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昨日から、産直店に、、松竹梅を出荷し始めた。庭にある梅の枝を切り取り、竹の葉を取り、海辺に行って松の枝を採る。それらを重ねて、店に出すと、昨日は50本ほどが売れた。貴重な生活費になってくれる。
この前の新聞に、コロナ禍のせいで日本の若者が自分の意見を言うようになった、と書いてあったが、そうであれば、コロナに打ち勝とう、政府はコロナの失政の責任をとれ!などの社会運動が起こってもいいはずなのに、そんな気配はない。
NHKの集金をしていた頃の自分を思い出す。NHK委託分会の組合を立ち上げた時、NHK営業総局から、偉い人が驚いてやってきて、大騒ぎになった。強い組合があったのだが、懐柔され、NHKの言うままになっていて、そこに過激な組合が出来たのであるから、無理もなかった。
団体交渉にNHK以外の人間が入り、それは必然的に外部に漏れる。営業部長などは戦々恐々の思いであっただろうが、わたしはますます好い気になって、舌戦を繰り返した。だが、二十年ほど闘って、組合員は十五名ほどで伸びなかった。そこで、おかしなことが起こり始めた。団体交渉に時、部長を攻撃していると、中村さん!部長の言いうことを聞きませんか!と若い書記長が言ったのであった。空耳ではなかったかと?考えたのだが、そうではなかった。団交のたびに言うようになったのである。獅子身中の虫、であった。それは、組織の内部にいながら害をなす者のことをいう。
彼はすでに上部組織の役員と親しくなり、私を外そうとしていたのである。結果的にわたしは心筋梗塞を起こし、退職することになった。出る杭は打たれるけど出過ぎた杭は打たれない、と言って私を擁護していた組合員もいたが、わたしは、梯子を外されていたことに気づいた。退職後、組合との付き合いは一切なくなったし、送別会も聞かれなかった。若い組合員たちはNHK側にもいい顔をし、組合にもそうするという者が多かったのである。
これがコロナ禍で変わるであろうか?見ものである。
今日は、障害者仲間三人で、カラオケ練習会をやってきた。公共施設の部屋で無料でやってきたが、心が温もった一日であった。歌を歌い声を出すことはすごく気持ちが良い。うまいとか下手だとかではなく、一つの演歌を三人がそれぞれの個性で歌い、拍手をしたり、黙って聞きいったりして、和気あいあいの雰囲気である。
わたしは若い頃は西欧かぶれで、日本的な芸は軽蔑していたが、今はぞっこん惚れ込んでいる。日本文化は繊細な心が出ていることが分かってきたし、日本料理も世界遺産に登録されてように素晴らしいと思い、自分で作った野菜を食べている。今は演歌の歌詞が好きになり、俗っぽいと軽蔑されていた歌謡詩の素晴らしい表現に気づいて来た。
明日はいらない今夜が欲しい、という歌詞は森進一の歌う(港町ブルース)の一節であるが、コロナに脅かされる毎日の中でひときわ心に響いてくる。コロナに殺される、明日は我が身か?どうしようもない、毎日の中で、ともかく今夜だけでも良いからあなたに抱かれたい、という気持ちが重なって、切なくなってしまう。独り身ならともかく、妻と子供を持ちローンを抱えた男を見ると涙さえ出る。先日は作業服姿の父親と幼稚園服を着た男児が手を繋いで歩いているのをみて胸がつまった。
三。四十年前であればこの歌詞は、刹那的である、退廃的であると陰口を叩かれたであろうが、コロナに追い詰められる今は冴えわたって響く。それはわたしだけであろうか?こんなコロナ鬱の時代にこそ日本の演歌は、俳句同様、世界で認められるに違いない。
