ブログ - 20180722のエントリ
昨日は猛暑の中、日帰りバス・ツワーに参加した。町内の老嬢たちが四十名ほど、老男が三人であった。駅前の待ち合わせ場所で、顔見知りのスナック・ママが私に手を出して、握手を求めてきたので驚いた。店をやめ、子宮がんで入院してた噂を知っていたので、元気?と訊くと、だいぶ良くなったという。男との噂で評判の彼女であったが、すっかりお婆さんの顔になっていた。人が良く、客に料理を振舞い過ぎ、ツケの金も溜まり、客足も遠のいて閉店したのであった。彼女は女友達のT子を誘ったが、眼の神経病で来れないと言う。T子も人の好い女であるが,老男十人ほどから金を借り、数千万円を返せないでいる。亭主と愛人の男と三人で生活していて、あなたは淋しいやろうからご飯食べにおいで、と私をよく誘ってくれたが、足が遠ざかっていた。
バスに乗車後、二時間半くらいで熊本城に着いた。ガイドさんに案内されながら、話を聞いた。地震の被害で崩れた石垣の一つ一つには番号が振られて、元の位置に戻せるようにしているが、数が多くて修復するのに二十年かかる、という。広い城内では、蝉が鳴き、私たちは手渡された歌詞を見ながら、(古城)を歌った。
次にホテルで昼食をとり、ワイン工場を見学し、ワインの試飲をした。美味しかった。
次に(田原坂西南戦争資料館)を訪れた。日本精神を守ろうとする旧薩摩藩士と政府軍とのすさまじい闘いが収められていた。闘い現場の写真は桑畑ばかりの広がる土地であったが、食料や軍の輸送道なのでそこを押さえるかどうかが要になっていたのである。銃弾の跡を見せる土蔵、銃剣、日本刀、兵士の写真、軍帽など展示され、ガイドさんはペリーの来航、西郷隆盛の実像、彼と政府との争いなど詳しく丁寧に説明してくれた。
午前八時に出発したバスは夕暮れを迎えていた。車内ではビンゴ・ゲームが始まり、皆、ビンゴ紙を手にして、何が当たるか興奮していた。
私は二番目に当たり、赤ワインをもらった。添乗員から紙コップをもらい、周りの五人の老嬢たちにワインを注いだ。皆、笑顔を見せ、美味しい,と言い、気分が盛り上がった。
帰宅してその光景を思い出しながら、血染めの兵士たち、を思い出した。にわか仕立ての彼らは着物姿やわらじ、下駄を履いた者達がいて、日本のために命をなげうったのであった。彼らを犠牲にして、エアコンのきいたバスでくつろいだのであった。