ブログ - 20150714のエントリ
今日の新聞でまた新しい病名を見てしまった。長崎佐世保市での高1同級生殺害事件への判決が医療少年院送致になった、という記事だった。わたしは複雑な気持ちで読んだ。加害者の父親は娘の犯した殺人事件にショックを受け、自殺した。加害者の少女はそのことを知って涙を流したのだが、その父親をバットで殴って殺そうとしたことがあったのだ。
わたしは自分の思春期の頃を思い出す。狂ったような愛情、同情、好奇心、憐憫、殺害欲望、夢想などあらゆる感情が渦を巻き、情緒不安定と言われた時があった。けれども自分の感情をそのまま動かせば犯罪になると知っていたので自然に自制心が育っていき、これまで犯罪者にもならずに生きてきた。
ここで言いたいのは本来人間の感情・感覚の世界は混沌としているもので、きっかけや条件さえ揃えば化学実験同じようにそのとおりに進み、結果を出すということである。わたしたちはテレビをみていろんなニュースやスポーツ、ドラマなど観るが、その画像の元になる電波は人間には全く見えない。受信機(テレビ)という機械を通してみており、波動であるからスイッチを入れた人は全員がみれる。人間の脳にも受信機や発信機があり、正常に活動していれば日常生活でトラブルを起こすことはすくないが、この少女の場合は正常に活動していなかったし正常に発達しなかった。だから、上記のような事件や出来事が起こった。父親を殺そうとした、父親の自殺に涙を流した。一見、矛盾・対立する精神構造はわたしの思春期にもたくさんあった。初恋の女が好きで、たまらなかったが殺したいと想った時もあった。矛盾・対立、混沌という状況は特別な状況ではなく、誰でも何時でも条件によって出るか出ないかのちがいにしかすぎない。一生、まったく出ない人もいるし、青春期に出る人もいるし、さまざまな状況がある。精神科医がこの少女に対してどんな治療をするか知らないが、少女の脳のある回路の修繕がひつようだと思う。彼女は16歳であれば殺人を犯しても死刑にならないことを計算して実行したのであるが、実行すれば社会から追い出され少年院送りになること、自分の人生が普通のコースから外れることも計算の上であったのだ。
判決では快楽殺人と裁判長がいっているが、人助けや人と共感することも快楽であるという回路に導いてやるべきである。例のサカキバラナオトさんも彼の犯罪行為を本に書いて出版しているが、本来、殺人は快楽でもあるのだ。単細胞の中性状態から、雌雄に分離し、競争原理、破壊原理を植えつけられた生命全体の宿命なのである。