ブログ - 20210112のエントリ

変異と芸術

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-1-12 7:02

  不自由な歩き方を描写すれば、それは芸術に変わるのではないか?と前回の日記で書いているが、そのことについてもっと考えてみた。それはつきつめるところ、障害というより、変異した歩き方ということになる。わたしはドモリであるが、(おれは・・、ここに、イイるのにオオおまえは、イイない)という文章にしてみればどうなるか?読み手は戸惑い、ドモリの世界に引き込まれるに違いないし、それは不快なことであろう・・?だが、その表現が地の文ではなく、登場人物の個性として使われれば、効果を出すことができる。

 三島由紀夫の小説(金閣寺)の主人公はドモリであるが、そのコンプレックスと鬱屈した心理が最後に金閣寺を放火するという流れにすごい効果を出している。その他の分野でも、障害と言うより、(変異)のエネルギーを作品の効果にしているものは多い。アニメーション・ダンスというのがあり、舞台で実際見たことがある。若いタレントがまるでスローモーションを再現した動きで歩き、鬱屈したエネルギーにすごく感動させられた。ネットの画像にも出ていたが、今は見当たらない。歌舞伎の動き方も動作をすごく遅くすることで、特異な世界と強いエネルギーを生みだし表現している。

 障害にたいする見方や考え方が変異したエネルギーとして普及すれば、それは芸術に変わり、優劣の世界から解放されるのである。その日は、近い、と思う。が、それを公開することにはすごいパッシングが待っているので慎重でなければならない。脳性まひの人が歌う場面が、NHKで出たことがある。それは出ない声を引き絞るようにして歌っていたが、感動までにはいたらなかった。デフォルメがじゅうぶんでなく、芸に昇華するにはいたっていなかったのである。

 精神障害の場合だって、芸術になる要素をもっている。ノーベル賞をもらったサムエルベケットという小説家、その作品の中には精神病者特有の反復言葉が使われ、作品になっている。障害の分野はまだ未開拓であるが、それゆえに宝が眠っているのである。

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