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杉田議員のこの言葉が、マスコミに不適切だということで取り上げられたことに自分は不信感を持っている。公的な場ではなく、SNSのブログの中でか書かれたことであり、いわば感想に近いものである。なぜ、問題視されるのだろうか?
女性が特別に嘘つきだとは思わないが、そのように感じ取るのは自由なはずではないか?その感想を述べるのは自由なはずではないか?この私のブログでも学術的に分析して正しいと言えるものばかりを書いているわけではなく、感想的なものが多いし、そこに真理が潜む場合があると信じているのでもある。
女性は特別にうそつきではないが、やはり男とは異なる部分はある。例えば、メールのやり取りをしていても、こちらが返事を求めているのに返信せずに放置することが多い。それは特別に大事な要件ではないが、こんな場合、気にかかり、不信感を持ってしまう。男の場合はかならず、返信する。
杉田議員のこのケースの場合、女性を助ける仕事をしているのに非難するようなことを書いたので問題視されたのかもしおれないが、それでも、彼女は言うべきことだと考えて書いたのであろうから、逆にわたしは良いことだと考える。
だが、昨日はこの件で抗議デモが起こり、13万人の、議員辞職要求が集まったという。
東証の機械の故障による取引停止が一段落ついたと思ったら、トランプ氏のコロナ感染が報道された。年末にかけて、時世はあわただしく動き始め、何が起こるか分からなくなった。アメリカの感染率は高く、中国はほぼコロナを制圧しているので、これでアメリカの権威は落ち、中国に経済・政治の分野で追い抜かれることは確実であろう。
その前に、日本の杉田議員の失言?が取りざたされ、与野党が公開の場での内容の説明(謝罪)を求めるまでになった。(女性はいくらでもうそをつけますから)と本人のブログに書いたことであるが、わたしはすごく怖くなったし、マスコミに対する不審をつのらせた。この発言は個人の特定はしていないし、公的な場での発言でもないから、なぜ、追及されなければならないか?わからない。一つのマスコミが取り上げ、話題になると思ったらどのマスコミも野次馬のように取り上げる(この文章でもわたしが知名人であれば取り上げられる可能性がある)のだ。
これはマスコミが自身の首を絞めることになる。それに気づいているだろうか?これで杉田議員が辞職に追い込まれることにでもなれば、言論の自由は死んだことになるのではないか?何も言えなくなるし、書けなくなるのである。
そして、中国の全体主義体制が忍び寄って来るのである。杉田議員のような方言・失言を狙い、記事に持って行く組織があるにちがいない。わたしのこのホームページのクリック数が近頃、三百から五百に増えているのその関連ではないか?と思う。
月明り窓辺たずねて夜もすがら
こんな句がでる世の中を望んでいる。
1970年代、東京・東中野にあった文学学校に十年間ほど通った。木造のボロ家であったが、そこがもっともすごしやすい団体であった。勤労学生が通って来て、自分たちの書いた小説を発表し、講師や生徒の批評を受けた。遠慮のない批評がでて、すごく勉強になった。須藤出穂さんが講師の時、あなたの作品は材料に負けている、と言われ、今でも頭に残っている。連続射殺魔の永山則夫が新日本文学賞を受けた時は、殺人犯に賞をやっていいのか?などの議論が出たが、彼の(木橋)を読んで何度も涙した。合評会が終わると、近くの居酒屋に行って酒を飲み、作家にでもなった気分になって和気あいあいであった。車椅子の障がい者がいて、彼が小用をたすとき、仲間がトイレに行って、ペニスを握ってっていた光景は忘れられない。
その学校は埼玉学校を残して、消えたようであるが、やはりあれが昭和の時代だと懐かしさで胸がいっぱいになる・・・。
話は変わるが、今の学校教育は民主主義体制が基本であり、封建時代や王朝時代などは良くなかった、と教え込んでいる。そうであろうか?元禄時代の日本画、葛飾北斎や北川歌麿などのスケールの大きさはその心の大きさなのであり、現代人の到底及ばない世界である。心に平安があるからそんな絵をかけるのであって、コロナ時代には想像もできない世界なのである。
違う時代をもう一度、検証し直さなければならない。
