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およそ四十何前の出来事が、私の瞼の裏で、昨日の出来事であったかのように行きつ戻りつする近頃、わたしはY子への手紙を書いたまま、封をせず、置き放している。その住所に住んでいるかどうもわからないが、何らかの手掛かりになると考えていた。
四十年前、何もできなかった失意のうちに東京から引き揚げ手来たものの、職はみつからず、家に籠っていた。そこに、知らない女からひんぱんに電話がかかってきた。身内の男の女で、冷たい彼との付き合いの打ち明け話であった。わたしはよく知っている男なので相談にのったが、彼と自分とは犬猿の仲であった。
それから、彼女は彼と話をつけるために家出をしやってきた。私の家の近くの海に飛び込み自殺を三度、企てた。三度目は男が飯場暮らしのために出かけていた時であった。わたしは車で女を迎えに行き、家に連れて帰った。
彼女は、もう、これからは死んだように生きる、と言い、振り返ってみると、自分が19歳の時に自殺未遂をした時に思い浮かんだ言葉と同じであったし、彼女も19歳であった。
彼女との生活がはじまった。箱入り娘、として育てられ、料理の一つもできなかったから、わたしは食事を作り、鉄釜の風呂を沸かした。男は一週間も彼女を放置し、彼女の自殺の原因は、男から、おまえがいつまでも付きまとうから、おれはなにをやってもだめになる、といった言葉であった。
男が女と話をつける、と言った約束の日、彼は一時間たっても帰って来なかった。
わたしと女は小さな電気炬燵に入って、黙りこくっていた。凍り付くような寒さに体が震えていた。
いつまで経っても男が返って来ない焦りと苛立ちに、時間を持て余していた。
(寒いね。こっちに来ない?)
何気なくはなったというしかないその言葉に、体に火がついた。抱き合い、駆け落ちするか?と言うと、そんなことしたらあいつはどこまでも追いかけてくる、女はつぶやいた。
そして、裏口から足音を忍ばせて男が帰って来た。
(なにやってる!俺の女に手を出しやがって!)
男は叫び、こっちに来い!、という言葉に女は立ち上がり、男の部屋に行った。
そこで、また、火が燃え始めた。
耐えられない叫びを何度も耳にし、止めてくれ!と言って部屋に入ると、男は全裸で、女は布団をかぶって体を隠していた。
それから、男は女はほったらかしたまま、飯場に戻り、自分と女との生活が戻った。
何とも言えない日々であった。苦しくもあり、心があふれんばかりに豊穣になった日々であった。
二人は、一週間ほど、過ごした。同じように食事をつくってやり、鉄釜の風呂を焚きものでわかしてやった。
もう女を抱く気にはならなかったが、ある瞬間、女は身動きの出来ないほどわたしを抱きしめた。実家に帰ることになっていた。
女は男に連れ添われて、実家に帰った。
それから自分は婚約者と結婚し、男は暴力事件を繰り返し、精神病院に入った。彼は四十年たっても、閉鎖病棟の中でわたしを憎んでいる。
これは自分の人生の中で最大の出来事であり、未だに自分の心の決着がつかないのである。
日本人はおよそ八十年前、太平洋戦争でアメリカに惨敗して以来、日本精神をすっかり失い、アメリカの被占領国になったままであるるが、こんな国は珍しい。当時の超国家主義・軍事体制が国民に天皇崇拝を強制し、死の美学や神道、武士道などを利用して洗脳し、神風特攻隊を生み、数百万人の国民を犠牲にしたので、日本人は日本精神を徹底的に否定し破壊したのである。
今では民主主義体制のもとで平和・非暴力を唱え、物質的な快楽に酔っているが今回のコロナ事変(革命)で大きく変わらざるをえなくなっている。どのように変わるか?と言えば、自然回帰だと思う。家庭菜園づくりがはじまり、若者は田舎の山を買い求めはじめたのである。
この流れは自然を神とあがめる神道の方向であろう。キリスト教は一神教であり、自然は神がつくり、人はその管理をして楽しく生きていきなさい、と説いているが、その排他性、人間中心主義が弊害をうんでいる。戦争を絶え間なく起こし、環境破壊をやったあげく、食糧危機におちいり、コロナを森から追い出して、人間に敵対させたその罪をどのように考えるのか?ローマ法王にたずねてみたい。
多神教で自然を神とする神道の時代がやって来るにちがいない。
今日の毎日新聞の人生欄で、高橋源一郎さんが答えていた。21歳で息子に自殺された母親に対し、息子の自殺はたいへんなことだったですね、という言葉から気を落とさないようにと励ましている。大学
名誉教授である彼は自殺を認めるような文章は絶対に書けないし、それは今の時代において著名人たちのとってもタブーなのである。
