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今日は暴風の予報が出て、買い物にも行けず草刈りもできない。部屋でスマフォのニュースや株価を見たりしていたが、退屈なので庭に出てみた。昨日の草刈りの跡を見たりトマトの脇芽を取ったりした。空を見上げ、本降りになったらどうしようか?と考えていた。すると、そばでシャクヤクが花を開き始めていて、笑ってるように見えたのである。毎年のことなので別に大したことではなかったが、句が浮かび、こんな俳句になった。
自分は大雨を心配しているのに、しゃくやくは関知しない表情であった。植物であるから、移動することもできず、大雨が降ってきてもじっとしているしかない。知り合いに精神薬の飲みすぎで車椅子の生活になった者がいて、気の毒になり、あれではまるで達磨さんではないか?と思ったりしていた。だが、動物であるのに植物のように動けなることは実感としてわからない。数年先には80歳になってそうなるのであろうが・・・。
人間は知性があって素晴らしい!なんて考えているが、シャクヤクのほうがはるか高い位置にいるように思えたのである。
近所の畑で見ました。
散歩中に出会いました。こんな体験ありませんか?
庭の畑に行こうとしたら、顔に目隠しされました。
昨日のニュースで、タレントの広末涼子さんが自らの行為を双極性障害と認め、治療に専念すると告白した。介護してくれている看護師に暴力をふるったのであった。
この病状は以前は躁うつ病という病名が与えられていたが、双極性障害という言葉に置き換えられている。分裂病、躁うつ病、発達障害、双極性障害と病名が目まぐるしく変わるのは精神の病の複雑さを現している。自分はどドモリであり、知能が低く、感情の乱れる男で苦労をして生きてきたが、近ごろは見る目が変わってきた。自分の家の近くに障碍者養成施設があって、毎日、障碍者たちが訪れ、施設のドアが開くのを外で待っている。
不自由な歩き方をする若者が駅から歩いてきて橋を渡る姿を見て、気の毒だと思いながら、あの歩き方はもしかすると芸術的なのではないか?と考えることがあった。自分がどもってしゃっべるとき、個性的な話し方ですね、と言われたことがあり、その人はたぶん、ドモリという症状を知らなかったと思う。そんな見方があったのか?と考えながら、自分のしゃべり方を振り返ってみると、そ、そ、そうなのです、と言葉を出したりしているのである。
タレントや俳優は個性的でなければつとまらない。広末さんはそこに個性と才能を認められてタレントになったわけである。そこに治療を入れて普通の人になったとすればそれで天性の職を失ってしまうのではないか?不自由な歩き方、ドモリ、普通ではないものに対して、それをrareだと認め、社会に受け入れてやれば世の活性化になるのではないか?
薬が切れたので、昨日は病院に行って薬をもらってきた。医者は毎度のように大腸のポリープを切るように言ってきたが、思い切って大腸がんになってもかまわないと答えた。一センチほどのも大きくなっているから切っておくべきであるが、大きな病院への紹介状をまた書いてもらい、検査を受けるという手順が面倒であったし、四十年前にもそこにポリープができているといわれながら消えていたのである。
アルバイトのない日であったのでそれから、山に、竹の子堀りに行った。車の調子が悪いので一キロほどの道を歩いていくしかなかった。リュックの中に水と包丁、のこぎりを入れていた。二か所ほど登りの坂道がありそこがきつかった。年々足が弱っているので圧迫骨折でもすれば歩けなくなり、生きていけなくなる。道端に出ている竹の子の上の部分を鋸で切り落とし、包丁で皮をむいてリュックに入れる。自分の持ち山に入る手前でいっぱいになった。坂道に腰を下ろして、ペットボトルの水を飲む。幼いころは車がなくてそのようにして竹の子を取ったのであった。
さて、帰る段になった。リュックを肩に担いでみると、重くて、体が左右に傾いた。これはまずいと思いながら、片手にリュックの紐を握った。少しは楽になったが、これで一キロを走破するのは大変だとわかった。竹の子は教会で信者たちに売って、献金にするのである。雨漏りのする教会の修理費用の一部になる。
下り坂だったので少しは楽であったが、右手と左手を交互に持ち替えないと耐えきれなかった。
部落のはずれの一軒家に住む女を知っているので車で送ってもらおうかと考えたが、一人住まいなので警戒すると考えた。シルバー人材センターの女であったが、黙って通り過ぎた。
半分ほどの道のりをこなし、町道に入ったがまだ遠かった。線路の下の暗渠が見え、家に近づいていて、無事に着きそうであった。
帰宅すると、昼食を食べ、いつものかまどに火を起こした。大鍋にぬかと唐辛子、酢を入れて沸騰させ竹の子を入れて茹でていった。あと一回で竹の子堀は終わりそうであった。さて、大阪の叔母に送ってやろうか?この次にしようかと思い迷った。彼女は毎年、竹の子を楽しみにして待っているのである。
先ほどの、坂道を思い出した。あれはまるで磔刑を受けるゴルゴダの丘のイエスでなかったか?イエスは十字架を背負わされ、あのようにして登って行ったのであった。イエスを持ち出すのはおこがましいが、リュックを担いで坂を上ったとすればそれに近い経験であった。歩けなければ、祈ったかもしれない。教会に通いながらも祈ることは少なく、日ごろは従来の生き方で通しているし、クリスチャンにはなれないと思っているのである。
