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ある知人男性が、彼の引っ越しをめぐって、不動産屋とトラブルになった。引っ越しの際に、知人男性の父親が所有していた農機具、クズ鉄類を勝手に売られ、代金の三万五千円を着服されたという。父親は畑作業も出来ず、怒り、困っているという。わたしはその話を聞いて、むずかしいトラブルだと考えた。それは知人男性が巨大宗教団体の信者であり、、三年前に脱会した。が、不動産屋の社長と貸主は熱心な信者で、幹部クラスであるからであった。
わたしは中に入って、社長もまじえて話した。
社長は貸主が、知人男性に洋服や電気製品をやったりしていろんな世話をやいてくれたことをしゃべり、理路整然とした話しぶりであったが、知人男性は話しがとびとびになって出来事の全体がぼやけ、わたしは客観的に理解しにくかった。帰宅してから、知人男性から電話があり、つっこんで聞いてみると、同じ信者であったことからいろんな便宜を図ってもらったせいで、公私混同になっていたのがわかった。
けっきょく、農機具とクズ鉄を売った代金をもらうか、あるいは農機具を買っててもらえばいいじゃないか、ということになり、不動産屋に求めたが、彼はそれらの処分の了解は得ていた、と言い、知人男性は了解はしていなかった、と言って、また、振出しに戻った。
処分費用を引いて代金は返してもらうべきだとわたしは言ったが、不動産屋は返さないという。わたしは(裁判に訴えろ!相手は信用を無くすから困る)と知人男性に言うと、彼は不動産屋にそれを告げたのであった。そこから先のことなのである。
警察でも裁判所にでも行ってみろ!おまえが逆に刑務所に入ることになるからな!おれたちの組織がどんなものか思い知らしめてやる。
不動産屋は言い返したのであった。
わたしは、正体を見せた、と思った。戦後大きく伸びたこの新興宗教はいろんな場面で強権力を見せている。四十年前まではマスコミにスキャンダルや不祥事をまき散らしていたが、その後、すっかり影を消し、新聞、テレビ、週刊誌などに姿を見せなくなった。見せなくなったのではなく、マスコミが圧力を怖がって記事にしなくなったのである。
ということは、今回の出来事が警察所や裁判所に出されたとしても、担当者がその信者であった場合、これは当人同士で話し合ってください、あるいは額が小さいから却下する、ともみ消される可能性がある。
極論すれば罪を犯しても報道されず、逮捕もされない、という怖いことが考えられる。世の中を自由に操れるわけである。
また、この宗派と犬猿の仲であった某政党は、互いに中傷しない協定を結んでおり、いっさい報道していない。それに某政党の裏面や不祥事もこの二十年間、マスコミに出ないのである。
多くの組織がこんなふうに関係を持ったとすれば、報道機関そのものが信じられなくなる。報道機関が報道しないことは圧力団体が国民を自由に操ることになり、ファシズム体制に陥ってしまう。
すでに陥っているのかもしれない。
昨日は、スーパーで、買い物かごの整理のバイトを、やった。店内では、夕方にはパンが売り場からすべて消えたのを、見た。今朝、産直店に出荷に、行くと、日用品を売る大型店の駐車場に車があふれ、台風にそなえて防災グッズに買い物客が集り、道路が渋滞していた。
コロナが落ち着いた動きになったと思うと、台風の出番が来たのである。史上最高の勢力を持っているらしく、九州を直撃するかもしれないという。六月に大雨被害にあった地域の復興がおさまらないうちに、また、災難が襲ってくる。想像もできない降雨量、海水温の上昇による風速の異常増加など、どちらも人間の自然破壊が原因である。だが、被害に備えての準備やかまえを訴えるばかりで、原因を追究し人間の生活への改善を訴えたりはしない。
あなたの宗教団体はコロナをどのように、解釈し、とらえていますか?とあるキリスト教の宗派にたずねた。女信者は解釈?と首を捻っていたが、もう一人の男信者は、政府の言うとおり、三密を避け、ネットでの集会をやっています、とこたえた。
同じことをもう一つの仏教系宗派にたずねた。その男性はフエイスガードとマスクをしていて、こうして感染が広がらないようにしています。政府のおかげで給付金をもらえありがたいことです。といった。
全国一の会員数をほこるある団体の雑誌を読むと、コロナを自分達の信念の中にとりこむのではなく、その発生原因を生物学に求め、学者に書かせていた。
それらを知って、わたしはすごく絶望した。どの組織として、コロナを自分たちの考えの中に取り込んで、思索してはいないのである。感染を恐れて、ネットで集会をしているなど、日頃、全知全能の神を持ち出す宗派がこんなありさまで、それが信仰を放棄していることと同じことであることに気がつかないのである。
人間社会がすべての信念を失った時、コロナが訪れたのである。数十年前に、終末思想が流行っていたがついにやってきた・・・。災難は忘れた頃にやってくる・・・。まさにその通りであった!
