ブログ - 20221201のエントリ
昨日、現県会議員の男がやってきた。彼は以前、町会議員をやっていてよく知ったいたので、来年の四月には県会議員、町会議員の選挙があることを思い出した。10年前、わたしが海老津駅南開発反対運動をやっていた時、彼は開発賛成派であったのであまり信頼を持ってはいなかった。彼は例のごとく名刺を出し、後援会の男と現町会議員の男をそばにたずさえていた。
政治論議に入った。今の政治・社会は中心点を失っている。コロナ騒ぎ、ウクライナ戦争、統一教会問題、ワールドカップと次々に話題を振りまき、視聴率を稼ぎ、対策を練り、そんなことをしていたら、今度は環境破壊をテーマにするだろう。要するに永遠のモグラたたきを繰り返すだけで政治家とマスコミが潤うだけになっている。もし世の中から問題が消えたとするならば政治家もマスコミも警察官も必要が無くなってしまう。中心点と優先順位をはっきりさせることが政治に求められているのである。
中心点とは、自然の命、である。誰も否定出来はしない。自然の命は人の命でもあるのだ。
そんなことを喋っていると三人はうなずいていたが、わたしは彼らの腹の中を考えていた。彼らはどんな政治をやるかではなく何を喋れば当選するかしか考えていないのである。それは政治家になるにはまず大事なことである。でもすべての政治家はその罠にはまり、誰もが同じことを繰り返して、けっきょくは何も変わらなかったということが多い。
わたしは(自然の命)という政党を結成し、最後の闘いをしてみたいと思っていた。すべてを自然の命を中心に考え、経済成長率があがっても戦争が起こってもそのでどれだけ自然が破壊されたかを持ち出して、良いことだったのか?悪いことであったのか?の判断をするのである。
次に町政についてしゃべった。
非課税者への給付金の案内が来ていた。給付金は生活困窮者の自分にとってありがたいことであるが、受けた分は税金で取り返されるであろう。いつもの朝三暮四である。そこで疑問があったので、申込用紙の二枚目にマイナンバーカードと通帳のコピーを張り付けるようになっているが?と、町に問い合わせると二回目の給付のかたはそれは必要ありませんと電話でこたえた。それなら、なぜそれを書かないのか?というとすみませんと応えた。ところが次の日には、この前の仕込み用紙は令和四年の一月一日までと書いていましたが、五年の一月一日まででしたと書き送って来たのであった。その費用もだいぶかかったはずである。そこで県会議員の男に言ったのである。町政を民間会社に入札で与えろ!公務員でなければ仕事をしてはいけないわけではないだろう?民間会社であっても福祉の仕事もしているから菅と民の壁を取り除け、と。
三人は後ろ姿を見せて帰って行ったのであった。