ブログ - 20180712のエントリ

洪水に生き残った鯉。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2018-7-12 20:59

 7月3日の大雨の日のことである。えらく、強い雨が降り、これはどうなったのか?と思い、庭に出ると右手の田んぼが水に埋まっていた。表門に行くと、歩道に溢れた水がすごい勢いで流れ、それに沿った川の水は洪水になっていた。岸辺に立っていたモルタルアパートの一階は水が入り、住人が右往左往しているではないか!自分の家は歩道よりも二メートルは高いので大丈夫だろう、いや、烈しい降り方になれば浸水してしまう、と考え、心臓がドキリとした。

 一週間後の今日、近所の親友がうちにニラをもらいに来た。ニラを採りながら、大雨の日のことを話した。

 「全国で死者が二百人だってな」 

 自分。

 「俺も驚いてる」

 親友。

 「死んだ人には申し訳ないけど、俺もそうだけど、死んでもいい人間だっているんじゃないか?」

 自分。

 「自然淘汰だよ」

 親友。

 「ハルマゲドンだよ。人類と自然の総入れ替えだよ」

 自分。

 「ところがさっき、川沿いを歩いていたら、いつも鯉に食パンをやってるおいさんがいてね。いつもの通り、五匹の鯉にパンくずをやってるんだ」

 親友。

 「あの洪水に鯉は流されなかったんですね、と言うと、そうなんだよ不思議なことに五匹全部がそろってるんだ」

 おいさん。

 「橋の欄干だってひん曲がってしまったのにこの鯉はどうやって身を守ったんだろう?」

 親友。

 「不思議だな。あのアパートだって流されたかもしれないのに」

 おいさん。

 親友はそんな会話を交えて来たという。

 鯉だから何かにしがみつくわけにもいかないし、岩の下かどこか、水の流れない場所を知り、洪水が来るのを事前に予知していたのかもしれない。野生動物の勘の鋭さには驚いてしまう。

 大雨の被害個所は人の手が入ったところがほとんどである。山の下に家を建てたところ、道を作ったところなど、自然のままにしていれば何もお起こらなかったのに手を加えたがために自然の秩序が狂ってしまったのである。マスコミは根本的な原因には言及しないから、私達は自然の摂理という原点に目を向けなければならない

吃りはアレルギー反応である。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2018-7-12 8:29

  先日、友達からの電話でのことである。返事をするのに3,4秒間、言葉が出なかった。友達は後日、あんな状態で大丈夫か?と心配をしてくれた。3,4日、誰とも話をしない期間が続くと、ドモリの癖が出てしまう。幼少時からその癖があり、自分ながら、将来、仕事が出来るのか?生きて行けるのか?と不安であったが、営業職もこなし、71歳まで生きてきたし、楽しい人生も味わった。

 ドモリの矯正学院にも通い、原因の心理的分析、発生訓練もしたのでその方面には詳しい。ドモリはアレルギー反応なのである、という発見をした。これは業界での新発見だと思う。精神科医、耳鼻咽喉科医でも原因を知ってはおらず、間違った解釈をしているし、治療法も医学的には確立していない。

 祖母と母が軽いドモリであり、私が産まれた時、言葉を出すのに過剰に敏感になった。これがすでにアレルギー反応なのである。障害(敵)でもないのにそう判断し、過剰に防衛し、攻撃するようになる。国家間における戦争、個人同士の敵対・喧嘩に似ているが、アレルギーの場合は自己を攻撃するのである。一般的に2,3歳の頃、幼児が言葉を出そうとするときにはスムーズに出ず、つっかえたり途惑ったりするが、放置しておれば自己修復して発語の確立が自然にできていく。

 母はつっかえながらしゃべるわたしに、そんなしゃべり方をしてはいけない!と強く叱り、私も発語を警戒するようになった。言葉を出すことに神経質になり、叱られることが続いて、ついに発語を引っ込めるようになった。これがドモリの始まりなのである。出そうとする意欲と出してはいけないという阻止行動がせめぎあい、ついには何秒間も言葉が出ないようになってしまった。

 その癖が71歳になった今でもひきつがれているのである。ただ、わたしは表現力があるのでしゃべり始めると、相手が不快になるほど言葉が出るし、歌を歌うときにはどもらない。これは発語器官に構造上の欠陥があるのではなく、働き方に欠陥があるのである。

 だから、日常生活においては多くの人と長い時間話をするようにしているし、カラオケを楽しみながら何度も歌うようにしている。

盗みの快感。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2018-7-12 5:21

  振り返ってみれば、東京での学生生活は無法者に近かった。受験奴隷から解放されたとはいえ、望みもしない大学に合格し、敗残者の負荷を背負っていた。全共闘たちが学園内、学園外で大暴れをし、政治闘争に入り、旅客機の乗っ取りをし、テルアビブで機関銃を乱射して大量殺人を行ったりした。そんな中で、私は大学の沖縄空手道剛柔会を仮病を使って脱会し、アルバイト、マージャン、女遊びの日々に埋もれていた。

 賭けマージャンに熱狂し、悪友どもの部屋に泊まり込んでやっていた。大学の試験前になると、勉強をしよう!、と言って悪友たちがそろい、テキストを開いていたら、牌に手が伸び、卓を囲むありさまであった。試験時間に間に合わずに放棄した。十年ほど前まで、大学の教科書を買う夢を限りなく見続けた。教科書さえ、買っていなかったのである。大学の入学式にも卒業式にも行かず、卒業証書ももっていない。卒業しているかどうかもわからないし、それがはっきりしなければならない仕事に就くこともなかった。

 悪友たちとマージャンに狂っていた頃、四万円ほど負け、借りを作ってしまった。

 その日は買い物袋を持って、新宿・紀伊国屋の中で本を探していた。高価な本を盗み、古本屋で売ろうと考えていたのだ。四万円ほどの哲学辞典に狙いをつけていた。周囲の客を念入りに見て回り、警備員の姿をチェックし、どの道から逃げるかも想定していた。

 哲学辞典の前に立っているだけで、緊張し、その度合いが強くなると、おかしな感情が起こってくるのを感じた。(快感)なのであった。緊張感の高まりと比例して、快感は性行為に近いそれにまで高揚していくのであった。

  重い哲学辞典に手を伸ばし、左手に持っていたビニール袋の中に入れた。周りを見回しても、自分に注視している者は見当たらなかった。

 地下鉄の方に向かい、地下通路を歩きながら、上手くいった、と考えていたら、背後から男の声に呼び止められた。紀伊国屋の警備員であった。

 警備室に連れて行かれた。あんたの動きはすでにわかっていたんだ、と言われ、警察に通報すると言われた。その小柄な男は体の気配から武道をやっていることがすぐにわかった。わたしは始末書を書いた。哲学辞典は九州の実家に送られ、母が代金を払った。

 母に迷惑をかけたと言う事より、盗みに快感があったという体験に驚き、その記憶がいつまでも残ったのである。それからの生活では金に困ることは無かったので、盗みに走ることはないが、マスコミで地位のある者が万引きをした、と報道されるたびに、盗みの快感、を思い出すのだ。

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