中国がコロナに打ち勝ち、GNPの予想でも、世界のトップに躍り出ている。GNPですべてを判断できるわけではないが、どこかに真理が潜んでいるように思える。わたしたちは単に、民主主義の信仰に洗脳されてきたのではないか?、と思ったりする。民主主義であろうが独裁主義であろうがそれで人民が幸福であれば良いし、国家は保っていけるのであり、政治体制など問題ではない。
民主主義はある部分で衆愚政治であり、何に対してもチャチャを入れる人種が主導権をとってしまい、政治家になり、ひどい場合には自殺者まで出すことは日頃のニュースでも見られる。人間はある面ではバカであり、それが露骨に出、社会を牛耳ってしまうことがある。言論の自由をモットーにする民主主義ではそれが顕著になる。悪ガキの顔を叩いたくらいで幼児虐待、といって逮捕され、チャチャ族が幅をきかしていき、あげくに独裁体制が現れる。
敵対者を処刑し、また暗殺し、国家の情報を盗む国が経済効果を生み、見せかけの繁栄を演出し、世界に躍り出る、そんな時代がやって来たのである。それに惑わされてはならない。事実や真実がますます隠されていく中で、(本当)を探し求める環境は大事である。こんなブログは独裁国家では書けないし、処刑が待っているだけであるのだ。
悪貨は良貨を駆逐するのだ。
昨日は、午後四時から七時まで、スーパーで、買い物籠の整理のバイトをした。帰宅すると、寒いのに、体が汗にまみれていた。週に二日ほどしているが、休憩時間はなく、けっこうきつい。交代の若者に、忙しかったらろう?と訊くと、はい、とうなずいた。73歳の身には若者以上にきつい。けれども、それに週に一度の弁当配達をし、月に五万円の年金で、生きているのである・・。
お客さんの数は数千人になるであろうが、食材の買い物に忙しそうであった。毎月通う開業医の美人・看護婦さんと出会い、今日は!、と声を掛けられ、マスクの下の顔にやっと気づいて、オー!とかえすとそのまま売り場に向かって行った。二日後に受診に行くので、そこで採血をしてもらうはずである。(今の女性はみな同じメイクをしているのでわからんかった!)と言葉をかけるであろう。
晦日というのにお客さんの顔に、新年を迎える表情がない。いつもとは大きく違うのはコロナのせいであるが、これまでがおかしかったのである。経済成長に毎年毎年、浮かれるなんて自然界にはありえない。春夏があれば冬もあるのである。
冬が来たのに、木枯らしは訪れず、路上の落ち葉もつま先立ちをしていない。
だが、待てよ?と考え直した。外出もせず、ゆっくりした正月を、迎えるのではないか!
世の中や自分の人生を振り返ってみようではないか。それらを見直しながら新年を迎えるなんてめったになかったことである。三十年前にスロウ・ライフ(ゆっくり人生)、スロウ・フード(ゆっくり食事)という言葉がはやり、そんな生き方を知ったはずではないか?それが戻って来たと思えば、落ち葉はつま先立ちをしてまで生きることはないのである。
経済的繁栄は過去のものになり、コロナのせいで医療崩壊の危機が叫ばれている。これからはつつましく質素に生きる時代になるのである。貧乏生活の私はその先端を行っているのかもしれない。
昨日の朝は、産直店にもみ殻を六袋持って行った。その帰りにそばの精米所によって、倉庫の閂を開けたが、もみ殻をかすり取った跡しかなかった。もみ殻O円、自由ににとって下さい、と大きな板戸に大書きされていて、取らせてもらっているが、近頃は店も閉まり、米をすいている様子もなくなった。
もう一か所、ねらいを付けている町内の精米所に車を走らせた。一週間前に14袋ほどとったが、新たに米が精米されている、と読んでいた。予想通りに、かなりのもみ殻が貯まっていた。スコップでとり、ビニール袋に14袋ほど、詰めた。取りに来た見知らぬ男が外から顔を出して、様子を見ていたが、あきらめて去った。ライバルが現れるようになってもみ殻も貴重品になっている。
