ブログ - 20240426のエントリ
これは東京で大学生活を送っていた頃、友人がつぶやいた言葉であり、今でも記憶に残っている。貧乏学生が慰めのために使った言葉でもあろう。
今日の朝食はさきほど食べた。肉まんを二個、食べたのだが、蒸し器で蒸してたべたのですごく美味しかった。こんな時は神に手を合わせてしまう。生活困窮者の生き方をしているが、考えてみれば、庭で新鮮な野菜もそして山では竹の子も取れるのでグルメの生活を送っている。
NHKの集金をしていた頃は、弁当や外食が多く、ゆっくりとは食べれなかった思い出がある。だいたい、公園で弁当を食べていたが、仕事が忙しく、午後6時から8時ころまでは食べる時間がなかった。次から次に行かなければならない所が待っていて、バイクで走りながら食材が脳裏に浮かぶことがあった。それでも仕事を続けていると、空腹感が胃を責めてくる。はやく食べ物をくれ!と、叫びはじめ、コンビニなどに通りかかると、弁当に手を伸ばそうとしている自分がわかるのである。あと、三十分で食べれる、と胃にいい聞かせながら、九時ころには帰宅し、飯を食べるのだが、その美味しさは何を食べたかわからないほどの味であった。まさに、空腹が最大の味覚を作ったのであった。
年金とアルバイトの生活に入った今、陽が暮れ始めると、胃が酒を求め始める。まず、安ウイスキーをコップに半分ほど胃に与え、ピーナツをかじり、ほろ酔いかげんで夕食の支度を始める。鶏肉と竹の子を煮付けて、食べ始める。
酔いと満腹感が出、そのまま布団の中にもぐりこむこともある。夜中に目ざめ、空想にひたり、また寝ることもある。
(憩いの里)というこの町の公共施設で日本舞踊をみているときであった。客席から浴衣姿の男が立ち上がり、舞台に上がっていくではないか?変な男だな!と思っていると、かれはよたよたと動いて踊るような仕草をはじめたのであった。酔客が即興をはじめたと考えたが、すっかり酩酊しているようであった。ふらふらとしながら、倒れんばかりに踊っていた。
じゅうぶんに踊ったのだろう?と考えていると、男は舞台の袖口から楽屋裏に消えた。・・役者だったのである。
今のおれはそんな生活をしているのかもしれない。老い先がチビた鉛筆のように短くなり、夢も希望も縁が薄くなってしまった。まもなく、舞台の袖口からどこかへ消えそうである。楽屋裏では何が待っているのだろうか?