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昨日はスーパー・マーケットで、買い物かごの整理のバイトをしてきた。16時から19時までで、週に二日であるが、それでも店の一員として働いたことになる。モール式のスーパーなので、本屋さん、靴屋さん、洋服屋さん、カラオケ店、雑貨店などがあって、商店街を集めたような雰囲気があり、日に数千人の来客がある。
お客さんの顔やおしゃべり、服装などを見るのも楽しく、いらっしゃいませ、といえば、今日は、と返してくれることもある。子供連れの場合は子供の顔を見るのも楽しく、一時はコロナで沈んでいた大人の顔も新年を前にしてだいぶ明るんできて、売り場には新年のお飾りも並べ始められている。
やっと歩き始めるようになった幼児たちは棚のクッキーを珍し気に触ったり、飛び跳ねたり、かくれんぼをしたり大喜びで、大人たちも食べ物を手にすることを楽しみ、帰宅後に食べることに夢を膨らませているのがわかる。ここに人間の生活がある。
帰宅して、夕食を終え、布団に入っていると、ラジオからニュースが流れて来た。経済開発機構・OECDが来年の末にはコロナは終息し、世界のGNPは伸び、景気は持ち直すであろうと予測していた。日本や中国、韓国のGNPの予想値を具体的に出していた。
これは一見いいことのように聞こえるが違うジャンルを、はずしている。食料自給率はどうなのか?森林破壊の数値はどうなのか?炭酸ガス排出量はどうなのか?など、GNP以上に大事な数値である。わたしたちはこれまで、(指標の罠)にどれだけはまりだまされてきたか?歩き始めた幼児から小学校に入るにつれて、成績の数字、偏差値、いや、それ以外、日常生活において入り込んだ数値に振り回されてきた。・・その挙句がコロナであった。
昨日、あれから、買い物かごの整理をしていると、帰りがけの親子連れが目の前を歩いていた。二人の幼児はわたしの顔を振り向いて見ながら、ばいばい、と手を振り、アイスクリームの棒を握ったまま、走って玄関に行ったが、この張り切った表情は、数値には出ないものなのである。
指標の数値を見る時には、ちがう分野のことの考えなければならない。
昭和29年、わたしが小学校二年生の時であった。
地域の集会があり、わたしの教室は他のクラスの生徒に使われた。私たちは別の教室に行って、そこで地域の集会をやったようであった。
記憶には少し曖昧な部分があるが、それから先のことは鮮明に、ほぼ昨日の出来事のようによみがえってくる。担任の先生は本田といい、戦争jから引き揚げて来たばかりで精悍な顔をしていた。サッカーが得意で、黒のジャージーを着て、すばしこく元気いっぱいであった。
「お前ら!臭いち言うたな!廊下に並べ!」
その声に私たちは廊下に整列した。
地域の集会が終わり、それぞれが教室に戻った時であった。
何かが起こる予感はあったが、四十人ほどの生徒の一番端から皮膚を叩く鋭い音が響き、近づいてきた。ビンタだとわかった。
あっという間に、頬が痛み、焼け付いた。過ぎ去った。
全員が叩かれ終わると、席について授業が始まった。
(臭いち言うたな!)
