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動的平衡は変化の必須条件

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日記
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nakamura 2023-7-8 8:17

  動的平衡という言葉は、およそ15年前に福岡伸一氏の本を読んで感動したのであるが、今になってそれが一つの哲学であり、いろんな分野に適用できると考えるようになった。わかりやすく言えばこんなことである。人間の体は左右対称形で重量においても左右が同じである。そうでなければふらついてまっすぐ歩くことも走ることも出来ない。人間以外の動物もとうぜんそうであるし、植物であってもまっすぐ立つことができないし、真っすぐ立てなければ養分や水分の補給が偏ってしまい、成長の維持ができなくなる。

 福岡氏は動的平衡を生命体に限定してるようであるが、生命体に限らず、動きのある物質世界においても同様なのである。車や惑星であっても、左右が同じ重量でなければ走ったり回転したりできない。

 物理学では静電誘導という現象を学ぶが、エボナイト棒の両端を擦れば+と−の電気が発生し、それは等量なのである。エバナイト棒を輪切りにしても同じ量である。

 宗教の世界もそうである。神を持ち出す条件としてサタンがいるし、サタンと神のエネルギーは等しく時にどちらかが勝つこともあるがどちらとも消えはしない。二項対立による平衡が事物の存在の必須条件になる。

  人間世界もそうである。ウクライナ戦争の根幹は米ソの対立である。独裁国家・サタンと民主人権国家の二項対立であり、その力量はいまのところ、等しくて平衡状態をたもっているようだが、それは一方が勝ち、他方が負ける嵐の前の静けさなのである。平衡が破れれば、しばらく平衡状態がつづき、次の対立分野に入っていく。それは、正、反、合の弁証法でもある。

 人間の感情の世界もそうである。愛したり、憎んだりしながら、人間関係は変化し、水の流れはたえずして同じ流れにあらず、である。同じ状態がいつまでもつづくことはありえない。悪い状態は良い状態になり、悪い状態は良い状態になるのであるから、悲観することはない。

 アリの世界では3割が働かないと言われているがそれは非常時の時の余裕であり、戦争にでもなれば働くようになる。人間界においても三割は働いていないが、それも非常時の時のクッションである。

 動的平衡の哲学を使えばほとんどの現象は理解出来そうである。

 

白髪を乱した老女

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日記
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nakamura 2023-7-4 8:21

  家の裏口から入ると日産・サファリが体に錆をまとい、フォッグランプをとびださせて、居座っていた。まるで野戦から戻って来たばかりだというように、その家の主人のような顔で番をしていた。

 お弁当ですよ、お弁当をもって来ました!

 大声を張り上げて、不審者ではないことを告げた。

 砂利が敷かれ、ポットにも花らしきものが植えられ、小さな庭は庭らしさをまだ保っていた。

 裏口のドアを叩き、また叫ぶ。返事はなく、キッチンの窓、サッシ戸は硬く締められたままである。

 もう一度ドアを叩いて叫ぶ。

 トイレの小窓が開けられることを知っているのでそこに目を向ける。一年前、そのあたりにスリップが三枚寝ていたことがあった。、ピンク、青、赤とそれぞれの色が砂利の上に体を広げていた。

 小窓に気配が開き、そこから白髪を振り乱した老女が、それでも笑顔で現れて、手を伸ばしてきた。笑顔があるのは食べ物が来たことの嬉しさであろう。顔色は白く、汚れていた。

 ありがとうございます。

 老女は言って弁当を狭い隙間からひきあげ、小窓を閉める。

 バインダーの紙に代筆でサインをし、金は後日振り込まれる。

 ところが先週配達で訪れた時、いつまでも返事がなかった。キッチン、引き戸の窓を叩いても返事がなく、玄関の入口は廃木が重ねられていて、入れない。

 配達を担当している社協に電話を入れ、そこから電話をしてもらった。すると、老女は電話に出て、立ち上がれなくなって動けない、と応えた。

 社協の所長が家に訪れ、入院させたのであった。

 配達先は十二軒ほどであるが、その家を通るたびに車を停めて、中を覗いた。

 サファリの車体の下から美しい花が顔をのぞかせていた。百合の一種でアマクリナと言う名前であることを知った。赤紫の色で花弁を大きく広げ、この世の主だと言わんばかりであった。主が入院したことを知っているのか知らぬのか?の偉容であった。

