ブログ - 201312のエントリ
素粒子は物質の最小単位である。生命体は物質で構成されているからその最小単位は素粒子であり、分子や細胞の活動の基本にもなっている。地球が生命体と言われるのは動物や植物界の連鎖や循環の活動が人体の血管の構造と活動に似ていることからもからも証明できるが、その活動の根源は素粒子である。破壊されたり消失した臓器をIPS細胞が再生するが、その過程を調べていけば最終的には素粒子の活動であり、逆に増えすぎる人口やその男女の割合を調節しているのも素粒子の活動である。人体でいえばウイルスが進入してくれば白血球を送って攻撃するのは生命力であるが、人類だけではない地球の生命体そして宇宙の生命力を保っているのは神であろうが、そのエネルギーは素粒子にある。
では素粒子の活動を支配しているのは何か?
と言う疑問がわいてくる。
それは素粒子自身の性格と特性にあり、支配や被支配といった人間用語では説明出来ない。支配・被支配、進歩や退化なども物理化学の世界では単なる変化でしかない。素粒子どうしの結合や衝突、分離、変化などはそれ自身の動きであり、大宇宙と小宇宙がリンクしてるようにそれ自身の活動の原点が神であり、その活動の総体も神の力である、と言える。キリスト教で(人は神の子)というのはその意味で真理をついている。このように考えると神とは物質のエネルギーであり、それは素粒子のエネルギーにもとづいており、総体としてもっとも強いものの力によって左右され総体自身も変わっていく。生物界において雄と雌をつくり、競争原理によって強くなりすぎた人間の数を減らそうとする力も総体のベクトルが物理的に反転したにすぎない。物理的な反転は神の意図だとなぞらえることが出来るし、自然界のエネルギーと活動そのものが神の力の表現である。環境破壊が人災を産み、人間に犠牲をあたえるはも自然の法則であり、神の意図だとも言える。
近所で自然農法を実行してる男性と知り合いました。石丸さんと言う方で、65才です。話をうかがって、一番驚いたのは山中に菜園を作っていて、肥料・農薬はおろか水さえやらないというのです。
「水はどうされてるんですか?」
と訊くと、
「ほら雑草を野菜のそばにじゅうぶんに植えてますから野菜はその水を吸収します。また枯れ葉を畝の上に敷き詰めていますから水分の保全をしてくれますし、夜露がおりて水になり、畝の土に吸収されます」
と淡々と話してくれました。
自然農法で肥料・農薬を使わないのは知っていましたが、水も要らないというのは初めてでした。
石丸さんの農園は道より三メートルも高い位置にあり、その北側は崖に近い状態で、土は赤土です。成育状態を見るとサトイモは根の部分が一般のものの二倍もあり、ホウレンソウ、大根、ごぼう、白菜などは野生の顔をしていてパワーがみなぎっていました。
「でもここまでくるのに五年間かかりました」
と彼は言い、
「今では畑を耕したり草をぬくこともありません。畝の通り道に置いている枯れ葉を畝の上にのせたり、雑草の根から上の部分を切って苗のそばに置いたりします。雑草の根が耕してくれますし、葉っぱが肥料になります。わたしはナマケモノですよ」
と言うのです。
そう言いながらも私は彼の苦労がじゅうぶんにわかりました。畑の周りは竹垣で囲んでイノシシが入らないようにしていますし、枯れ葉を拾って運んできたり作業はいくらでもあります。でもそれは自分の王国をつくる楽しいものです。小中学生達にこの作業をさせればきっと顔を輝かせることまちがいありません。
この農法は家庭菜園には通用するが大規模農園では無理だ、ということですが、このやり方が増えていけば肥料をやって害虫が増え、その結果、農薬を大量に使用する事も減り、自然にとっても人間にとってもありがたいことです。
わたしは彼の教えをいただいて、自宅で毎日自然農法に取り組んでいます。
超自然は生物を雌雄に分離し、競争原理を働かせてかれらを増殖・繁栄させていった。その中で人類は知能を発達させ、文明を発明して天敵を遠ざけ、生物界の頂点に立った。異常に繁栄ていった。資本主義・多数決原理を維持するために快楽や利便性を利用した。原爆・原発を作り、除去するのに十万年以上もかかるという放射能まで作り上げてしまった。ここで超自然はこのままでは超自然まで破滅させられると考え、ベクトルを変えることにした。人類の異常増殖を抑えなければならないと判断したのだ。消化器官や皮膚、肺を通して汚染物質を人体に吸収させ、あるいは体内で変化させて生殖機能にブレーキをかけた。性同一障害者、認知症患者、草食系人間を増やし、人口の抑制をしていった。最終的には単細胞時代に戻せばいいのである。単一種になれば、感染症にかかった場合は全滅するし、競争原理も失って弱体化するだけである。そうなれば超自然をおびやかすこともない。
わたしは現代という時代をこのように理解しています。超自然を(神)と名づける人もいますが、わたしは宗教が嫌いだから、X(エックス)と名づけたい。Xは存在すると信じていますが、特定するのは不可能かもしれません。自然の総体をコントロールしているものです。
