ブログ - 20240704のエントリ
先月、この事件の公判が二度開かれ、修被告、浩子被告の証言で見えなかったことが見えてきた。あとは八月の公判で瑠璃被告が証言し、全容がおよそ見えるであろうが、それにしても言葉通りの猟奇性に満ちている。
自分の体験との関わり合い、身近な人間との関連性など好奇心がふくらみ過ぎていくのである。父親の修被告、妻の浩子被告が娘への溺愛のあまりあんな事件になってしまったこともよくわかったが、瑠璃被告の殺人行為の真相は八月の公判でわかるであろう。
ここで問題にしたいのは瑠璃被告の異次元世界のことである。瑠璃はすでに死んでいる、ちがう人間で生きていると言い、死んだ人間がゾンビになって自分と一緒に生き、生活していると言う妄想である。これは異常だた考えていたら実は宗教の世界の考えと共通している。自分が今通っている教会では、見えない世界にこそ真実があり、そこで生きるべきで、現実は仮想にしか過ぎないと言う。見えない世界とは霊の世界なのである。信者たちはそれを信じているし、まだ信者になりきれていない自分もやがて信じるようになるであろう。
だから、瑠璃被告は突拍子もないことを言っているわけではない。今、AIの小説を読んでいて、そこでも考えさせられることがある。それは2040年の近未来の作品であるが、そこで描かれているAIの世界はすでに迫っているのである。宗教も含めた仮想現実が科学的に解き明かされていくに違いない。
そうなると、これまで霊の世界に閉じ込められていた死者たちが生きた者として復活するかもしれない。キリストが磔刑で殺されながら、復活したそのことが現実もものになるかもしれない。