ブログ - 202403のエントリ

プーチンを持ち上げる気配

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-27 19:02

  やらせの選挙で大統領になったとはいえ、プーチンは勢いを見せてきたようだ。およそ三年がたつと言うのにロシアは負ける気配を見せないし、支持者も減らない。どういうことだろうか?あんな男が支持されて長い間大統領の座について、ほとんど毎日ヤフーのニュースに顔を出すのである。胸糞が悪い。なぜ、生きていられるのか?普通の男であればすでに処刑か暗殺されているはずである。まったくわからなかった。が、少しずつわかってきた。

 若い頃、政治学に興味を持って、デビット・リースマンの(孤独な群衆)と言う本を読んで感動した。それが思い出される。ドイツはワーマール憲法のもとに民主主義が産まれていたのに、なぜ、ヒトラーが登場し、独裁国家になったか?ドイツ国民はなぜヒットラーを支持したのか?それはその本に解明されてることに気づいた。同時に、まさか、プーチンの登場を予言していたのではあるまいな?

 ロシア人は強い王を期待し、それがプーチンになった。王の力が強ければ闘いは起こらず、経済は繁栄し、幸福になれる。プーチンはヒットラーのように国民の指示を受けて、王になったのである。戦争は拒否する者がいると同時にその熱狂に孤独感を癒す者もいる。戦前の日本と同じである。みんな孤独なのである。だから、毎日、テレビを見、人の顔を見、酒に酔い、カラオケを歌い、神に祈る。それに独裁国家にはパワハラやセクハラが問題にされるかどうかではなく、存在しないのではないか?本来、暴力国家であるから、暴力団が国家権力を握ったのと同じであり、暴力団は必要ないのであろうし、パワハラ・セクハラも存在しないのではないか。

 今回の出来事は独裁国家VS民主・人権国家とらえられるのではないか?マスコミは視聴率稼ぎのために毎日、セクハラ・パワハラをニュースにするが、それでいかに世の中を狭くしているのか?考えないのだろうか?パワハラ・セクハラが問題にされることは大事であるがあまりにも過剰に報道しすぎていないか?考えてみるべきではないか?さらに、どこかでプーチンを持ち上げる気配が見うけられる。

 怖いことだ、戦時中に似てきたではないか!

 トランプが勝って、アメリカがウクライナの支持をやめればプーチンの思うつぼではないか?まさか、プーチンが世界の王になるなんてありえないだろうが、予断は許されない。

レアのもたらす調和

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日記
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nakamura 2024-3-24 13:58

  今日は日曜礼拝の日であったが、小雨の降りつづく寒い朝で,出るのがおっくうになっていた。メールを入れて休もうかと思ったが、バイトの始まる16時まで部屋に籠っているのはますます憂鬱になってしまいそうで、身支度を整えて出かけることにした。教会に添える花はなににしようかと考えたが、八重椿はこの前持って行ったし、水仙も終わりかけている。庭の端に忘れていた白梅があったので、二本取り、庭梅も二本ととって教会に傘をさして出かけた。ところが白梅は一メートル半ほどもあって、長すぎると考え置いて行こうかと思ったが、とりあえず持って行くことにした。

 教会のドアを開けて、花はそのまま炊事場に置いて、牧師にあいさつをすると、白梅と庭梅を花瓶に入れて飾り、水仙ともう一種類の花を下方に並べてくれた。

 あまりの素晴らしさに驚いて、眺め、こんなに変わるもんですね!というと、牧師も褒めていた。祭壇の十字架と背の高い白梅、ピンクの庭梅が照応しあって、見事であった。

 それぞれ顔もスタイルも異なる花は、互いに強調し合って個性を引き立てているのであった。レア、異種が交わることによって存在感を際立ててるのであった。

 帰り際に、引き込もりになっている信者の話を牧師と交え、彼も自分が変わっていることの価値を見出せるようになったら、良いですね、と伝えた。その日の説教はキリストが磔刑に処せられる場面であったが二人の強盗犯といっしょに磔にされたことに驚きをもってきいていた。

 キリストもレア中のレアである。

 自分が変わり者であることを気にしてはいけない。変わり者であることに価値があるからである。

自分が見えない時期

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-20 11:16

  ある独身男性が私の家に寄って、話をして帰る。彼はこのホームページを知って読んでいるので詳しいことは書けないが自分の息子のように思えるので、こうしてキイを打っている。

 彼の話の内容を思い出して、彼がどうやったらウツから立ち直れるか?と考えると、自分の若い頃がよみがえってくるのである。高校を卒業した頃が人生の最悪の時期であった。小学校の頃から受験戦争の兵士にされて、闘って来たのに第二志望の大学に落ち、燃え尽きてしまった。ドモリの障害があり、矯正施設に通っても治らず、父母はいつも喧嘩ばかりしており、友達もおらず、好きな女に話しかけることも出来ず、頭は悪く、どのように生きれば良いのかもわからない。修学旅行で楽しかった箱根に行き、自殺場所を探しながら、別荘に忍び込んで寝たりした。睡眠薬を飲み、ウイスキーを飲んでトイレに吊ったロープに首を入れたが眠気は来ない。

