ブログ - 20151022のエントリ

日本語における(公)の実態。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-10-22 9:55

 昨日、福岡教育大学の公開講座ー日本事情、に参加し、中国、韓国の留学生達とも討議して、良い刺激を受けました。

 日本での(公共)という言葉、その中の(公)の意味するものを考えてみました。ネットで調べると、欧米でのpaburic(公共)の概念は水平思考(横の関係、つながり)であるのに、日本の(公共)の概念は上位下達の捉え方、関係があると載っており、私が考えていたとおりでした。公平、公衆、公道、公園、公民、公家、公爵、公武合体などよく使われる文字ですが、公ーおおやけーと言いながら民主主義体制とは異なる貴族、公による支配、崇拝の概念があるのです。同時に天皇、皇族、政治家(武士)、公務員、工業、商業、農業の階級制度が旧来の士農工商と同じく温存されているのです。現代では金持ち(特権階級)でないと一流大学には入れず、支配階級の階段はふめないのです。公立学校は地方を運営・管理する機関が建てたものですし、公務員というのは公僕なのですが、(公)?納税者である民の被使用者であると認識してる者は少ないのです。

 織田信長、徳川家康のように戦乱の世を統一した者、その統率者たちが(公)の世界の人間なのです。権力は支配するというより、世の中に平和をもたらして公共性、公衆などを生む社会を作ったという捉え方があり、日本人の生活は支配者の存在を前提にしています。(公共)という言葉は民主主義的な表現のようですが、支配構造を隠微しており、そこに自己主張をしない、権威や利権に投票する、人に頼まれて投票する、お願いで投票する、など権威・名門に服従する日本人の姿が反映されています。日本人は正論を言ってトラブルが起こることを嫌うので、正論は通りにくい社会です。

 (公)は決して一般大衆社会を意味してるのではなく、(公家)つまり貴族、皇族を意味し、(公)と(共に生活する)ー公共、と言う概念を有しています。(君が世)という国歌の歌詞にも通じています。君(天皇)の世、ということです。(公然)と言う言葉はどんな概念を持っているのでしょうか?(公)に(然り)なのです。

 万系一世の天皇制は(公)より上の、頂点に立っています。また、封建制度が悪いと言うのは現政治体制の為政者が自分達の民主主義体制を正当化するための論理であり、決して良い、悪いのカテゴリーに入るものではありません。戦乱の世を統一し、平和をもたらしたという捉え方もあります。北朝鮮の金体制が今にまで続いているのはそこにあります。

 三年前のことですが、当時、わたしは海老津駅南開発反対運動に参加してました。岡垣町役場のそばにあるハローデイというスーパー、そのそばの歩道で開発反対のビラをまいていました。二人の制服姿の警察官がやって来て、わたしといっしょにビラまきをしていた仲間に住所と名前を聞きだそうとしました。わたしはそんなことを応える必要はないと彼に言い、道路使用許可も取っているし、どんな罪名ですか?と警察官に訊くと、110番通報があれば現地確認のために来る、と言うのです。二年後に同じ場所で役場・社会福祉協議会の依頼で人権に関するビラをまきました。三度ほどしましたが、警察官が来ることはありませんでした。

 これが(公道)および(公)の実態なのです。

 (封建的民主主義)という言葉が日本の民主主義にはふさわしいのです。

 

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