ブログ - 20150701のエントリ

 秩序とは国家・社会体制・家族制度・人間関係・動植物、岩石などすべてにあり、モノはそれらを組成している人間、動植物、岩石などすべてである。私の人生は人間社会の秩序に照らしてみれば社会的落伍者に近く、親戚の者たちからは、NHKの集金なんで人に嫌われる仕事をなぜするのか?家系の恥だ!と言われた。おまえに飯を食わせてもらってるわけやないからそんなことを言われる筋合いはない!と今でも怒鳴り返してやりたいが奴らは死んでもうこの世にはいない。

 わたしが何故、秩序にこだわるかというとわたしが秩序によってつくられたからだ。こんな俺をつくった秩序のほうにこそ問題があると信じている。社会から外れた人たちは自分の不幸にとらわれるだけではなく秩序の効能をもう一度考え直してみるべきである。わたしは若い頃は無政府主義など、秩序のない制度を夢みたがそれは空想に過ぎなかったことが今はわかる。秩序を持たないものは存在しない。

 一つ前のブログに書いているように多様性を持つ秩序に国家体制も含めてすべての分野を変えるべきである。

爺ちゃんと孫が机を並べる日。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-7-1 17:52

 大学の公開講座に通っているが、考えさせられることがある。クラスでは19歳の学生と五人ほどの老人が混じり、講義を受けている。学生達は黙って聞いているだけであるが、老人たちはよく質問をするので授業に活気が出てくる。社会経験をとおしての質問だから的をえていて面白い。

 わたしはもう一度中学、高校の数学や化学を勉強してみたいと思うのだが、それが出来ない。何故なのか?教育制度にそんなシステムがないからである。社会人がもう一度中学、高校に通ったとしてもなんら害はないはずである。逆に中学、高校生たちに社会経験を教えて、教える方も教えられる方も良いことだと考えるのだが。大学を出て公務員試験に合格し、社会経験のない役人たちにそんな発想は浮かばないのである。(異能ベーション)などという言葉を持ち出している文部科学省は口先だけの業務に励むより、現実・現場の中に活路を見出すべきである。これが多様性である。

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