母は二十年前に亡くなったが、自分の生き方にはいつまでもついている。精神的にも肉体的にも彼女から育て上げられた。母であると同時に女であった。男は頭がよく、ハンサムで、背が高く一流の仕事についていなければならないと考え、自分を付属中学校に入学させ、進学高校に入れたのであったが、成績は悪く、三流大学を出ても臨時の肉体労働をして生きてきた。そして、末期を迎えようとしている。母の希望とはまったく異なる生き方をし、世の中に反抗する考えを持ったわけであるが、後悔はしていない。
自分が女を見る場合、常に母の目線を感じ、意識し、彼女の理想像を基本にしていた。それが強すぎて緊張しておどおどしなたが性への好奇心は強かったのであった。今の若者はそのあたりはどんな考えなのかわからないが、基本的には同じではないか?と思う。そして、女の場合はどうなのか?にも興味がある。
昔のそのあたりの仕組みはかなりわかるが、例えば札幌すすき野殺人事件など、記事に書かれている親子関係なんて、なかなか理解しにくいのである。両親が愛する娘の言うままになっていることがわからない。自分の息子が高校に遅刻ばかりしていたので、根性入れて頑張らんとやっていけんぞ!というと、そんな大昔のことを言うて、と言い返され、言葉を言うしなったことがあった。それが原因であったのかわからないが、今は音信不通である。
若いころ、女と付き合っていて、言われたことがある。体に迫ろうとした時、あなたとは心を大事にしたいから、そんなことはしたくない、と言われた。三人ほどから言われた記憶がある。我慢できずにかなり強引い交わり、付き合いを続けた。結局、その女たちとは結婚には至らなかったが、考えさせられることがあった。わたしはケチでスケベで欲深い男だから、女たちにプレゼントの一つもせず、ある女とは結婚式も上げなかった。多分女たちは私をもっと見極めようとしたのではないか?そして、結婚式を挙げなかった女は私を今でも恨んでいる。
だが、性欲はだいじにすべきものである。神が与えた最高の快楽であるから、大事に取り扱わないとひどい目に合う。性欲は女を美しく見せてくれるし、エネルギーの源である。インポになった今でもかすかな性欲はのこっており、生きてる楽しさの一つである。
もし、女から体の関係を求められたらどうなるであろうか?魅力のない男であるからそんなことはありえないが、まちがって求められたら、あなたとは心を大事にしたいからもうしばらく待ってね!と言い返してやりたい、昔、言われたみたいに。
昨日の日曜日は、憩いの里、という町営浴場に行って、ステージで歌った。松島アキラの(湖愁)という歌で、ほとんどの者が知らず、観客も四、五人であったが、自分にとっては大事なイベントであった。よく通る声をしている、と褒められるのであったが、加齢のせいか出るはずの声が出なくなっていたのである。練習もおろそかになっていたので、前日に、家の中で何度も歌った。声がかすれることに気づき、蜂蜜をなめた。
出場者は十人程でほとんどが老婆ばかりであったが、化粧をし髪を整えて来たので、女らしくなっていた。自分も珍しく茶の迷彩模様のシャツを着、白のスーツを着てステージに立った。ここで歌うのは久しぶりです、と言って歌い始めるとスムーズに声が出て、高い部分も軽く出た。(悲しい恋の亡骸は・・・)歌っていくと気分も若返っていった。
控室に戻ると、良かった!と皆がほめた。
ある女がいつまでも前に立っているので、手を握ってやった。笑顔を見せた。
彼女は自分がそのカラオケ教室に入ったころ、自分のそばに寄ってきて、弁当をくれたり、長い髪が頬に触れんばかりに近づけたのであった。ところがある時、電話口で、デートしない?と誘うと、忙しい!と激しい口調で一蹴したのであった。それで離れたのである。
後追いはしないのでそれであきらめたが、もっと若ければ後追いをしてストーカーになったかもしれない。
ここが判断の難しいところで、惑わされて、彼女の家を訪れたり、待ち伏せをするかもしれない。そして事件を起こすのである。ここの誤解が男にも女にも解けない。猫の中にもそんな猫がいる。甘えてくるので指を伸ばすと、爪で引っ掻くのである。
引っ掻かれないためにはその場を離れるしかない・・・。
小説を書き始めて、また、筆が停まっている。毎度のことであるが、進めない。ストーリーをあれこれ変えながら、迷いの中に落ち込んでいた。苦しかったが、今、吹っ切れた。要は起承転結を考えすぎていたのである。一般の小説はそうであるが、そうでなければならないというのではない!カフカやベケットの小説を読めばわかる。カフカの(城)では主人公が測量士の仕事を求めて城の周りを彷徨し、ラストは闇の中で虚空を見上げる場面で終わり、ベケットの場合は(名づけえぬもの)に見られるように、同じことを何度も繰り返すばかりである。これは作者の狙いであった。
だから、今書いている(時の谷間)という作品も、ラストで主人公が安楽死の列車に乗っていくことになっているが必ずしもそのラストにもっていかなければならないわけではないのである。人間の一生であっても死ねばこのよから消える定めになっているが、霊になっておなじ人生を霊の世界で繰り返してることだって考えられる。
芸術にはそれだけの広がりがあるのである。これで書き進めることができるようである。