ブログ - 20220615のエントリ
ここでは暴力が良いのか?悪いのか?という観点を外して書きます。
今、東京の大学で、一撃必殺の世界にいたときのことを小説に書き始めました。六十年後にして、やっとあのときの体験を突き放して作品化できるという気持ちです。単なる体育会のリンチではないか、と言われればそうであるが、三十年間も悪夢にうなされたのです。
砂利道を、拳立てし、両足を持たれて歩かされ、血まみれになった。その拳骨で樫のマキワラを叩き、軟骨を潰した。その練習よりも、練習後にベランダに整列させられ、みぞおちを一人一人の二年坊から殴られた恐怖と痛みは数千回の悪夢に変わって襲い続けたのです。
当時は、強くなりたい、と考えて後楽園ヘルスジムのボディビルにも通っていた。三島由紀夫も練習に来ていて、肉体美を見せ、多くのカメラマンからフラッシュを浴びていた。
空手では、強くなるために体を棒や拳骨で叩く訓練もしていた。最初は痛かったが、そのうち、それが快感に変わるのでした。六角棒で、締めた腹や腰、腿や腕を叩く。すると鍛えられた筋肉の方が強く、六角棒が折れてしまうのでした。
叩かれることは痛いことでもあったが、しだいに快感に可逆反応してしまう。血尿がでるほどの訓練であったが、全身が高揚すると精神もそれにはまり、日本刀の刃先のように収斂され、極地に達した。すると、体を傷つけたい欲望が産まれ、死を熱望していたのであった。攻撃と被虐が一体化していた。サドとマゾの行為の意味がわかった。あれは単なる暴力行為ではない。
三島由紀夫を見て、五年後だっったと思うが、大学前の千鳥ヶ淵の歩道を歩いていて、号外のチラシを貰った。なんと、すぐそばの市ヶ谷自衛隊基地で三島が割腹自殺をしたというのであった。嘘だろう?なにかの間違いだ、と考えていたがテレビや新聞で報道され、事実だとわかった。
三島とは直接話したことはなかった。作品「金閣寺」にどもりの住職が登場し、あまりにリアルに気持ちや症状が書かれていたので、自分のどもりを見破られると警戒していたからである。
割腹自殺と書かれているが、そうではない彼の心理が読めてきた。攻撃から自虐、自己破壊へと転化し、快感に酔いしれたにちがいない。限りなく進み、それは死であった。
三島は自己を(死)によって完結させたのである。
みごと、と言うしかない。
これを小説に書いてみたいのです。