 どうしようか?と迷ってるうちに、無理な死に方をしなくてもそのうち歳をとって死ぬか何らかの事故で死ぬんだ!と思い返して自殺をやめた。それから、毎日ご飯を食べて曲がりなりにも76年間生きてきたわけである。

 今振り返って見れば自分はその時、自分の姿が見えていなかったことに気づく。先ほどの男性も自分の姿が見えないのである。ごはんが美味しく食べれる、歩くことができる、チンポも立つ、働いてい活きている、ことなど自分には神から与えられた恩恵なのである。

 それらを失い始めた今、有難さがわかってきた。今日も16時からカート整理のバイトを三時間やることになるが、さきほど草むしりをし、チンゲンサイと大根の種をまくことが出来たので、なんとかバイトも出来そうである。

キリスト教への考え

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-15 7:55

  昨日は、草刈り機の刃を替えて、草刈りをした。七百坪の十分の一ほどの草であるが、刈ってみて、この調子で全部刈れると自信がついた。刃を変える時に手間取った。刃のそばにある穴に棒を入れてロックを外さないとボルトが回らない。穴を見つけて、入れてレンチを回すが回らない。不器用で勘の悪いおれは認知症も加わって、試したが出来ず、いつもに園芸店に持って行った。男の店員は二人とも出払っていて、はじめて見る若い女が出て来て、二人で草刈り機の穴を探した。穴さがしも大変やねえ?とからかってやろうか?と考えたが、セクハラにあたるのではないか?と思って、黙っていたが、彼女は目ざとく穴を見つけ、ボルトを外してくれた。穴がじつは二か所あったのであった。

 金を払おうとしたら、要らないと言うので助かった。

 帰宅して新しい刃を入れると、気持よく草を刈っていくではないか!

 大喜びして、日が暮れるまで刈っていった。日本酒のコップ酒を飲みながら、刈りあとを見た。春草は柔らかいが、粘りがあって一メートルも伸びていた。

 草は刈ればまた伸びる。それで生きている。

 仲間のクリスチャンがメールを送ってきて、神のことについて聖書の言葉を引用しているがわからない部分がある。そこでキリスト教について考えた。聖書の中には原罪をはじめとして、滅びの箇所がある。創世記の原罪の部分であっても、人が神の言葉をきかないので死ぬ運命を与えたということであり、ノアの洪水、ソドムとゴモラ、エリコの壁など神が人を滅ぼすのである。そうして悔い改めを求め、信仰によって天国を求めさせる。

 生命の繁栄には亡びが必要なのである。だから、良いとか悪いとかのことではなく、原理としてそうなっている。ウクライナ戦争だって、なんであんな戦争をやっているのか?不思議に思いながらも、二年間がすぎ、これから先もつづくのである。繁栄には亡びが必要なのである。おれももう、何年間の命である。

 

 

女から手を握られたら・・・?

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-5 8:29

  女から手を握られたからといって、その先はOKだと即断してはいけない。即断してセクハラだと訴えられることはありうる。わたしとA子とはある仲間に入っていて、週に一度の交流会、その送迎をしていた。

 助手席に座っていた彼女は冬の寒い時など、わたしに手を伸ばして、寒いね!と言いながら手を握って来た。手をこすりあわせながら、体を寄せて来た。そこである時、山道に車を停めていた時、彼女の胸を触り始めたのであった。すると、そんなことは苦手なのよ、といって手を外そうとしたの。自分はわけが分からず、手を離したが、後に彼女がいうには半身が小児麻痺にかかっていて、不感症なのであった。この出来事は理解出来る。

 B子もその会に入っていて同じように送迎をしていたが、歩く時に自分の手をにぎってきた。道そばのホテルを通りかかる時、入ろうか?と声をかけると、お金がかかるとか気持ち悪いと言う返事であった。夫以外の男は気持ち悪いのであった。会で交流が始まる前、ここが痛いからもんでくれない?といってスカートをめくり、太ももを出したので揉んでやったこともあった。この場合でも,無理強いして体を求めればセクハラだと騒がれる可能性がある。

 C子はすごく警戒心の強い女で、部屋を訪れたりすると、部屋中の窓や戸を開けて、自分を防衛した。また、わたしがしたことはないのに彼女にストーカーをしていると言ったり、近所の目を極度に警戒していたが、時々男を入れて交わっていた。こんな彼女であるが、ある時、海辺をドライブしていて、レストランで食事をした。帰る時、どこかに寄っていこうか?と言うと、帰る、と言った。ところが、後日、あの時チャンスは何度もあったのに、なぜ私の手を握ってくれなかったの?と言った。この言葉をどのように理解したらいいのか?わからなかった。ではここで、手を握って上げると言って迫ったらセクハラだと騒ぐ可能性があったと思う。彼女の気分に振り回されるべきなのだろうか?