 

ウツにつける薬

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nakamura 2023-6-29 14:21

  一週間前、知り合ったばかりの男友達から、ウツになったのでしばらく電話が出来ない、という電話が入った。わざわざそんな伝言を入れるとは、ずいぶん真面目な人だなと思っていたが、いまだにスマフォがならないということはウツの虫に取りつかれたままであろうと推測した。

 自分もうつ病の気があるので、今度かかってきたらその処方箋でも伝えてあげようと考えていた。あるいは、彼はこのホームページを知っているのでこのブログを読むかもしれない。

 処方箋は次のような内容になる。簡単に言えばに悩み事からウツになったのであれば、一つの精神状態がいつまでも続くことはなく曇天の先には晴れが待っている。それが見えないだけである、ということを理解してほしいのである。そして、良い未来を想像してウツの退治をするのもいいが、逆に悪い環境の中に自分を陥れてみるのも良い。自分は週に7日ほどアルバイトでカート整理の仕事をやっているが、出かける前は強い不安がでる。三時間ぶっとおしの仕事であるが、途中で歩けなくなってしまうのではないか?歩き方がよたよたしているのではないか?など考えてしまう。歩けなくなれば店長に告げてバイクで帰るであろうが、そうなるとアルバイト自体ができなくなって飯が食えなくなる。生活保護を貰うのはいやである。

 次は、走行が10万キロ以上になったバイクのエンジンが止まるのではないか?そうなると自転車が中古のバイクを買わねばならない。金がない・・。

 仕事は、カートを7か所の置き場から7台ずつ押して運び、店の玄関の置き場まで移動させる。次に、レジのそばにある10か所の置き場から買い物かごを集め、中央の置き場に持って行く。その一連の作業は15分はかかる。一息つく時は客のロビーで管理職に見つからないように座って休む。

 仕事の時間は長い。一時間が三時間くらいに感じられる。一時間半がたつと、それからは仕事に慣れたせいか早く進む。三時間たつと、就業所をレジに持って行って印鑑をもらう。その頃には足取りが軽くなり、警備員にも、お世話になりました!と声をかけて店を出る。

 この仕事は自分に生きるエネルギーを与えてくれている。76歳になってこんな仕事をしている!と情けなくなることもあるが、こんな仕事が今日も出来た!という喜びは何にも代えがたいものである。

 明日も、13時からカートを押す仕事が待っている。

 ウツで屈んでいた状態からさらに屈み、その反動で、解放のエネルギーが湧いたのである。だから、仕事の圧迫感がウツから助けてくれたのである。

ライオンは神を恨むか?

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日記
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nakamura 2023-6-25 21:14

  野生動物の動画をスマフォでよく観ているが、すごく面白い。撮影技術の素晴らしさに驚かされ、そのくせ無料なので申しわけない気持ちにもなる。たぶん、ドローンやハイテク技術を駆使しなければあれほど動き回る野生動物の生態は撮れないであろう。

 昨日、観た動画はメタフィなのか?と考えたがそうはないようであった。現実なのか?架空なのか?と思い迷ってしまった。今でもわからない。草原で、ライオンが、子ずれの母サルを追いかけ回して襲い、食べてしまった。子ザルは母サルの背中にしがみついていたが振り落とされてしまっていた。だが何が起こったのか理解出来ず、じっとしていた。母親が食い殺されたこともわからない顔をしていた。ライオンはそばにじっとしていた。それを見ながら、私はライオンが子ザルまで食べてしまうのではないか?と思っていたが、そうではなかった。子ザルの顔を見つめながら、その顔を舐めてやっていたのであった。わたしはライオンの気持ちまでわかりはしないので推測するしかなかった。ライオンは満腹であったのだ。だから、食欲もわかなかった、もしかすると、母を失った子ザルが可哀そうになって顔を舐めて慰めてやったのではないか?これは人間感情でしかない。不思議な光景であった。これをカメラで撮ったのであればどのようにして撮ったのか?これまた不思議なのである。

