ブログ - 202108のエントリ

予告されたコロナ事変の記録

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-25 19:07

  遠く離れた老男と、長電話で話をしていると、コロナで騒いでいるときにオリンピックをするなんてわからないし、終わったと思ったらパラリンピックも開かれて、大雨の被害が収まらないうちに、障害者たちが汗水流して競争している、あるいはさせられている、としゃべり、おれにはこの時代をどんなふうに解釈していいのかまったくわからない、と、言葉を置いた。わたしは電話を置いて、その言葉が自分の気持とまったくおなじであることに気づいた。

 その通りである。何という時代になったのか?歴史書を読み、生物学、物理化学、生命哲学などいろんな本を読んでも、なにも教えてくれず、コロナの侵攻に身を任せ、逃げる場所もなく一人ぼっちであることに気づくのである。逃げる場所があるとすれば人っ子ひとり住まない孤島であるかもしれない。これまでの歴史を振り返っても、天然痘、ペスト、インフルエンザなどの疫病禍はあったが必ずどこかに逃げ場所があって一時的に避難し、またもとの生活に戻れたのであるが、今回は逃げ場所がない、戻るところがないという不安がコロナという怪物以上に私達を苦しめるのである。

 そして、なにも信じるものがない、その上、自分が丸裸にされたことに気づき始め、呆然とするのである。近代化によって物質的快楽、飽食、利便性など限りない享楽を得たが、それによって失った信仰、信頼、共生感、共同体などがもう戻ってもないことをコロナによって思い知らされたのである。

 あるいはもしかするとコロナ事変は予告されたものであって、小説(予告された殺人の記録)のようにその記録の跡をたどっているのではあるまいか?その小説は実際に起った事件をジャーナリストであったガルシア・マルケスが綿密な取材をして書き上げた作品で、ノンフィクションノベルと呼ばれるものである。南米の熱気、興奮、苛立たしさ、風俗風習、血生臭さが混交したモザイク調の世界である。その前に、トルーマン・カポーティという米国作家が(冷血)というノンフィクションノベルを書いて、評判になっていた。

 確かに、聖書の中の(ノアの洪水)や(ソドムとゴモラ)に見られるように2千年前から人類崩壊は絶えず予言されていたし、近年ではノストラダムスの予言もあったが、どれ一つとして決定的なものはなかったので、もしかするとコロナこそ決定的なものかもしれないと不安を募らせるのである。私達はそして時代が不安神経症になってしまったが、苦しみの先に光明は待っているのである。

 

予告された殺人の記録

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-22 18:09

  自称小説家としてこれまでたくさんの小説を読んできたが、ガルシア・マルケスの(予告された殺人の記録)はなんとも言い難い衝撃を与えてくれ、今でもその余韻は尾をひいている。同時に今回のコロナ事変とリンクして、ますます凄みを帯びてきている。

 今回のコロナ事変は百年に一度の惨事という人もいるが、それだけの衝撃を私達に与えていることはまちがいないし、同時にこれだけ、人類の知性の劣等をあぶりだした事例も少ないのである。感染者数が毎日公表されていて、全国的に一日に2万人に迫る勢いであるが、その数値は一週間、二週間前のものであって同時のものではないことに気づくべきである。感染してすぐに症状が出るわけではないし、すぐに検査をするわけではないし、皆が検査をするわけでもない。それに治って退院した者の数もふくまれていない。つまり、実態の数はもっと多いのであろうし、あるいは減っているのである。

 過去の数値なのである。それに対してベット数を増やす、あるいは自宅療養を増やす、野戦病院を作るなどということは実態からかなりずれたもにになってしまうのである。後手後手の対応なのである。では、コロナ側はどんな実態を把握し、戦略を変えていくのか?彼らは後手後手ではなく、同時の感染者数を把握し、臨界数値(人類絶滅、勢力低下)をテレパシーでつかみ、デルタ株以降の種を考えているのはずである。ここで数週間の時差の遅れは大きな問題をはらんでいる。つまり、人の知性の遅れ、対応のずれ、ということである。

  例えばライオンが狩りをする場合の話である。彼らは事前に攻撃役、セ子役、監視役などの役割分担をどのように指示し決めるのかわからないが、ともかく決めておいて、狩りをするが、獲物の動きも的確に捉えている。それは予想もあるが、リアルタイムのもので、今、鹿はヤブに隠れたなどの情報をテレパシーで送り、ヤブに先囘りしているのである。こんな場合、数秒前の情報なんてなんの役にもたちはしない。逆にじゃまになるだけである。ここに人間の知性と生物の本能の決定的な違いがある。

 最初の話に戻ろう。

 (自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた)これが(予告された殺人の記録)の書き出しである。なんとも奇妙な表現である。サンティアゴはある女をレイプしたためにその兄弟から殺されるのであるが、何ヶ月も前から兄弟は船に乗ってサンティアゴを探しに出かけ、今、どこに向かった、などどと噂されながら、ついに祭りの場、そのさなかにめった殺しにされるのである。サンティアゴは自分が殺される日を知っていたのか?それはわからないが、逃げようとはせず、踊りに熱狂してる最中に殺されてしまう。普通の人間であれば数ヶ月先のことがわかるなんてありえない。

