ブログ - 201510のエントリ

太宰治、三島由紀夫、そして私。

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日記
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nakamura 2015-10-5 13:20

 文学世界の両巨頭に交えて(私)を出すなんて、おこがましいにもほどがあるでしょう。名も知れぬ変わり者にしかすぎない私ですが、ロマンチスト、繊細さ、自己へのこだわり、劣等感、夢想癖などにおいては両巨頭に負けません。

 中学時代から受験勉強を強いられ、社会での人間関係を持たなかったので、小説の中で学ぼうとしました。いろんなことを学びました。こんな場合、他者や女はどのように感じ取り、反応するかなどと社会に出れば十分すぎる経験の作品の世界で知りました。嘘も感じ取りました。女が登場するのに男の主人公が欲情しないからですが、執筆を経験した現在では十分にわかります。主題が官能世界ではなかったからです。

 太宰治の小説は何と言っても(東北人)の匂いがあり、清らかな文体ですが、(生まれてきてすみません)などという言葉を書いた者は文学史上初めてでしょう。そこに彼の感性、作品が凝縮されています。そんな女々しい言葉を使って?などと世間から侮蔑される言葉で彼の人生、作品を切り開いていったのですから凄いものです。他方、三島由紀夫は兵役検査で不合格(後に誤診だとわかる)だったことと虚弱さが文学に向かうことになり、ボディビル、剣道、空手で体を鍛え、血を見ると欲情する、同性愛などの劣等感に復元力を与えることになりました。虚構の世界で復元力を広げ、現実世界で、切腹、という行為で見事に結実させたのです。

 わたしはどうなのか?

 わたしはこのブログに何度も書いていますが、人間中心主義(多数派の価値基準)の視点から自然中心へと視点を変えることで自分や世の中を克服しています。今後、この流れを引き継いでいきます。

がん細胞はなくならない。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-10-5 8:54

 今朝の朝刊の書評を読んでこのタイトルを考えついた。(寄生虫、常在細菌など悪玉を消すことが人の自己免疫系統を過敏にさせているのではないか)?山本ふみこ氏の文章、ですがわたしは読んで考えが進みました。がん細胞、赤痢、ペストなど人間にとっての病原菌、悪玉は無数にありますが、自然界にとっては悪玉も善玉もいないし、逆にそれらには必要性があるのではないか?ということです。人間社会にも悪人や悪はありますが、実はそれらも必然的に生じているのではないか、ということです。ブログ(静電誘導)の中でも書いていますが、エボナイトの棒を布でこすると一端にプラスの電気がうまれ、他方の一端に同量のマイナスが発生する原理と同じではないか、と考えるのです。

 そのように考えると自分の人生や社会、世界の見え方が変わってきます。

切腹が快楽になる時。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-10-5 8:24

 三島由紀夫の(仮面の告白)を再度、読み始めた。以前、三度、読んでいるが、今回は(不幸が産む傑作)という主題を考えついたからである。(三島由紀夫を傍にした夜)のブログに書いているように彼を3,4分間、そばにしたことがあった。東京・後楽園・ヘルスジムでボディビルをやっていた頃である。(金閣寺)の作品の主人公がドモリであることから、わたしは見破られることを恐れて話しかけはしなかった。上半身が裸で筋肉の張り詰めた肉体は小柄ながら迫力を漂わせ、オーラさえ放射していた。

 彼もわたしと同じく若い頃は虚弱体質であり、繊細さとロマンチズムに満ち、優等生として育てられ、性的異常さがあり、という具合だったから、わたしは近親感より、嫌悪のほうが近かった。後楽園・ヘスルジムで彼をそばにして7年後、彼は市谷・自衛隊に同士たちと乱入し、割腹自殺をした。わたしが通っていた法政大学の掘割をはさんだ位置に自衛隊はあったが、新聞の一面トップに報道され、わたしは冗談だと一瞬考えた。

 東大出で大蔵省に職を得た彼が、結婚し、子供までもうけておきながら、なぜ(私)にこだわり、最後に夢を実現したのか?世間的にはうらやましいばかりの彼の人生は彼の内心では不幸の塊であった。虚構という小説世界で自分の人生を変換し、再構成する、生きなおすという衝動・熱情に病として取り付かれてしまった。割腹自殺が夢の実現であり、虚構世界の現実化であることは彼の小説を読めばわかる。

 割腹はオナニーにも似た快感であった、とわたしは想像する。わたしが後楽園・ヘルスジムでのボディビルや大学での一撃必殺訓練(空手)をやって筋肉を鍛えた時、不思議な衝動が沸いたのを覚えている。自分の筋肉・体を叩き、傷つけ、壊したいという衝動であった。精神科医に言わせれば自傷行為だと言うであろうが、実行まではしなかったがわたしはそれを消すことは出来なかった。武士が切腹に臨む時も似た衝動があったと考える。切腹を否定し、悲しむことより、腹の中の虚心さを証明できるという快感の方が強かったのではないか?