自称・作家のわたしは少し違う観点からとらえている。
そこで、深沢七郎の小説、(楢山節考)を思い出す。書き出しはすごい!の一言である。姥捨て山に自死をしにいく、おりん婆さんが、今日は楢山詣りに行ける日だと、楽し気につぶやくのである。どんな天才的作家でも書けないし、考えつかないが、これは深沢氏の感情が移入され、彼にしか書けない文である。それから先も読んでいて、悲惨さはまったくなく、すらすらと読めて、その後に深い感慨に陥る。
この世から消えるのではない。ちがう世界に旅立つ、と考えれば、そこにはたぶん、極楽浄土の考えも移入されているに違いないが、楽しい気分になれるであろう。そんなことを書けば危険思想としてすごいパッシングを受けるに違いない。
さて、この世はどのように動いていくか?十年後に、この世から卒業予定の自分は見極めたい。
卒業できずに留年することだってありえるが、それはそれで良いことである。
夢や妄想、酩酊、薬物乱用、臨死体験、信仰だってこの世からのタイムスリップであり、わたしたちは日常的に経験しているが、本格的に異次元世界に行くのである。どんな世界なのか、戻って来た者はいない・・。最初で最後の冒険が待っている。
死ななかった人生を生きてみて、振り返ると、ほんとうに良かったとつくづく思う。後はお迎えを待てばいいだけで、それは無理をして自分を殺す手間が省けたというものである。
まず、女達との出会いがあり、恋愛、セックスに日々を過ごした。悩みは生じても少々の味付けとなって無尽蔵の快楽をいただいた。テクニックは上達し、何時間でも絶頂感を得る境地まで達し、夜が明けるまで頑張ったこともある。
映画を見、小説を読み、音楽を聴き、ハイキングをして、人間として生きている官能を堪能した。酒を飲んで騒ぎ、煙草を吸い、物思いにふけった。
35歳の時、自殺願望の女とぐうぜん、知り合い、三角関係にはまって、何とも言えない経験をした。
36歳の時、何十万人に一人、というレアな女と結婚し、二人の息子をいただいた。
NHKの集金業務につき、バイクで福岡県内のありとあらゆる地域を訪れ、何千人もの男女と顔を合わせ、金を稼がせてもらった。
65歳の時、心筋梗塞を起こし、死にかけたが、バイパス手術で命を取りとめた。その頃、退職したが、経済苦に陥り、アルバイトで食いつなぎながら現在、まだ生きている。
以上が概略的な人生であるが、その活字の奥には様々な光景や出来事が錯綜して重なり合っていて、平行宇宙のもう一つの世界で生きている。もう自分は自殺することなどはない。死ねば違う世界に行けると、信じているのでその世界にタイムスリップして、生きていきたいと思うだけである。
およそ55年前、19歳の時、自殺をしようとして、家出をした。高校の修学旅行で楽しかった箱根に行って、山を、彷徨した。別荘やトイレで寝泊まりして芦ノ湖の湖面を観たり、そのホテルから流れる、ブルーシャトーの曲を耳にしながら、三日目に、睡眠薬とウイスキーを飲み、トイレの中でロープに首をかけた。ところが、酔いもしなければ、首にロープをかけた自分の姿がいつまでもあるばかりであった。虚しく、ばかばかしくなった。二次志望の大学に落ち、自律神経失調症になって頭がぼんやりし、便秘症になり、ドモリは治らず、両親は喧嘩ばかりで、最悪の状態だった。
無理に死ななくても、交通事故で死ぬか、年取って死ぬんじゃないか、人生とはそれを待ってるようなもんじゃないか?それまで生きてれば良いのさ。
そして、55年後の今、9月の女性の自殺者が28%増えて1805人になった、とニュースに出ていた。コロナ事変が大きく絡んでいるが、胸が痛み、55年前の自分を思い出す。今の自分は、生活苦と孤独がからんで死にたいと思うことがあるが、(自殺しなくとも死はやってくる)のである。辛抱するほどの期間でもないが、若い人にとっては耐えられない時間なのである。
その55年間の間、失うはずであった人生の価値、知り合った男女、苦楽は計り知れない。趣味の小説の中に生かしたり、思い出したりしながら、それは、大事な宝物なのである。
あわてて自殺することはない。楽しみは待っているのである。
男と女のミスマッチ、という本を書いてみたいほど、両者には溝があり、それがトラブルの弊害をうんでいる。それがわからずに、いい歳をして、恥ずべき犯罪を起こしたりして、マスコミの好餌になってしまう。
