ブログ - 20141031のエントリ
ふとしたきっかけでカラオケ教室に通い始め、3ヶ月ほどになりますが新しい発見が出来て嬉しい毎日です。自分への発見であり、人間および日本文化への発見でもあり、それらへの好奇心にも燃えてきました。教室の先生は60過ぎの男性で、生徒はわたしをのぞいてすべて女性です。12人いますが、ほぼ全員が65歳以上の方で、声も若々しく張り切っています。
女歌一本にしぼったため、わたしは女歌ばかり歌っています。最初は高い声が出るかと心配でしたが、もともと声が高いので大丈夫でした。(郡上八幡おんな街)が課題曲ですが、その歌にすっかり嵌っています。皆からも上手だとほめられ、自分が女役をやっているようなすごく良い気分で歌っています。もともと女っ気がありました。小学校に入る前、母の箪笥の引き出しをかき回して口紅を見つけ、自分の唇に塗って鏡を見、うっとりしていたこともありました。高校時代は(女)と冗談まじりに言われたこともありました。なんとか男役をこの歳までやってきましたが、わたしは(両性愛者)ではないかと思います。
歌う、ということは歌を声で造ることだ、ということがわかってきました。日本舞踊のように指をしなやかに空に伸ばしたり引っ込めたり捻ったりして、心を現し訴える、それを声で伝える、そんなことがわかり、マイクに向かって声で芸をつくることが楽しくなってきました。プロが歌ってるような高みまでいくかもしれませんが、自分独自の歌い方を発見したくなりました。
わたしは郡上踊りで知り合った男と恋愛をし、三日三晩よりそっているわけですが、母を捨ててまで彼といっしょにはなれない、そんな刹那さと迷いを歌っています。その女になりきり、切ない声で嘆き悲しむのです。なんと古臭い歌だと感じましたが、その主人公の世界にどっぷり浸ることがすごく官能的であり陶酔するのです。恋愛状態です。
女歌を歌っているとすっかり自分を忘れることが出来ます。男から女への変身ですから180度の転換です。(好きな気持ちは もう戻せない 迷う思いを 叱るよに)などと男への愛を歌うわけですが、その至福の気分は男とか女とか関係なく、(愛)そのものなのです。それは(愛することは愛されること)であり、心をこめて愛を歌うことが反作用を起こして愛されるベクトルを持つのです。そんなことに気づきました。