このホームページの趣旨は冒頭に書いているように、腹がへったらったらご飯食べに来ませんか?という簡単な言葉に集約される。が、およそ二十年間の活動を振り返ってみると、残念ながらその趣旨を達成できなかったことを認めざるを得ない。何をやってもダメだった東京生活をひきあげて帰郷し、いろんな団体に入った。労働組合、身体障がい者の会、日本共産党、俳句会、カラオケ会、年金者組合、キリスト教団体など渡り歩いたが、今に至るまで自分の考えにそったものには出会えなかった。
自分の考えとどこが食い違ったのか?ふりかえって考えてみると、どうやら、(共同体と個人主義)というテーマに落ち着きそうである。共同体のなれ合いと灰汁の強い個人主義は相いれないのである。
キリスト教団体では家族集会をやっていて、持ち回りで、家庭に招き、食事会を開いていて、それは、腹がへったらご飯食べに来ませんか?にもっとも近い形であった。が、貧乏人の私に多額の献金を強要したので脱退した。そこでみられたのは個人の生活より、組織の保全であり、どの団体でもそれが中心であるが、キリストはそんなことは認めておらず、貧しい者にはパンをあたえろ、と聖書にも書いている。
労働組合では、NHKとの団体交渉で管理職を攻撃していた。すると、組合の書記の若い男から、中村さん、そんな言い方はしないで部長のいうことを聞いて下さい、と大声で言われ、ショックを受けた。彼はそのことを反省することもなく、自分が退職してから、分会長になっており、上部団体の組合委員長の差し金であったことがいまではわかる。組合のいやらしさもじゅうぶんに知った。
・・・では受給額の格差が大きいので、生活困窮者を組織でたすけてはどうか?困りごと相談、不用品交換など日常生活に密着した活動をすべきではないか?入会を誘うより、会に入らせてくれ、と言われるような団体にすべきではないか?といったが、それは時期早々だと一蹴された。
どの会でも、期待外れの結果であった。
みな、私の考えとは相いれなかった。(行き場がなかったら、うちで居候でもしたら?)というようにはいかなかった。こんなわたしは、実は、利己主義で個人主義の強い男であり、誰からも相手にされず、はぐれ鳥になったのだろう。しかし、コロナ事変を契機にして利己主義・個人主義に疲れ、いやになっているのであるし、それは自分ばかりではなく他の人もそうではないか?と考える。ファシズムの北朝鮮が崩壊せず、ファシズムの中国共産党が世界一になりつるあるこの情勢はあきらかに、エーリッヒ・フロムの(自由からの逃走)であろう。
コロナ後の世界はコロナ汚染の国家対策に始まり、確実にファシズムの浸透を招きそうである。
日が暮れると、まず、酒のことを考える。ビールにしようか?焼酎か?ウイスキーか?と思うだけで幸福になる。ささやかな楽しみであるが、畑づくりをし、酒を飲めるなんて最高の幸せだと思う。
今日は二畝ほど耕し、草の根をとって、石灰、三八をまいて、ニンニクを植え、大根、ホウレンソウの種を播き、ネットをかけた。うまく芽がでるかどうかわからないが、楽しみである。ジャガイモは一か月前に植えている。
さて、コロナでの世界の死者が百万人を超えた。これは世界大戦なみの数値である。目にも見えない細菌がこれだけのことをするなんて、信じられない。だが、力は正義なのである。いま世界で一番強い者は誰か?と問えばまちがいなくコロナであろう。誰も立ち向かう事が出来ず、教会ではクラスターが発生し、集会も取りやめになっている。神は出番を失い、コロナに席をゆずったわけである。
コロナ教、をネットで調べたが、まだ、載っていない。
わたしはいずれ、コロナ教が産まれるだろうと予測している。聖書によれば、神が天地を想像したとあるが、コロナ元年と名付けられれば、創世記を真似て、コロナが陸や海やもろもろの生物をつくった、となるかもしれない。
わたしが二十代の頃、左翼運動が盛んな時代に、(危険な思想家)という本が出版されたことがあった。興味をそそられながらも、その本を手に取ることはなかったが、今はもしかするとこのブログに書いている記事が当てはまるのではないか?と気になって、ネットで調べてみたら、よくわかった。(ウイキペディアはよく書いてくれているので助かる。)そこには日本共産党も暴力革命をとなえ、危険な思想とみなされていたが政党になり、危険な思想から外された、とある。
今では、政党の手順を踏まなかった旧オーム真理教や新左翼の残党が指定されているであろう。
要するに民主主義の手順やルールにのっとって行動を起こすか、直接的かの違いに過ぎないのである。ゆるやかなのか、烈しいかの違いであるが、体制側の秩序に従うことは次第に骨抜きにされていく危険がある。他方、その方が国民を納得させる利点があるかもしれない。
次のようなことをここに書けば、危険な思想とみなされるであろうか?
