ブログ - 202405のエントリ

単性動物は永遠に生きる

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-5-26 9:25

  ヤフーのニュースを読んでいると、こんな記事が出ていた。

  単性動物はコピーで増えるので、けっきょく生んだ者とまったく同じ命がつづいていき、それは両性動物がすべて異なる子孫を残すのと異なって、自分の命は失わず、永遠の命を保つということなのであった。

 少し頭が混乱したが、やっとわかった。

 そしてそれから、聖書の(禁断の木の実)の逸話も新しく展開できそうであった。エデンの園でなに不自由なく暮らしていたことは、果物だけで生きてきた人のことが同じくヤフーに出ていたように、穀物や動物の肉を食べなくても生きていけることである。働かなくても良いエデンの園であったが、蛇の誘惑にかかってそこから追い出された人間は畑を与えられて苦労をして耕作をしなければならなくなった。神がそのようにしたと書いてある。それまでは人は単性で増えていたようであるが、神が男のあばら骨をとって女を造り、両性になった。この部分は以前もブログに書いているが、もしかすると両性具有ではなかったか?と想像する。その証拠らしきものはある。睾丸、それから続く肛門には鎖状の帯があり、(蟻の戸渡)と呼ばれ、縫合の跡に見える。なぜそんな跡があるのか?と言えばそこには穴があって、女の膣であり、女の子宮につながっていたのではないか?それがふさがって男の精嚢になったのではないか?という推測である。ふさがった跡が鎖状の縫合後になって残っている・・・。両性具有であれば男とでも女とでも交わることができるし、自分とまじわることも出来なくはない。創世記の記述にあるように神が精嚢を切り取って(あばら骨を切り取って)女にした、と想定すれば論理性が産まれる。

 創世記の記述は人の歴史に沿った部分が多い。

 

捨てられて空を見上げし古自転車

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-5-24 7:27

  昨日はアルバイトが休みの日で、部屋でぼんやりしていた。門扉の先から、今日は!と声がかかって来た。部屋から出ると、セールスマンが立っていた。葬儀社の入会勧誘のことで、一週間前にチラシが入っていた。

 NHKの集金の仕事をしていた夢を朝方、見たばかりで、なにか仕事の続きのような感じがして、NHKの集金体験をたっぷりしゃべってやったら、時々彼は声を上げて笑った。女との出会いや、自己破産をした祖父さんの話など際限がなかった。彼は、日焼けした顔で一日に一件の契約を取るのが精一杯です、歩いて回っていますと言った。

 自分はあの頃の自分を思い出したが、仕事は夢中でやったので、辛さはあまり感じなかった。給料はたっぷりもらっていたし、金の不自由はしなかった。彼が帰り際に、入会金として一万円払ってくれれば葬儀費用が安くなると言ったが、その金がない。千円の余裕もない。

 門扉のそばまで見送ると、目の前の小川に傾いた日を浴びた水が流れていた。端っこに投げ捨てられた古自転車が見えた。

 (捨てられて空を見上げし古自転車)

と言う句が、今、浮かんだ。

水澄まし

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-5-16 8:51

  田んぼのすみをこっそり覗いてごらん

 水澄ましがいたよ

 ぐるぐる回って円を描いていたんだ

 水をきれいにしていたんだ

 時間をきれいにしていたんだ

 だけどもういなくなった

 あの夕陽は聞いているよ

 ミズスマシはどこに行ったの?

 アメンボもゲンゴロウもタニシもいなくなった

 どこに消えたんだろう?って

 

 隣の田んぼから耕運機の唸りが聞こえるようになった。代掻きをし、肥料をまく。二百坪くらいの広さであるがほば半日で終わる。時を合わせうようにして雨が降り、田植えの準備をしてくれる。土の中で眠っていたカエルは起き出し、鳴いて、メスを呼んでで交尾をする。卵がオタマジャクシになって生活を始める。

