ブログ - 202211のエントリ

射精は神の祝福

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-11-25 8:42

  聖書を勉強し始めて5年になり、素晴らしい経典に出会ったと喜んでいる。同時に自分の考えとは異なる部分もでてきて、さらに好奇心をわかせている。興味を持ったきっかけは十年前に心臓のバイパス手術をうけて成功し、臓器の動きに関心を持ったからであった。手足の筋肉は自分の意志で動いているのに心臓をはじめとする内臓は自分の意志とは関わりなく動き続ける。誰があやつり、動かしているのか?と考えてがわからなかった。そこで聖書の創世記の文章に出会った。その初めの部分に神がすべての生命をつくり、産めよ、生きよ、繁栄しろ!と告げており、生きるために不随意筋を動かしているのは神であると考え、性は繁栄の必須条件だと思った。

 ところが日本では性に対するタブーが強く、性教育も不十分である。セクハラに過敏になっていることもあって手を付ける者も少なくなった。特に若い者はどのように性をとらえて良いのか?わからず、パパ活や乱交などが隠れて流行り、梅毒の感染者の数も戦後最高の数値になっている。政府も文部科学省も手を付けることが出来ず、メディアも有識者たちも遠巻きをしている状態である。

 わたしも75歳まで生きて性に大いに関わり、生命であることも悦びをうけてきたのでいろんなことを考える。オナニーで射精が出来るようになるまで、簡単ではなかったが、大学生のある時、初めて(夢精はしていた)射精が出来た時の感動は一生忘れない。それから、何人かの女と交わり、性の神秘界に足を踏み入れたわけであるが、その隠された世界はとても広く深く、まるで神の世界のようでもある。

 射精をする時間は数秒間であるが、誰がこの仕組みをつくったのか?と考えるとやはり神しかいない。男も女もこの絶頂感を求めて、命をかけるのである。それは神の世界に一瞬はいったごとく素晴らしい。男と女が頑張ったあげくに与えられた褒美である。神の祝福である。大切にして感謝をしながら生きて行かねばならない。射精は自分でコントロールできるようになるが、それまでは不意に訪れる天啓のようなものである。

土地はだれのものか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2022-11-21 17:19

  今回のウクライナ戦争をみると、原因は土地争いであることがわかる。プーチンに言わせるともともとロシアの領土であったものをウクライナに奪われたから取り返すということであるが、考えるともっと根の深い部分がひそんでいる。それは自分のものいう所有への執着である。歴史的にみてもそれは不変んであるし、世界の戦争を振り返ってみると、ほとんどが領土への執着心である。取られたから取り返すということが多い。イスラエルであっても、2000年前に自分たちの領土であったものをアラブに盗られたと言って、数十年にわたる戦争をへて取り返したのである。今、自分が住んでる土地が千年前はおれの土地であったから返せ!なんて言われたらどんな気持ちになるであろうか?

 じつは30年前、わたしが持ち山で竹の子掘りをしようとしたら、まったく見知らない男が掘っていた。驚いて理由を聞きくと、これは俺の山だとこたえた。ふざけるな!警察に行って話を付けようというと、彼は去っていった。それから何年か後に土地台帳を調べることがあって、調べてみると、明治時代に曾祖父が知り合いの借金のために担保権を設定していたのがわかり、あの男の言ったことは間違ってなかったことがわかった。

  所有者のはっきりしない山はどこにもある。そこに小屋を建てたり、石を積み上げたりして自分の持山だと長年言い続ければ所有権が発生するのである。土地とはそんなものである。

  だが、今回のウクライナ戦争は第二次大戦以来、被害の規模において第三次世界大戦にも近いと言われる。毎日のニュースを見るにつけ、そのとおりだと思う。プーチンに言いたいのはロシアの一割ほどの領土のために10万人もの戦死者や数百万人の国外脱出者を出し、経済封鎖をされ、世界の鼻つまみものにされてまで取り返そうとするのか?ということである。当事者はその視点はまったく欠け落ちてるのであるが、ある程度の知性の持ち主であればそろそろわかってもいい頃ではないか! 