だが、女だって欲情するのである(この表現は差別的だと糾弾される可能性があるので便宜的に書かせていただきます)。それが激しすぎて、オマンコを切り取ってしまいたい、と言う女に風俗店で会ったことがあったし、それ以外にも少々の見聞はあるが、彼女らがレイプしたり強引に性交をしたりすることはまずない。それはまず、構造のちがいから、物理学的な原因がある。♂が♀に入れるのと、♀が♂に入れるのとでは技術的な面からも大きなちがいがあり、女は男が勃起していなければ挿入できないという大きなハンディをもっているし、(女がそんなことをするのはおかしい)という社会的制約もある。この書き方も問題を起こしそうであり、こういう内容自体が今はタブーになっており、よけいに閉ざされて、闇の中に隠され、ますますミスマッチが広がっている。
男と女は異種であることから、ミスマッチは永遠のテーマになるであろうが、やはり、女は存在しているだけで男に最大の幸福を与え、また、そこには、可逆的な真理もある。
一昨日は年金者組合の定期大会に出席するために、JRの電車に乗った。電車に乗るのと村から出るは二か月ぶりであったので、車内がめずらしく、見回すと、乗客たちは皆、マスク姿で、人の顔を見ることもしゃべることもなく、おとなしく座っている。三十年前は、こうではなかった。前に座った老男が人の顔を見まわし、特にわたしなど、好奇心に満ちて含み笑いをしながらみつめ、知り合いかと考えながら見返したものであったし、酔っ払いがえへら笑いをしながらバナナを食べていたが,それらは遠い昔の風景になってしまった。
福間から乗客が増え、斜め前の席にミニスカートの若い女が座った。何か月もミニスカートの女を見たことがなかったので、自分の目線が周りに気づかれないように注視したが、誰も無関心のようであった。ピンクがかったワンピースの姿で、腿から足まではふくよかな脚線美で、顔は植毛眉毛で涼し気な気分をだしていた。しずかに目線をたくわえて、一点にすえていた。
わたしは芸術品をみるように、露骨ではなくチラリ見をしていたが彼女はわたしなど眼中になかった。彼女は香椎駅で降りた。
大会を終えて、帰宅すると、朝刊に男がスカートの中を盗撮してつかまり、された若い女は泣いていた、とあった。
男の心理がわかった。珍しいものを発見した気持ちでシャッターを切ったのであろうし、男はこんな場合自分を誘惑するために短いスカートを履いていると勘違いし、それなら、と思い込んで手を出し、手痛いしっぺ返しを食らうのである。
男と女は性の部分以外ではほぼ同じであるが、性の部分になるとやはり、異種である。能動的か受動的かの違いが基本にあるが、それが様々な誤解を生み、男は仕事を失ったり、犯罪者になったりする。女はほとんどの場合、ミニスカートの姿が美しくかっこいいから履くのであって、裸体をさらして誘惑しようとは考えていない。つまり、芸術的な視点なのである。
女は性的なたくらみで誘惑することはないし、あくまで心から、好きとか嫌いとかで行為にすすむのであるから、そのあたりを誤解しないようにしなければならない。自分に好意があるかどうかは手をふれてみたり、あるいは握ってみたりすることから始める方が無難であろう。
この言葉は、十年ほど前は男たちの中で平気で使われていたのです。が、今、ここで書くのはそうとうな勇気を要することになります。真理を究明するためだと考えて、お許しを願いたい。抗議が出れば削除します。
男として、以前からこのタイトルの内容が理解出来ず、女性との関係を持っていました。今は、わかります。女性の体を触り始めた場合、合意のある場合は問題はないのですが、そこがはっきりしない場合に、いやよ、という言葉を女性はだします。そこで踏みとどまれば良いものを、男の性エネルギーはそこから先にすすみ、女性の側は、快感に負けて、いいわ、という言葉に変わる場合がよくあるのです。たぶん、このミスマッチが性暴力ととらえられるのでしょう。
いやよ、という場合、今はいやよ、ここではいやよ、という場合があり、一時的な言葉であり、それから先、二人は深く結ばれることがあります。男が若い場合、そこの判断が正確にできにくいのです。女性から、良いわ、という言葉が出れば、合意したではないか?と考え、後に問題になった場合、合意していた、ということになります。誤解と言われればそうですが、このケースが圧倒的に多いはずです。
老人になったわたしにはこんなケースは全くなくなりましたが、いやよ、という言葉が出れば、その場で、いや、その前から引っ込んでいます。人畜無害な男になりましたのでご安心ください。
杉田議員のこの言葉が、マスコミに不適切だということで取り上げられたことに自分は不信感を持っている。公的な場ではなく、SNSのブログの中でか書かれたことであり、いわば感想に近いものである。なぜ、問題視されるのだろうか?