 こんな小説にお目にかかることはないであろうが、、小説の作者には(神の視点)が与えられ、どんなことを書く自由も与えられているからこんな書き方ができるのである。そこに作者の天才ぶりを感じる。未来は読めないはずなのに読んでいる書き方である。

 さて、一年後のコロナ情勢はどうなっているであろうか?戦々恐々として、待つしかないし、わたしは自分がそして世界がどうなっているかわかりはしない。

 

敗戦とコロナ敗戦?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-18 7:07

  オリンピックをなんとか乗り切ったと思ったら、大雨に襲われて全国的に被害が続出し、雨は降り続き、コロナは感染者を何倍にもして増やしている。緊急事態宣言の適用地域も増え、守らない者には罰則を与えようとしている。

 なんともやりきれない令和三年であるが、そこに自己を含めて国家の実相があぶり出されてきている。

 合理的な分析と全体を見る目がはっきりしないのである。コロナの新規感染者の中にはワクチン接種者がいるのか?どんな状態で感染したのか?退院者は何人いて現在、何人が入院しているのか?感染をうまく抑え込んでいる外国はどんなことをしたのか?などを分析して、その結果、こうするんだ、という合理的な発想が見当たらない。それをやれば国民も納得すると思うのであるが、どうも弱く感じられる。

 太平洋戦争で三百万人の犠牲者を出した構図とよく似ている。テレビの番組ででも、あの戦争のとき、中国の蒋介石は日本の立場と心理をよく読んで、アメリカが日本を攻撃するようにしていたと言うが、その時の情勢とよく似ている。孤島に位置し、長い間、鎖国を続けてきた国は他国や他者を分析し、臨む精神からかけていると言わざるを得ない。民意ですらそうである。込み入った難しい話をするものは遠ざけられるし、本来はコロナ対策の集会や討論会が設けられても良いはずなのにそんな気配はない。

 残念としか言いようがない。

畑に流れた鮮血

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-11 16:44

  この二週間ほど、畑に流れた血を見て、気分が落ち込んでいた。朝、畑を見回ると、スイカが野生動物に食われ、二つに割られて真っ赤な血を流し、転がっていたのである。カラスではなく、いやカラスの次の捕食者が現れて、食っていたのである。その姿は一度も見たことがなく、時間帯は日の出と自分の姿が現れるまでである。

 カラスにやられ始めた頃、ビニールかごやプラスチック容器でかぶせ、ブロックや石を載せるようになった。ブロックを一個まるごと載せた箇所もあった。

 これで大丈夫だろうと、翌朝、畑に行くと、真っ赤な血が畑のあちこちに見え、ショックを受けたのであった。噛み跡をよく見ると、尖った跡ではなく、丸く削った跡が三条ほどついていた。イノシシか?あなぐまか?と考えたが、猿であると思った。屋敷の中で一度も見たことはないが、町の横断歩道を歩いている姿を見たことがあった。それに、畑のクリがなにものかに食われていることも知っていた。それは殻の中の実ではなく、殻の中からこぼれおちたものであった。

  猿は芋を洗うこともあり、かなり知能がある。それでもブロックを両手で持ち上げて、一匹の力で外すであろうか?何匹かでやったのだろうか?猿がスイカを食うくらい別に驚くほどのことではないが、はっきり猿の仕業だと確定できたわけではなく、推測であるが、そこが想像を働かせてちがうイメージまで膨らませ、恐怖を起こしてしまう。昔はスイカドロボウというのがいて、小屋を立てて見張っていたらしいから、もしかすると人間の仕業かもしれない、あるいは新種の動物かもしれないなどと考えてしまう。

 ある畝では、ブロックが外され、プラスチックの容器がひっくり返されていた。ところが本体のスイカは食べられず、ひっかき傷もないのもあった。どういうつもりなのであろうか?タケノコの場合でもそんな事があった。堀り出しながら、ほったらかしていたのである。こんなことしても無駄だぞ!と、俺をからかっているのか?

 百個のスイカを作る予定であったが、けっきょく、二個を盆前に知り合いに差し上げ、買ってもらった。真っ赤に熟れて蜜を食べるように美味しかった、と電話をもらい、複雑な気持ちになった。本来は百個が蜜になったはずであるが自分が食べたものもふくめて十個もなかった。

 今日のネットのニュースに、インドネシアでコロナ感染が急増し、政府が感染者に保険金を出すようにしていたところ、わざと感染する者たちが増え、支給を止めたという。世の末?ではないか。狡猾な猿を責めることは出来ない。日本のわたしたちだって起こり得る。

 命のために命を捨てる。

 畑で食われたスイカはそのまま放置しているが、流れた血はなにか不吉な予感を漂わせている。

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