ブログ - 20141006のエントリ
本題に戻ろう。歌舞伎の女形の存在をなぜ武家が赦し、自らも歌舞伎を観劇したかということである。かれらが認めたから文化として繁栄し、現代では日本の伝統文化に位置し、さらに世界的にも高い評価を受けている。欧米では(騎士道精神)が強く、男は強い者で女を助けるという頑固な伝統があった。女歌を歌うことあるいは女の仕草を男がまねることさえ蔑視され、タブー視される。近頃まで政府高官(男)が同性愛者だったいう理由で失脚し、自殺したこともある。日本でそんなことはありえないし、話題にもならない。それは武士の時代に稚児愛(幼児愛)の世界が存在し、武士達の生活の一部にまでなっていたからである。男は性徴が出る高校時代まで両性にちかい時代がある。女のような青少年を武士達は愛し、現実の女とはちがうウブな世界を経験した。通説では殿様の背後の太刀持ちが対象にされ、信長の太刀持ちであったモリランマルなどは良い例である。武士達は歌舞伎の女形に稚児愛の世界を連想し楽しんだのである。男の中の女を愛したのである。それは自分の中に住む女であり、古里の山に声を投げて返ってくる木霊である。異性愛においても男は相手の女の中に住んでいる(自己女)を求め、女は相手の男の中に自分の中に住んでいる(自己男)を求め愛するのであり、限りなく自慰に近づくことになる。
日本語の世界になるとさらに多様性に富んでいる。外国語で自己を指す場合は一つの単語しかないのに日本語では、わたし、ぼく、おれ、自分、小生、などたくさんあり、主語のレベルで男言葉、女言葉があり、敬語も混じってにぎやかである。食文化においては欧米の料理の品数が三品四品しかないのに比べて、ご飯、焼き魚、漬物、味噌汁、酢の物、野菜など多種類・多様性に富み、宗教においては多神教であり新興宗教もふくめると数限りなく宗教もある。欧米と交際を絶った鎖国制度が多様性に輪をかけた。
時代は変わりつつある。異端者、障害者、変わり者など言葉の上で異端視されていた人人や思想、文化、宗教などが多様性の中の一つとして位置づけられ、呼称を変えられ、評価を受けるのにちがいない。それはグローバリニズムという大量生産・大量消費・人間・社会の均質化と対抗する流れになっていくのである。
人間は両性具有であったし、またその余韻と名残、記憶が残っているからオナニーをし、異性どうし以上の快感を得るのである。これは前回のブログー(オナニーは最高のセックスである)で詳しく書いている。
性同一障害、という言葉が考え出され(現代は言葉の後にー障害やー依存をつける傾向がある)、心と肉体(性構造)が一致しない人をさしているがこれも両性具有だった頃の男女の分離がうまくいかなかったあるいは混交した状態だと考えられる。(バイセクシャル)というのは男とでも女とでも性交する女あるいは男である。男も女も社会の期待する像によって作られるわけだから簡単には決定づけられない。社会の期待する像あるいは社会環境(封建時代や戦争中は逞しい者が勇者ー男になる)によってどのようにでも変わっていくのである。草食系などという言葉が生まれ、美容整形をし、家や学校でエアコン生活を送っている青年を一時代前の人間が(男)と認めるであろうか?
ここで言いたいのは(性の多様性)なのである。民族、宗教、言語、文化などすべての分野において民主主義は多様性を認める傾向にあるのに性や婚姻(前回のブログー一夫一婦制で書いている)の分野においては旧態依然というのはおかしいし、やがて見直しが行われるであろう。
いきなり下半身の話になりますが、(蟻の門渡り)という言葉をご存知でしょうか?男性であれば肛門と睾丸の間に伸びている筋状のものです。手術後の縫合跡のようにも見えるし、蟻が行列をつくって這っているようにも見えます。手を伸ばして触ってみれば感触で形と長さがわかります。女性の場合は肛門と膣の間隔がないので無いようです。(上付き)と呼ばれてその間隔の長い場合、その一帯は平坦で普通の皮膚だとおもいますが、そのあたりは確認していません。
話は飛びますが、男は授乳もしないのに乳首があるというのは何故でしょうか?ネットで調べると女性が授乳出来なくなった場合の代替用と書いてありますが、お乳がそれで出るのであればともかく出なければ代替にもなりません。
(蟻の門渡り)の話に戻りますが、はっきりしたことは公開されていません。これからはわたしの推理と想像です。いつごろかわかりませんが、それは生物の系統発生の系譜で蟻の門渡りがどの動物の段階で発生したかを調べればわかります。それまでは両性具有の体であり、オスとメスの区別はなく、オスもメスも盛り上がった乳房と団性器・女性器の両方を持っていたということです。現在でも(ふたなり)といってその肉体を持った人がいますし、性転換で男にも女のもあるていど肉体は変えられますよね。これは両性具有であった証拠です。その肉体であればすべての両性者と交われるわけで性交の確率・可能性は現代の2対1から1対1です。やや無理な体勢ですが、両者が相手の凹に入れ、相手の凸を受け入れることも可能です。これで両者が妊娠した場合、どんな子供ができるか興味がありますが、これは専門家に尋ねてみたいことです。
ある時代から開いていた蟻の門渡りは閉鎖され、ペニスはクリトリスに変わり、精嚢、子宮、睾丸、卵巣など、男にするか女にするかでそれぞれ削除・消失していったのです。盛り上がった乳房も男に成る場合は縮小していき乳腺も消えました。その理由は何なのか?目的は何なのか?興味があることです。性交の対象が男も女も半分に減ったわけですから競争率は2倍になったのです。異性をめぐっての争いが増え、種族同志の戦争も増えました。自然の摂理は競争原理を強めてますます強くなるようにしたと同時に抑制原理も加えて犠牲者も増えるようにしたのです。
フランスの哲学者であるボーボワールが書いた言葉があります。(女は社会によって女につくられる)。これは(男は社会によって男に作り上げられる)ことでもあります。そうなのです。もともと両性具有であり、女性ホルモン、男性ホルモンが両者の体に存在してるわけですから、男女は基本的には両性具有なのです。