家に帰り、玉ねぎに水をかけながら、まだ残っていることを思い出した。どうしようか?あの男が取って行ったか?と思い迷いながら、もう一度、取りに行くことにした。
行ってみると、米をつきに来た新たな客の軽トラックが三台、精米機のそばに見えた。新年を迎えるのに新米を食べるのだ。倉庫には先ほどのもみ殻が残っていた。落ち着いて、ビニール袋につめ始めると、精米されたもみ殻が吹き出し口から飛び出、顔や体に吹き付けて来た。ああ、晦日に、こんなことをしている・・、と思いながら、スコップで掻き取った。これだけ取っておけば産直店に年内分はもつ、がんばり、14袋を一時間かけて、取った。
やれやれ、大勝利、だと思いながら、腰を伸ばしていると、外に小雪が舞い、陽だまりに映えていた・・。
わたしは、自分も含めて皆が幸福になって欲しい、と思う者ですが、最近の政府のコロナ対策をみると首を傾げてしまう。go to torabelをうたって国民に旅行をさせようとしたり、生活困窮者に金をだそうとしたり、それらに使った金、負債はどうやって返すつもりなのか?きちんと計算しているのか?それを野党やマスコミに追及してほしいのです。
ヨーロッパの歴史を振り返れば、万人の万人にたいする闘争、と非難された時代をマルクスが批判し、そのせいで資本主義が反省、改革し、最大多数の最大幸福、へと進んだわけですが、この美しい箴言はよく分析すると、理論的には成り立たないものなのです。同時に為政者が政権を必死で維持しようとする魂胆が見えてしまうのです。
人類が幸福に繁殖しすぎ、地球上の食物を食べつくしてしまえば、どうなるのでしょうか?絶滅するしかないのです。食物連鎖の構造によって増えすぎないように調節されている構造の中で人類襲う動物はおらず、今回のコロナがその役目を果たそうとしているという考えは乱暴でしょうか?
例えばコロナ対策を一切やめて、感染するだけ感染させて、生き残る者だけが生き残る、という自然淘汰の道を選んだらどうなるか?感染しない者にコロナがいくら忍び込んでも効果がなく、結局コロナはほぼ絶滅するか、遠ざかってしまうはずです。
このようにしろ!とわたしは言っているわけではなく、目先にふり回されず、もっと冷静に慎重に、将来を見据える目を持って欲しいと思うのです。
毎週、日曜日に、二人の男が私を訪ね、屋敷内の畑で草むしりをするようになった。一人は父親で、腰が悪いので歩行器を押しながら、二十分もかけてやってくる。もう一人はその息子で、52歳で、元気が良い。
「こんなところにこんな広い家があるなんて知らんかった」
息子は同じことを何度も言うタイプであった。
「屋敷が土で盛り上げてあるし、木が周りに繁ってるから外から見えん」
わたしはタマネギの苗の間の草を抜いていた。
「わしが、あんた、・・あんな木ならチェーンソウで倒してやるんやけどな」
父親は風呂の椅子に腰かけて同じ畝の草むしりをしていたが、三十メートルもあるモチノキを見上げた。
「倒さんでも良いんよ。今は周りに民家がないから苦情は出ないけど、家が建ったら苦情がでる」
わたしはこたえながら、自分が生きてるうちに枝落としが出来ればいいと思った。
屋敷は、日の出から日の入りまで陽がさすので、日当たりはすごく良い。
二人の男はまったく日の当たらない炭鉱住宅に住んでいるので、来年は好い家に引っ越すと口癖のように言うし、この畑に来ると、陽だまりに救われるといつも言う。
「あの家は何な?」
父親は離れの家を見た。
「弟が住んでいたけど、出ていった。まだ、勝手には使えん」
「広そうやね?」
「一家族で住めるけど、三十年もほったらかしやけ、水道の蛇口も回らんやろう」
わたしはこの親子が住んでくれればいいと思った。