 今年もオタマジャクシが現れてくれるであろうか?いつも心配になる。水澄ましもゲンゴロウもタニシモ消え、どこかに行ってしまった。田の持ち主はいつも畦道に除草剤をまいて、田んぼをきれいにしているつもりである。除草剤をまくな!というとメーカーは害がないとっ言っているという。水生昆虫が消えたことには無関心で、ミカン山にもその通り道にも除草剤をまくのである。害がないと言うのなら、除草剤が飲めるか?ときくと、そんなこと言うても?と顔を伏せる。

 日本人は自然を愛する国民だと言われながら、農薬の使用量は世界一なのであり、外国の観光客は清潔な国ですね!とほめたたえ、マスコミは農薬の事には触れないのである。偏向報道である。

 偏向報道に振り回されていると、そのうちオタマジャクシもいなくなり、米も農薬にやられて芽を出さなくなるのではないか?

変態、であるわたし

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-5-8 7:13

  変態、という言葉はわたしのもっとも嫌悪する言葉であったが、何を言おう、わたしは変態であったし、今もその名残は残っている。NHKの集金人をやっていた頃、新人で入った男が私を見て、ヘンタイチョウと呼んだのでてっきり(編隊長)だと思っていると、(変態長)なのであった。わたしはムカッときてしばらくそいつとは口をきかなかったが、レアに希少な価値を与える今の自分はそのころから本領を発揮していたとうぬぼれたくなる。

 今書いていた小説は(恋人よ)と言う題で、教会の信者が不倫に走ると言うテーマであったが、主人公を変態的な男に造形しようと考えなおした。造形ではなく自分の本当の姿を出してみようと考えた。今の時代はありとあらゆるものが闇を照らし出し、デジタル加工で真昼さながらに照らし出している。変態、変質者にも光が当てられて消滅しそうになっている。こんな時にこそ、変態、変質者というレアを保管しなければならず、それは自分自身なのである。

 だが、少し考えると女には変態女という言葉は耳にしたことがなく、それも研究テーマである。なぜだろうか?女にも変態がいないはずはないのであり、男と同じ犯罪者はいる。

 変態、というのは意外な才能があるのである。例えば電車の中で前の座席に女が座っているとすれば、自分が下に敷かれたソファになったらどんな気分になるだろうか?吊り輪につかまっている女を見れば、吊り輪になって握られたらどんな気分になるだろうか?など日常生活においても視点の範囲が広いし、着想も豊富なのである。これが何かの研究や発明などの分野に広がれば新しいものが次々にうまれるだろう。世間は、変態、変質者にたいして差別と偏見で見てきたがいまこそ、考えを変えて、差別されている彼らを解放すべきである。絵画や小説、写真などの分野においては以前から価値を認められているのに世間はまだ偏見にとらわれているのであるから遅いとしいいようがない。

 もしあなたが、おまえは変態だと言われたら、ひがむことはないのである。rare is great!

 と言い返してやろう。

 そして世の変革にはげむべきである。

(恋人よ)に心洗われる

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-5-2 13:16

  五輪真弓さんの歌(恋人よ)にすっかりはまっている。彼女の作詞・作曲・歌であるが、賛美歌を聴く以上に心を打たれる。聖書の分量から言えば数万分の一ほどであるが、心はそれに等しいくらい感動させられる。歌はやはりすごいと思う。

 (恋人よ)カラオケ同好会で三度ほど歌ってみたが、最初の歌い出しに声がついて行かず、三度目では感動しすぎて涙が出、中断してしまったのである。(枯葉散る夕暮れは来る日の寒さをものがたり)が歌い出しであるが声がのらなかった。それから先は歌えたのであったが、歌詞もついていきにくい・・・。

 昨日、カラオケの女友達に見本になって歌ってくれと、頼んだが、難しすぎて歌えません、という返事。彼女はハスキィーな声でテクニックも抜群であるが、歌えない、と聞いて、驚いた。

 その歌は歌を超えた祈りである。(恋人よそばにいて、こごえるえる私のそばにいてよ・・)とあるが、なぜ、(恋人)ではなく、(あなた)と呼びかけないのか?不思議であったが、(恋人よ)と抽象化することによって幅を広げたと思った。(神よ)と言っても良いのである。 

 言葉は記号であるが、その源は願いや鎮魂であり、それは異言・祈りである。

 歌うことは神と話をすることでもある。

 

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