ブログ - 20240719のエントリ
図書館の読書会に入っていて、毎月出された小説の感想をしゃべり合ってる。小説を書いているのですごく良い勉強になっていて、入会時の自己紹介で住所と名前を言うと、(有名な方ですね)と見知らぬ主婦が言い、おどろいてしまった。有名になることはしていないつもりであったが、思い返せば噂になることはある。
なぜ有名なんですか?と聞いてみようと考えていたが、彼女は先月、来なかった。
(有名な出来事)について、考え、作品にしようとしているのである。四十年前、知り合いの男の女が、海に飛び込み自殺をしようとして、三度も家出し、わたしの住まいにやって来た。知り合いの男は出張して不在で、自分とその女との二人だけの生活が、合計するとおよそ一か月続いた。女と決着をつけると言ったその夜、知り合いの男は約束の時間に帰って来なかった。女と二人で電気炬燵で向き合っていたその時間、それは今思い返せば魔の時間であった。その時間に男は忍び足で帰って来て、抱き合っていた二人を怒鳴りつけ、女を連れて自分の部屋に行った。そして、続きをやりはじめたのであった。隣の家の主婦も叫びを聞き、出来事を知っている。
男と女は別れ、知り合いの男は暴力沙汰を繰り返し、措置入院になった。四十年間も閉鎖病棟に入ったまま、わたしのせいでこうなった、と言い続けていて、パーキンソン病?にかかり車椅子の生活になっている。
私の人生の中で最悪の出来事の一つであるが、そこには重大なテーマがひそんでいて、死ぬまでに書き終えることが出来るかどうかわからないが、取り組んでいる。
彼女は何度か電話をかけてきたが自分が不在であったこともあって、それっきりになってしまった。今どこに住んでいてなにをしているか?知りはしない。わたしは77歳なのであと何年いきるかわからないが、会いたい、と想いながらこのままこの世から消えそうである。
今、彼女はわたしの心の中では、生きてもいるし死んでもいる、のである。心の奥底に閉じ込めたまま、会いたいときに思い出す、のである。まさにシュレディンガーの猫のように、生きてもいるし、死んでもいる。