女性が特別に嘘つきだとは思わないが、そのように感じ取るのは自由なはずではないか?その感想を述べるのは自由なはずではないか?この私のブログでも学術的に分析して正しいと言えるものばかりを書いているわけではなく、感想的なものが多いし、そこに真理が潜む場合があると信じているのでもある。
女性は特別にうそつきではないが、やはり男とは異なる部分はある。例えば、メールのやり取りをしていても、こちらが返事を求めているのに返信せずに放置することが多い。それは特別に大事な要件ではないが、こんな場合、気にかかり、不信感を持ってしまう。男の場合はかならず、返信する。
杉田議員のこのケースの場合、女性を助ける仕事をしているのに非難するようなことを書いたので問題視されたのかもしおれないが、それでも、彼女は言うべきことだと考えて書いたのであろうから、逆にわたしは良いことだと考える。
だが、昨日はこの件で抗議デモが起こり、13万人の、議員辞職要求が集まったという。
東証の機械の故障による取引停止が一段落ついたと思ったら、トランプ氏のコロナ感染が報道された。年末にかけて、時世はあわただしく動き始め、何が起こるか分からなくなった。アメリカの感染率は高く、中国はほぼコロナを制圧しているので、これでアメリカの権威は落ち、中国に経済・政治の分野で追い抜かれることは確実であろう。
その前に、日本の杉田議員の失言?が取りざたされ、与野党が公開の場での内容の説明(謝罪)を求めるまでになった。(女性はいくらでもうそをつけますから)と本人のブログに書いたことであるが、わたしはすごく怖くなったし、マスコミに対する不審をつのらせた。この発言は個人の特定はしていないし、公的な場での発言でもないから、なぜ、追及されなければならないか?わからない。一つのマスコミが取り上げ、話題になると思ったらどのマスコミも野次馬のように取り上げる(この文章でもわたしが知名人であれば取り上げられる可能性がある)のだ。
これはマスコミが自身の首を絞めることになる。それに気づいているだろうか?これで杉田議員が辞職に追い込まれることにでもなれば、言論の自由は死んだことになるのではないか?何も言えなくなるし、書けなくなるのである。
そして、中国の全体主義体制が忍び寄って来るのである。杉田議員のような方言・失言を狙い、記事に持って行く組織があるにちがいない。わたしのこのホームページのクリック数が近頃、三百から五百に増えているのその関連ではないか?と思う。
月明り窓辺たずねて夜もすがら
こんな句がでる世の中を望んでいる。
1970年代、東京・東中野にあった文学学校に十年間ほど通った。木造のボロ家であったが、そこがもっともすごしやすい団体であった。勤労学生が通って来て、自分たちの書いた小説を発表し、講師や生徒の批評を受けた。遠慮のない批評がでて、すごく勉強になった。須藤出穂さんが講師の時、あなたの作品は材料に負けている、と言われ、今でも頭に残っている。連続射殺魔の永山則夫が新日本文学賞を受けた時は、殺人犯に賞をやっていいのか?などの議論が出たが、彼の(木橋)を読んで何度も涙した。合評会が終わると、近くの居酒屋に行って酒を飲み、作家にでもなった気分になって和気あいあいであった。車椅子の障がい者がいて、彼が小用をたすとき、仲間がトイレに行って、ペニスを握ってっていた光景は忘れられない。
その学校は埼玉学校を残して、消えたようであるが、やはりあれが昭和の時代だと懐かしさで胸がいっぱいになる・・・。
話は変わるが、今の学校教育は民主主義体制が基本であり、封建時代や王朝時代などは良くなかった、と教え込んでいる。そうであろうか?元禄時代の日本画、葛飾北斎や北川歌麿などのスケールの大きさはその心の大きさなのであり、現代人の到底及ばない世界である。心に平安があるからそんな絵をかけるのであって、コロナ時代には想像もできない世界なのである。
違う時代をもう一度、検証し直さなければならない。