ブログ - 20151019のエントリ
昨日の日曜日は岡垣町の多目的施設ー(サンリーアイ)に行った。秋晴れの良い天気であった。毎年、3万人ほどの来客があるという。50店舗ほどの飲食店、バザー店がノボリを立てて賑わい、ダンス、パレード、詩吟、大正琴など盛りだくさんのイベントが行われた。
私は国際文化交流会の英会話教室に通っているので、お手伝いの要請があり、出店の中に入った。10人ほどの生徒(仲間)がいて、(タイ・カレー・ライス)店を開いていて、鍋の中をかき回したり、客の呼び込みをしたり、ご飯をプラスティックの茶碗に盛ったり、カレー汁をのせたり、代金を客から受け取ったり、忙しく楽しかった。男は二人であとは女であった。
11時頃までは暇であったがそれを過ぎると急に忙しくなった。面白いように子供連れが寄ってきたり、顔見知りが声をかけに来たり、隣の玄関ホール前では太鼓を打ち鳴らしたり、東南アジアの若い女の半裸の踊りに人々が集まったりした。
300食のカレーライスが一時半頃には売り切れ、ご飯が無くなったのでカレー汁だけを売ろうということになったが、二件隣でジャージャー麺を売っていたので、うどんの麺が余っていればもらってカレーうどんにしてみたらどうかとわたしは言い、実行してみるとよく売れ、カレーのだし汁が終わってしまった。
三時前になると出店の片付けを始めた。椅子やテーブルをたたみ、テントのポールを集めながら、(後の祭り)という言葉を思い出し、米国人の講師に英語で何と言うのか訊ねてみたが、笑顔で顔を横に振り、すぐには答えきらなかった。彼はわたしの担任ではなく、初級コースを受け持ち、小学校でも教えてるという。日本語はひらがな、漢字、カタカナがあり、(自分)をさす言葉も5個以上あるので覚えるのが大変だろう、私と言うと、英語にはアクセントがそれぞれの言葉によってちがうので難しさの大差はないと言った。
孤独な生活を送る私にとって祭りは刺激を与えてくれ、楽しくさせてくれたが、出店の片付けをしながら、高度成長期の時代を振り返ってみた。戦争と復興を循環させる資本主義にとってあの時代は(跡・後の祭り)ではなかったかと。とすれば次には戦争(破壊)の時代が来るのではないか?と厭な予感がした。