 そうして、今日になり、教会に行って牧師から神の話を聞きながらこんなことを考えた。神がすべての生命をつくったと言うのであれば、ライオンはライオンに産まれたことに満足しているのであろうか?わたしがライオンであれば神を恨むに違いない。毎日毎日、鹿や水牛やサルなどを殺して食べなければならないなんて・・、草や穀物を食べることが出来ればそんなことをしなくてすむのになぜ殺しの毎日なのか?教えてください・・、と言うであろう。

 すると神は次のように答えるのではないか?ライオン、おまえはなあ、逆に食べられた動物の種を守ってやっているんだよ。

 それはどういうことですか?

 いいか。増えすぎれば食物を食い尽くして食べる物が無くなり、全滅してしまわなければならなくなるんだ。だから、おまえたちが食べることによって増えすぎないようにしてやってるんだ。草食動物ばかりではなく肉食動物が必要なんだ。

 ここで(悪)の話になる。(悪)は良いとか悪いとかとかに分類されるものではなく、生命の世界の中で必然的に生じる動的平衡なのである。アリの社会の中で働かないアリを取り除いても、働きアリの中から何割かの働かないアリが生じるのと同じ原理なのである。

 そんな事を考えていると、あと100年たっても生命の謎はとけそうにない。なぞなぞの玉手箱はいつまでも口を開いて待ってくれているのである。

日本人に産まれて良かった

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日記
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nakamura 2023-6-22 6:31

  昨日も、敷地内の草刈りをした。草刈り機で刈るが、700坪の中の三分の一ほどが畑と庭であるから、来年は出来るか?体力はどうか?と不安になる。なにしろ、肥料をやっても育っていた野菜は消え、ヤブガラシやギシギシ、ツルがはえまくり、セイダカアダチソウなどは背丈にも伸びてジャングルとつくっていた。草刈り機の歯にそれらが巻き付いて、なんどもむしり取らなければ先に進めない。ロシアと闘うウクライナ兵みたいなものである。

 大まかに刈り終えたが、つぎは管理をまかされている200坪の草地が待っている。そこは平地で肥料をやっていないので草の背丈は低い。

 今日の朝、足腰が立てないのでは?と不安であったが、立って歩けたので良かった。今日は選定はさみで刈り残した草を刈っていこう。

 大腸がんの検査をして見つかったポリー王を切ろうかどうか?と医者に相談したが、寿命を85歳としてみればあと何年間の命であるから急いで切ることもないと判断した。

 寿命を目先にすると気持ちがすごく安らぐのである。深沢七郎の小説・楢山節考の書き出しにあるように、おりん婆さんが楢山詣りに行けることを楽しんでいるのに似ている。楢山詣りとは姥捨てにされることであるが、その息子も悲しむどころか母親同様彼に嫁が来ることに期待しているのである。母親を山に捨てるというすごく難しいテーマを深沢氏はのんびりした筆致で描いており、すごい!という言葉しか思い浮かばない。

 自分は年金とバイトで食いつないでいる生活であるが、気候も暖かくなり、知り合いも増えて、ごはんも美味しく食べている。(日本人にうまれてよかった)というコピーは50年も前に大村崑さんがテレビの中でひょうひょうとした顔で言っていたがその気持ちに自分が重なっていることを知った。親の期待に押しつぶされそうになりながら、何をやってもダメだった男が末期を迎える。これもまた楽しからずや・・・・。という気持ちである。

 ウクライナ戦争のニュースを観ながら、あんな国もあり、サタンのような男もいる、戦争で破壊される街、殺される市民や子供たち、・・・。幸いにして日本はいまのところ戦争はなく、医療も福祉も充実しており、自分の住む街は自然災害も起こっていない、人々はやさしく、争いもない。。

 そんなことがやっとわかってきた。若い頃、そうであればもっと幸福であったであろうが、当時は親の期待が強く自分自身の欲望も激しかったので、目が濁っていたのである。人生の残りは少なくなったがロウソクの火が消えるまで強い好奇心をもって生きて行こう。

