ブログ - 20141011のエントリ
わたしの心の中にはいつも舞台が用意されている。スポット・ライトを浴びて、青春時代の歌手がいつでも自分が欲する時に立ってくれる。アンディ・ウイリアムス、エンゲルベルト・フンパーディンク、フランク・シナトラ、マット・モンロー、村田英雄、森進一、美空ひばりなど聞き覚えのある歌手が視覚・聴覚器官を通さず直接に脳で見せ聞かせてくれる。ライブ以上の臨場感に満ちている。歩きながら畑を耕しながらショッピングをしながらわたしはその世界に酔い、近頃では自分が舞台に立って歌っている。(郡上八幡おんな町)を歌い、わたしはその女歌を女になった気分で歌う。わたしの中の女が現われ、わたし(男)に向かってしなをつくり身をひねって歌ってくれる。まさに日本舞踊の身動きである。
この人オカシイんじゃないかしら?などと言われることをわたしは気にしない。これがわたしの姿なのだ。自分が青春時代に捨てざるをえなかった(仕事をしてメシを食うために)感性を取り返し、再現してみたい。歌謡詩や小説、評論、写真の分野で自分の感性を思想にして完成させたい。それにしても青春時代に半ば軽蔑していた歌謡曲にこれほどほれ込むとは予想もしていなかったし、(郡上八幡おんな町)なんて、聴いたはじめは安っぽいと思っていたが、今では(温故知新)ではないが、古い男女関係ながら、ただ歌い酔わされるだけである。
光は無色透明であり、物の色や形を現してくれる。?神は「光あれ」と言われた。すると光があった。?と聖書の書き出しにも書いてあるように光は至高の価値を持っている。日本には春夏秋冬があり、曇り、雨、晴れ、嵐、雷と色合いがあるように人間の感情と同じ移り変わりがある。わたしは自分も含めて感情というものその移り変わりを不思議なものだと思う。喜んだり悲しんだりソウになったりウツになったり感情の変わらない時はなく、変わらなくなるのは死んだ時くらいであろう。
集金の仕事である家を訪れ、定年退職をして庭の選定をしていた主人にうらやましさを覚え,俺もあんな身分になりたいと考えていた。彼はわたしに向かって、あなたがうらやましいと言った。自分はゲートボールなどして一日をつぶすのが大変だ言い、わたしはおどろかされたことがある。
主人もわたしもその務めをしていただけでそれは光と同じで思考、感情とはちがう世界に属していたのである。それを(心)という摩訶不思議なものを生まれて与えられていて、それを通したために色が発されてしまった。心はプリズムなのである。本来は無償透明な光にすぎないものを分析し七色の色をつけてしまう。赤、青、緑、ピンク、黒、紫などと色彩をつけて、人間はそれによって笑ったり泣いたり喜んだり怒ったりしながら生き、一生を終える。これが人の(生)というものであろう。