戦争でも起こればコロナは消えるかもしれない、と発言して、戦争を肯定するのか!と批判され、知事を辞職した市長がいる。が、それを問題提起として、戦争はなぜ起きるのか?どうすれば防げるのか、と議論を深めて本質を捉えようとはしない。戦争は悪い、暴力は悪い、セクハラは悪い、差別は悪い、と頭から否定して本質を捉えず、言論の自由を封殺しようとする組織が、まちがいなく、存在している。それはこのホームページのクリック数の異常な増加などで知った。その組織はSNSやフェイスブックなどあらゆる広報機関に二十四時間網をはって、獲物がかかるのを待っている。
童謡でさえ、その歌詞が被差別部落を書いているなどと批判され、テレビ・ドラマや映画などもその台詞にセクハラ、差別的表現があると言われて、上映ができなくなっている。
私たちは、日頃の会話や物を書く時のも警戒しなければならなくなっている。なぜ、そうなのかを議論しない限り、ますます社会や人間は縮んでいくばjかりで、ーそこに本物のファシズムが訪れることを知らなければならない。
今日も午前五時に起き、四枚切りの食パン一枚とブラックコーヒーで朝食を終えた。庭の畑に出て、まずトマトのアイコちゃんの収穫をする。真っ赤に完熟したのと真っ黄色のとでおよそ三十個であった。次に栗を拾い、実をヒバシでこじ開けて出すが、虫食いが多くて店に出せるのはおよそ二十個。次に。シソの葉をハサミで刈り取っていくと、十袋(小袋)になった。次がスイカである。予想してたように三個が残っていた。一個をハサミで切り取り、八百円で出すことにしした。
スーパーの産直コーナーに並べ置いて、帰宅する。もう一軒の産直店でもみ殻が全部、売れていたので精米所に取りに行くことにした。精米所は前回、コロナで店を閉めていたせいでもみ殻がほとんどなくなっていたので心配であったが、二十袋分はあった。袋に詰めていると、近くの老農婦がもみ殻を取りに来たので世間話をする。
もみ殻を産直店に運び、八袋置いて、帰宅。昼食をとって、スマフォを開くと、アイコちゃん、クリ、スイカは全部売れ、シソも二つ売れていた。
スイカはあと二つ、残っている。少し小さいので二個ともそれぞれ八百円で出そうかと、考えながら、スイカ畑が空になることに気づいた。商売にばかり熱心になった自分に気づいた。
鹿児島で昔、百姓が種を播く時、一粒は鳥さんのため!二粒はモグラのため!三粒目は人のため!と言って蒔いたこと思い出した。そうだ、一個は残しておこう。そうすればおまえは体を割って、種を出し、どうぞ、好きなように食べてください!と訴えるじゃないか!そして、鳥によって遠方に運ばれて子孫を増やすのだ。
三年前、カラスはスイカを突いたが、今度は気づかないようである。かれらも、ゴミ漁りも網がかけられてエサ取りがやりにくくなっている。畑で、空腹のせいだろう、いら立って大声で鳴いている。二粒目はカラスであげよう。
結局、一個は残しておくことにした。