ダンゴ虫空を見上げて足を掻く

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nakamura 2023-6-16 8:20

  うちの家には虫が多く、種類も多いので自分などその中の一種類として生活しているようなものである。先ほど一週間ぶりに部屋に掃除機をかけると、畳の目の端くれやホコリが吸い取られ、掃除機の音に反応したのかアリがあちこちから出て来た。お菓子やパンのカスがあるので彼らは部屋のどこかに巣をつくって生活をしているようである。ゴキブリ、クモ、南京虫、蠅、などもわれと一緒に暮らしている。

 軒の下に出て見ると一匹のダンゴ虫がひっくり返り、空を搔いていた。たぶん転がったのは初めてであろうが、起き上がるコツを知らないようで、いつまでもたくさんの足で空を掻いていた。なにか自分の人生を見たようで、足掻(あがいて)いたのである。

 昨日、大腸がんの検査をして来た。ともかく準備が大変であった。前日から下剤を飲み、ワーファリンを控え、朝食はとらず、病院に着くと三時間かけて一リットルの下剤を飲み、便の中に固形物がなくなってから検査に入った。お尻の穴の開いたパンツをはき、軽い麻酔剤を打たれ、ベットに転がった。三十分ほど検視鏡で大腸の中をかき回されて終わった。結果はポリープがたくさんできているが、血液サラサラの薬を飲んでいるので切除はむずかしいということであった。大きな病院を紹介するという。

 ふつうであればガンでなかったことに喜ぶはずであるがどこか期待外れであった。ガンであってもなくても、今、76歳であるから寿命は四、五年とお思われる。癌であっても四、五年は延命するであろうから同じようなものだと勝手に考えたのであった。

 今回も神が生きながらえさせてくれたと考え、少ない人生を生きようと思った。

(ぽっち)であること

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nakamura 2023-6-14 12:51

  今年の5月31日、三十代の若者が、ぽっち、と言われていると邪推して、二人の女をナイフで殺し、二人の警察官を銃で殺した。殺人事件を耳にして驚くことはなくなっているが、ぽっち。という言葉が自分の耳を刺した。それは自分のことであり、自分に言われたも同然であった。

 小学校の頃から自分は変わり者だと思っていたし、こんなおれが生きて行けるかと不安に思いながらランドセルを背負って下校した記憶がある。中学、高校と成長していくにつれてますます自分の変わりようが明らかになっていった。ドモリである、中学校に不正入学させられた、女に憧れるが怖い、頭が悪い、人付き合いが苦手、スポーツも苦手である、など何一つ取り柄がなく、自殺をしても未遂であった。

 だが、大学の空手同好会にまちがって入り、一撃必殺の世界で、半死半生の目にあって、自分で起き上がることを知った。宗教や文学、哲学などを学んで世間の考え方に間違いのあることを知った。自分がおかしいのではなく世間がおかしいのである。それを追求した結果、このホームページの冒頭にある言葉にたどり着いた。

 この事件の加害者がもしこのことに気づけば殺人にはいたらなかったはずである。世間は正しくて自分はまちがっていると洗脳されていたからナイフを振り回し、銃を発射したのである。逆説的に言えば三人を殺したのは世間なのである。世間は無言の圧力で加害者に迫っていたのである。

 暴力事件のほとんどは人間関係である。今の自分は妻子はおらず、金もなく、地位もなく、友もおらず、なにもないぽっちである。だが、幸いなことに老いぼれ老人に世間は期待はしない。

 ぽっち、で悩んでいる若者こそこのホームページを読んでほしい。

 もっともっと悩んでほしい。ぽっちであることは希少な価値があることを知ってほしい。

待ち望んでいた死

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nakamura 2023-6-8 18:45

  今日、病院に行って、医者の問診を受けた。便秘が二か月も続いて、ミミズほどの大きさの便がやっと出るような状態である。クスリを飲んでもあまり利かなくなった。ポリープくらいでは便秘にはならないと医者は言った。