昼ご飯にカツカレーをつくって二人の食べてもらい、夕方には、大根三本、サツマイモ五個、白菜の塩漬けを持たせて帰らせた。
独り住まいなので、二人が来てくれて、楽しかった。
高齢化がすすんで、放置された畑や山が増えているし、逆に畑のない家に住んでいる人も多い。ここに書いたように畑や山の手入れをしてもらい、いっしょに食事をするのは両者にとってすごく良いことである。
(陽だまり)という会をつくって、あと二三人、招きたい。自分が食事を作って出し、畑でとれるビワ、柿、栗、スモモ、ギンナン、レモンなど食べながら談笑するのを夢見ている。
アルバイトの休みが一週間あったので、昨日は畑仕事をした。植えたばかりの玉ねぎのまわりにびっしりはえた草をとり、ジャガイモの跡を耕して、石灰、牛糞、化成肥料をまいて、ニンニクを植えた。ニンニクは三百個ほど植えたことになるが、育てやすいので後は生育を待つばかりである。
三日前、の出来事を思い出していた。買い物籠の整理のバイトをしている時であった。
スーパーの玄関近くの通路を歩いていると、女が正面から自分を見つめていた。
わたしは左目の半分が見えないので、目を凝らして近づくと、K子であった。いつもは目の上下がたるんでいるのにすっきりした顔であったので、別人かと思っていた。
「あれから、いつかまた出会うと思っていたけど、会わなかったね。もう一か月はたつね?」
一か月くらい前に四年ぶりにそのスーパーで出くわしたのであった。
「それ以上よ。じつはカレにあなたに会ったことをしゃべると、絶対に行くな!と言われてたのよ」
彼女は膝が悪いので、カートに両腕をかけたまま笑顔を見せた。
どんなことでもしゃべる女であるから、自分のことを変わり者、スケベ、ケチ、屁理屈屋と際限なくしゃべったのである。彼女が自分と付き合っていた頃、昔のオトコのことをしゃべったように。
女の表情はすごく変わるな?と考えながら、K子の顔に見とれ、もう一度付き合いたくなった。
勤務中であったので、「今度、電話していい?」と訊くと、うれしそうに「だめよ!」とこたえ、自分は仕事に戻った。
そこで体の不自由な男性客を見つけた。手洗いの消毒液が足踏み式に変わっていたので、教え、手で押してやると、彼はそれで消毒した。買い物を終えた彼が、段差のある玄関前に出ようとしたので食材の入った袋を手でもってやった。
「大変ですね。脳梗塞にでもかかられたのですか?」
「はい」
「わたしも十年前に心筋梗塞にかかり、手術で治りましたが・・」
彼はあまりしゃべらなかったが、「今、施設に入っていますが、こうして外に出て人としゃべると元気がでますね」とこたえ、彼をタクシー乗り場のベンチまで連れて行った。
それから駐車場を見て回り、置かれていたカートを十台ほど集め、玄関口に引っ張って行った。
玄関口は少し、傾斜があって、カートは動かなくなってしまった。そこで思い切り、力を入れて引っ張り上げていると、そこのタクシー乗り場のベンチに座っていたK子が、「ほらー、頑張れ!」と黄色い声を出してくれたのであった。
さて、来年もコロナが人類に試練を与えてくれるであろうが、お互いに声を掛け合いながら生きて行けば怖いものは無いのである。
医療崩壊が現実に起こって、大阪府や北海道が救助のために自衛隊を呼んだ。そうかと思うと、コロナのワクチンの接種がイギリスで始まった。または、皆がすでに感染してると考えて慎重に行動するように、という医学・権威者がコメントを出した・・。テレビを見、新聞を読むと、すでに全員が感染していて陽性者は潜伏期間を終えた者なのか?自分ももしかすると感染してるのかもしれない?などと、追い詰められて不安になり、すごく動揺してしまう。