その言葉を思い出して、おれは言ってない、と考え、・・の施設の生徒の座った跡であるから、塩っ辛く臭い臭いが残っていたのだとわかった。その施設は戦争孤児が多く、黒い顔の子供、顔は黒く頭髪は金髪という子供がいて、汚れた服をいつも着ていて特殊な印象があったのである。当時は差別が問題にされない時代であったが、子供心に良くない、弱いものを苛めることは良くないことだとわかっていた。
本田先生が叩いた意味はやがてわかった。自分は臭いとは言わなかったが心の中で思ったことは間違いなかったのである。
およそ60年前の出来事を思い返しながら、今の時代の視点と比較し、考え込んでしまう。まず、(差別)の問題である。顔の色が黒い、というのは顔色の相違点を表現してるだけであるが、そこに優劣の意識が入った場合、差別になるから問題になるのであり、公言することによって拡散させてしまう怖さがある。差別された者の心の痛みは加害者にはわからない。
顔色の違いで人の優劣はわかりはしない、と賢明な者は理解してスルーしてしまうが拘る者がいるから始末が悪い。アメリカの黒人差別問題はもっと根が深く、解決できそうもない。
次に、(体罰)の問題である。わたしは自分が叩かれたことによって、差別をしていることに目覚めたのであった。叩かれなければ目覚めていなかったかもしれない。
現代の体罰は骨折させたりして、体罰の域をはるかに超えている。罰せられて当然である。加害者はその前に暴力をふるうことがどんなことであるかしるべきである。自分は空手で、一撃必殺を学んだ者であるから、もし、相手を殴る場合は殺してしまうことを覚悟している。だから、暴力は絶対に振るわないし、振るう時は自分を殺すことだと理解している。
町内の大手スーパーマーケットで、買い物籠の整理の仕事を始めて二か月がたつ。やっと慣れて、仕事の流れが身についてきたが、不思議な体験に、考えることがあった。
まず、先輩から、暇なときは、そこの客室の隅で休んでいればいい、と言われ、彼自身は暇な時、そこでスマフォでゲームをやっていた。その言葉に従って、暇なときにATMのそばで座って休んでいた。
「こんな所でそんなことしてたら、いつまでも終らせんばい!」と話しをしたこともない制服警備員が叫び、言い返そうとしたら外の駐車場に出ていった。おまえの仕事と何の関係があるんか!と言い返すつもりであった。すると次に出会った時、彼は駐車場に置かれていたカートを室内に押して来た。お礼を言うと、あそこは見落としやすい所なんだ、と言い、手伝ってくれていたのであった。が、不思議に思った。どの世界でも他人の仕事に手を出すことはよほどの場合でない限り、タブーであるが、そこでは、掃除におばちゃんが放置されたカートを頼みもしないのに押して来てくれたり、店長や社員などもそのようにしていることがわかった。
同じ店の中での仕事であるからそんなことは通用するのかな?と考えていた。だがもし、駐車場のカートを警備員が押していて、ベンツを擦ったりしたら、責任はどうなるのか?など考えると、他の部署の仕事を手伝うのは良いことではない、と思い返した。
だが、他方、手伝ったり、助けあったりすることは良いことではないか?昔の日本人は他人の子供を自分の子供と同じように育てたり、損得勘定なしの善行をしていたではないか?それが共同体を支えていたではないか?と思った。今では互いの見守りがなくなり、子供や妻の虐待が増えている。
前に進むことばかり考えていて、コロナがやってきた。
コロナ事変を機会に、温故知新、を見直すべきである。
独り暮らしをしていても、ほぼ毎日、食材の買い出しに出かける。それだけ食べていることは健康な証拠だと思うが、献立に迷うことがある。今日は、ススキの冷凍が残っていたので、鶏肉を買い、(鍋)にしようと考えていた。その残りの汁にうどんや餅を入れれば数日は献立を考えなくてもいい。
いつもの安売りスーパーに行って、白菜、豆腐、コンニャク、鶏肉を買い、レジで計算をしてもらった。係の女は黒のツナギを着たいつもの老人を憶えているようであったので、今日は安売り品じゃなくて、定額よ、と言ってやろうと考えながら、金を払った。
台に持って行って、ビニール袋に詰めていた。何気なく、となりで同じことをしている若い女に横目が向いた。人間の形をした小さな像が彼女と向き合い、一心に拝むように見つめていた。赤ん坊であったが、すごく小さく痩せていた。それでも目鼻立ちはしっかりしていて、まじかに迫った母親の顔を一心に見つめている。あまり見かけない体勢なので少し驚くと、若い母親は紐でしばって赤子を抱き、両手で食材を詰めながら、赤子と向き合っていたのであった。可愛いですね!と言葉を出そうとして、心の中に留めていると母親から私の気持ちを計るような気配が伝わって来た。
