ブログ - 20210117のエントリ
聖書の(創世記)、その初めの部分に、原罪のことが書いてある。有名な挿話であり、聖書を象徴するような内容で,キリスト教が罪を原点にしていることがわかる。
神は人類を誕生させ、その繁栄を望み、永遠の命を与えるつもりであったが、一つだけ指示を与えた。森の中には豊富な果実が実っているから、好きなものを食べて良いが、(知恵の木の実)だけは食べるな、と言った。ところが、最初の人類であるイブは(神の言うことなど聴くな、神のようなに自分の意志をもって行動してみては?)と蛇にそそのかされた。イブは食べ、夫のアダムにも食べさせた。その結果、神の指示に従わなかったために、その夫婦(人類)は永遠だったはずの命を失い、楽園から追放され、地面に這いつくばって働き、生きるようになった。
と、いう内容であるが、二千年前に書かれたこの挿話の中に驚くべき真理がひそんでいる。かんたんに言えば、知恵・自我というものである。それに、妻のイブはそれまでは裸であったが、生じた知恵・知性によって恥ずかしさをおぼえ、腰を布で隠すようになったのでもあった。神の言葉を信じておれば良かったものを、目先の快楽・利益のために、禁断の木の実を食べ、、自我を持ったために(永遠の命)を失ったというこの話はわれわれ現代人にまで通じていて、ハッととさせられる。アダムとイブのように、わたしやあなた達は知恵と自我を働かせて目先の生活を生きようとしてきたことが今回のコロナ事変によって、はっきりさせられたのである。
人類が考え出した科学や数学などもろもろの学問は真理・神の側からみれば、しょせん浅知恵にしか過ぎないことに気づかねばならない。自我だってそうである。本当のものの姿は資本主義の考えの中からからは見えず、見えない世界にいて、見ようとすれば隠れてしまうのである。見えない世界にこそ真実と価値があるのである。
資本主義の世界は利益と数字の世界にしかすぎず、その観点でしか物事を見ていないことを知るべきである。浅知恵と利己的な自我なのであり、わたしたちは産まれてこの方それにいかに振り回されてきたことか!それに、効率主義とは欺瞞であり、見せかけにしか過ぎない。たとえば、一時間かかっていた目的地を車で五分で行けたとして、多くの者達は時間を儲けたと考えるだろうが、そこに貴重なものがあって見落としたことを想像出来ないのである。
今こそ、敗北した資本主義を捨て、原点に立って、自己や社会、自然を見つめなおすべきである。自然回帰には素晴らしい世界が待っている。
大学入試センター試験の動きが報道されているが、わたしは成績不良者であったこともあって、冷笑的な気分になる。コロナによって人間たちの知性の見せつけられている現在、試験の内容がどうだの進み具合がどうだの、という前に人間の知性の歴史や正体を検証すべきではないか?さらに、その価値を認めたうえでセンター試験をやるべきではないか?
コロナの報道においても、感染者数、退院者数、死者などは公表しているが、被験者数の数字がでておらず、感染が天文学的な数字で増えている印象しか与えない。被験者数は感染者数と正確に比例する。その矛盾に気づかず、数の勢いに負けている。自動車が発明された頃は、便利さ、快適さ、スピート、操縦性などさかんに訴えられながら、大気汚染に目が向かったのはほぼ五十年後である。メーカーは大気汚染物質を減らすことは出来ないといいながら、排気ガス基準に合格する車を生産し始めたではないか?
原発の場合もそうである。
色んな世界の数値を分析してみると、他の視点・総合的な視点が欠けていることがわかる。ほとんどの人はそれに気づかず、振り回され、まちがった事実を信じてしまっている。マスコミも報道する前にそのことを知りながら、視聴率があがれば良い、と言う考えしかないので、戦時中におけるでたらめな数値をだし、数百万人の死者を出してしまった。その教訓を十分に学んではいない。
コロナに知性はどうか?
感染者数、退院者数、死者の数字はもちろん、ワクチン接種の動向を見ながら、変異種を送り出し、さらなる反撃に少しもひるみはしない。全世界の死者を一千万人にした頃、大成功の気炎をあげてひとまず舞台を下り、つぎの戦略・作戦をめるであろうし、他のウイルスたちもコロナの成功に学んで発達するに違いない。
全世界の知性を動員しても、微小なコロナの前に屈してる現在、それは明らかに人間知性の敗北である。デジタル、AIの応援が入っても、偏向的な視点に気づかない限り、堂々巡りである。
普遍的、俯瞰的な視点は自然の中にしかないが、それを知った時、人間は初めて生まれ変わり、新人類になるであろう。