二週間もすればジングルベルの音楽が流れ、年の瀬になるというのに、このパニック感とあわただしさには恐怖に追い立てられるだけである。殺人者が刻々と身に迫ってきている。まるで、コロナ.ミステリーの渦中に置かれたようで、その他群衆として登場しているわたしたちはいつ犠牲者になるか?明日は我が身なのである!。大気の中にコロナ菌が漂っているとなると、防御はできないし、いつ誰が感染してもおかしくないのである。ミステリー小説が現実になった・・!。
コロナの気持ちを想像してみると、自分達が生きていくためだけなのに、人類にとっては攻撃され、絶滅させられる恐怖に変わってしまう。逆に、人類の気持ちは、自分達が安心・安全の中で生きていきたい、というだけだったのにそれが自然破壊になり、コロナを自然界から人の世に追い出したことになってしまった。
まるで、聖書の中で、その物語のように、世の中が進んでいるように思える。創世記の始めには、神は人類の繁栄を約束して、平和な生活と永遠の生命を与えた。それなのに、最初の人類であるアダムとイブが禁断の木の実を食べて約束を破ってしまった。そのために、神は罰を与え、蛇のように地面を這いつくばる生き方を与えた、と書いてある。
次にはノアの洪水が起こり、箱舟に残った者だけが助かった。その前には、ソドムとゴモラの都市が快楽と淫行にふけったために神に滅ぼされたのであった。
聖書の中では、自然を大事にし共存していくようにとは書いていないが、人間がそのようにしなかったので神は罰を与え、コロナを神の御使い(使者)として登場させたのではないか?とわたしは考える。
人類は恐怖を与えられ、そのあげく、自然保護の動きがやっと出て来た。地球温暖化防止、脱酸素社会など、今頃になって取り組み始めたのである。この流れを考えれば、人類が罪を改め、コロナが森に戻ってくれれば収まるわけであるが、それにしても大き過ぎる試練を与えられた時代である。
昭和22年生まれのわたしにとって、近頃の世の中の動向には理解できにくいことが多くなった。特に女性活動家と呼ばれる方々の、性に対する方向性が偏向していて、不自然に思われる。確かに男は女に対して暴力をはじめ、差別もして、ひどいことをやってきたことは知っているし、私もその点で自省することは多いことは認める。
最近、気になることは性差・色気にからむ分野であり、そこが攻撃され排斥される風潮になってしまっている。四十年ほど前であれば、シミチョロ(スカートの裾から、シュミーズのレース状の裾がはみ出る光景)がよく見られ、数年前まではそれをファツションとして取り入れた時期もあったが、近頃はストリップさえも女性を性の道具として利用にしているのはおかしいという意見が出はじめている。
十年前にはへそ出しルックというのもあり、ジーパンの腰からお尻がはみ出るような肉体を見せつけられて大いに楽しませてもらったのだが、その視線さえ、視姦であり犯罪的に捉えられそうである。スケッベタらしい目をしてるとよく言われるわたしは肩身が狭い。
刑法においては、猥褻とはいたずらに性欲を刺激するこだと定義されている。だが、それは微妙な見解があり、つきつめれば最終的には人間の性欲を否定するのか?ということになるので、官憲もそこまでは踏み込めないようである。
数十年前までは、女性は誇らしげに性を表現していたし、男もそれに色気を感じ、世の中はエネルギーが満ちていたが、それを否定されるとなると世の中はコロナ事変もからんで委縮するばかりである。女性活動家の方々が、性を女の特権とみなして意見を述べてもらうようになればもっと明るくなると思う。わたしは身体障碍者であるが、税金や交通費やいろんな点で恩恵を受けているし、劣等感ではなく優遇措置として考えるようになった。劣っていることが逆に強みになる時代でもあるので、従来の考え方にとらわれる必要はないのである。