 小雨の降る日であったが、傘をさして、山を散歩した。チップ農法で野菜をつくっている男の畑を訪れ、育ち具合を見た。トマトやナスが育っていた。。彼は電動自転車に乗って通い、絶壁の畑を耕していたが近頃見かけなくなったのでどうしてるか?考えていたが畑作りをしているようで安心した。

 それから、書きかけのホラー小説の事を考えた。もう少し,主人公の怖い部分を書けたら、ベストセラーになるかもしれないと勝手に妄想した。

 来週の木曜日に内視鏡で検査をすることになっている。そこで、肉片を送って癌細胞の検査をするであろう。たぶん大腸がんという結果が出るだろうが、手術をするとなったら、出血をした時が大変である。ワーファリンとバイアスピリンを飲んでいるのでどこまで出血を食い止めることができるかむずかしいのである。そこで死ぬかもしれないし、大腸がんでなかったら便の処置をどうするのかわからない。

 これまで何度か死に目にあってきたが助かった。今度はダメであろう。今、76歳なので80歳までが命の限度であろう。

 死ぬことはまったく怖くないし、待ち望んでいるようなものである。今の日本はメディアを含め、自死や自殺に触れることはタブーになっている。死を美化したがために太平洋戦争で相手に犠牲を出し日本もひどい目にあったことは確かであるが、もうそろそろ、(死)に取り組むべきではないか?

 がん細胞は誰でも持っているのである。それが通常細胞より多くなった時が発病であり、多くならなければ癌ではないのである。人間は通常の生活の中で生と死の隣り合わせの生活しているだけである。

 

鏡見てきれいと想うやバラの花

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nakamura 2023-6-4 19:34

  今日は二つに宗派のキリスト教会に、礼拝に行った。

  午前中は・・教で午後は・・教である。毎週通うようになって、教会に行くのは楽しい。金は要らないし、エアコンのきいた部屋で信者たちとおしゃべりができる。むずかしい話をしても煙たがられないし、逆に話題になって喜んで反応がかえってくる。キリストは奥が深いのでますます興味がわいてくる。

 午後に行った教会で、タイトルの俳句を隣席の青年に読み上げると、面白いと言って関心を示した。聖句の中に神がいろんな花をデザインしてつくったと書いてあることが話のきっかけであった。(創世記)にあるように神は人間も含めいろんな生物をつくったのであるから、きれいな花も作ったことは理解できるが、花は美しさというのがわかっているのだろうか?花の数はすごくたくさんあるが、それぞれ個性をもっている。ダリアやアジサイ、シャクヤクなどそれぞれは蝶や蜂を惹き付けて交配してもらわねばならないので匂いや容姿で競っている。どの姿や色がもっとも引き付けるか考えていて、人間の女が化粧をするように工夫をしているように見える。心があると考えると楽しくなる。この俳句のようにバラの花が花瓶の中からか鏡を見て、うっとりしてる想像すれば楽しいことである。

終電車レール鳴らして空のはて

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日記
執筆 : 
nakamura 2023-5-28 9:16

  昨日、その若者と会った。弁当配りのアルバイトでロビーに集まっている時、そばを通りかかったのを見つけたからであった。椅子に腰を下ろしてしゃべったが、彼は喫煙をするからということで教会に来ないように言われて来なくなっていた。牧師の判断であったが、彼は煙草を吸う時は教会を出てこっそり吸っていたのであり、それで出入りを止められたことに自分は疑問を抱いていた。だが、あまり言うと自分も教会に通えなくなると考えて口を入れなかった。

 彼は新聞配達をしていたがまたうつ病になり、便秘もひどくなって筋トレに通い始めたといった。

 自分もうつ病の気があり、人ごとではなかった。何もやりたくなくなりすべてのことが面倒になって死にたいとばかり考えるようになるである。そうかといって一日中座椅子に転がっていることは出来ず、草むしりなどはじめ、カラオケ会など参加してやっと体が動くようになる。

 自分が本格的なうつ病にならないのは好奇心のおかげであろう。女、株式投資、ホームページ、小説、俳句、野菜づくり、産直店への出荷、そこからの売り上げのメールを見ることなど好奇心が衰えることはない。

 今度、その若者に会ったら自分の体験を話してやろうと思う。

 

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