超自然の免疫力と言えるものです。
人間がアメーバのような単細胞であった時代、雄と雌の生殖器官はないというよりまだ未発生の段階であった頃のこと。動物と植物は分かれておらず、性別もなかった。細胞分裂で二つに割れ、際限なく増殖するわけだから性差は不要であった。ところが大きさ小ささ、高い低い、あるいは暑さ、寒さなど差異と格差がたがいにエネルギーを産み多様性をもたらすこと、それがひいては地球の繁栄になることを超自然は知った。それは普遍的原理になり、生物達はそれに支配された。その指示によって生物は動物と植物に分かれていった。次に生殖器官を発生させた。動物達は雄と雌に別れ、植物は雄しべと雌しべをつけた。初めはその二つは同じものであったが突然変異が起こり、交接・交配して多品種が生まれ、競争原理が生まれたのだ。超自然の狙いであったのだ。精嚢と卵巣も本来は一つのものであったが動物の体の中で分かれて誕生した。クリトリスとペニスも分かれて発生し、付属器官を広げて発達していった。それが男と女である。その二つはその状態で世に出てしまい、異性を求め続け繁殖していった。元の片割れを求め合うことは本能として残り、死ぬまで狩と求愛行動をつづけ、結合するまで安定しなかった。激しさのあまり殺し合いをすることもまれではなかった。
いつも散歩する山道に車で出かけ、枯葉を集めました。十センチほども積もった枯葉は乾いていて、触っても気持ち良いものです。両手で包むとサラサラしました。薄い朝日をあびながら松葉ホウキではき集め、両手で大きなビニール袋に入れる作業はすがすがしく爽やかなものでした。田舎生活に感謝しました。10袋も詰めるとワゴン車に積んで自宅に持って帰りました。
自宅の畑には畝が30ほどもあり、土の表面に枯葉を敷くつもりでした。前回は耕した土の中に入れてしまい、失敗でした。(不耕起栽培)の本を読むとそれでは枯葉の活用が出来ないから、土の表面に置くということでした。それでは風に吹き飛ばされるのではないか?と案じることがあって埋め込んだのですが。
一輪車に積んで枯れ葉を運び、畝の上に置いていきました。土に毛布をかぶせてるような気持ちになり、いい気分でした。風が吹きました。枯れ葉を見ると飛ばず、畝の土に逆に張り付いているのです。そうだ、舗装された路面の場合には飛んでも地面の上では飛ばないんだな。
なぜだろうか?
木の実は丸くて、出来るだけ遠くにまで転がるようになっている。それは遠くにまで行って芽を出し、種を広げるためだ。葉は木の下の地面に落ちる。大事な仕事があるから動いたり遠くに行ってはいけない。日光をさえぎり湿気を保ってミミズやバクテリアに住処をあたえ、かれらが土を団子状にしたり枯れ葉が分解していくのを助けている。枯れ葉の縁がギザギザ状になったり内側外側に曲がっているのは風が吹いても木の下から離れないようにするためである。腐葉土になってスポンジ状になるのは根に養分を吸いやすくするためである。
枯れ葉になる前は若葉であった。その頃は光合成を盛んにして木に養分を与え、酸素を出して動物たちの生命を守り、大気の汚染物質を付着させて雨とともに地中に戻していた。
老いて枯れ葉になってもきちんと役割を果たし、死ねば養分になって木の成長を助ける。吸い取られて本体の中に戻り、回帰し循環している。
もの言わぬかれらだが、自然を利用するだけの人間達よりはるかに価値があるのではないか?わたしも人間の一員だが、自然への恩返しをしたい、と考える。やがて枯れ葉みたいに本体の中に回帰するのだが。
四十年前のことです。わたしは神奈川県に住んでいて、フリーターの生活をしていました。東京都の東中野にある新日本文学という学校に小説を学ぶために通っていました。そこは歴史的にも野間宏や椎名麟三などもいた由緒ある学校で、今思い返せば本来の学校の姿を示していました。まだ無名の文学者や評論家を講師に招いて、労働者や身体障害者の方達が生徒になって和気藹々の雰囲気で語り合い、和やかなものでした。講義の後は必ず飲み会があって近くの飲み屋にみんなで行きました。酔っぱらって言いたいことをしゃべり、今ではすっかり有名になったヤンソギル(直木賞候補)さんもいました。
今思い返せばその時に在日の講師がいて、日本は東洋文明と西洋文明のぶつかる国だ、と話されその言葉が思い出されます。そんなものの見かたがあるのだと感心しましたが、今では日本、韓国、台湾、フイリピンがアメリカの属国になり、東洋文明は西洋文明にすっかり支配されています。中国や北朝鮮の社会さえも西洋文明に支配されています。
人権民主主義が定着してそれに違反するものは(国賊)みたいな風潮が出来上がっています。たしかに新聞紙面から孤独死や餓死の記事がすっかりなくなり、福祉や生活保護の体制がととのったことはまちがいないでしょう。それは飢えや貧困による暴動を起こさないための為政者の政策ですが、近頃街中や住宅街を歩いていてもどこかおかしい雰囲気があります。チリ一つ無いきれいな道路、話し声も大声もケンカもない街、パチンコ玉も音楽も焼き鳥の匂いも煙ももなく音楽もない街、なにか変だ。人間は歩いているのに気配や空気さえない。まさに静止画像のような世界を感じます。