そこで、(句)を考えていた。
ダイヤのような赤子の目、・・黒ダイヤだと家に帰りついて思い浮かんだ。
あの赤子の黒目、それはまさに祈りの中にいる目であった。頼りは目の前にいる母親しかないことを幼いながら知っているにちがいない。幼少時の頃、自分はあんな目で母を見ていたに違いない。赤子にとって母親は神に近い存在であり、自分のように老いても同じ気持ちをもっているのである。
若い女性の自殺が増えている。このコロナ禍において子供を育てることは冒険に近い覚悟がいる。自分は、迎えを待つ身であるがあの児には未来が待っているのである。どうか、元気の育って欲しいと、心から思った。
七十三歳になって、余命をあと十年だと考えることがある。あの世に逝った父母のことを想うが、父ではなく母のことがほとんどである。
自分にとって母は特別な存在であり、今でも愛着、畏怖、不可解が残り、重すぎる存在でもある。幼少時に母に抱かれた記憶がない、と考えていたら、その頃の写真を取り出してみると、抱かれた写真があった。母の膝に抱かれているが、なんと元気のない栄養失調の青白い顔である。戦後間もなく、食料がなく、母の母乳が出ず、脱脂粉乳で育てられたのである。
その頃、母は自分を独り、家に放置して出かけた。残された自分は這い這いをしながら、玄関間に行き、痛みがまた来ると思いながら土間に落ちた。庭まで這い出し、母を追って泣き叫んだ・・、それからどうしたか憶えていない。
小学校に入ると母は受験勉強に追い立て、国立大付属中学校に入学(無理やり)させた。友達をつくることも勉強の邪魔だといい、受験奴隷にしたが、一流大学には入れず、最終的にはNHKの集金人になった。それを終えて、現在は年金生活の貧乏暮らしである。
老後になって、母は子供を育てる自信がなくなった、と言いながら、それでも父の多額の借金を返し、三人の子供を育て上げ、良い家を建てて、財産を残した。
自分が大学は卒業したが、定職にはつかず、帰郷した時のことであった。母は体調が悪くて、ベットで寝ていた。母のそばに立って、就職の話をしていたと思う。寒い冬で脚に畳の冷たさが張り付いていた。
(そんな所に立っといたら寒かろう?こっちに入らんね・・)
母は言い、自分は驚き、黙り込んで、去ったのであった。
母は布団をめくりかけて自分中にいれようとしたのであった。
ショッキングな言葉と光景は一生、心から離れはしない。
今回のコロナ禍をどのようにとらえるか?という重大局面に出くわしているのに、有識者も知名人も哲学者たちも確固とした反応を示しきれていない。政治家たちさえ、トランプとバイデンの争いになっているがどちらが当選しても経済至上主義の流れが変わるはずはなく、時代は相変わらず、モグラ叩きを飽くことなく繰り返し、マスコミはお祭り騒ぎで儲けるでろう。こちらのモグラを叩けば、あちらからモグラが顔を出すのである。
スーパーマーケットの買い物籠の整理を週に二日ほどやっている。お客さんたちにいらっしゃいませ、ありがとうございます、と声をかけながら立ち動いていると彼らの表情に気持ちが見えてくる。ありがとう、と優しく声をかけてくれる老婦人が多く、気持ちがなごむが、男たちの鬱目ばかりが目に付いてしまう。大赤字の店ということもあって店長や次長には笑顔がなく、意地の悪い態度が垣間見える時がある。
アメリカでは、トランプとバイデンの争いが支持者たちの内乱にまで発展しそうな雰囲気である。そこにあるものを感じる。英雄、スーパースターを私たちは待っているのである。この耐え難い鬱を叩き出してくれる熱狂を待っているのである。トランプが、おれを見ろ、コロナに勝ったじゃないか!俺についてこい。おれは神だ!などと叫び始めたら、熱狂的な群衆はついてくる、と思う。ヒットラーが出現した時代のように、群衆はスーパースターを待ち望んでいるのであるし、時代はそんな神がかり的な人間を産むであろう。
時代は経済至上主義が破綻したのであるから、自然の普遍性を認め、自然への回帰を始めるべきである。それを言う者が出ればわたしは熱狂的に支持するであろう。自然破壊や食糧危機が叫ばれている時に、GDPやGNPを取り上げることに何の意味があっるのか?順番が逆ではないか?