産業革命以降の人類は発明発見にいそしみ、商業主義を発展させて、物質的な繁栄の中で生きるようになった。だが、それは自然破壊をもたらすことであった。資本主義体制の中で、生存の安泰、快楽と利便性を吹き込まれた人類は、そのベクトルの後を振り返ることなく、自然を搾取・破壊しながら、ついにコロナの出現を招いた。森林の中で生きていたコロナは人間の伐採によって追い出され、人間を餌にして生きるしかなくなった。
神は川や海や山や生き物を作り、人類が自然を管理して安楽の内に生きるように整えていたが、人類は(禁断の木の実を食べて)自然破壊をはじめ、神の教に背きだしたのである。神はコロナをサタンに変身させ、人類の破滅を命じたのではないか・・。
令和二年のこの年を、歴史家はなんと名付けるであろうか?と考えた時、体制側の彼らはまちがいなく令和二年と名付けるであろうが、わたしは、ちがう。まず、最初に、令和と言う文字の想起させるイメージがなんとなく冷たく権威的であったことから良い印象を抱かなかったこともあるが、心にうけいれにくく、馴染めなかった。その矢先、コロナ事変である。
これまでの人類の権威が蹴落とされたといっても過言ではない。科学、医学、政治、経済、教育、宗教、文化などすべての分野がコロナにひれ伏し、アイデンティティを失墜させられた。今、それらの分野でコロナを自分たちの業界の中でどのように位置づけるか?どのように受け入れるか?コロナが何を提起しているか?とらえきった者がいるだろうか?いはしない。ともかく、単なる病気の一種なのだから、政府の言うとうり三密をさけて、マスクをし、手を消毒しようという構えしかないのである。すっかり反体制精神を失ったというよりもとよりそんなものはなかったのである。
キリストの誕生が西暦0年だから、それを考えると、今はコロナ0年なのである。
聖書によれば、神は人間に、永遠の楽しい人生を与えるつもりであったが、最初の人類であるアダムは神の教えにそむき、食べてはいけない木の実を食べ、楽園から追放されたのである。蛇のように地面を這いずり回る試練を与えられた。それから二千年の後、コロナが訪れた。それは(ノアの洪水)のように生き延びる者と死ぬものとの選別・淘汰が行おうとしているのではないか?
実は、人類はコロナ元年を迎えて、歴史の折り返し点に立ったのである。世界は人間中心主義の頂点を極めてしまい、前にはもう進めない。人はちがう道を進むしかない。それは繁栄とは異なる方向を向いている。
毎日新聞が書いてるようにコロナ負債によって、国債の信用度はワンランク落ち、ランクを取り返せるかどうかわからず、国家破産がいつ来るかわからない、と書いている。信用度が無くなれば国債を買う者はいなくなる。
現代は自然界の競争原理を否定していることにも問題がある。階級制度はいけない、差異はいけない、差別はいけないといって均質原理を求め、差異や序列の起こすエネルギーをうしない、全体主義的な平等原理の歴史を作り始めた。街を歩けば、ほとんどの女が植毛眉毛とマスクで顔をつくり、素知らぬ顔で行き来している。笑顔もなければ歓びもない、マネキンたちである。阿部公房の小説・(他人の顔)なのである。
文化も滅びることになる。
新聞の人生相談に、つぎのことが載っていた。若い女性だが、どんな仕事についたら良いのかわからずぶらぶらしている。母親から、いつまでそんなことをしているのか?と責められて苦しい、という。わたしはある人に倣って、質問だけを読み、自分で答えを考えた。それから回答を見ると、さすがに高橋源一郎さんはていねいに彼の体験を持ち出して答えてくれている。感動した。
あんたはいったい何になりたかったんな!
