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現代の神隠し

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日記
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nakamura 2025-3-1 7:31

  八潮市の道路陥没事故はまだ記憶に新しいが、つい昨日今日のような衝撃を持っている。一か月たっても運転手は見つからず、亡くなっているに違いない。残された家族や身内はどんな想いで過ごしているのか気にかかる。仕事で走っていた道路が突然陥没し、トラッックごとこの世からきえるんなんてまるでSFの世界である。現代は現実がSFに突然変わる怖い世界である。下水道を作る時、菅の耐用年数のことは考えたであろうが、腐食して土砂が入り込むなんて想像もできなかったのである。

 話は変わるが、先日、ヤフーのニュースを読んでいて、人は土を作ることはできない、と書いてあった。思いつくことがあった。わたしは野菜作りや草むしりを毎日しているが、柔らかい土や硬い土、ふわふわしたに出会い、野菜作りに適した土のことを考えながら、土はどうやってできるのか?と考えることがあったが結論は出なかった。人は土は作れないことから、人は空気を作れない、陽の光もついくれない、単にそれらをむさぼるだけfだということがわかった。

 昔の日本人は太陽を拝んだり、道祖神に手を合わせたりして、自然への感謝があったが、今はデジタルがどうのAIがどうの、ということにしか関心がない。

 土や水、陽光、空気への感謝を持つべきである。

 

 

 

 

 

虫になり虫食いキャベツ食べてみる

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-2-21 9:04

  野菜の値上がりには驚くばかりだが、幸い、うちには畑があり、食用の野菜は育てている。が、荒っぽい性格なので荒っぽく栽培してしまう。昨年の十月ころ、ブロッコリーとキャベツを植え、大根とホウレンソウの種をまいた。大根とホウレンソウは時期遅れだったせいで一か月たっても芽が出なかった。あきらめていたころ、芽が出て、育ち始めたが、寒さにやられ、いつまでも成長しなかった。ブロッコリーは鳥に食われ、キャベツは虫に食われ始めた。殺虫剤はかけないので食われ放題であった。葉っぱは網目状になって芸術品のようになってしまった。引き抜いて捨てようかと考えながら、網目の葉を取って、湯がいて食べた。おいしかったが、なんだかモンシロチョウの幼虫といっしょに食べてる気分になった・・・。

 こんな食事もレアだなと考え、独りで苦笑っしてしまった。

 ちいさなジャガイモが段ボールに入って九百円で売っていたので買ってきて、四つの畝に植えた。土が雨で湿っていたので桑で穴を掘り、ジャガイモをビー玉のように投げ入れていった。あっという間に植えてしまった。六月ころにどんなジャガイモができるか楽しみである。

秒針や無常打ちては知らぬ顔

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日記
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nakamura 2025-2-10 8:16

  先ほど、布団の中から抜け出して、起き上がった。両手を後ろについてやっとの思いで立ち上がり、椅子の背中につかまって立ち上がった。病気ではない健康体であるが、78歳の加齢が起き上がることを拒んでいる。天国のように温い布団は数年先には棺桶に変わっているであろう。

 こんなおれの姿を君はそ想像することもできないはずだ。五十年前、君が大阪の実家に戻って以来、なんどか電話くれたようだがおれは仕事でいなかった。当時、携帯電話はなかった。きみの実家の固定電話にかけることは躊躇された。あの出来事を君の両親に知られることが怖かった。

 いまこうしてパソコンを打っている時、壁の柱時計はあの頃とおなじ動きで時を打っている。これが仕事だといわんばかりの顔である。五十年前はそうではなかった。三度も自殺未遂をした君が、助けを求めておれの家に転がり込み、合計一か月近くも、一緒に過ごしたのであった。食事を作り、五右衛門風呂に入れ、夜は君の部屋に内カギをかけ、俺の侵入をできないようにして眠らせた。君は違う男の女であった。別れ話に腹を立て、自殺をしに大阪から九州までやってきいたのであった。男は出張で不在であった。おれとお前の生活は、密室に閉じ込められた男と女であった。

 俺とお前が黙り込んだまま、汚い食堂間に腰を下ろしている時、柱の時計は仕事をしていた。素知らぬ顔で秒針を打っていた。

 (あの音を聞いてたらわたし、気が狂いそうやわ)

 君はつぶやいたが、ふたりを取り持っているのいるのは、その音でしかなかった。

風寒し枯れ葉と歩く道すがら

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日記
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nakamura 2025-2-5 8:33

  今日は大雪の予報が出て、配食の仕事は中止で、産直店は休日という連絡があった。雪は大雪にはまだならず、庭のあちこちに積もっているだけである。部屋の気温は五度で、暖房はつけていない。