 

ヒッツキ虫の生き方

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-11-18 8:27

  渋柿の収穫が終わり、一息ついているが、畑に入ればやり残していることがたくさん見える。まず何からやるべきか?と考えてみると、草刈り、枝落とし、ギンナンの収穫、畑づくりなどいくらでもある。先日、買って来た肥料五袋の移動から始めた。台車に載せて裏口から小屋まで運ぶが距離は百メートルもある。草の茂ったデコボコ道をヨボヨボしながら押して行った。小屋の中の五個の桶に肥料を入れた。その前に、小屋の前に繁った草を剪定ばさみで切っていった。

 部屋に戻って小休止していると、作業服や軍手にヒッツキ虫(コセンダングサ)のとげがたくさん刺さっているではないか!上り口に戻って一本一本を取り落としていった。二百本以上はあった。毎年であう棘なのに今年もしぶとく生きてきたな・・、もうすぐ一年がたつぞ、と感心するが,簡単には取れずなかなかしぶとい。上り口に落としていったそれをほうきで掃いて地面に返した。おまえはこうして人の衣服について移動し、繁殖していくんだな!コロナみたいに・・。コロナはまた勢いを取り戻し、八波が来ると人は怖がっているが、おまえはコロナに劣らず元気だな・・・。三ミリほどの棘の姿をよく見ると、先が槍の刃みたいで凹みもあって外れないようにできている。風の飛んで移動する種などいろいろあるがその中でもこのコセンダングサはなかなか攻撃的で賢い。動物の毛に張り付くことは🅂出来ず、人が衣服をまとわなかった頃には繁殖しにくかったが人が衣服を着るようになって格子状の人の衣服に取りついて移動することを知ったのである。どのようにして知ったのだろうか?神の教えなのか進化なのか?お前たちには知性があるにちがいない!人の行動や心を読みこんでいるのである。動物や鳥の毛にはひっつくことはできない。服に刺さって人が痛がって取り外して落とす。それでおまえは移動したことになるのだ。棘は付着と攻撃と二つの作用を持っていることになる。

 すべての生命は人に劣らない知性をもっているのである。人はその中の一員でしかない。ウクライナ戦争が終わってどうなるかわからないが、長年築き上げた人の知性はヒッツキ虫にも劣っていたことがわかるかもしれない。

 

乳垂の園

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-11-9 20:07

  今日は家から一歩も外に出なかった。昨日、カート整理のバイトを3時間やったことと、一昨日の柿千切りの仕事で膝と腰が痛くなっていたからである。これくらいの労働で体が動かなくなっている。情けないがどうしようもない。

 午前中は81歳の老婆が来て、畑を作ってくれた。先日、通りがかりに、遊んでる畑はないですか?と声をかけてきたので、うちので良かったら、と頼んだのであった。荒れた畑の隅を耕して、花を育てようとしているが、元気のいい明るい婆ちゃんである。自分も一緒に畑をしようと考えたが、体が重く動く気がしなかった。部屋の中で、株価の動きやエロビデオを観て過ごしたが、気分がよくはなかった。

 吊るし柿頬を寄せ合う窓辺かな

という、句をつくってみた。栗が千個もなって、売り、3万円も稼いだかと考えていると今度は柿の豊作である。10個で400円で売れ、3万円は稼げそうである。それ以外にビワ、梅、ギンナン、花、レモンなどすべて母が植え、子供たちに残してくれたのである。それを摘み取り、売って、食いつないでいる自分。この歳になって母の凄さがわかってきた。畑も果実も母の体である、と思う。小説の方は書いては投げ出し、書いては投げ出しをしていたが、(乳垂の園)という題で今度こそは書き上げれそうである。

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