三十年前、叔父が生きている頃、わたしによく、言い、俺の血筋から集金人が出たのは初めてばい、と私の仕事を非難した。彼は県庁の課長補佐でありながら、わたしの就職の世話を一度もしたことがなかった。
わたしはNHKの仕事ができると、喜んでいたのに水をかけられたのだ。今でも叔父を恨んでいる。
自分が何になりたいと考えて、職に就ける人間が何パーセントいるだろうか?学校の授業ばかりさせられて社会を知らないのに何になりたいと決められるのだろうか?
わたしは自動車の組み立て工、土方、集金人などをしながら、社会や人間を学ぼうという意欲は強かったので、それらの職業についたことを決して後悔はしていない。出世コースを歩んだ者以上に社会や人間を知っており、小説に書こうと考えていた。結局、自称・作家で終わるであろうが、玉石混交の体験は夢の中で夜空の星のように散りばめられて、よみがえり、つきることはない。
今なら、叔父にこたえられる。
おれは世の中の探検をしたかったのだ。73年間、飽きるほどした、文句があるか?
昨日、街中の信号を渡る時、ほとんどの人がマスクをしていることに気づいた。コロナ事変の時代である。店に入る時も人と話をするときもマスクをすることが当たり前になっているが、そのうち家の中でもマスクをするようになるのではないか?自分などは一人住まいだからすることはないが。
おしゃべりをしない歌を歌わない笑顔の白い歯を見せない、そんな時代になった。仮面の時代である。童謡(歌を忘れたカナリア)を思い出すが、歌の中では歌を忘れたカナリアは、山に捨てられる運命が待っているのである。人間たちも非接触を長く続けると地球から捨てられる運命が待っているかもしれない。
カラオケ店も閉鎖されカラオケ練習会もなくなり、自分は歌を歌うことがなくなった。生来ドモリのうえ、言葉も出にくくなった。それに人々はソーシャルメディアなどでの言葉にすごく神経質になり、生贄を待ち望むようになった。軽々しくしゃべれなくなった。差別だセクハラだパワハラだと騒がれて血祭りにされ、仕事や地位を失うことはふつうになった。
感情を出せない、言葉を出せない、笑いや大声もつつしまねばならない、そんな時代であるから、(昭和)と言う時代がすごく輝いて思い出される。当時、街の広場からはフォークソングのギターが聞こえ、公園ではアベックが抱き合い、酔っ払いが酔いつぶれ、若者の殴り合いや叫びが起こり、デモ行進がはじまり、アジ演説がはじまり、騒乱の熱気がうずまいていた。
もうそんな時代に戻ることはありえない。はるか昔に遠ざかって行くだけである・・。
(内向の世代)という言葉がその頃、はやったが、今はコロナ事変を深く考え、内向して、マスクの奥にこれまでとはちがう方向性を持って、真理を求める時代ではないか?
菅氏が総理大臣になり、実像がマスコミのライトに明々と照らされるにつれ、政界や有名人たちに関心のないわたしも新聞の紙面に食い入るようになった。法政大学卒ということは知っていたが、自分より一歳下であり、剛柔流空手部の副将をしていたことを知って、ネットを検索して調べた結果、彼は体育系空手部で自分は同好会の沖縄空手道剛柔会であったことがわかった。体育系は大学公認で、比較的穏健で、剛柔会はハングレ集団みたいな組織で、無抵抗な自分のみぞおちを十回も殴って失神させた過去は決して忘れはしない。
そんな大学にしか入れなかった自分への嫌悪感が強かった。大学は新左翼の騒乱場と化し、卒論もレポート提出で、卒業式にも出ず、卒業通知も来なかった。就職もせず、臨時工で食いつなぎ、無頼漢のような生活を送った。
他方、菅総理である。東北の高校を卒業し、集団就職で上京した。二年間働いて金をため、政治家を志望して自分と同じ法学部へ入った。(安保反対!国会解散!)の怒涛が渦巻く大学で、その攻撃対象である自民党へ進む道を選んだのである。新左翼の考えにどのように反応したのかわからないが、菅氏の父親は町議をつとめた人なのでなんらかの意見は聞いていたかもしれない。自分は半ば新左翼に共感していて、父親は日教組に入っていて、いつも政権批判をしていた。
ほぼ同期の二人であるが、菅氏は頂点に立ち、自分は、ホームレスみたいやない?と言われた老人である。好対照であろうが、自分は菅氏の人生に劣っているとは考えない。
俺には俺の人生がある、のだ。