ブログ - 20141019のエントリ
中学・高校生の頃から人生について、はっきりした答えを求めていた。自分の将来に不安が多く、自信がなく、社会が恐かった。こんな自分が生きていく場所ははあるのかと悩んでいた。小説を読み漁り主人公の生き方を考え、高校の(倫理・社会)の教科書で哲学者の思想を読んだりした。薄ぼんやりとだがどんな人生になっても同じである、優秀であろうが劣等であろうがそんなことには関係なくけっきょくは同じではないかと考えていた。悲観的な意味ではなくニヒリズムでもなかった。方程式のように楽しいこと、苦しいこと、良いこと、悪いことなどが複雑にたくさんあっても加算していけば結果はOではないかと考えていたのだ。ゼロサムの考えのあることを知り、自分の考えていたのはそれだなと理解した。
美味しさの世界のことを解き明かしてみよう。前のブログで(空腹は最大の味覚をつくる)と書いているがそれと同じことです。空腹の度数を10とし、現在?5でる場合食べて満腹感が広まっていけば美味しさ度数は+5になるのです。ところが+?すると0です。?3である場合+3であり、+?は0です。寒さ、暑さ、心地よい適温など人生における満足度・幸福感は行き着くところは0でそれを複雑に煩雑に繰り返してるだけです。地球上に北極や南極があるように一生、寒さに震える人、暑さに苦しむ人がいるでしょうが少しずつ慣れ、0に近づいていきます。その意味で人人の人生は平等なのです。
人生は自由でどんな生き方をしてもどんな環境にある人でもトータルすれば同じだからどんな生き方もゆるされるし可能なのです。このように考えればどんな場合にも苦しむことはありませんし、苦しみは楽しみの肥料なのです。楽は苦の種、苦は楽の種、ともいうように(良いも悪いも)実は無くそれの場の感情に振り回されているだけなのです。
67歳の今、わたしはこの考えを真実だと受け止めます。
ゼロ(0)の発見とはそのことではないでしょうか?