元素や意識の偏在は毒になる。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-10-3 5:56

 除草剤メーカーは次のように言う。除草剤は地下に染込むことはなくなく大気中に拡散するから害はありません。一見もっともなようだが、大きな間違いを隠している。地球は大気圏によって蓋をされており、宇宙まで無限に広がっているのではない。除草剤の毒は大気圏の中で排気ガスと同じように集まり、人が吸い植物や他の生物の生命を犯していくのだ。

 薬の場合もそうである。漢方薬に副作用がないというのはそれが野菜と同じく成分・元素を万遍なくひろがらせているからである。化学薬品はその症状に最も効果的な成分・元素を集中させているから効果も大きく、それが逆に副作用を生む原因になっている。生活の中での利便性も同じく、利便性の快適さばかりに目をうばうことが資本主義の狙いであるから、副作用を生み環境破壊、そして意識の破壊を招いている。統合失調症なども良い例である。意識の働きが全体を見渡す能力を劣化させられ、制御機能・方向性を失ってしまうのである。人間だけでなく、街中に現れる野生動物、国家間の紛争・戦争なども統合失調症の良い例である。

 昔がすべて良かったわけではないが、昔の人は自然への感謝があり大事にする気持があったので心の拠り所、意識の中心点があった。統合失調症や認知症は少なく、そのようになる前にこの世から消えていたのだ。

学問の中心になる学問。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-10-1 9:14

 青春を受験戦争に奪われた、そのもったいなさと悔しさは今でも消えない。若いエネルギーを真実への思索や恋愛、美の追求などに向ければ、自殺しかけたり永い無力感・絶望感に陥ることもなかったはずなのに。導いてくれる者は誰一人いなかった。

 高校時代に数学1,数学2B,現代文、古文、漢文、物理、化学、生物、世界史、日本史、社会、美術、英語などあれだけの科目を詰め込まれて、68年間の人生においてどれだけの効能があったのか?十分の一にも満たないであろう。それらはツールであり、道具でしかなかった。何のための道具であったのか?文部科学省の役人や教員に尋ねてみたい。おまえらの飯の種にされにすぎないのじゃないか!今でも飯の種にされている生徒が多い。

 すべての世界には中心点がある。暴力団であっても市民を守ってると主張し、会社であっても、良いものを作って社会に貢献し従業員の生活を支えていると言うのに、学問の世界は各分野に分散し活動するだけでそれらを統制する中心点がないのだ。利便性と悪弊を生産するだけでいつまでたっても堂々巡りを繰り返している。

 (教育)とは何か?生きることを教え育む学問ではないか?生きるには何が一番必要なのか?食物である。酸素である。自然環境である。健康である。それらを阻害し壊しているものは何か?目先の生活、金権政治、それらによる自然破壊である。

 教育の自由化を訴えながら、なぜ、文部科学省認定の教科書でなければならないのか?社会人がなぜもう一度高校に戻って微分・積分を学べないのか?学力テストではなく、個性発見のテストがなぜないのか?

 学問の中心になる学科、個性を発揮出来る学科をもうけるべきである。

 

あの夏の日。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-10-1 7:25

 三年前の夏、わたしはバイパス手術を終え、病室のベットの中にいた。主治医が回診に来た。胸の縫合跡の痛みはなく、順調に回復していたが不整脈は消えなかった。

 わたしは尋ねた。先生、退院したら、散歩は出来ますか?サイクルングは出来ますか?と。主治医は笑顔で、出来ますよ、と答えわたしはすごく嬉しかった。素潜りが好きなんですが出来ますか?と否定を恐れながら聞いた。彼は少し考え、今年は無理でしょうけど来年は出来ますよ、と言い、わたしは天にも昇る嬉しさを覚えた。涙さえ出そうであった。