もし、おれが来年の夏が迎えられないことがあっても、残った種が芽を出し、子供たちは夏の陽を浴びながら育っていくだろう。
それで良い・・。自然さえ残っていれば人間は生きられる。
おまえをタライの水で洗おうとした時、立ち止まって、両手に持ちかえたことを憶えている。あまりにも重いので、落とす心配があったのだった。つるつるした体は人の女のように滑らかだったが、背中に落ちない黄色い汚れが少しあった。バイクの箱の中に入れる時、割れたらどうしようか?と心配になり、厚い毛におおわれた手提げ袋に入れて包んだ。一か月前におまえの姉を運んだ時のように。
スーパーの裏口の暗い廊下を歩いていると、係の女が前に姿を見せた。お早うございます、と声を掛け、、今日も持って来た、何だと思う?と言うと、大事そうに持ってるからスイカでしょう、と笑顔で応えた。(いくらにしようか?)と言うと、(大きくして、良いわ)と言ったので、大きく?って何?と考えた。高い値段だとおもった。
産直コーナーの台におまえを座らせると、がらんとした中にお前がまさに生きた姿で現れていた。最初は横向けにしてみたが、立ててみると、すんなり立って、生きた姿を見せた、畑では寝転がっていたのにな、晴れの舞台をおまえは知ったのだろう。クリを三パック、トマトのアイコちゃんを三パック、シソの葉を八袋別の場所に並べると、仕事は終わった。おまえの体には、1100円、の値札を貼った。
正午に、メールがスマフォに来た。おまえもクリもトマトも売れ、シソは三袋が売れていた。
昼食を終え、いつもの山道を散歩した。放棄された野菜畑があった。戸建て団地の角にあって、高い畑地からカボチャがツルをあちこちから伸ばし垂れさせ、顔を見せている。持ち主は二、三年、野菜作りをしたが放棄してしまった。
ところが、カボチャは毎年、体を割り、種を落とし、実をならしているのである。三年目になっても、家族たちは枯れると、翌年には芽を出しているのである。
枯れ蔓の伸びし団欒夢の跡。
植物たちに不思議な生き方に、胸を打たれる。
嫁ぎ先の食卓で、おまえは供えもののように座り、飾られているだろう。家族に見惚られ、舌を鳴らされているだろう。
おれはその団欒を想像しながら、別れを惜しんだのであった。
あと二時間もすれば夜が明け、おまえはこの家から出ていくだろう。もう戻ってこないし、おれと顔を合わすこともなくなる。七百坪の敷地に産まれたおまえが、きれいな女になって嫁に行く朝がくるのだ。閻魔コオロギたちが忙し気に宴会をひろげる畑から、三十分も離れた街中に、おれのバイクで旅立つことになる。この家はおれひとりの淋しい家だったけど、十人の兄妹たちに囲まれてお日様を浴び、二か月間の幸福な生活を送ってきた。 兄妹たちの中で、姉は一か月前に嫁に出、幸福な家に住んで大事にされて過ごしただろうが、おまえの番がやって来たんだ。おまえも姉に似てきれいな縞模様を体に帯び、白い肌をしている。おれは毎日おまえたちの体を撫で、カラスにつつかれてはいないか?変な病気にかかってはいないか?と心配したけど、きれいな姿と顔で嫁に行けるなんて、おれは幸福に思う。
