ブログ - 20220602のエントリ
すべての事象の観念は重なり合っており、その時の観測者の意識によって捉え方が変わり、どのようにでも判断される、と書いてみよう。これは量子力学の二重スリット現象の実験に現されており、わたしはそれにヒントを得て問題提起している。小さな穴を開け、そこに光の粒を通すと波になって干渉波ができるというのがスリット現象であるが、その光の粒は観測者がいるときには一粒しか通らず、いないと二粒が同時にすり抜けるのである。なぜなのか?それは書かれていないので自分で判断することになるが、観測者の質量は光の粒の数億倍なのでその時の観念が二粒が同時に通り抜けることはありえないという考えなので、念力みたいに、それに圧倒されて意識が動きを反映させるのであろう。
そして、光は波でもあり粒でもある、と量子力学は定義づけているし、それでなければ結論が出ないのである。科学においても真理は一つでしかありえないはずなのにこんな結論を出さざるを得なかったのであり、これは真理を否定する画期的な考え方である。
ここで、(生きてもいるし死んでもいるー2)のタイトルに戻ると、あらゆる出来事や事象を二者択一式に捉え表現している現代世界はそれ故にいろんな問題にぶっつかっていつもモグラ叩きを繰り返すばかりである。同じ間違いを繰り返し続けており、それは基本概念絶えずがぐらついているからである。世界は前進しているようで実は(動的平衡)の状態で、ただ単なる上下運動を単に繰り返しているにすぎない。良いか?悪いか?の二者択一式の思考を外して、良くもあり悪くもあり、という俯瞰の観念に戻るべきである。
人生が因果関係のくりかえしだとすれば、あの出来事は良かったか?悪かったのか?は死ぬ直前にしかわからない。それではもう遅い。せめて、良かったことでもあるし悪かったことでもあり、生きるという経験を与えてくれた神に感謝を捧げるようになれれば幸福ではないか・・・。わたしにもあなたにも数限りない経験があり、これからもしていくことになるだろうが神の試練だと考えたい・・。