 今年はお盆前、その大潮の日が曇り空だったので、素潜りには行かなかった。昨年もその前には行った。サザエを6個、タコを二匹、魚を三匹捕った。お盆過ぎにはクラゲが出るし、太陽の強い日でないと海底は見えないし、大潮の日でないと岸から離れた海にはいけない。

 東京での20年間の生活を終えて帰省した日だった。ワゴン車に生活用品を満載していたが、両親のいる家には行かず、まず海に行った。

 大学受験に失敗した頃であった。自律神経失調症、ドモリ、両親の不和、断食に失敗、恋人もおらず、人生の方向感の喪失など最悪の時期であった。海は3キロメートルも先にあったので自転車をこいで行った。海の上に浮かんで漂い、波のリズムに心も体も休めた。人間世界を忘れた、忘れさせてくれたのは海であった。水中眼鏡を買い、シュノーケル、ヤスを買って、サザエを採り魚を突くことを覚えた。海水が強い陽光を吸い込んでいた。海底には砂地、岩が明るく照らし出されていた。波の形が縁取られ、映し出されてきらめき、波紋を揺らめかせ、はるか遠くまで見渡せた。物音一つしない天国であった。少し先に鯛の群れが見えたが彼らはすぐに消えるから眺めるだけであった。人の体ほどの岩の陰に何かを発見した。親指ほどで紫色の貝が集められていた。すべて空の貝であった。タコの巣?だった。

息を止め、両手で海水をかいで潜った。入り口を平らで丸い石が閉ざしていた。不自然さが作為を感じさせた。タコは賢い動物であったが、警戒してドアを立てることが見破られることだとは考えが回らなかったのだ。穴の中に指を入れると、やはり柔らかいものに触れた。思い切り指を突っ込み、タコを掴んで引っ張り出そうとしたが、岩に張り付いて離れない。息が苦しくなり、海面に戻って息を吸い、次の攻撃に備えた。首にかけていたヤスを外し、手に握って構え、潜った。穴を数度、突いた。黒い墨があがった。タコを突いたのだ。手を穴に入れ、張り付いていたタコを引き離した。片腕の半分もあるタコが姿を現し、八本の脚を腕に絡みつかせたが、力を弱めていった。帰宅すると、軽く湯通しして、刺身にして食べた。

 あの夏の日が来年も来るであろう。

 心の隅で祈っている。

夢の中で生きていた。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-10-1 6:10

 自宅前の川辺に立っていた。幅十メートルほどの川は岸辺が干上がり、明るい陽が射していた。黄色っぽい縞模様の野良猫が十匹ほども寝そべり、あるいは死んだように横たわっているのが見えた。捨てられたのであろう。いずれも毛が濡れていて、体に波を立たせていた。珍しい光景だった。写真に撮ろうと考え、そばの自宅にカメラを取りに戻ることを考えた。

 大きな工場の中であった。床は厚い鉄板がひかれていて、滑り止めの凹凸が入っていた。わたしは足に安全靴を履いている感触を覚えた。機械が無機的な表情でわたしと向き合っていて、これから彼らといっしょに仕事をしなければならないのだった。無機物の構成された世界は経験のない緊張をすでに準備していた。工場の建物は無限と言えるほど並び、鉄の壁材が波模様を打ち、抽象画のような珍しさを覚えさせた。

 海岸の道を歩いていた。ここがどこなのか?地名さえわからない。経験したことのない不安であった。暖かい良い日和の日であった。自分がなぜそこにいるのかわからない。テトラポットの山に登って遊んでいる子供たちが見えた。小学校の低学年ほどの歳の男だった。

 (ぼくたちに聞きたいけど、ここなんと言う所?)

 声を投げてみたけど誰も応えないし、顔も向けない。一人だけ怪訝な顔で笑いを向けた。

 変なおじさんだな、という顔であった。

 わたしは歩き始めた。道路に顔を向け、標識の地名を探したがそんなものはなく、車は普通どおりに走っている。ここがどこだかわからないのだから、自分がどこに向かって歩いているかもわからない。

 駅のホームに立っていた。わずかな人の姿があったが、ホームには立て札や掲示板がなく、その駅名も前後の駅名もわからなかった。ここがどこなのか?そんなことを訊くのは自分が不審者にみられることがわかっていたので口を閉ざしていた。

 電車が入って来た。わたしは習慣的に乗り込んだ。

 これは一時間前にみた夢の再現です。

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