ブログ - 20150719のエントリ

男女共同参画社会。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-7-19 21:00
英会話の女先生はオーストラリア人だが、大学院に入って(男女共同参画社会)の勉強をするという。わたしは自分の人生経験に照らして、複雑な気持ちになった。女性の社会進出はおおいに結構なことであるが、現在の日本人女性の性質では無理であると思う。無理だからそんな言葉を使って誘導しようとしているのだろうが、日本人女自体が物事をはっきり言えるようにまた自己主張をきちんとできるようにならなければ無理である。 わたしが今、カラオケ教室で教えている女先生みたいなタイプであれば、男女共同参画社会は実現するであろうがそんなタイプの女ばかりではない。男女がいっしょに仕事をしたり活動したりする場合には必ず性の部分が入ってくる。これは避けることも否定することも出来ない、大事な部分であり、男もそこのところのけじめをつけないと女の社会進出を妨害してることになる。活動上のパートナーなのか性の対象なのかの分別はなかなかしにくいものである。男女関係が原因で組織や集団が崩壊するケースは多いから、統率者にもその仕切りが求められる。仲間との活動が大事か?女との関係が大事なのか?と言う結論である。どちらを選ぶかは当人の自由であるから、そこがむずかしいが、男女共同参画社会を実現するにはそこをきちんと踏まえなければならない。

レイプって、出来るの?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-7-19 20:35
芥川賞受賞作(カクテル・パーティ)を、今、読み終えた。面白かったし、わたしの執筆作業の良い勉強になった。沖縄が舞台で、日本人の主人公、アメリカ人、中国人が登場し、侵略や差別、人種間の微妙な心理などがうごめき、まさにカクテル・パーティである。主人公の高校生の娘がそばの家に住むアメリカ人にレイプされ、ストーリーは急転回する。娘は身を守るためにアメリカ人の男を海に突き落とし、傷害罪で訴えられるが、主人公はアメリカ人をレイプで訴えたいのだ。そこにアメリカ人に有利な法律があり、同時に加害者は合意の上の性行為だったと言う。レイプの状況を具体的な形で書くべきなのだが、作者は裁判の場ではっきりするだろう、と言う結末で逃げている。そこが残念だが、わたしは若い頃の自分の性行為を思い出し、レイプは可能なのかと、考えてしまう。女の側に受け入れ体制があっても、凹に突っ込むというのは下腹部が見えにくいこともあって、容易には出来ない場合が多い。相手が体を一センチ動かすだけでも的が外れてしまうのだから、少しでも抵抗されれば挿入ができないのである。脅すなどして無抵抗な状態でないとできないのだ。女の体は心が拒否していても快感がわき、つい受け入れてしまう。終わった後に、レイプされたということになる。これが実態である。裁判の場では具体的な言動が再現されるだろうが、裁判官は女の体ではなく、心の部分を重視するであろう。心が受け入れていれば女は提訴したりはしない。
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