 二月であるがあと一か月もしないうちに三月になり、季節に希望が見えてくる。カート整理の仕事では一人が病気になり、欠員ができている。老人たちが眼前から一人ずつ、神隠しにあったように消えてっている。つぎはおれの番だと考えながら、訪れてこない。自分には見えないだけで予知表には入っているのである。アルバイトのない日は畑の草むしりや堀り起こしをし、春の種まきのことを考えている。専業農家のようにはうまく作れないので作りやすいものを選ぶ。今年はまくわ瓜をたくさん育ててみようと思うがアナグマに食われやしないかと心配になる。ニ、三年前はスイカをアナグマに食われて往生した。近頃はは食べ物不足でカラスがトマトをつついたり、柿の実をつついたりして、自分たちの食べ物が奪われている。自然は食いつくされていくばかりだ。

 広い家にたった一人の生活であるが、俳句をよんだりして、けっこう充実して生きている。町報に俳句が毎月でるようになって、時々声をかけられることもある。

天災は人災である

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日記
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nakamura 2025-2-4 7:45

  一週間前、埼玉県八潮市で道路が陥没し、走っていたトラックが大きな穴に落ちた。運転手は発見されず、死亡したものとみなされている。こんな事故が起きるなんて誰も想像しなかったし、専門家たちも予測しかった。道路を走っていて路面が陥没し、穴に落ちたなんて、まるでSFの世界の話である。

 それにこんな事故があちこちで起きる可能性があるのである。他人事ではないし、防止もできないようだ。外国ではどうなっているのだろうか?

 よく考えてみると、これは天災ではなく人災なのである。百年ほど前までは、風呂水や洗濯水、糞尿は畑に流したり埋めたりしていた。汚水は土壌に吸収されて浄化され、地下水になって、人が飲んでいた。だから、余剰物も害もなかった。下水道を作って便利になり、清潔になったように見えて、思わぬところに害になって跳ね返ってきた。環境破壊のすべては人災なのである。

 これからは風呂水も洗濯水も庭に流してやったほうが良い。

木枯らしや板戸ゆすりてせがみしや

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nakamura 2025-1-30 7:01

  この二、三日、お客さんたちに弁当を配るたびに、寒いですね!が合言葉になった。老人たちは火の気のない部屋で身を縮めて、弁当を待っている。要介護が必要で買い物にも出かけられず、料理もできないというのが条件であるが、そんなふうには見えない人もいる。日に十五件ほどを一時間でくばるのだが、老人たちの生活が見えてくるし、自分が人に感謝される仕事をしているという満足感も出てくる。

 十四件目の家はAさんであるが、少し緊張する。チャイムを鳴らし、ドアを開けて、「お弁当ですよ!」」と声をかけてやるが部屋のドアは締め切られたままである。するといつも間にかドアが開いて、Aさんが立っている。まるで幽霊のように存在感がなく、吹雪から戻って来たばかりだといわんばかりの重装備である。熱い手袋をはめ、毛糸の帽子をかぶり、オーバーをき着て、ご苦労様です、と消え入るような声を出している。まだ真新しい家で暖房設備は十分にありそうなのであるが、エアコンもストーブもない。

 いつもいつも助かります、と彼は言い、三百円はいつも下駄箱の上にきちんと置いてある。心不全を患い、車はなく、国民年金だけで生きているという話を聞いて自分の身と引きかえ苦しさがじゅうぶんわかった。

 あまり長話はしない人だが、去ろうとすると、この弁当できょう、生きられます、という。弁当のない時はご飯とみそ汁ですまして入りうという。自分は貧乏であるが、おいしい料理を作り、酒は飲んでいる。彼に今度、おいしい料理でも作ってやりたいと思う。

 外に出ると、木枯らしが頬に吹きつけた。

 

 

手品師たちの政治

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日記
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nakamura 2025-1-24 8:15

  わたしみたいなバカがまだ生きている、戦争は八十年間起きていない、それはある部分で政治の力であることは認めるが、それにしても政治とは摩訶不思議なものである。やることなすこと種明かしのできないて手品といっても過言ではない。

 十年前、海老津駅南開発反対運動に参加し、署名を集め、議会の傍聴に出た。傍聴席から発言し、警察を呼ばれて、両側から警察官にはさまれた。どんな罪名ですか?と問うと、呼ばれたら来ます、という返事でその場は終わった。傍聴席からの発言を許している市町村もあることを後に知った。

 議案はすべて通り、議員の質問は通ったものとしての質問であり、費用対効果を考えていたら政治はできませんと述べた議員の言葉が今でも耳に残っている。駅の南側に県道が延長され、南口出入り口ができ、金毘羅山の北側が削られ、ヒノキが伐採された。ところ十年たっても県道に車の通行量は増えず、、新築の家も増えない。新聞や不動産業者は最も住みやすい街だと宣伝しているが転入者は増えない。なんのために18億円の金を使い、自然は破壊をしたのか?賛成派の議員に尋ねても返事はなく、これからですよ、という返事しかなかった。漁師をしていた当時の町長の生活は豊かになった。地域を破壊し、うまい汁を吸ったのはせいじかであった。

