ブログ - 20240424のエントリ
十年くらい前のことだったと思うが、近所の小川のそばを散歩していた。そこの下流ではシジミがとれ、小鳥が飛び、土手には白水仙が咲く、のどかなところであった。カメラを持って被写体をさがしていると、気になる川の流れに出会った。城山からにじみ出た清流がうねって流れるふつうの光景であったが、川の端っこでおかしな動きがあった。そこでは水が堰き止められて迂回して、さかのぼり、また戻り、ゆっくりと回っているのであった。
(方丈記)の書き出しを思い出した。(ゆく川の流れは絶えずして、しかもとの水にあらず・・・)とその文言を反芻しながら、自分の辿って来た人生を見返して、いや、ちがう!と考えたのである。川の流れの構造・仕組みは同じである。山の水脈から重力の法則に従って低い所に流れ込み、海へ向かって集まって流れる、のである。
だがそれは同じ水ではないか?
自分の人生を余命をひかえた今、ふりかえってみる。飢えることなく税金も払い、生きて来た。結婚し、二人の子供とは疎遠であるがなんとか育ててきた。
事件に発展することのなかったトラブルも残し、いまだに尾を引いているのもある。
小学校の頃、こんなおれが生きていけるのかな?と、一人帰り道で悩んだこともあった。東京に遊学し、バイトをし、女と付き合い、部活でリンチを受け、学生運動の嵐に揉まれ、定職につけず、帰郷してNHKの集金人になり、心筋梗塞をおこして、やめ、今、少ない国民年金とアルバイトで食いつないでいる。
そんな自分は小学校の頃と同じようにまだ悩みを持ち、生末に不安を抱いていて、その頃の自分なのである。回遊しているだけである。ゆく川の流れはたえずして、しかし、もとの水なのである。
動的平衡の世界であり、同じものが同じ場所を、動き続け、同じ場所にとどまっているだけである。死んでもその動きを慣性でつづけるだろう。