ブログ - 20200813のエントリ
近頃の新聞・テレビは、コロナの感染者数の増加、お盆休みの様子、中国の香港への露骨な支配などでお茶を濁してるように思える。物書きである記者の真剣な姿が見えてこないし、見せようとはしない。舞台の袖口に立って役者を傍観しているだけで、自分達のこととして真剣にとらえてるようにみえない。
香港の人権活動家たちの闘いなど書くことはそれはそれで意義にあることではあるが、日本には表現・言論の自由があって幸福ですね、と裏でこっそりささやいている魂胆がみえる。それで読者に満足・自慰をさせていることに気づかないのであろうか?
自称・小説家として書いているわたしからみれば、そんな茶番劇が透けてみえてくるのである。小説の文章を書くだけでかなり苦痛であるのに、そこでセクハラ、差別、人権などのタブーが絡んでくると筆が止まってしまうことがある。(美由は女だてらに薄笑いを浮かべた)と書こうとして、筆が止まる。(女だてら、とはなんですか?女だったら薄笑いを浮かべてはいけないんですか!差別ですよ!セクハラですよ!)という口火からSNSやファイスブックなどに飛び火して騒がれることは目に見えている。
コロナ騒ぎからますます縮み志向がひどくなり、物事の真相は遠ざかっていくのである。
それに身体障がい者の動きなども書きにくくなっている。(彼は大きく前につんのめるような動きから、後ろに大きく仰け反り、それを反復動作させ、まるでアニメーション・ダンスのをするように歩いた)と書けば大変な非難になるし、一流作家は書けないことである。これでますjます表現が狭められ、真相を縮小させてしまうことになる。
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