ブログ - 20200822のエントリ
前項のブログの中で、柿の実は虫に食われてしまう、と書いたが、じつは、生き延びるのである。柿の種は食べられても、吐き出される。食べられて動物の消化器官に入ったとしても、種そのものは消化されない組織になっていて、そのまま排泄される。大地に落ちて、芽を出し、生きていくのである。親とは離れた場所で、おまけに便を養分にして成長していくのである。
誰が考え出してそんな仕組みにしたのであろうか?考えれば考えるほど、不思議であり、神秘的というしかない。聖書の創世記に、神が生命に生き延びよ、と言った部分が鮮明に思い出される。ノアの洪水、にみられるように、生命は一度、滅び、再生することを述べている。今回のコロナ禍に対し、教会ではどのようにとらえ、どんなことを話しているか?およそ、の想像はつく。
だが、宗教的な考え方に興味があっても、(不完全な)人間たちの関わる宗教団体には興味はない。
今回のコロナ禍に対してどのようにむきあうべきか?マスコミは書きはじめているが、コロナ禍をきっかけにして、(生命)に対してどのように向き合うべきか?の視点を持つべきである。