 こんな視点で回りを見るとよくわかる。小泉の郵政改革はどんな効果があったのか?まったくわからないし、郵便局の経営が苦しくなっただけである。

 政治とは種の見えない手品といっても言い過ぎではない。

加害者と被害者

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日記
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nakamura 2025-1-22 10:22

  出来事や事件を知って、加害者と被害者に色分けしたくなるが実はその色分けはあまり意味がない。両者はいつでも入れ替わるからである。カギと鍵穴の関係におけるように反転すれば同じものなのである。ユダヤ人の歴史は悲惨なものであり、皆殺しに近いホロコーストにあって気の毒としか言いようのない歴史であったが、アラブの土地を取り返してイスラエルを建国し、今に至り、アラブとの戦争を起こしている。こうなると被害者とか加害者とかの関係ではなくなる。力は正義なり、なのである。相手が滅びるまで戦い続ける。それは物理学の法則に似ていて、作用と反作用の繰り返しに過ぎない。

 札幌すすき野の殺人事件は裁判が進み、次は瑠奈被告の番になるのだが、猟奇事件と言われるほど怖い事件であるが、裁判の場でどこまで真相に迫れるか?関心を持っている。性交時に避妊しなかったことが原因のように報道されているがそうではない、と思う。日頃から家族を相手にサドマゾプレーをやっていたというが、瑠奈被告はそれを現実にやってみたくて仕方なかったに違いなく、避妊をしなかったことを理由に行動に走ったのであり、殺害行為はサドマゾの延長、現実化に過ぎなかったのである。こんなケースはいろんな事件においていくらも控えている。

 

対立が相手を造る

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-1-21 11:00

  人間関係においても対立は嫌なことであるが、それが両者を作り上げていることを知ればけっして悪いことではないと考える。ウクライナ戦争におけるゼレンスキーとプーチンなどはその典型的な例である。プーチンがウクライナを侵略しなければゼレンスキーは登場しなかったが、侵略をしたために、登場させることになってしまい、三年がたっても戦争は終わらず、泥沼化している。両国とも国民は疲れ、プーチンは北朝鮮まで戦争に巻き込んでいる。

 プーチンとゼレンスキーはにらみ合いながら相手の心理を知り、作戦を練り、自分自身を構築し、戦っている。先手先手を打って戦いながらお互いは似たような性質になり、それはキリスト教における神とサタンの関係に似てくるのである。サタンが存在するから神が存在できるのであり、いなければ存在できない。また、神がいるからサタンも存在できるのである。良いこととか悪いこととかの次元ではない。

 じつは、こんな夫婦がいる。ところが二人は離婚もせず、死ぬまで同じ屋根の下で過ごすことになりそうなのである。

 ツマは冬の寒い時にも家の窓を開け放すので。彼女の部屋の扇風機は一年中、まわしっぱなしで、台所、廊下、トイレ、浴室の窓も開けて換気をするのである。匂いに過敏であるからであるが、夫が寒がっていることなど考えはしない。夫は開けられた窓を閉めていく。が、数十分もたてばツマがこっそり開けていく。夫が怒っても、知らぬ顔で、日常的なほとんどすべてのことで対立している。離婚しようにも二人とも高齢で、行き場がない。

 このままでは死ぬまで同じ屋根の下で過ごすことになりそうである。一方が考え直して変えれば和解することになるのであるが、夫は寒い冬を震えながら辛抱しなければならなくなる。

手品の仕組み

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-1-14 7:12

  貧乏学生であったころ、エロ小説を書いて稼ごうとしたことがあった。ボロアパートの隣に越してきた女との関係を書いた。彼女の顔がシミの多いものであったと書いたが、寄稿先のスポーツ新聞の編集者は自分に相談もなく、美人であったと書き換えて紙面にのせた。その時は新聞に出て、わずかな原稿料をもらえたことで喜び、そんなものなのか?と思っていたが、いまはちがうのである。これが世の中を支配する手品であることに気づいたのである。 

 ある有識者が原稿を頼まれて書いたとする。彼は日ごろ自分が考えていることを書き、相手もそれを望んでいると勘違いして書くであろう。原稿を渡すと相手は、先生、素晴らしい記事ですがこの部分を読者が興味を引くような内容にしてくれませんか?と言って、書き換えを求めてくるであろう。編集者にとっては内容よりも読者受けするかどうか?売れ行きしか眼中にないのである。書き換えてそれで金が入ればけっこうなことなのである。

 虚偽報道にならない限り、これで世の中は通用し、それが手品師たちの力量であり、これがあらゆる分野で行われているとするなら、事実や真実などはあっというまに消えてしまい、カフカが小説で書いているように、虚偽と欺瞞が世界の秩序なのだ、ということになる。

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