今日はアルバイトも出事もない日であった。気持ちの良い秋日和であったが、貧乏暇なし、の生活である。産直店に出しているもみ殻やヌカに肥料の登録をしないと摘発される、という情報が店長からあって、農林省の所轄部に電話を入れて、肥料ではなく、もみ殻やヌカの表示で出しているが問題はないか?と問い合わせたりして緊張した。登録費用が六万円かかるという情報に怯えたが、ヌカやもみ殻での登録であれば消費者がどのように使うか自由なので現状のままで問題はないという結論に達し安堵した。
畑に出て、スコップで耕し、ミツマタで細かくし、草の根を取っていった。日が傾き、涼しかったが、少し蒸した。石灰をまき、化学肥料をまき、玉ねぎを植える準備である。昨日、便所からとった糞尿をまき、倉庫にためていた枯草の堆肥を混ぜ込んだ。なんやかんやと子供を育てるには苦労がいる。玉ねぎも百本で七百円で売っており、かなり高額なので奥てが出るのを待っても良い。五畝ほどを玉ねぎを植え、サツマイモの後にはニンニクを植えようと思う。
陽が落ちる頃には焼酎を飲む。良い気持ちになった頃、鍋の準備に入る。ススキのアラと鶏肉をだしに取り、コンニャク、白菜と入れていく。ナスとピーマン、玉ねぎ、豚肉、唐辛子で味噌煮をつくる。野菜はすべて自家製であり、自作した唐辛子がすごく美味しい!
体調が良くて体が軽く動いた日であった。ミツマタで土を細かくしていると土塊が転がって遊んでいた・・、何とも言えない心地良さであった。
池田市の市長が役所にサウナを持ち込んで使用していたことがニュースに出ていた。維新の党に所属しているとのことだが、そんなものだろうな、と思った。撤去するというが、設置費用は誰が出し、撤去費用は誰が出すのか?不審に思った。
わたしは大学時代に左翼にかぶれたことがあり、左翼は正義で右翼は悪だ、という先入観が入ってしまっていたが、今では右翼も左翼も根は同じだと考えるようになった。
某左翼政党に入った時であった。ポスティングや街宣活動、勧誘活動をし、週に一度の勉強会にも通った。ところが、内部の実体が見えてきた。下っ端はその活動に加えて、新聞購読、資金カンパなどで毎月、一万円ほどの出費になるのに、東京の幹部は年収二千万円とか、最高幹部は別荘まで持っていて使用人が何人もいるとネットに出ているのを知った。
それに,この政党は批判的な言葉を出すと、反党的だと言うのであった。言論の自由がないことを知って脱党した。
話は変わるが、ある年金関係の団体のことになる。自分は代議員を務めているので、先日、定期大会に参加した。いろんな意見や話が出た。みんな積極的に活動していた。そこで自分の意見を言った。楽しい組合にしよう、と言うのは良いが、コロナ事変が起こって失業者も増え、生活が苦しくなっているのだから、相互扶助の精神の方が大事なのではないか?この組織でも高額受給者と低額受給者の格差は二倍以上になっているではないか?大企業に内部留保金を吐き出せ、と言うのであれば高額受給者が低額者に金を回すべきではないか?と発言した。すると、それは運動論としてまちがっている!という発言があり、どういうことだ?と言い返し、議論の場に出そうとしたら時間が来てしまった。委員長は良い考えだ、ここでは資金カンパもしています、と答えた。
やはり、であった。丸山真男氏が、現代政治の思想と行動と言う本を戦後出版し、評判になった。そこにはホームレスの世界も一般大衆の世界も会社、団体の世界も暴力団の世界もその構造は同じであるということであった。