 ともかく女は難しい、と書けばこれまた、セクハラと言われるのかもしれない?恐ろしい世の中になったものである。

多次元世界と多様性

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-4 8:07

  66年間生きて来て、不思議なことや信じられない人はたくさん残っていて、心の中でおりを付けることができない。だが、それは自分が彼らと違う世界にいるだけで、そんな環境になれば同じことするのだとわかって来た。

 ニュースで、老人がパンを万引きしたと報じられれば、パンを万引きするなんて?と訝しく思うことがあったが、貧乏老人になった今、なんとか毎日ご飯を食べれる状態にあるが、もし、三日も四日も食べれなくなったら、俺だって万引きするに違いない。なんで、プーチンは戦争をしたがるのか?みなと仲良く暮らせばいいだろうに、彼にだって妻や子供がいるだろうに・・・、と考えたりするが、二年たってもウクライナ戦争は終わりを迎えそうにない。彼のような帝国主義になれば自分が世界を征服して戦争のない世界にするんだという織田信長的になってしまうのであろう。ヒットラーのような妄想狂であり、この種のタイプはまわりにも要るし、若い頃はおれだって妄想狂であったし、恋愛だって妄想狂みたいなものである。

 昨日は教会に行った。このまえは説教で、見えないものにこそ、真実がある、肉の世界、つまり現実は虚構である、と教えられた。でも肉の世界が現実を動かしているのじゃないか?と言い返してやりたかったが、おれが本音を出せばその場が壊れてしまうので黙っていた。

 でもそれは多次元世界の考えで言えば、見えない世界・霊の世界が世界を作り、動かしているのかもしれない。地動説・天動説の考えみたいにいつでも逆転されるのである。男と女の場合でセクハラのような行き違いが出るのは住んでる世界が少し違うからである。そのようにとらえればかなりわかってくる。自分と他人とは同じではなく、ちがう世界があると考えてみよう。

 

インポになれば解脱する3

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-3 8:24

  何週間かまえ、ある会で、女と楽しくしゃべっていて、ついうっかり相手の胸を手で触ってしまった。彼女は笑顔のままであったが、後日、彼女の隣に座っていた女が、あんなことしてセクハラじゃない?と、おれに言った。そうだ、やばかった!と後悔したが、考え直してみると、おれはあんたの胸を触ったわけじゃないよ。あの人がセクハラかどうかは言うべきことじゃないか?と言い返したかったが、そこまではしなかった。こんなことからセクハラ問題は起こるのである。マスコミは暇を持て余してセクハラ狩りにやっきになっていて、深刻な世界の動きはその隙をついて暴れそうである。

 数十年前、近所におれと同姓同名の老男が住んでいて、女と見ると、すぐに抱きつくという噂であった。本当らしい話であり、その老人は精神病院に入れられて亡くなった、というデマが飛んでいた。おれのことみたいじゃないか?と考えたりしたが、おれがひどい認知症になるとその可能性はある。

 灰になるまで、という言葉があり、性欲は死ぬまで絶えない、と言う意味であるが的を得ている。インポになったと言っても序の口だろう。まだまだ先がある。

 こんなおれであるがこれから教会に、礼拝に行くのである。

インポになれば解脱する2

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-2 7:58

  あれからスマフォでエロビデオを見て、興奮し、てこきでいってしまった。女は酎ハイを四、五本飲んでいて、カメラを意識していなかった。まったくの自然体で、自分の女とするような良い気分をあたえてくれた。何が月ぶりかで昇天の味を味わってみると、こんなに良いもnだったのか?と思い返してしまった。

 話は変わって、一か月前に二人の同年の男が、車椅子の生活になってしまった。一人は若い頃、人を殴ったり物を壊したあげく、閉鎖病棟にはいり、そこで一生を送りそうであり、もう一人はある会でおれの運営の仕方にケチをつけたやつで、歩けなくなった。おれは良い気分だと思っていたが、つぎはおれの番であることに気づいた。あと何年先か?覚悟はできているが、良い気分ではない。

 失ってみて、本当に価値が見えてくる。おれはまだ失っていないものがある。健康、小説、俳句、思索、歌など少しは衰えたがまだ健在である。若い人は自分が失っていないものに気づくことは少ないが、それに気づけば宝の山を持っていることがわかるはずである。

 これから、カラオケ同好会に行って、(恋人よ)を歌うつもりである。歌わされるのではなく歌うのである。そのドラマを自分のものにして、自分の味付けでその世界を表現する。役者である。

 

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