが払わなければ法的に訴えますと言うようになったのである。

 それからは訪問詐欺の事件も多発し、現在は訪問をやめ、そのために受診料収入がガタ落ちになった。

 ここで斎藤知事の話に戻ると、金持ちの家に産まれ、人からも好かれ、順風満帆の人生であったようだ。倒れて起き上がることをしなかったのであろう。それに引き換え、自分は何十回も失敗して精神的に自殺した。ごまかしながら起き上がり、今は生活困窮した老人であるが思い残すことはない。

 学生運動のさかんであったあの頃、こんな言葉が流行っていた。

 連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることは辞さないが、力つくさずして倒れることは拒否する。

死ぬ実感が出ない

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執筆 : 
nakamura 2024-8-26 13:02

  今年の五月で77歳になった。平均寿命を基準にしてもあと数年しか生きられないはずである。アルバイト、カラオケ会、日曜礼拝、弁当配りなど短い時間をこなしながら、死なずに生きていることは事実である。そろそろ死期を感じ取るころのはずであるが一向に感じ取れないのである。死を待っているのに来そうにない。他の老人たちはどうなのだろうか?と考えてもそんな質問をすること自体がタブーである。

 死期が近づくと幻覚を見るらしい。天井裏から小人のような男が降りて来て、手招きしたと言う話も知っている。自分は椅子の背中に人の気配を感じたりするjことはあるが、手を伸ばすと、消えている。

 体調は悪い。お盆をすぎてから慢性胃炎はひどくなり、吐き気がし、喘息の発作も続いているし、便秘もどくなった。

 心筋梗塞の前歴があるので、死ぬとしたら脳梗塞か心不全であろう。

 島尾敏雄さんの小説に、出発はついに訪れず、と言う作品があるが、あれは召集令状をもらいながら呼び出しがかからなかった男である。

 振り返って見れば悪行をしてきた自分に死が訪れないはずはない。近頃は人を傷つけてばかりいた人生が思い起こされ耐えきれなくなる。

 神よ、早くお迎えに来てください!と祈りたい気である。

真夏の天日干し

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-8-21 7:51

  昨日は大手スーパーでの、カート整理の日であったが、体調が悪かった。前の日はカラオケ発表会で舞台で歌った。咳が頻繁に出て心配であったが、歌い終えて、仲間たちとしゃべり、何とか役目を終えた。立ち上がる時に知り合いの女が心配そうに手を貸そうとしたが、自力で立ち上がり、車を運転して無事に帰れた。近頃暑さのせいで胃炎が出てむかむかし、喘息も出、苦しい。歩き方もよちよち歩きなのである。猛暑がつづき、雨は一か月も降らず、畑はひやがっている。ナスもキュウリもトマトも水枯れで栄養失調になっている。人間がおかしくなるのは当然である。

 その日、大手スーパーは5%割引の日で、大入りが予想されていたが何とかこなせると考えていた。九時開店で、十時に仕事を開始した。店内の十か所、駐車場の六か所の置き場を歩き回り、十個ほどのカートを集めて手で押していく。500台は駐車できるがカートを車にぶつけでもしたら自分で弁償させられる。二千人もの客が出入りするのでその隙間で動き回ラなければならない。風が少しでもあれば救われるのであるが無風であった。カートはあちこちに貯まっていく。

 一回りして、店内に入るとエアコンが天国を作っていた。

少しでも余裕が出来れば椅子に座って、力を貯めなければ体が動かなくなる。ふつうは持参のペットボトルの水で間に合うのであるが、自販機から麦茶、ファンタ、ジュースと出して、次々に飲んでいたのである。若手の社員が混乱を予想して、カート整理を手伝い始めた。それでなんとか進んでいったがそれがなければカートがなくなってしまうところであった。午後一時ころになると交代要員がやっってきた。

 帰宅すると相変わらずの暑さであったが、エアコンはない。扇風機にかかりながら食事をとり、休んだ。が、天日干しになった記憶は四日後の日曜日に現実になって再び現れるのである。同じことをしなければなえらないのだ。

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