右翼も左翼も同じ構造なのである。
今日は何もしなくてよい日になった。小雨が降っているので、庭仕事はないし、スーパーの籠の整理も、弁当の配食作業も、産直出荷も休みである。布団に寝転がって、庭を眺めたり、ラジオを聞いたり、考え事をしたり、庭に出てギンナンを拾ったりしていれば良い。
日照りがつづいたので恵みの雨であり、野菜も草も喜んでいる。雨は雑草にも野菜にもレモンにもスズメにも等しく恵みを与えてくれる。これこそ、神、であるが人類は資本主義の発達とともにないがしろにしてきて、コロナによってしっぺ返しを受け始めた。
磁力は霊魂である、というターレスの言葉を前回、引用したが、物質と心の関連は天才物理学者・ロジャー・ベンローズなどによって一時さかんに取り上げられ、本になったが、近頃は立ち消えかかっている。これが本格的に証明されれば宗教、精神医療、マスコミ、教育など多方面が打撃を受け、潰れる可能性が出てくる。言わば危険な思想なのである。それらの分野は業務上の話が難しくなれば、心、という摩訶不思議な分野を持ち出して責任の転化ができたが出来なくなることになる。自分達の実体が暴露され、立ちいかなくなってしまう。
恋愛だって、男女の元素の化学反応だと言われれば、すごく単純になり、文化さえ成立しなくなるであろう。自殺願望だって、ウツ虫がうごめいているだけで、二三日絶てばソウ虫の出番がやってくることがある。陰と陽、+と-が周期的に入れ替わっているだけのことがある。
さまざまな出来事はデジタルで細分化するから混乱するのであり、単純化して哲学化すればたわいのないものかもしれない。ものごとを難しくして、仕事をつくっていくのが資本主義の宿命なのである。
その体験を親しい者に話して、あたははどう思うか?と尋ねると、若い女とそんなことができて羨ましいとか、あんたはスケベだ、なぜ、手を出したのか?など自分の意図とは異なる返事がかえってきた。普通の男ならこんなスキャンダルを公開したりはしないのに、なぜ、公開するのか?という言葉もあった。
自分の人生にはいくつかの謎があり、今でも、解けないでいるが、この出来事は最大の謎でもあるのだ。
なぜ、寒いからこちらに来ない?と誘ったのか?誘えば男女の関係に進むのではないか?それくらいのことはわかっていた。では、なぜ、言葉に出したのか?意識ははっきりしていたから、幻想の中での出来事ではない。現実感を失ってはいなかったのに、なぜ、あんな危険な言葉が出たのか?男に殺されても不自然ではない状況なのであった。
精霊が言葉を出した、と言えばば少しは理解出来る。もう一人の自分・自我が言葉を出した、と例えればわかるかもしれないが、わたしたちは一生、自分の意志のとおりにしゃべり、動くわけではなく、自分以外のものの力によって動く場合がある。心臓や腸、内臓などは自分の意志とは関係ないものの指示・力で動いている。
今、書きかけている小説が難関にぶつかって、すすまないでいる。(磁場)というタイトルであるが、そこにこんな言葉が出てくる。(磁力とは霊魂である)、これは古代ギリシャ哲学者のターレスが言った言葉であり、そこに謎の答えが潜んでいるのではないか?
つまり磁力のせいで男女の結合にすすんだのであり、また磁力は霊魂でもある、ということである。古代ギリシャは哲学、宗教、科学が一つであった時代であるから、それが分離した現代にはない真理を潜ませているのである。