バイクの箱の中で揺られていくけど、おれが大事に運んでやるから心配しなくて良いよ。
九時になればお客さんたちが店に入り、(まあ、きれいなスイカだわね。今年は大雨の被害で全滅したところもあったけど)と、喜ばれるだろう。数千人のスーパーのお客さんの目にふれ、触られるけど幸福な家に嫁ぐんだから嬉しい日だよ。
前項のブログの中で、柿の実は虫に食われてしまう、と書いたが、じつは、生き延びるのである。柿の種は食べられても、吐き出される。食べられて動物の消化器官に入ったとしても、種そのものは消化されない組織になっていて、そのまま排泄される。大地に落ちて、芽を出し、生きていくのである。親とは離れた場所で、おまけに便を養分にして成長していくのである。
誰が考え出してそんな仕組みにしたのであろうか?考えれば考えるほど、不思議であり、神秘的というしかない。聖書の創世記に、神が生命に生き延びよ、と言った部分が鮮明に思い出される。ノアの洪水、にみられるように、生命は一度、滅び、再生することを述べている。今回のコロナ禍に対し、教会ではどのようにとらえ、どんなことを話しているか?およそ、の想像はつく。
だが、宗教的な考え方に興味があっても、(不完全な)人間たちの関わる宗教団体には興味はない。
今回のコロナ禍に対してどのようにむきあうべきか?マスコミは書きはじめているが、コロナ禍をきっかけにして、(生命)に対してどのように向き合うべきか?の視点を持つべきである。
昨日は、室温三十六℃の部屋の中で、扇風機にかかっていた。耐えられなくなって、庭の畑に出た。きゅうり、ニンジン、おくら、ウリ、スイカ、里芋、サツマイモ、うこん、ゴーヤ、カボチャなどは二週間も水をもらえず、葉っぱが黄色くなりはじめたのもあった。面倒見の悪い園主のために彼らは可哀そうである。さっそく、二十ほどの畝にホースで水をかけ始めると、あっちからもこちからも、ぼくにちょうだい!といってせがんでくる。植物たちは動くことができないので自分から水辺に行くことができない。
だが、彼らは動かなくても生きていける種を選んだのである。動物の道を選ぶべきだったか?と考えてもすでに遅い。人間世界はコロナ禍で大騒ぎをしているのに彼らはそんなことはない。だが、絶えてしまったり、病気にかかったりするものも多い。庭のクリ、柿などは毎年、虫に食われてしまう。他の植物みたいに悪臭を出したりして身をまもることをしない。柿など実が出る頃に食われてしまって、数個しか成熟しない。わたしはバカだな!と考えたこともあったが、それは人間中心主義の考え方であって、柿は人間の消毒に助けられていつまでも生き延びている。
神木と呼ばれるイチョウの木はさすがに立派である。虫に食われることもないし、木質はまな板に利用されるほど丈夫で、放置していても腐ることもない。今年もギンナンをたくさんつけているので、それを売れば生活の足しにもなってくれるであろう。
(何を信じて生きていますか?)