これは何だろうか?と考えると農耕民族の国に狩猟民族の人権民主主義と文明が無理に臓器移植され、大手術の後に活力がすっかり失われたせいではないか。近代に入る前の日本には人権という言葉の代わりに(もののあわれ)というものがあり、競争もないどこか楽天的な国でした。今は民主主義と言われながらも実質は封建主義であり、仕事を二つも三つもこなしてやっと生活してる人がたくさんいます。昔の奴隷にひとしい労働環境です。他方では公務員という貴族階級がいます。
わたしたちはうまく騙されているのです。
自然農法に挑戦して3ヶ月くらいになりますが、期待はずれでした。ホウレンソウは肥料をやった畑の時の半分くらいの成長で、根が固くて食べられません。移植したサトイモもほとんど生長せず、大根、ごぼう、カリフラワー、野沢菜なども大きくなりません。よく考えましたが、古い畳の腐葉土では元素がかたよっているのではないか?山のクリやドングリが大きく育つのは色んな木の葉が混じって多様性があり、元素のバランスがうまくとれているのではないか。
そこで今度は休ませていた畑をスコップで掘り起こしはじめました。山から取ってきた枯葉をまき、土をかぶせていきました。これで春まき野菜の生育に間に合えば、結果が出るでしょう。
自然農法では雑草はとらず放置するのです。わたしは小さなホウレンソウを取り囲んで伸びている雑草をみつめました。
(君たちは肥料もやらないのによく伸びるねえ。どうしてなの?)
(もともと肥料がなくても成長するようにできているのさ。野菜くんたちは人間が肥料をやるから依存症になってるんだよ。太陽と水さえあればぼくたちは元気なの)
わたしは大きく伸びたタンポポに声をかけました。
(この前、君をオヒタシにして食べてみたけど、美味しくなかったよ。硬くてサバサバしていて味もない。この屋敷のあちこちで元気良く伸びているから全部切ってやろうと思ってるんだ。良いかい!)
(ぼくたちにだって生きる権利があるし、人間達といっしょに生きてるんだよ)
ませた口をきくな、と思いながら話を聞いていました。
(ぼくたちといっしょに生きてる、ってどういうことだい?おまえなんかいなくったって俺は生きていけるんだよ)
(そこをわかってくれないの?こうして話をしてるとオジサンが炭酸ガスを出し、ぼくたちはそれを吸ってる。お礼にぼくたちは酸素を出しているから、オジサンたちはそれを吸ってるじゃないか。おたがいに元気のやりとりをしてるんだよ。こんな関係がなくなったらどうなるの?)
タンポポは茎をまっすぐに伸ばして言いました。
わたしはすっかり忘れていたことを思い出させられ、絶句しました。
これから目立ちすぎる雑草だけ切って、あとは残し、緑豊かな庭にしよう!と考えました。
今日の毎日新聞に山極寿一氏がこんなことを書いています。(人間の危機管理とは何か)というタイトルで東北大震災を例に出し、結論は(今の日本に必要なのは、人間の安全を保障するのは機械でも技術でもなく人間の心だという事実に立ち返ることである)です。
彼は京都大学教授ですが、わたしはこの考えに何か一歩遅れた不甲斐なさを感じます。つまり、あなたはまだ(人間信仰)を捨てきれずしがみついているのですか?と反論したい。学会の権威にまだしがみついているのですか?大学という業界から抜け出せない限りあなたは自由な発想も浮かばないし、真実を書くことも行動することも出来ないのですよ。まずそれに気づき、自己反省してから行動してください。
今の日本に必要なのは(人間信仰)を捨てることです。人間の知恵を一度捨てることで反省し、自然の知恵に学ぶしかないのです。汚染が消えるのに10万年以上もかかる原発をつくり、解決のめどさえつけきらない人間たちに学ぶものはありません。人間以外の生物は生活の中で自然破壊はいっさいしていません。そこに学ぶヒントがあります。かれらは動物も植物も生活と生命を循環させ、消せない汚染物質はいっさい出していません。人間だって日本では江戸時代までそうやって生きてきたのです。
すべての発端は西洋文明にあり、キリスト教という一神教にあります。
東洋の国は西洋文明の侵略を受け、人権民主主義の臓器移植をされたのです。臓器移植ですよ。ケネディさんが日本に来てマスコミが賞賛していますが、アヘン戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、パレスチナ戦争、イラク戦争など欧米が東洋を侵略した戦争はおどろくべき数があります。なぜ他国に入ってまで戦争をするのかアメリカや欧米はそのことを研究し反省してください。そのことを踏まえても今もとめられるのは自然の知恵に学び、東洋思想を復権させることです。