昨日は、そのことを考えていた。コロナ禍において、政治、経済、宗教、哲学などすべての権威が総崩れになっている。その中で、考えた私の結論は、自然の生き方に学び、それを信じて生きていきます、であり、このホームページの最初の趣旨でもある。大量生産、大量消費、多数決主義が終わり、、少数者の時代に変わっていくであろう。
昨日は、四十度近い気温の中、山歩きをした。全身汗まみれで、脚も疲れているのに、一時間半の歩きである。石ころだらけの道に足をとられながら、まさに修行であるが、それをしないと体が落ち着かない。
折り返し場所に、清流が木漏れ日を陽をあびて流れている。見とれていると、肩に何かがとまった。手で触れると、玉虫であった。七色の縦じま模様が美しい。すっかり姿を消された虫が生きていた。帰宅して、虫ピンでとめて標本にしてやろうか?と考えたが、玉虫は手の中で仰向けに寝たまま、手足を閉じ、動こうとしない。擬死、死んだふりをしていたのである。どうしようかと迷ったが、逃がしてやることにした。放り投げてやった。飛ぶかと思ったがそのまま、草の中に落ちた。
山歩きにもどり、玉虫のことを考えた。敵が去ったことを知り、草むらの中で動き始め、飛ぼうとするにちがいなかった。玉虫に声をかけてやった。(今度はまちがって人の体にとまったりしちゃだめだぞ。標本にされるからな)
話しは変わるが、今朝、スーパーの産直売り場に行って、トマトを五パック、青じそ四パック、赤しそ二パックを置いて来た。他の出荷者の売れ具合を見るために、値札の日付を点検していたが、今日が何日かが、わからなくなった。十八日だとわかった。
帰宅してカレンダーをみると、今日の日付に赤印がしてあって、スーパーのアルバイトに行く日であることに思いついた。明日だと、すっかりカン違いをしていたのである。近頃は、曜日や日にちが混乱しているのである。認知症になっていきそうな気がする。認知症がひどくなれば、自分が生きてるのか死んでるのかもわからなくであろう。
あの玉虫は死んだふりをして生きていたのである。人間にそんな生き方ができれば、幸福ではないか?と考えた。バカのふりをして生き、バカになって死んでしまう、それも良いではないか?虫たちの生き方に学ぶことは人間社会以上に多い。
昨日、栗の木の下草を刈って、七百坪の敷地の草刈りが終わった。自分が何歳になるまでこれが出来るのか?と考えながら、空を見上げると、となりの田んぼにはみだしたモチノキの枝が見えた。涼しくなればあれも切らねばならない。枝を切り落とすだけでも大変な仕事だから、幹を切るなんて恐ろしいことに思える。
栗の実を十個ほど、拾った。三分の一は虫食いだった。産直店で昨年、苦情を言われたことを思い出した。虫は花が咲く時から中に入っていて、実を食べながら成長していく。いろんな命は知恵を絞りながら、生きている。コロナだって、そう考えれば生きるために人の細胞に食らいついている。
夕陽に目を向けると、トンボのアキアカネが草にとまっていた。夕陽の明かりに茜色を漉されながら、頭を掻いて、首をきょとんと元に戻した。何とも言えない仕草であった。これが命だと思った。
アキアカネ頭を掻いて夕陽見る
そんな句が浮かんだ。とんぼは時々、頭を掻くようなことをする。なぜかわからないが、可愛いものだ。あんな気持ちでいたいと思う。
今月の半ばにお墓の掃除をし、お参りもした。次は、畑が待っていた。激しい暑さの中で草刈り、草むしり、野菜の出荷もした。カナカナゼミが鳴いて、夏は終わりを迎えようとしている。
だが、何かがおかしい、何かが消えている?そうだ、盆踊りの唄が一度も空に響かなかった。こんなことは、戦後には一度もなかったのではないか?ここでコロナの事態がいかに異常であったか読み取れ、淋しくなる。
自分はあいかわらずの貧乏暮らしであるが、スイカが一つの茎に十個も出来、一昨日は一個が千円で売れた。ミニトマトのアイコちゃんも顔を真っ赤にして、がんばっているし、シソやニラなども売れ行きが良い。自然はまだ生きており、野菜家族は健在である。チップ農法には失敗し、落胆していたが、今後は通常農法とうまく組み合わせてやっていくしかない。
そして、庭の、栗の実が成熟して落ちはじめた。昨日は四本のクリの木の下の草を、刈った。汗まみれになり、何度も休んだ。終わると、栗を焼いて、食べ、酒を飲んだ。食い物に関してはぜいたくな暮らしである。それに、イチョウの木がギンナンを落としはじめた。食べてみると、なんとも香ばしい味がする。酒のつまみとしても最高である。
アルバイトが見つかった。スーパーで、週に二日、買い物かごの整理をすることになった。考えなおしてみると、健康で、体が動くこと、そして、美味しい食べ物、それだけで最高に幸福なのである。